【募金】大きすぎる間違いには気付かない【課金】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
誤1:募金箱に募金する。
正1:募金箱に寄付する(寄金する)。
募金=寄付金を募ること。
誤2:課金制が導入されているゲームに課金している。
正2:課金制が導入されているゲームにお金を支払っている(納金している)。
課金=料金を課すこと。
なぜ人間は、小さな間違いには気が付くのに、大きな間違いには気が付かないのだろうか? それ言っちゃ大和言葉全部駄目だろ
クロガネとかシロガネとかある時点で大差ないわ >>893
金に限っては単純に金属全般を意味する場合もあるからもう仕方ないわ
まああえてそこ言及するなら白金は色と組み合わせた言葉だから他よりも紛らわしいと感じる者もいるだろう、ぐらいか
たとえば金属を意味する際に亜金とするルールがある、とかだったなら分かりやすく区別できただろうよ 大体プラチナ=白金の方が先にあるのに後からプラチナのニセモンとして開発したホワイトゴールドにあわせて名前変えろってどうなの wikiにもわざわざ誤解の項があるのを鑑みると前々から結構槍玉にあがるんやろ >>893 >>901
いや白金は「白いゴールド」って意味で色から来た呼称だから >>905
元々プラチナの事を「白い金」と表現する事があって
代用品に「プラチナっぽいものです」という意味を込めてそういう名前をつけた感じだな
混乱する奴は商売人に騙されている でも学術的には英語の命名のが理にかなってるわけでしょ、つまりそれって
なんというかこう「タラバガニはカニじゃない!」みたいなモヤモヤ感があって潔癖症にはこたえるw プラチナが英語かっていうと…?
由来からするとスペイン語か 経緯から見ると
西洋文明から見て比較的新しく知られる様になった物質なので固有名がなく、「白い金」とか「銀っぽいやつ」とかテキトーに呼ばれていたが
欧米各国で統一の元素名を決める時に発見国(正確には再発見)のスペインが「銀っぽいやつ派」だったのでそっちに合わせた感じだな
理にかなってるとかはあまり関係ない感じ 結局は対訳語としての合理性を追求していったら、巡り巡って>>872で大体合ってるってことになる罠 プラチナという言葉が出来る前に日本で白金と呼ばれ出してるな 結局ホワイトゴールドの方が後から出来たくせに勝手に(しかもわざと)寄せてきてるのが悪い それでいてホワイトゴールドがちゃんと金なのもタチが悪い
プラチナは金っぽいけど金じゃないからアカデミックに考えるとこっちのネーミングのが正しいことになってしまう
銀や銅のようにノを正式採用すれば後々禍根は無さそうだけどなんか癪だな >>917
アカデミックとかトチ狂ったこと言い出してて草
>>916
まあその通り ?アカデミックの意味がわからないのだろうか?
学究的とか学術的と言えばわかるのか… あまりにも馬鹿みたいな話で今までちょっと要点がつかめなかったんだけど
もしかして
・「プラチナ」は正しい言葉で「白金」は間違った言葉
・「白金」と「ホワイトゴールド」が紛らわしいのは白金という言葉がおかしいせい
こんな変な事を言いたい人がいる感じ? 「白金」と「ホワイトゴールド」が紛らわしい
見返すに明確な主張はおそらくこれくらい
あと複数人の可能性もあるものの整合性・再整理・合理性などとある
思うに共通の見解は言語間の単語の対応関係を擦り合わせることのみか 中国語にも同じ問題があって、そのためにプラチナの名称は今はおおよそ「铂(またはノ)」に統合された
ちな、「白金」は今の中国語では通常ホワイトゴールドの名称と見なされるが、稀にプラチナとして使用する混同も見られる >>872
>プラチナ
>→真銀→シンギン/マシロガネ
>→真白銀→シンパクギン/マシロガネ
真っ白な金属類というような意味合いだろうか?
一応誤解のないよう言っておくと本来プラチナよりも銀のほうが白い
銀に暗い印象を抱きがちなのはプラチナがくすまないのに対し銀が経年劣化でくすむからとされる
比較対象が中古品ならば相対的に正しくはなるが新品ならば誤りだろう
それとも完全な白い金属類というような意味合いだろうか?
それならばスペイン語の『小粒の銀』に通ずる定義の名という意味で理解はできる
ただ個人的には真鍮や真珠と語感が似ていてそういう意味では好ましくもある ホワイトゴールドこそプラチナの贋作じゃねーかwwwあんなのテキトーに白金モドキとか騙し白金とでも名付けとけよwww >>918
言語学って学問だろ
それをアカデミック語ったらトチ狂ってるって非難するのがそもそもどうよって話 >>904 >>926
白い金合金を「ホワイトゴールド」って呼んでるのって学術的な物質名じゃなくて商品名みたいなもんだしな…
変えるならそっち変えてもらった方が アンカーミス
>>926の2個目のアンカーは>>924あてで >>921-922
そこは正しい情報を取って混同を避けてくださいとしか… まああんまり話題の根本がアカデミックじゃないというか言語学と関係ないというか 経緯を優先するならPlatinum=白金でWhiteGold=亜白金
世界基準を優先するならWhiteGold=白金でPlatinum=真銀 >>933
ただの自分ルールではないか?いいかげんみっともない >>933
亜白金というかあれは元々プラチナのフェイクなんだから擬白金じゃないの?
あとプラチナは造語しなおすんなら普通に既存のノとか稀銀のがいいんじゃない? スゲェ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━!!!! 曹操という人物は、
石勒など異民族皇帝や桓温のような実力主義派の人間には
支持されるが、
漢人官僚には好かれない。 士官クラスなら事前に身辺調査はされてるし、配偶者が外国人の場合には情報部門とかには入れないらしいから、ある程度は大丈夫でしょ。むしろ警察関係のほうが心配です。 様々な理由からO2から中近東の遺伝的なベースが見えないからだ。だが今ハプロに明確なものが残ってない。敢えて言うなら中原のあたりにはやたらとRが出る。でもそれなら、欧州系のものが出ても良いはずだ。R以外一切でない。父系ハプロだけ偏って残るのは日本のD系でもあるように珍しくない。 これらに縄文弥生とする形と、もう1つは弥生縄文に対して近畿の古墳時代の別の流入です。後者のケースでもネズミも上手く説明できて、それまで中国南方が占めていた半島をそもそも個体数が少なかったため北部からのネズミに駆逐されたと出来ます。半島に居ないからと直接船で来なくても良いです。必ずしも海洋民である必要は無い。 孫権が、呂蒙の死をちゃんと悲しんでいる
以蒙為南郡太守,封孱陵侯,賜錢一億,黃金五百斤.蒙固辭金錢,權不許.封爵未下,會蒙疾發,權時在公安,
孫権は、公安まで出張っていたのか!
迎置內殿,所以治護者萬方,募封內有能愈蒙疾者,賜千金. だが、違うのです。
陸遜は、孫権のために、ほとんど働いていないだけだ。だから『呉書』に残らない。もしかしたら独自に、勢力を広げていたかも知れない。山越討伐と書いてある記事は、孫権のためでなく、陸氏のために、戦ったことを指すかも知れない。
列伝が沈黙するのは、周瑜も同じ。孫策が死んでから、赤壁まで、戦功は1つのみ。荊州への道が開きだした途端に、別人みたいに動き始める。 こうして荊州は、孫権の忠臣・陸遜が守ることに。陸遜は名族だが、周瑜や魯粛のように、荊州で好き勝手はやれない。孫権の勝ち。
おまけの陸遜のほうが白熱したが(ぼくが)、呂蒙伝おしまい。 2017/10/29(日) 05:42:42.89 呂蒙の姉の夫は、ケ當である。呂蒙は、ケ當を頼った。
ちくま訳の索引を見ても、ケ當はここのみ登場。 呂蒙は言った。
「襲肅は、孫権さまを慕い、遠くから来ました。義のため、襲肅の兵を増やすべきです。襲肅から、兵を奪ってはいけません」
何焯はいう。呂蒙のやり方は、1万人を率いる人の度量だ。 周瑜は甘寧に命じ、さきに夷陵に拠らせた。曹仁は兵を分けて、甘寧を攻めた。甘寧は困急して、急ぎ救いを求めた。味方の諸将は、兵が少なく、甘寧を助けられない。 呂蒙が謎だ。なぜ主将の2人が去り、凌統だけが残るの?
凌統伝によると、この戦功で、凌統は校尉になる。つまりこの時点で、凌統は校尉より低い。つまり呂蒙は、凌統を切り捨てて、甘寧を救おうと言ったのだ。甘寧と凌統をライバルと言う人がいるが、甘寧がずっと上である。 神話の大魔法使いゼーリエに対する読者の反応集【葬送のフリーレン】 孫権に叱られて、蒋欽と学ぶ
呂蒙のことを、よく知るために、目ぼしい『三国志集解』の註釈を抜書きしながら、翻訳します。
『集解』の全訳でないことは、ご容赦ください。学術研究者ではなく、ファンにとって興味深い事実は、漏らさずに書くつもりです。どうしても主観で取捨選択してしまいますが。 「孤豈欲卿治經為博士邪?但當令涉獵見往事耳.卿言多務孰若孤,孤少時歷詩﹑書﹑禮記﹑左傳﹑國語,惟不讀易.至統事以來,省三史﹑諸家兵書,自以為大有所益.如卿二人,意性朗悟,學必得之,寧當不為乎?宜急讀孫子﹑六韜﹑左傳﹑國語及三史.孔子言『終日不食,終夜不寢以思,無益,不如學也』.光武當兵馬之務,手不釋卷.孟コ亦自謂老而好學.卿何獨不自勉勖邪?」 「オレは呂蒙と蒋欽に、経学を治め、博士になれと言ったか。本をザッと見渡し、過去のことを知れと言っただけだ。呂蒙は忙しいというが、オレより忙しいか。オレは幼いとき『詩』『書』『禮記』『左傳』を読んだ。『易』だけ読まない。オレは、兄の孫策を継いでから、三史や諸家兵書を読んだ。とても役立った。 呂蒙と蒋欽は、意性が朗悟だ。学べば必ず得るものがある。なぜ学ばないか。急いで『孫子』『六韜』『左傳』『國語』と三史を読め。
いきなり多いよ! 『集解』はいう。曹操がわが子に「私は老いて、学問が好きになった」と言ったという史料がある。なぜ『江表伝』は、その史料を不用意に引用して、孫権のセリフを飾ったか。辞めてほしいものだ。
呂蒙と蒋欽だけ、なぜ学問をしないのか」 一般女性の方が「厨二病」ってコメントしてたの、すげー納得出来た。
大人になってから厨二病発症したのがツイフェミだねw レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。 ディストピア系のSFで「病と飢えから解放された人類は、自ら滅びを選んだ」みたいな感じなんやろうなぁ
厨二病は良い得て妙 .自分の子供が「みんな子どもを産むな!」って周りに言ってたら「一人で勝手に○ね」と言うかって?
そうは言わなくても普通に叱るでしょ 赤の他人が言ってるのとは違う 【誕生秘話】ツイフェミがなぜツイフェミになったのか 有能な敵より無能な味方に警戒しろという意味が良く分かった 私が女性であった事で損した事は、ツイフェミさんに勝手に『女性代表』名乗られてる事。
迷惑だし、嫌な気分になる。 嫌なことされて極端な思考に陥る気持ちは分かる...けどそれで関係ない人には当たり散らさないで欲しい....根本的な原因が解決されて極端な思考から解放されることを祈ってますm(*_ _)m あくまでツイフェミさん視点からはこう見えてる、だけで
実はツイフェミがやらかして怒られてるだけというのが真相かも 寒門の気持ちが分かる人
時蒙與成當﹑宋定﹑徐顧屯次比近,三將死,子弟幼弱,權悉以兵并蒙.蒙固辭,陳啟顧等皆勤勞國事,子弟雖小,不可廢也.書三上,權乃聽.蒙於是又為擇師,使輔導之,其操心率如此. ときに呂蒙は、成當、宋定、徐顧と軍営が近かった。成當、宋定、徐顧が、3人とも死んだ。3人の子弟が幼弱なので、孫権は3人の兵を、呂蒙に合併しようとした。
呂蒙は固辞した。呂蒙が述べた。
「3人は、みな國事に勤勞しました。子弟が幼くとも、解散させてはいけません」
呂蒙は孫権に、書状を3回提出した。孫権は、呂蒙の言い分を認めた。
呂蒙は、3人の子弟のために、先生を選んであげた。呂蒙は、3人の子弟の教育を助けた。呂蒙の心遣いは、こんな感じだった。 【速報】ツイフェミが女性からブロック推薦対象になり怖がられている 【実話】アメリカでツイフェミが活発になり一般女性が生きづらくなっている そら男性どころか企業や一般夫婦、趣味のイラスト、子育ての母親に噛みつきまくって大迷惑かける人種は避けられて当然やわな😓 ツイフェミの言い分を要約すると
「私のやりたい事、思った事をスムーズにこなしてくれる全てが理想の執事男ばっかになれ、それ以外は近寄るな」なんだよなぁ 【ついに】女性にも嫌われていることに気付いたツイフェミさんしかし標的は… 子供が泣きわめいてワガママを叫んでる様子を見てその子供を褒めようと思う親が居ると思うか?
あんたらが『頑張ってる』事はそれとほとんど同じなんだよ 【朗報】天皇になれるボタン、メールで届いてしまうwwwなんJ民なら迷わず押すよな?www【ゆっくり】【2ch面白いスレ】 天皇になれるメール作ったけど流石に無理がありすぎると思ったのかダメ押しでGカップ付け足して釣ろうとしてくるの好き 郝普をだまして、零陵郡を得る
是時劉備令關羽鎮守,專有荊土,權命蒙西取長沙﹑零﹑桂三郡.蒙移書二郡,望風歸服,惟零陵太守郝普城守不降.而備自蜀親至公安,遣羽爭三郡.權時住陸口,使魯肅將萬人屯益陽拒羽,而飛書召蒙,使捨零陵,急還助肅.
このとき劉備は、関羽に荊州を守らせ、専有させた。
何焯がいう。かつて荊州は、孫堅が平定した地だ。だが劉備に懐いている。 孫権は、呂蒙に命じた。
「西に行き、長沙郡、零陵郡、桂陽郡の3つを取れ」
呂蒙は、2郡に書状を送った。2郡は、呂蒙の風聞を聞いて、帰服した。だが零陵太守の郝普だけは、城を守って、呂蒙に降らなかった。
『集解』がいう。郝普は『季漢輔臣賛』にある。 劉備は、みずから公安にきた。劉備は関羽に、3郡を争奪させようとした。孫権は、陸口にきた。なんj民は常にマッマと同じ空間にいるんやから引っかかるわけないやろ
孫権は、魯粛に1万を率いさせ、益陽で関羽を防がせた。孫権は書状を飛ばし、呂蒙を召した。呂蒙は孫権の命令を受け、零陵郡を捨て、急いで魯粛を助けた。 【2ch面白いスレ】【悲報】令和の婚活市場、女余りと化すww【ゆっくり解説】 これより前のこと。
呂蒙は、すでに長沙郡を平定し、零陵郡を攻めようとしていた。呂蒙は酃を通り、南陽郡のケ玄之をピックアップした。ケ玄之は、零陵郡を守る、郝普の古なじみだ。呂蒙はケ玄之に、郝普を説得させようと思った。
呂蒙は、孫権からの書状を受け取った。すぐに魯粛を助けに行かねばならない。だが呂蒙は、帰還の命令を隠した。
呂蒙は、夜に諸將を召し「明朝、郝普の城を攻めるぞ」と方略を授けた。呂蒙は、ケ玄之を顧みて、言った。 呂蒙はすぐに(魯粛が待つ)益陽に向かった。
劉備が孫権に、和解を申し出た。孫権は郝普らを帰した。湘水を境界線に定めた。零陵郡は、劉備に還した。 Q:男性は結婚の何が不満なの?
A:そんな簡単な事を女性と婚活業界が理解できないところ。 瑯邪の劉勲(征虜将軍)って、なんか妙に曹操の元で厚遇されてたみたいだなあ・・・。
降伏して列侯になったというならほかにも似たような者がいたわけだが、曹操と旧くからの知り合いだったというだけで「貴寵驕豪」とまで言われるものなんだろうか。
瑯邪国というと曹操の父曹嵩の疎開先だったり、国を挙げて曹操を推していたり、妙に曹操との距離が近い気がする。卞氏の出身でもあるし。
何か明言されていない事情があるんだろうか。劉夫人の実家とか。 『隋書』経籍志によると魏武こと曹操が記した兵書として「續孫子兵法二卷」「兵書接要十卷」「兵書略要九卷」「魏武帝兵法一卷」といったものが伝わっているのか。
注釈だけではなくて『孫子兵法』の二次創作続編も作ったらしい。
以前記事にした曹操自作兵書10余万言というのはそれらのことだろうか。
『魏書』『魏略』の話の通りなら曹操は兵書の単純所持を禁じつつ自作兵書によって自軍を運用しようとしていたそうだが、それらの兵書は長く中原の軍隊で用いられたのか、それともそうでもなかったのか、それはここだけでは分からない。 麋竺、孫乾、簡雍、伊籍ってまあ「文官」って感じのイメージなんだろうが、劉備の元で全員「将軍」になってるんだよな・・・。その手の分類で言えば全員「武官」ってことじゃないか。 【陰実】クレアがアウロラに変身!?【陰の実力者になりたくて!2nd season】シャドウ様が回復アトミックでサクッと解決する第3話の反応集/実況/感想まとめ ら、ネットではお飾り将軍扱いですね
しかし、彼らは実態のある将軍だったんじゃないかと考えます
三国時代はお飾り将軍が案外少ないのです
将軍に任ぜられるのは軍人もしくは部曲持ち豪族
輔呉将軍張昭はお飾り将軍の代表のように言われます
孫権のセリフもそれに準じます
しかし、名誉職なら何々大夫でもいいはずなんですよね
そこをあえて将軍にしてる
張昭は長く中郎将の位にありました
息子二人も部曲持ちの将です
このことから考えると、張昭は相当数の部曲を擁していたのではないかと推測されます
名誉職が何々大夫ではなくて将軍なのは、「実務からは外すが領兵権は保障しますよ」という意味ではないでしょうか
劉備の四将についても同様であると考えます
麋竺は劉備のもとでは軍を指揮しなかったものの、万余の部曲を擁する大豪族であり、呂布討伐直後の曹操軍では偏将軍に任ぜられていました
この地位は、建武将軍夏侯惇と振威将軍程cに次ぎ、裨将軍徐晃に比肩します
孫乾は出身地と姓から推測するに、北海孫氏の同族と考えられるため、部曲を従えていても不思議ではありません
簡雍と伊籍は記録が乏しく、部曲を持っていたと推測できる材料はないものの、否定する材料もまたありません
後漢末は部曲さえ持っていれば、将軍にしてもらえる時代です
武功のない将軍、従軍記録の乏しい将軍なんてたくさんいます
麋竺らは相応の部曲を有しており、益州平定後は領兵権を保障するために将軍号を授けられたのではないか
そう考えています
簡雍が許されていたのも、「部曲をいっぱい持っていたから」という理由かもしれません
態度悪いのに許されてる奴ってだいたい部曲持ちですしね おっしゃるように張昭もそうですね。
そして張昭は実際に一軍を率いたことが『三国志』に明記されていますね。
ご指摘のとおり、彼らは自身が直接率いる兵を持っていた、というのはおおいにありうると思います。
私は諸葛亮(中郎将から将軍になっている)も同様だったんじゃないかと踏んでいます。 初任中郎将はよく見かけるパターンですね
部曲持ちがそのまま将に任じられるケース
森本淳は曹操軍を例にあげていますが、他の勢力にも当てはまります
部曲数百の霍峻が最初に任ぜられた官位は校尉
単独で営を構成できる規模
諸葛亮の部曲はこれより多くて軍を構成できる規模だったんじゃないかと推測します
それゆえの中郎将
同時に拝命した「督零陵・桂陽・長沙三郡」は荊南三郡の都督と解するのが妥当(ネットでは行政職と解されるが、この時代に督○州や督○郡が内政統括の意味で使われた例はない)
諸葛亮がなぜ長史や司馬ではなく中郎将なのか?
それは自前の軍を持つ将だからでしょう
そして、その軍事力こそが荊南三郡都督や成都鎮守の務めを果たす上での基礎だったのではないかと 陳寿自身としても、おそらくは当時(西晋)の風潮としても、三国時代の人物としては誰よりも諸葛亮を特別視するような傾向みたいなのがあったのかもなあ。
なにしろ「無力な皇帝をずっと立て続けつつ戦乱を収めようと戦い続けた。しかも兵法などにおいても後の世にも残る実績を作っている」という、魏の実質初代のアンチテーゼにして、臣下たるものこうあるべき、みたいな存在だからな・・・。 もしかして陳寿『三国志』本文内で陳寿自身の上奏を(おそらく)そのまま収録してるのって諸葛亮伝の「諸葛氏集目録」だけだったりする?
他にも同じような体裁のとこあったかな・・・? 「精霊使いの剣舞」の最終回は、第12話「レン・アッシュベル」です1。このエピソードでは、カミトとチーム・スカーレットが、精霊剣舞祭の決勝戦でルビア・エルステインと戦います。この戦いで、カミトはレスティアを失い、彼女に関わる全ての記憶を失ってしまいます。しかし、カミトはレスティアが生きているかもしれないという情報を聞き、リンスレットの故郷ローレンフロスト領へ向かいます2。 漢王朝の初代皇帝劉邦は「高皇帝」という諡号を贈られたとされ、この「高」は従来の諡法になかった字なのだとか。
また、孫呉の初代皇帝孫権は「大皇帝」という諡号を贈られたとされ、この「大」もそれまでの諡法では見かけなかった字であるように思われる。
つまり魏・呉の前の代の王朝である漢では「今までの諡法では言い尽くせない偉大さなので、今までの諡法にない字を用いる」という選択をしていて、孫呉もそれを踏襲したと言えるのではないか。
魏王朝において実質初代も皇帝の初代もいずれもそういったザ・ニュー諡号を使わないでいたというのは、ちょっと面白い傾向かもしれない。
晋は魏を踏襲したということだろうか。 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。