日本語が簡単過ぎて泣けてくる
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文法は単純で簡単、発音も簡単、文字も言うほど難しくない
こんな簡単な言語は日本語くらいだろ >>59
山正之『放言BARリークス』#11
https://youtu.be/LCrdgmEjqsU?t=6m9s
支那語には「優しい」に代替する詞が存在しない。
支那語は人の細かな感情や雰圍氣を表現する縡が不得意。
漢文とは抑政治的言葉。
漢文の專門家に依れば、漢文は讀下とか日本は聢とするけれど、日本人は或種彼を直觀で讀んでゐて、飜つて支那人は微妙なニユアンス迄全く考へてゐない。
微妙なニユアンスを讀取るやうな感じで日本語に置換へてゐるのは日本人のセンス。
漢文で源氏物語は書けない。
實は英語もざつくりとした表現である。 >>61
だから子供向けの絵本なんかを語学教材にするのは愚の骨頂なんだわ
子供向けのやさしい本なら語学初心者にもやさしいだろうという浅はかな考え
非ネイティブにとって簡単なのは報道文や論文など
子供向けのやさしい本なんて非ネイティブにとっては超難しい >>62
摯
英語から日本語での飜譯は簡單だが、日本語から英語での飜譯は困難(ケント・ギルバード談)。
英語は大雜把な言語。 重要なのは單に日本語が喋られる外人の發言では無く、其なりに學術的知見を有した二箇國語を驅使出來る外人の實體驗に本づく意見こそが重要。 >>68
自分が書いた文の結構をよく見返してみろ。文章になっていないぞ。 >>68
この人は人の文章についておかしいとか指摘するけどあなたの書いている文章こそ一番おかしいとわからないのか?
今の言葉は発言であって發言ではない。文法的にも字もあってたとしても普通の人間のコミュニケーションとしては間違いだとわからないのか? 北朝鮮関連の専門家のピョンさんがテレビに出ているけど日本語の発音は綺麗
韓国語の発音と日本語の発音は全く異なるから韓国人には日本語の発音は難しいのでは?
知り合いは韓国語は文法は日本語に似ているから楽だったが発音が難しいと言ってた
文字は複雑に見えてそんなに難しくないと言ってた >>70
> この人は人の文章についておかしいとか指摘するけどあなたの書いている文章こそ一番おかしいとわからないのか?
自分から指摘なんかしなさ(嗤)。
指摘されたから指摘し返してゐる丈の縡だが(嗤)。
御前さんが人の縡を云々してゐるのを此方が反論、指摘すると亦「この人は人の文章についておかしいとか指摘するけど」と云ふのかね(嗤)。 >>70
わからないw
そいつは知的障害だからなw >>72
なんて言ってるの?
相手に伝わらない言葉は文法的に合っていても存在価値はないよ
どんな相手にも伝わる言葉を使えないおまえに存在価値はないということw >>74
現代表記は國語では無い縡を先づ悟らうね(嗤)。
國語の五段活用なんて固より無いから(嗤)。 >>74
國語表記的に云へば、君の其のキモい表記は全く非國語的で、對手との對話は不可能だから(嗤)。
寧ろ此方が其の拙い表記を解釋して擧げてゐるのさ。 >>74が正論すぎて笑えるw
旧仮名キチガイ消えろw >>76
あガガイのガイあそれガガイのガイあよいしょガガイのガガイのガガイのガイw
あガイジガイジガイジガイジよいしょよいしょよいしょよいしょw >>78
なんて言ってるの?
合っていても
下段では接續助詞「て」に「ゐ(い)る」が聢と接續されてゐるのに、何うして上段では語幹の「ゐ(い)」が省かれてゐるのだ。
こんな不規則な表記は先づ國語では有得ぬのだ。
最低限の國語表記すら出來てゐないのだから、やはり國語は難しいと云ふ結論にしか逹し得ない(嗤)。 せいかな馬鹿って、世の中の表記の99.99%が自分にとっては誤りであるという現実とどう戦ってるんだろう
仕事は?
現実と戦うために団体を立ち上げたりもせず、やることが2ch荒らしとか本当にかわいそうだよね
両足にコンクリートの塊つけて太平洋に沈めばいいのに >>80
ほんコレ
ガイの者は生まれた時に産婆が〆とけばええんやw >>80
―― 其は法的規律ばかりではなく、文法のやうな他の社會的規律にも適用せらるべき原則であつて、
例へば文法に就いて云つても、現に多數の人が實際に慣用してをる所が必ずしも常に正しい文法では無く、
時としては實際の慣行が甚だしく紊れて、正しい文法の内容が社會の多數の人々の意識する所となつてをらぬ縡が有得る。
日本の現在に於ける「かなづかひ」などは其の一例として擧げる縡が出來るものである。
併し假令實際には正しい「かなづかひ」が寧ろ少數の有識者に依つてのみ知られてをるに過ぎないとしても、
猶一般の社會意識に於て、權威ある國語國文の學者に依つて、歴史的に古くから用ゐられ來り、
現に猶用ゐられつゝあるものが正しい語法であり、文法であると云ふ縡が認められてをり、
此の一般的の承認に本づいて、個々のかなづかひ其の他文法の内容に就いては社會多數人の意識する所では無いにしても、
猶其が正しい文法として妥當するのである。―― 如何に大多數が用ゐてゐようとも、數の多さ丈で國語の正しさを立證する縡は出來ない。
數の多さは學術的分野の話では無く、啻に感情論に過ぎぬ。 >>86
ほんそれ
俺も最初に来たときびっくりしたわ
今は慣れたけど 日本語は語順がわりと自由なので、曖昧な書き方が<簡単に>できてしまう
裏を返せば、修飾が多い複雑な内容を、多義的にならないように正確に書く(他の言語に翻訳する)のは難しいのではないか まーた日本語しか碌に知らない井の中のジャップの日本語難しい論か >>90
御前の其の表記を見れば、やはり難しいと判斷せざるをえぬが(嗤)。 日本語も漢語もまともに使いこなせないセミリンガルのガイジには日本語は難しいらしいンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>92
> 使い
『つかふ」と云ふ動詞は『は行』なので、「い」と云ふ送假名は存在しない。 >>80
例え自分が少数派だろうと自分の意見を表明する。
これが認められない社会はディストピア。
匿名掲示板では書かれた内容が重要。書いた者の人柄などどうでもいい。
正字正假名を認めるかどうかは全く別の問題。 >>94
こっちはキチガイいじって遊んでんだよ
そんな高尚な次元の話はしてない >>94
―― 其は法的規律ばかりではなく、文法のやうな他の社會的規律にも適用せらるべき原則であつて、
例へば文法に就いて云つても、現に多數の人が實際に慣用してをる所が必ずしも常に正しい文法では無く、
時としては實際の慣行が甚だしく紊れて、正しい文法の内容が社會の多數の人々の意識する所となつてをらぬ縡が有得る。
日本の現在に於ける「かなづかひ」などは其の一例として擧げる縡が出來るものである。
併し假令實際には正しい「かなづかひ」が寧ろ少數の有識者に依つてのみ知られてをるに過ぎないとしても、
猶一般の社會意識に於て、權威ある國語國文の學者に依つて、歴史的に古くから用ゐられ來り、
現に猶用ゐられつゝあるものが正しい語法であり、文法であると云ふ縡が認められてをり、
此の一般的の承認に本づいて、個々のかなづかひ其の他文法の内容に就いては社會多數人の意識する所では無いにしても、
猶其が正しい文法として妥當するのである。―― >>94
> 例え
たとへ
> 少数派だろう
助動詞「む」の音便變化たる「う」はお段には接續せず、未然形あ段に接續する。
「だらう」が正解。
*現代表記は文法にすら本づいてゐない。 「正しい」とは何か。
合理論、経験論、懐疑論、不可知論など種々の考え方を率直に考慮すると、
素人が素朴に考えているような物では無いと判る。
判断とか定義とか、主観的で能動的な行為を無視する事は難しい。
正しいと決める権限と責任を持つ者が正しいと言えばそれは正しいのだ、という
志の低い処世術も場合によっては認めていい。
文部科学省やマスメディアにその権限と責任があるとは認めたくないが。 ぶさふん
ブサフンガイジンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>100
>「正しい」とは何か。
國語學に適合する者。 初めて言語学板に来て旧仮名遣いの人のレスを読んで5レスほどは爆笑してたけど、飽きるね
日本語に限らず言語は難しいと思うけど、たいていの言語は明晰なはず
日本語話者にとって、英語は綴りと発音の関係、それと文法がかなり緩いから難しいんじゃないかな >>104
> 初めて言語学板に来て旧仮名遣いの人のレスを読んで5レスほどは爆笑してたけど、
ばく しょう −せう [0] 【爆笑】
( 名 ) スル
大勢の人が一度にどっと笑うこと。 「満場の人が−する」 なんでぶさふんは変体かなは使わないんだ?
古来から伝統的な日本語では多様なかなを用いることが美しいとされていたのに
没個性で魅力の無いかなばかり使って情けなくないのか? >>106
變體假名は個々のフオントに依存する。
>>107
其は御前がアスペで揚げ足取り許りしてゐるから歟。
>>108
其以外の定義があるならば何うぞ。 現代表記主義者の論理的傾向
一、現代表記が絶對。
二、表記は單に思想傳達の道具。
三、正字正假名は文語にて使用す可き。
四、己で讀み難き表記の自由を認めぬ。
五、假名遣の本質を理會せず
六、自己中心的。
七、假名遣、文語を混同す。
八、現代表記成立の經緯を知らず。 あガイジガイジガイジガイジ
よいしょよいしょよいしょよいしょ >>103
全否定する積りはないが、では「國語學に適合」をどう定義するのか。
無限の後退に陥る。
智に働けば角が立つ。蓋し名言である。
角を立ててでも敢えて智に働く奴が居る方が面白い。
だが本人は智に働いている積りでも他人からは只意地を通している丈と思われると、これは失敗だ。 人間は何かを疑い何かを信じて生きている。例外はあるまい。
で、大抵の人間は信じたい物を信じて疑いたい物を疑っている。
ノホホンと日常生活を送る分にはこれで殆ど問題無い。
だがこれでいいのか。志が高いとか低いとか、そんな問題以外に、悪意のある何者かに
騙されて痛い目に合う。そんな場合も有る。
正字クラスタにも新字クラスタにもそれが解っていない者が居る。
私自身は正字正假名に一定の理解を持つ積りだ。読む分には殆ど支障は無い。
だが書くのは面倒だし、知識不足が露呈するのが嫌なので実践する積りはない。今の所は。 日中の伝統的な楷書体ならともかく
満州文字併記公文書用に誂えた清朝装飾体を「正字」と宣う知恵遅れのモブ共 >>112
別に人の表記に對してとやかく云ふ詰りは端から無い。
然るに明かに純粹な國語表記としては誤である表記を平然と用ゐ乍らも、正字正假名使用に對して難癖を云はれる筋合は固より無いし、
況や日本語は簡單な言語なんて嘯くなんぞは當に滑稽の極だらう。 フォントがどうだと抜かすのなら手書きして画像を貼り付ければよかろう
横書きで変体かなも使えない活字に縛られる必要はない
誤変換や文字化けに怯える必要もない
ほら早くしろよ >>117
意味不明。
正字正假名表記使用と云ふ丈で御前のやうに人をぞんざいに扱ふやうな莫迦が云ふに事缺いて今度は――
手書きして画像を貼り付ければよかろう
横書きで変体かなも使えない活字に縛られる必要はない
誤変換や文字化けに怯える必要もない
―― と云ふとはね。
人はもつと恥と云ふ者を知らないとね。
其迄の縡を人に要求するのならば、正字正假名程度でとやかく云ふなと云ふ話である。 と、簡単な筈の日本語がまともにつかえないセミリンガルが言ってるンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>117
とことん無能だな君は
手書きの画像をアップする手間を割くのにそこまで労力が必要なほど能力が低いのなら
はなから偉そうなことをぬかさないことだ ええからガイジはガイガイ語でもしゃべっとれやwwwww >>121
抑手書云々は何の關係も無い話だが(嗤)。 >>123
何と何がなぜ関係ないのか?
無能ほど自分にしか理解できない文章を書く
或いは己の非勢を認識して煙に巻こうとしているのか? >>124
抑變體假名を書けと強要される謂は何一無い訣だが(嗤)。 >>115
【母】ボウ ボ も はは
古形は【象形文字】で女と云ふ字に點を二打ち、其にて兩方の乳房を指事してハハと云ふ文字としたものである。
母と云へば直に父の縡を聯想するが、「母」字の成因は「父」字とは全然關係が無い。
【海】カイ うみ うなばら
水と母との合字。ウミの縡。故に三水。每は聲符。
倂し「母」の古音にはマイ「梅」、クワイ(悔、海)等があつたので、此の聲符の基礎は「母」にあると云ふ可きである。
K々と水を湛へてゐるので海の縡を滄溟(さうめい)と謂ひ、暝く幽遠なる縡を溟晦(めいくわい)と謂ふやうに、「クワイ」なる音は「クライ」と云ふ意の言葉だつたのだらう。
【每】バイ マイ、まい、ごと
本義は草の芽が後からと盛に伸び出る縡。其處で草の象徵たる【象形文字、三叉みたいな】と母とを組合せたもの。
「母(ボウ)」は聲符。
「每」字がシバシバ、オノオノ、スベテ、ゴトニの意に轉義したのは草の盛に伸び出る本義から聯想したものである。
「梅、莓(バイ)」、「海、者、晦(クワイ)」、「侮(ブ)」、「敏(ビン)」等に含まれる「每」は凡て聲符として應用されたものである。
漢字起源の硏究、監修影山修
斯有る漢字の成立より考へれば、「海」「毎」の如き字が正字である筈は無いのである。
他の漢字も推して知る可し。 >>125
強要はしていない
何故日本語の伝統たる変体かなも用いずに現代人を批判できるのかと問うているまでだ
未だ尚君から的を射た返答は聞こえないな >>127
變體假名は必ず用ゐなければならぬ者でも無いが(嗤)。 >>129
蔑ろにしてゐるのは御前のはうだらう。
人にとやかく云ふ前に御前が先づ實踐すれば宜い。 >>130
お前は伝統を守ろうとしているのだろう
俺はわざわざ伝統を守ろうとは思わない
それは個人の自由だ
しかし、お前は伝統を守ると言ってる割りには横書きに甘んじてるし変体かなも用いない
つまり極めて言動が中途半端かつ無様かつ滅裂なのだ
いくらかお前の無様さを低減してやろうと言う心優しい提言をしてやってるのだから感謝してほしいね >>131
個人の自由ならば、何ゆゑに人にさうせよと云ふのかね(嗤)。 セミリンガルの旧字ガイジンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>131
やはり御前の其の表記を見れば、國語が如何に難しいかゞ能く判るな(嗤)。 >>131
御前は傳統云々以前に學校文法くらゐ普通に表記出來るやうになれ(嗤)。 あガガイのガイwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>105
その[0]ってどんな意味ですか?あなたは詳しそうだから知っていたら教えてください >>137ですが旧字旧仮名の人に答えてほしいです
きっとAAでごまかしたりせずに国語辞典の隅から隅まで理解した回答をしてくださることでしょう 「体」字に「からだ」の意味は無し。
「からだ」とは「體」字「軆」字にて、「体」字は「笨(あらし・ホン)」字と同じ意味なり。
「豊」字に「ゆたか」の意味は無し。
「豊」字は「禮」の古字にて、「ゆたか」とは「豐」字なり。「豊」字は「豐」字の略字に非ず全く別字なり。
「蟲」字は「むし」亦は「動物」にて、「虫」字は音キ「まむし」亦は「鱗介」の稱なり。混同す可からず。
「絲」字と「糸」字とは全くの別字にて、「糸」字は音ペキ「細し」亦は「細絲」の意味にして混同す可からず。
「黨」字と「党」字とは全くの別字にて、「K」字を「黒」字とするも亦全くの誤字なり。
「?(墨)」「點」「默」等々を以て推して知る可し。
「參」字を「参」字とするは誤にて、「參」字の俗略は「?(叅)」にて「参」字に非ず。
「惡」字を「悪」字とするは非なり。
「湿」字は「濕」字の俗略。「隰」「顯」字を以て推して知る可し。
「経」字は「經」字の誤字。
「鉄」字は「?(紩)」字の同じく音テツ「縫ふ」なり。「?(紩)」字は音シ「箭の先」亦「鏃(やじり)」なり。
俗に「鐵」の略字とするは不可。
「暦」字は「?(曆)」字の誤字。
「歴」字は「?(歷)」字の誤字。
「駅」字は「驛」字の誤字。
「髪」字は「髮」字の誤字。
「數」字を「数」字とするは非なり。
「樓」字を「楼」字とするは非なり。
「擔」字は「になふ」、「担」字は「拂ふ」にて、混同す可からず。
「澤」字を「沢」字とするは誤なり。
「燈」字は「ともしび」、「灯」字は「烈火」にて全くの別字なり。
「諫」字は音カン「いさむる」、「諌」字は音トウ「多言」にて、混同す可からず。
「猫」字は「?(貓)」字の俗字。
「?(鍊)」字は「ねる」、「錬」字は「?(器)」にて、混同す可からず。
「醫」字と「医」字とは別字にて、「医」字は音エイ「ゆき・ゆぎ(靭)*矢を入れて背負ふ筒?の道具」にて混同す可からず。 >>146
日中の伝統的な文字と女真族創作体の区別がついていない池沼のうわごとw >>148
Omae ga hanron ni nattehen no yade (nikkori)
Muzukashii kanji nante tsukau no yamete rômaji o tsukaou (teian) どっちもどっちだが少なくともバカに合わせる道理はないなあ(傍観者の感想) 旧字旧仮名の人はアクセントについて答えられず漢字ウンチクに逃げたという理解でいいですね?
国語辞典に普通に書いてあることもろくに言えないまま漢和辞典ウンチク、と思いきや
俗字や略字を誤字と混同するわ日中ともに古くから通用しているものをベカラズベカラズで禁じる偏見
付け焼き刃はこれだから
たまたま得た間違いだらけの知識を振りかざし経緯も実態もろくに知ろうとせず自分基準の規範を押し付ける原理主義 >>140
荒らしがなぜ続くのかというとフォローする味方がいるからだな
>>141-142
ネトウヨの日本語難しい論は表記法が全てだよな >>152
國語辭典は基本的に餘り當てにならぬ。
參考にするのならば戰前戰中以前の者でなくてはね。
其と俗字や略字を誤字を見境なく亂用してゐるのは現代表記の特長。
何れが主で孰が從であるかも全く辨へず用ゐられてゐるのが現状。
> 混同するわ
「わ」では無く「は」である。
「わ」の部分は係助詞になるので、「わ」では無く「は」となる。
「今日は」「今晩は」も亦同じ。 「日本語が難しい」系の発言を全部ネトウヨに結びつけてしまって
表記法に限って言えば本当に難しい事実から目をそむける奴 いや、「日本語が難しい」を表記法でしか説明できないやつってぜんぶネトウヨだろ
文法の実態なんて何も知らないからぜんぶ言葉の乱れとしてごまかしてあとは無視 >>154のような池沼連中がいう「俗字」かどうか判断基準は
満州改造文字と合致していないというだけの
漢字に対する知識などかけらも無い糞そのもの
戦前の文部省の国語教育は一貫している
伝統的な楷書体に則った文字を国民が読み書きできることだ
満州人好みの髭ボウボウに改造した文字は規範としない >>156
個人の口調を其の儘假名を以て音として羅列してゐる丈なのが現代表記。
だからこそ「してゐる(いる)」と云つたり、或は「してる」と云つたり、同じ文章??で平氣で不規則な使用が罷り通つてをる。 >>158
馬鹿の一つ覚えでイ抜きに固執するのが付け焼き刃のエセ伝統主義なんだよバカ
ゆとり小説家が頑張って書いた大作の中で
近代文語文の引用の中でいちいち助動詞「ム」をマ行で書く、そういうのがエセ伝統主義
実際は文体によってンとムを使い分け、むしろンのほうが多かった
学校で習った古典文法しか頭になく、中世から近代までの文語に触れていないとそうなる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています