日本語が簡単過ぎて泣けてくる
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文法は単純で簡単、発音も簡単、文字も言うほど難しくない
こんな簡単な言語は日本語くらいだろ >>553
> ハ行五段活用だなんて、そこは誰でも知ってるんだよ
五段活用では無く、四段活用な(嗤)。
御前は因より何も判つてゐないだらう(嗤)。 序
「國家の組織、政治の大本を立てゝ上下の分を明かにするもの之を『憲法』と謂ふ。
憲法は國家の根本法にして、萬法の源泉なり。
爰に國家ありて、君主之を統御する以上は必ず憲法なかる可からず。
憲法なくんば、以て國家を維持す可からず。
東洋古來憲法なきが如しと雖も、其の實、憲法なきに非ず。
啻に之を文に顯さゞるのみ。
先王の政、聖賢のヘ、亦是一の憲法たらずんば非ず。
之に循ふものは以て榮え、之に逆らふものは以て亡ぶ。」 >>554
日本語モドキしかかけないだけあってブサフンには日本語が難しい模様wwww >>555
其が日本語は簡單と宣ふ輩の表記なのかね(嗤)。
冗談だらう(嗤)。 漢字はとても簡単とは言えんだろ
字形が複雑でないだけでなく読み方も複数ある日本の漢字は ブサフン語は日本語には見えんな
酒鬼薔薇のshool killerレベルの中二病未満 >>553
> 語幹という概念の発見が重要なんだ
合ふ(は行四段活用)
未然形、あ・は(ず)、あ・は(む)→あ・は(う)
連用形、あ・ひ(て)
終止形、あ・ふ
連體形、あ・へ(ども)
命令形、あ・へ
語幹、あ
買ふ(は行四段活用)
未然形、か・は(ず)、あ・は(む)→あ・は(う)
連用形、か・ひ(て)
終止形、か・ふ
連體形、か・へ(ども)
命令形、か・へ
語幹、か
何も難しい縡等無いが。
打つ(た行四段活用)
未然形、う・た(ず)、あ・は(む)→あ・は(う)
連用形、う・ち(て)
終止形、う・つ
連體形、う・て(ども)
命令形、う・て
語幹、う >>553の言う「語幹」が学校文法用語の「語幹」と違うものだと本気で気付いていないのか
当然気付いているが気付いていないふりをして荒らしているのか 現代表記では「おわる」だが、正假名では「をはる」である。
だから終るの語幹は「をは」であり、「おわ」では無い、
現代表記を前提にした語幹等莫迦らしい話である。 抑現代表記自體が破格だつて縡が判つてゐないつて大笑 本仮名遣いに準じて翻字したローマ字で話を進めるが
wopara
wopari
woparu
wopare
の語幹を学校文法では「wopa」と習うが
「wopar」まで語幹だとする説があって、>>536以降の話題はその説に立脚してるの
ハ行四段活用だと
kapa
kapi
kapu
kape
で語幹は「kap」
ところが、現代日本語の発音だと「kapa」以外ではあたかも語幹末のpが脱落するような発音になるので
その現象を「リエゾン」と指摘してるんだよ 音便がやっかいだけど、外国人にどの音便がどのケースの動詞で働くのか
エレガントに説明するメソッドってあるの? >>561
漢字は日本語の本質構造ではないのでご勘弁を。
漢字の部分をすべて英語に置き換えても日本語が成り立つ。 >>569
カ行→イ音便
サ行→音便なし
タ行→促音便
ナ行→撥音便
マ行→撥音便
ラ行→促音便
ワ行→促音便
ガ行→イ音便
バ行→撥音便
ほとんどの五段活用はこのような規則的な音便になる
あとは少数の例外(行く、ござる等)を覚えればOK https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%BE%E3%83%B3
ウィキペディアには日本語のリエゾンとして「春雨」の例が挙げられている。
haru + ame -> haru-s-ame
をリエゾンとしているが、これは介入子音っぽい。
しかしもともと雨はsameだったという話だから-s-が挟まったわけじゃないらしい。 旧字旧仮名馬鹿がなんか暴れたらしいけどどうでもいい
仕切り直しだ 簡潔明瞭な日本語の文法構造をもっと教えてくださいφ(..)メモメモ >>563
> 未然形、連用形、終止形、連體形、命令形
これがどうも分かりにくい。日本人でもむずい。
もっとエレガントに外国人に説明する方法ってないかなあ? そんなことより琉球語の動詞・形容詞の活用が本土の日本語とどう対応するのかナイチャーにも分かるように説明してくれ >>577
「勝つ」「打つ」ならkat-, ut-までが語幹
挿入母音や子音の音変化を経て接辞につながっているだけで、「活用」なんて起こっていない
いわゆる五段動詞は子音で語幹が終わるので子音語幹動詞と呼ばれる
カナ単位で動詞を考えているやつにはこれがわからない
>何も難しい縡等無いが
ほらバカ丸出しだ >>568
其は抑上一段活用等々の動詞には語幹と活用語尾との區別が無くなつて仕舞ふから、無理矢理語幹を説明する爲に母音と子音とに態々分解して迄説明を試みたのだらうが、
因よりそんな者は何の意味も無い。
區別が無いのならば區別の無い語として普通に理解すれば宜い丈であり、無理矢理語幹を創作せねばならぬ理由は無い。 >>579
日本語は因より四段活用言語であり、五段活用では無い(嗤)。 >>580
>因よりそんな者は何の意味も無い。
ほらバカ丸出しだ
わからないのはお前が馬鹿だからだよ
動詞の意味を担う意味の最小単位を形態素という
子音動詞において、動詞の基本的な意味を担う音声の塊、
すなわち動詞語幹は末尾子音までだ
お前はその意味がわからないから価値を否定する
カナ単位のカナ頭に子音や母音は理解できない 屈折語と膠着語と孤立語の違いは程度の問題で、その境界は連続的。
屈折語でも多くの語は規則的な変化をし、変化しない語幹をもっている。
例えばロシア語の動詞でも不定形を除けば、かなりの語で規則的な変化が見られる。 kak-a na-i
kak-a na-i daroo
kak-a na-katta
kak-a na-kattara
kak-a na-kere ba
kak-a na-ku
kak-a zu
kak-a se-ru daroo
kak-a se-na-i
kak-a se-na-katta
kak-a se-na-kattara
kak-a se-na-kereba
kak-a se-ta
kak-a se-tara
kak-a se-te
kak-i mas-u
kak-i mas-en
kak-i mas-en deshita
kak-i mas-ita
kak-i mas-itara
kak-i mas-ite
kak-i ta-i
kak-i ta-ku na-i
kak-i ta-ku na-ru
...
こういうのって規則性があるの?
ネイティブスピーカーなら列挙していけるけどね。 >>583
御前が云つてゐるのは「羅馬字表記の語幹」でしか無い(嗤)。
「羅馬字表記の語幹」を宣明したところで學術的意味は何も無い(嗤)。 >>584
旧字馬鹿はそんな議論についていけるわけじゃないんだからほっとけ
ただ学校で習ったことにしがみついてるだけの阿呆にかまうな ごめん。
kak-i ta-ku nar-u
だった。
kak-i ta-ku nar-i
kak-i ta-ku nar-a na-i
kak-i ta-ku nar-a na-ku nar-u
kak-i ta-ku nar-a na-ku nar-ta
kak-i ta-ku nar-a na-ku nar-ta to s-uru
kak-i ta-ku nar-e ba
kak-a nai
kak-a zu
kak-a n
kak-u na
kak-u darou
kak-i tai
kak-i isogu/komu....
kak-i tamae
kak-e
kak-e ru
kak-e nai
kak-o o
kak-o o to suru
-aの後には何がつく
-iの後には何がつく
ってのは一つ一つ暗記する必要があるの? >>587
相変はらず阿呆だな(嗤)。
若し語幹の定義を羅馬字表記を以ての末尾子音迄だと定義して仕舞へば、「語の轉成」の説明が不可能になる。
語の轉成
一、其の語又は語幹を以て其の儘直ちに名詞とする者。
(一)、用言の語幹を以て名詞とする者。
形容詞
あか、あを、しろ、くろ。
動詞
やど、うた。 セミリンガル知的障害者の不細工褌マンは語幹と語根の区別も知らない模様wwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>589
ローマ字は関係ないよ。IPA(国債音声記号)で書いてもべつにいい。
カナは正確な音韻体系を記述できない。
それに、ここで扱っているのは文語文法じゃない。現役の生きた口語日本語。
カナで記述しても同じ。
-a段 -a列が、何に接続するのか、その法則があるのかどうかという説明は必要。
「未然形」というのですっきり説明できるのか、外国人が習得できるのかが問題。
ネイティブスピーカー向き文法では、その言語の難しさ簡単さは分からない。 >>586
カナ表記では音素レベルの分析ができない
子音動詞の動詞語幹という形態素は音素レベルまで切らないと正確に取り出せない -ana-i
-azu
-ase-ru
という助動辞があると憶えてしまったほうが楽か。
子音を末尾にもつ語幹では
-ana-i
母音を末尾にもつ語幹では
-na-i
がくっつくのが基本原則。 >>594
音韻は音韻學でやれば宜い。
因より何故に取出す必要があるのかね。
日本語は羅馬字表記では無いのだが。 最初からお前以外は音韻学の話をしてるんだよ
お前は一体何の話をしたいんだ? >>598
日本語で話せないなら英語で書け
このノータリン 文法と音韻がまったく別のものであるという考えがこのバカの限界
「形態音韻論」という分野があるんだよ >>593
根本的に闊痰ツてゐる。
何れ程現代表記の假名を音韻に落し込んでも、因より現代表記は明確な表記體系では無い。
何となれば、「〜だろう」「〜でしょう」等々の詞は品詞分解すら出來ないからだ。
だから學校に於ても「さう書く可し」としかヘへられぬ。 >>600
形態音韻論、詰り音韻交替、母韻交替は音韻學の大家有坂秀世氏が疾うに其に關する大著を著してゐる。
因より現代表記は形態音韻論的には無いし、形態音韻論的では無い者を形態音韻論の論法を以て説明しても唯混亂が揩キ丈である。 >>602
語根と語幹の違いも理解していないクソザコナメクジくん >>604
語幹と語根の違いを理解していない蟲レベルの知能 「活用・曲用」という言葉はもともとはどこから来ているのでしょう?
印欧語族の文法を翻訳したときに造語したとか?
それとも日本語文法や蒙古文法などに由来する言葉かな? >>601-602
現代の日本で一般に使われている「生きた日本語」についての話です。
そんな綴り方も言い方も現代の日本ではほとんど行われていません。
なので返答になっていません。話題が違います。 >>606
「活用」はおそらく江戸時代に日本語を日本人自身が分析して発明した用語
とりあえず本居宣長までは遡れる
「曲用」のほうは印欧語学用語の翻訳
「declinatio」を直訳したうえで「活用」と語感を合わせて作った造語 モンゴル語文法の本を読んでいたら、
欧米の言語でいうところの「格変化」に対応する「曲用」がモンゴル語にはあるが、
曲用という言葉は普及していないので格変化という用語をここではあえて使う
というような主旨の記述に出会ったもんで。 印欧語の語学用語で、「曲用」が廃れて「格変化」に置き換わる流れがあって
入門書レベルでは今では置き換えは事実上完了してると思われる
モンゴル語もおそらくロシアの学会経由で印欧語の用語を引き継いでて
他の印欧語と並行的に、タイムラグを挟んで「曲用」が「格変化」に置き換わる流れがあるのだと思う
その辺の事情をモンゴル語の専門家から見ると
モンゴル語用語の「曲用」→「格変化」への移行は知ってても
他の印欧語用語については最初から「格変化」しか知らず
その認識から筆者なりに状況を整理したのがその教科書の記述なのだと思う 曲用と格変化はイコールじゃないよ
曲用は名詞・形容詞とそれに準じる分詞などの名詞型の語形変化を指す
そこには格だけでなく性・数に応じた語形がある
フランス語・スペイン語・イタリア語などロマンス諸語は名詞の格変化を失ったが
性・数による名詞句の語形変化を保ち、これも曲用ではあるが、格変化という用語はふさわしくない
スラヴ語でもブルガリア語は呼格以外の格変化を失い(つまり動詞との関わりで機能する主要な格がない)、
語順と前置詞に頼るまるで英語のような変化を起こしたが、性と数それに定性(後置定冠詞がある)による
名詞の語形変化はあり、これも格と関係がない曲用だ >>612
そんなことは端から承知だけど、それはむしろ「格変化」であって、
「曲用」という言葉は別のところから来たんじゃないのかって疑問。
今では曲用が名詞句のクラス統一の意味で使われているが。 conjugationを化学では「共役」と訳すんだそうで、
なかなか良い訳し方かもしれないと思った。 今テレビにアメリカ人が出ているよ
日本語を流暢に話してる
これこそ日本語が簡単な理由
お前らがいくら文法やらなんやら理屈をこねても実際に多くの外国人があっさり日本語を修得
あっさり修得できるのだから簡単にきまってるだろ。わかったアスペルガーども >>606
「活用」とは本居春庭の『詞八衢(ことばのやちまた)』が最初。
其の頃より詞の若干の異同はあれど、基本的には變つてゐない。
>>607
現代表記が何うして現在のやうな表記體系になつたのかを知らないの歟。
日本國憲法全文と其の後のヘ育基本法とで何うして表記が違ふの歟と云ふ歴史を。 >>613
格形態を持たない名詞の変化を格変化とは呼ばない
端から承知ならそんな言い間違いはしない >>615
そんなことはとっくに話題になっていない
馬鹿が立てたスレしか伸びないんだから多少ズレていてもこれでいいんだ
このスレは「日本語が簡単かどうか」なんて関係なく、
「日本語の特質」のようなテーマで進んでいるんだよ
そんなことはあと1年ROMってればお前の頭でもわかるんじゃないかな だから、格変化というのは屈折語の文法用語であって、
曲用というのは膠着語の文法用語じゃないかって話。 >>619
お前って反論の根拠が無くなるとすぐただの言い返しの罵倒だけになるよな
それは負けてるのと一緒なんだよ
>>620
それ逆じゃないか?
曲用はギリシャ語・ラテン語の伝統的な用語だと上でも色んな人が言っているだろう >>621
罵倒はしてないよ
ただ、アスペルガーなんだなと見下してるだけw 5ちゃんねることわざ
草の生えたレスにロクなものはない 國語教育に関する質問主意書
昭和六十一年十二月四日提出
質問第二五号
國語教育に関する質問主意書
右の質問主意書を提出する。
昭和六十一年十二月四日
提出者 滝沢幸助
衆議院議長 原 健三郎 殿
國語教育に関する質問主意書
凡そ教育は國の存立の基本を培ふものであり、ことに國語教育こそはその基本である。世界の殆ど総ての國がこれに全力を尽してゐる所以である。
然るに我國においては、戦後の教育制度の改革に當つて、漢字の制限、假名遣ひの改變など、むしろ國語の傳統を中断する傾向があつたことは洵に残念なことと言ふべきである。
即ち、今にしてこの弊を改め、本來の國語を恢復する爲の教育を確立することは、國政の急務である。
よつて、其の方針について質問する。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a107025.htm 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>624
同意。
草の生えたレスってロクなものはないよね。
でも、お前のレスは草生えてないのにロクでもないレスですよ。 まっ
ガチのアスペに関しては旧仮名ガイジがチャンピオンなんですけどねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww IDも出ないししょせんみんな人格のない名無しなんだから
むなしいプライドなんか守るより事実を確認しあってためになる話をしないか?
何の脈絡もなくアスペルガーっていう言葉を言い出した人がアレなのはわかったけど
それがどこの誰かなんて誰も興味持っていないんだよ たいそう、言語について勉強してるのはわかった!
でもその知識を披露する場所が5ちゃんしかないという小者感が笑えるw 旧カナガイジが旧カナやめてて草wwwwwwwwwwwwwwwwwww 日本語は音便形があるせいでドイツ語やロシア語のように若干屈折的。
子音末を持つ動詞(五段動詞)の語幹の部分が完全な語幹にならない。
ただし音便形がある程度規則的で例外が多くないというのが救いのようだね。 いや、自分の専門分野のテーマは別の学会とかで発表し、
専門以外の特に新しくない基本的なこと、普通に誰でもたどり着けるようなことは
ここで書くのが普通だろ
物分りの悪いアホがすごく大物ぶってるけど >>638
行成り如何爲た不細工褌君?十八番の舊假名舊漢字は辭めたのかね?
贋物の日本語しか遣へない貴樣は結局何文字を遣へども滲出る愚鈍さを隱す事は出來ないのだよwwwwwww 「あっちを見ろ」を「あっちを見れ」と言うのは方言?
一段活用動詞の命令形がもしも-reだったら
kak-u
mi-ru
kak-anai
mi-nai
kak-areru
mi-reru (ら抜き)
kak-aseru
mi-seru
kak-imasu
mi-masu
kak-itai
mi-tai
kak-e
mi-re
kak-e ba
mi-re ba
kak-oo
mi-yoo
などとなって統一的で語呂がいいw ごめん。
kak-ereru
mi-reru (ら抜き)
にならないといけなかった。実際にはkak-eruか。
で、「書けれる」という方言はあるんだろうか? kak-areru
mi-rareru
kak-eru
mi-reru
でもいいわけか。ってことは命令形だけが例外。
「着れ」「見れ」「食べれ」を普及させよう!
2ちゃんねー用語だったかな。 東北方言で「来(く)る」の命令形が古語と同じ「来(こ)」なの趣があって好きだ 「國學とは、歴史を研究して國の成立沿革を察し、文學を研究して國民好尚の歸趨を察し、言語を研究して國民思想の發表方法を察し、
~話傳説風俗習慣を研究して其の性情を察し、道コの過去現在を研究して將來の指針を立て、國法を研究して其の當否を察し、
音樂美術を研究して其の情操の赴く所を察して將來の歸趨を考ふる如きゥを以ての學なり。」
山田孝雄博士謹述「大日本國體概論」詞セより拔粹。
*其等ゥを以て宣明せしものこそ國體なれ。 外国人向けの日本語の辞書には、
動詞の単語ごとに自動詞か他動詞かが明記されているのだろうか?
日本人向けの国語辞書には明記されていないことが少なくない。
音素を見ただけで判断できるかもしれないと思ったが、
共に-eruの形を持っているのに自動詞と他動詞、両方の場合があったりする。 例えば、
折れる oreruは自動詞
折る oruは他動詞
しかし、
開ける akeruは他動詞
開く akuは自動詞
逆のケースがある。 >>648
その二つの-eruはもしかして上代特殊仮名遣いまで遡ったら別の起源がある? 開くakuと同じ意味でakaruという自動詞を持つ方言があるよ 五段活用動詞「見る」
見る
見ない
見ず
見られる
(見れる)
ご覧になる
見させる
見れば
見ろ
見た
見たら
見て
敬語形「ご覧になる」だけが屈折している。 「見られる」も尊敬語として成り立つし、それは独立した活用をする
「ご覧になる」だって別の活用をする
活用と派生をごっちゃにするな >>652
「見る」は五段活用じゃないだろってところじゃなくて
そこにツッコミ?
じゃあその「ご覧になる」の活用はどうなる?
「ご覧になる」は動詞の人称変化に近いかもしれないね。
I isやI areと言えないように「私がご覧になった」とは言えないから。
もっといえば、日本語式のポライトネスにもとづく動詞の活用かな。
それから日本語の動詞の活用は階層構造を持つんじゃないかな? 方言によって尊敬語として「られる」の形が好まれる地域と
「お・ご**になる」の形が好まれる地域とがあるらしいね。
「られる」の形が好まれる地域で「ら抜き言葉」がいち早く発達した
という説があるようで。 >>653
ご覧にならない、ご覧になります、ってバカみたいに復唱させるのかwアホだなこいつ
これについては派生でもなく語彙的に別の動詞だ
そして尊敬語は人称変化ではないしそれに「近い」と言った所で同じ文法用語でまとめられるものでもない
敬語、中でも尊敬語と謙譲語には、語彙的なものと文法的なものがある
「見る」から「ご覧になる」への取り換えは語彙的な尊敬語、「見られる」への取り換えは文法的な尊敬語だ
英語のto beの人称変化が特殊なのは、一般動詞の-es, -edのような膠着的な形態に依らず、
またhave→has, do→didのような不規則な融合形だけでもなく、「補充法」suppletionによるものだからだ
この補充法という手段は、語根レベルで語彙的な違いだったものを一つの活用表に文法的な変化形として共存させるものだ
印欧祖語に遡れば 英語の「be動詞」は、am, isは*h1es-、 beは*b?uH-(原義「育つ、成る」)、
was, wereは*h2wes-(原義「生きる」)、 areともう使われないartは*h1er-という
おそらくは*h1es-の変化型、合計4つの語根に由来する語形で成り立っている
https://en.wikipedia.org/wiki/Indo-European_copula
日本語の1人称主語は普通体と謙譲語(記紀には1人称尊敬語がある)、2人称と3人称の主語は
普通体と謙譲語と尊敬語のすべてが使える以上、人称と敬意はまったく重ならないね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています