日本語が簡単過ぎて泣けてくる
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>664
よく耳にするっておまいの個人的経験かよwwwwwwwww
間違えてる奴が単にタスマニアたけしみたいな言語障害者だか日本人じゃないかなんじゃねーの? >>665
その現象は最近目立つよ
気がついていないお前はテレビすら見ない引きヲタニート確定だわ >>666
目立つとか目立たないとか個人的感想はどうでもいいんで
具体的なソース出して、どうぞ
(てか引きヲタニートだったらいつも家にいるからテレビ見放題だろjk) 引きヲタニートはTV番組なんか見ないって5chいればわかる
だからとぼけたって無理
「本が売ってる」「違和感が感じた」「バイトが始めた」「服が買った」
いくらでも言ってるよ
引きヲタやお年寄りとはお互いギャップがひどすぎて
普段からろくに会話もしないだろうから気が付かないだろうな
文脈上のフォーカス、新情報の名詞は「が」を付ける、
という新ルールがそこらじゅうを漂っている
トピックの「は」と対になろうとしているかのようだ 「本が売ってる」「服が買った」
これは文脈によってはあり
「うちの買ってってよ」
「これ欲しい」
「それは売り物じゃないよ」
「どれが売ってるの?」
「本が売ってる」
こういう状況だと「売ってる物」の「物」を略して言える
「違和感が感じた」「バイトが始めた」これはないわwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
日本語として完全におかしいだろ
具体的にどういう文脈で使われたのかちゃんと例示しろ
それで判断する >>669
最初は笑うだろうが、そのうち草も生えなくなる
愕然とするぞ
お前が聞いたことないだけ >>669
そもそもお前はもう使って育っているのかも知れないが、
「本が売っている」は90年代になってはじめて聞かれだしたものだ
当時の30代以上は存在すら知らなかったし、話しても信じてもらえなかった
お前の下4行と同じだ
テレビのインタビューで若者がよくそういう言い方をする
なお俺(>>666)は>>664とは別人の横レスだ
全然わかっていないようなので足しておく だいいち、「本が売っている」自体が
「対格のヲの代わりにガが使われるケース」に相当しているじゃないか
それでもなんで>>665はアホな草を生やしていられるんだよ
これが矛盾しているじゃないか
あと>>669は「服が買った」がOKってマジか?
逆に驚きだわ
もう1つ、ガ格目的語自体は前からあって、今回問題になっているのはそれ以外の例だ(ろう)。
問題にならないのは、
1)「がわかる」などの自動詞が起源で意味的には他動詞であるもの
2)可能動詞、可能の助動詞など可能の意味が加わった他動詞「が買える」「が入手できる」など
3)「がほしい」など意味的には他動詞、形式上は形容詞であるもの
などだ まだ項目があったと思うけどとりあえずこれだけ挙げておく >>670-672
馬鹿の話は必ず長い
「〜を売っている」問題は調べたらここに突っ込み入れてる人がいたから読んでくれ
これは助動詞「いる」とその対義語「いない」の用法の問題であって、決して助詞「が」を「を」の代わりに使ってる訳ではない
http://www7b.biglobe.ne.jp/~w3c/kotoba/kokugo/kotoba/Utteita.html
「違和感が感じた」「バイトが始めた」「服が買った」が「違和感を感じた」「バイトを始めた」「服を買った」と同義だとする日本語母語話者が存在すると主張するのならまずインフォーマントの住所年齢性別と使用状況を示せ
俺がアナウンサーや声優の養成所の偉い人なら、自分とこに本当にそんな助詞の間違え方してる奴いたら張り倒してるところだわwwwwww >>669
御前の表記も日本語として十分にをかしいから(嗤)。 >>673
馬鹿のサイトは読む価値なし
否定しようがしまいが「〜が売っている」を使う使わないが変わることはない
若者はとっくに「(物)が売っている」を使うようになっている
昔は20代だったが今は繰り上がって40代にはなっている
お前が外に出ていないだけ な〜んや
ガイジの正体は旧表記ガイジだったかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
発狂すると日本語モドキやめて別の日本語モドキつかうのな(すっとぼけ)
「違和感が感じた」「バイトが始めた」「服が買った」とかいうのが何ソースなのか示さない時点で負けだゾ 頭のおかしい人の特徴
知ったかぶってソースもなしに事実と反することを言う 草ガイジが旧字旧仮名の自作自演だろ
頭の程度が同じ
ソースはテレビのインタビューな
あとは外に出て実際に聞け引きヲタ草ガイジ そんな変な文も、そのうちもっと普通に聞くようになる
その頃にはここのガイジどもはスレごといなくなっている
昔はおかしかった「本が売ってる」と同じように、それを当たり前のように使っている テレビしか見てなくてリアルに人間と話さないせいでテレビのインタビューとやらがソースだとかほざくブーメラン壁トークの引きこもりガイジがなんだって? ソースがテレビのインタビューってwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
教養の低さ丸出しwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwガイジwwwwwwwwwwwwwwまさにガイジwwwww発想がヒキコモリのそれwwwwwwwwwww
ガガイのガイ♪wwwwww >>681
古い春歌をパクっただけのそれの何が面白いの 動詞の受身の問題を格助詞のせいだと誤解するガイジがまともな訳ないんだよなあ 旧仮名ガイジくんには日本語が難しすぎた様だなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 我愛中華
I love china.
我は中華を愛す。
日本語は「我愛中華」に對して多種多樣の表現が可能。 ガイジがまた見えない敵と戦ってるwwwwwwwwwwwwwwwwww 支那語の「我愛中華」には日本語にあるやうな辭の話し言葉としてのニユアンスが存在しない。
だから支那語は「詞」中心の言語世界なのである。 「映画が見れる」は正しい?
もちろんどちらも可能の意味だよ。=「映画が見られる」 中国語でVOがOVに逆転したときにSVと受け取られてしまう危険はないんだろうか?
「本が売る」とか「服が買う」ということは常識的に考えにくいのだから
そのよう「常識上」の解釈でもって文法的に意味が選択されるんだろうか? 「売っている」にはおおざっぱに二つの意味あるように思う。
1. ある人が商品を売る一連の行為をまさにその瞬間に観察している
2. ある商品が店頭に並べられたりして売られていること
「本が売っている」はおそらく2.の意味で使われている。 >>695
それは>>672の2)に相当し、以前からあったものだ
その意味では「本が売っている」を誤りとする立場から見ても、正しい さっきフジテレビのニチファミ!という番組の旅行スペシャルで
「時間がなったら門が閉まるんだ」と言っていた
今増えているのはこういう「とりあえず『が』で新情報を提示する」というものだ >>697
だったら「本が売られている」でいいだろう
実際昔はそうしていた
何がいけない?あるいは何がいけないことになった?
ちなみに昔は「本を売っている(主語なし)」でも全然問題なかった
「誰が」は言わなくていい情報として省いていた なぜそうしない?あるいはなぜそう言わなくなった? >>699
さすがにニ格をガに置き換えるのは初めて聞いた
人間の先験的な感覚というのはすごいな >>699
戸が閉まるは何も日本語としておかしくないだろいい加減にしろ!
閉まるは自動詞だぞ >>699
>>702
違うだろ
この場合は「時間」が主語
時間が「(決められた時刻に)なる」ものであると定義されてんだ >>701
この「が」は「とっさに」「とりあえず」出てしまうものらしい
「は」と同じように、情報構造の役割をになっていて、格助詞と交替可能な存在のようだ
最近までの規範的な文法は、旧情報が主題になるとき「は」が付き
格助詞は消えるかハと連なってニハ、デハのようになり、
ガはヲと同様に消えるほうの格助詞の一つだったが、
今度の新興の文法では新情報が「焦点」として文の中心となる時新係助詞「が」で提示され
焦点はいったんほかの格助詞を取らなくなるということらしい
格助詞のガも生きているから当面は混乱が続きそうだ そういう自由研究ではなくちゃんとした言語学者の論文でのソースをどうぞ 「時間になる」という慣用表現に対して「時間がなる」という表現の方が時間(時刻)が特定の状態になるという実態に即しているから標準的でない口語において許容されているというだけで
「に」が新しい用法を持った「が」に置き換わったのではないな いずれ論文になるよ
「本が売っている」だってそうだった 「オッサンのケツに糞まみれのチンポをつうずるっこんでやったら糞とションベンでずるずるして気持ちがええ」を
「オッサンのケツが糞まみれのチンポをつうずるっこんでやったら糞とションベンでずるずるして気持ちがええ」と変えると
「何が糞まみれのチンポをつうずるっこんでやったら糞とションベンでずるずるして気持ちがええって?」という質問への返答にはなりえ
「「オッサンのケツは糞まみれのチンポをつうずるっこんでやったら糞とションベンでずるずるして気持ちがええ」と言い換えることもできる
「時間になったら門が閉まるんだ」を
「時間がなったら門が閉まるんだ」にしても
「何がなったら門が閉まるって?」という質問が日本語として不自然であり
「時間はなったら門が閉まるんだ」はもはや非文である
「時間になる」が一つのイディオムであり不可分なのだからこれは当然
原因は「(特定の)時間になる」という慣用表現の代わりに「時間が(特定の状態に)なる」と言ったからであって
助動詞「いる」の挙動を原因とした「(誰かが)本を売っている」→「本が売っている(状態にある)」とは異質なものだよ G.J.Ramstedt氏によれば、日本語の文法はどちらかというと簡単なほうらしい。
ただし読み書き、特に漢字を除けば。
彼の母語がおそらくはフィンランド語であり、ウラル語族やアルタイ諸語に詳しかったという理由もあるだろうが。
それはさておき、細部を見れば、日本人でも説明に困ることがある。
http://lang-8.com/528751/journals/30244112888845415096903846427142343891
では英語の母語話者と思われる人が「日本語はわかりたい」という文を作っている。
それに対して日本語母語話者と思われる人が
「日本語がわかりたい」
「日本語をわかりたい」
「日本語を理解したい」
と修正している。どれも正しいのだろうか?
あるウェブページでは、「わかる」という動詞は意志を表さない自発の意味があるので、
「わかりたい」という形を作ることができないと説明していた。これが正しいのだろうか? また、五段活用動詞の自発・受身・尊敬は「わかられる」だと思うのだけれども、
この形を作ることはできないという説明もあった。
もちろん可能の形「わかれる」という形も作ることができない。
じゃあ「わかることができない」はどうだろうか?
似たような意味がある「理解できる」を作ることができるのはなぜなのか? 「本が売っている」は「時間がなったら」と違ってかなり普及した言い方だと思われるので、
一時的なヒューマンエラーだとは考えにくい。
ら抜き言葉と同様になんらかの合理性や日本語の動態的構造(変化の法則)とも関係があるのかもしれない。 「本が売っている」に関しては格側の問題というより述語側の問題のような気がするが >>712-713
「わかる」はガ格目的語を取る動詞であり>>672の1)に相当する
ガ格目的語を取る動詞は日本語を学ぶ外国人の教科書にも載っていて、
日本にいる外国人も当然よく知っている
>>714
だがこういう人も日本語教科書に決して載っていない「本が売っている」は話さないだろう
これは日本の若い人とよく会話するような人が、日本語学校の教室の外で習得するものだ >>711
ただし今ここで挙がっている「日本語の難しさ」は、表記法の複雑さのように一目瞭然のものや
ラ抜きのようにバカの一つ覚えで繰り返されるお決まりのテーマではなく、
日本人自身も内省だけでは上手く説明できない現象や、
変化しつつあり立場によって「乱れ」とも取られる現象の最先端だ
>>715
述語側の問題としては
1) 日本語の受け身文には、被害(殺された・盗まれた)・報奨(表彰された・褒められた)といった
動作内容の意味上の制約がある
2) 1)と関係なく、硬い表現では欧文直訳体の無制約な受け身文がよく用いられる←こういう文
3) 1)の制約と同時に日本語のガ格主語は本来は非義務的であり、省略可能な範囲が広い
(かつての「あそこで本を売っている」は「誰が?」と突っ込まれるような文ではなかった)
以上のうち1)だけが残って2)3)の情況が変化して無くなったのだが、
3)に対して新たに「ガ格の義務化」の傾向が生じているのではないのだろうか 「本が置いてある」と同形の「本が売ってある」が普及せずに
「本が売っている」のほうがむしろ普及したのはなぜだろう? >>712
ラムステッドの時代には形態論のほうが盛んで、日本語の統語論に踏み込んだ研究は
あまり盛んではなかったし、いつの時代だろうとプロの言語学者が
「日本語の難しさ」なんていう曖昧で主観的なテーマをそれほど掘り下げることもないからそこは雑談レベル
>>713
意味が似ていても「わかる」は非意志動詞、「理解する」は意志動詞だからね。
非意志動詞とは「死ぬ」「ころぶ」のように動作主の意志で操作できない動作を表す動詞だ。
だから非意志動詞には原則として「たい」を付けられない。
ただし「わかる」を、「理解する」と完全に同じ意味の、意志動詞として使うこともあり、
(これは別の「わかる」と考えてもいい)
その時は目的語の格助詞に「を」を使い、願望の助動詞「たい」を付けることもできる
非意志動詞の特徴は、語によって程度の差はあれ「動詞らしくない」ことで、
「わかる」に「れる/られる」が付けられないのもその例だろう。 >>718
「が+他動詞+てある」は、
・壁に絵が掛けてある
・洗濯物が干してある
・自転車が駐めてある
のように、何かの瞬間的な動作を行った、その「結果」の状態が継続していることを表すが、
本を置いてそれを販売しているという状態の「売る」は動作自体が継続しているからだろうか
「干す」をあくまでも瞬間の動作とみなせばそういうことになる を分ける が分かる
を開ける が開かる(が開く)
をかける がかかる
を預ける を預かる
を授ける を授かる
が負ける を負かす
をどける をどかす
が乾く を乾かす
が空く を空かす
が泣く を泣かす
一定しないが、辞書に自動詞と他動詞の区別が明示してあるとは限らない。
インターネット上の電子辞書には明示されていない。
例文でかろうじて分かるが、その例文でも分からない語もある。
国語文法では自動詞・他動詞の区別が軽視されてきたようだ。 日本人(日本語ネイティブスピーカー)向けの学校教育では
日本語の標準化・統一化ということが大きな目的だった可能性があるので
「本が売っている」やラ抜き言葉を«あえて»教えないというのは分かる。
しかし外国人向けの実用日本語講座ではそういうわけにはいかない。
こちらは外国人が日本人と言語コミュニケーションする実用性を目的としているので
日本語でかなり普及している語用が学校教育によって正統化・統制化されていないからと
言って省くわけには行かない。それは親切な日本語教育ではない。 >>722
それだけ「本が売っている」が、それを子供の頃から使っている世代が意外に思うほど、
歴史の浅い現象であるということ
たぶん平成の歴史と同じか、少し短いくらい
放っておいてもより規範的な言い方に淘汰されるかも知れない
それほど文学性の高い小説や、学術論文や、新聞記事や教科書の本文でも見かけない
そもそも論理的ですらないし、このまま温存して日本語にとって何かメリットがあるとも思えない 「ら抜き言葉」も最初は盛んにそう言われていたが、
のちに方言としてすでに定着していた地域があったことが分かった。
そしてそれが広まっていることも、
日本語の構造となんらかの整合性をもっていることもわかった。
そもそも言語は太古から変化していないわけではなく、
変化は地理的に均一に起こるわけでもない。
変化がいけないとみなすのはイデオロギーを言語学に持ち込むことである。
そうではなく、そのような規範価値付与現象をも客観化すること。
それが言語学が科学である証拠。 書き言葉、とくに上流階級や知識階級の人々による書き言葉は、
近代に外国語の影響を受けている可能性がある。
彼らは外国語を学び、外国語文法を学んでいるだろう。
そして脱亜入欧の視点から日本語を西欧的な文法で解析したり、
その合理性に合うように修正してきたかもしれない。 記述言語学はできるだけ「規範バイアス」というのを避けようとするはず。
理論の整合性が先にあり、それに合わない文例が見つかるとそれを排除してしまう。
その文例をも説明するために理論を修正することをせずにモデル原理主義に陥りがち。 ☆証拠有★完全オリジナル☆コピーOK☆たった30分の初期設定で自動入金システム★
一度設定すると放置で大丈夫です☆スマホOK★完全在宅☆クリーンなお仕事です^^
気になった方やご質問はkkaa-mmee@hotmail.co.jpまでメールお願いします!
誠意をもってお答えします^^ 川端康成「雪國」
「國境の長いトンネルを拔けると雪國であつた。」
サイデンステッカー氏の英譯 ”Snow Country”
"The train came out of the long tunnel into the snow country."
同じ文章を飜譯してゐる筈なのに文章から受けるニユアンスは全く違ふ。
此れは主語を必要としない日本語と、主語が無いと文章が成立しない英語からくる相違である。
假に英語話者が表面的にでも日本語を話す縡が出來たとしても、「國境の長いトンネルを拔けると雪國であつた」を讀み、
日本人が讀んだ時と同樣の情景、ニユアンスが掴めないと本當の意味で日本語を理會したとは云へぬ。
日本語の有つ此の特有のニユアンスと云ふ者は他の言語には中々見られぬ特質である。 「本を売っている」という表現自体はかなり最近のものしか見つけられなかったが、受身での助動詞「ゐる」でのガ格の戦前での使用例は発見できたぞ
https://www.aozora.gr.jp/cards/000214/files/1670_9712.html
『でも、京にゐたつて好いことはありやしないよ。それよりも田舍に歸つて、身をかためる方が何んなに仕合せか知れやしないぢやないか……。朝起きると、路ばたの草にも綺麗な露が置いてゐるのだもの……』
(田山花袋『道綱の母』)
この作品は昭和二年が初出である >>729間違えた
×「本を売っている」
〇「本が売っている」 「本を賣る」「本を賣つてゐる」。
「本が賣る」とは云はぬ。
「本が賣られてゐる」が正しい。(受身) 日本語が母語ではない出自不明の旧ガイジの偽日本語は日本語ではないんでそういうのはいいです >>724
それだと、ラ抜きの急激な増加や、
中高年以上で「本が売っている」と全く/ほとんど?言わない/言わなかったことの説明がつかない
その落差の原因は何なんだろう
そこを不問にして「昔からあった」だけじゃあ科学もへったくれもないんだよ 「葉に露を置く」自体が非常に興味深いイディオムだよな
「誰が?」と思わず言いたくなる
しかしこれだって当時は使っている人たちにとってガ格動作主を必要としない表現であり、
神かそれに近い存在の主語や、言い換え形の受け身文すら要らなかったんだろう 古文では「置く」は露や霜が対象の場合だけ自動詞になるようだ
https://kobun.weblio.jp/content/%E7%BD%AE%E3%81%8F
徒然草 一九
「霜いと白うおける朝(あした)」
[訳] 霜がたいそう白く降りている朝。 ラ抜き言葉の仮説の一つに、現在では広く行き渡っているが、
「-られる」との意味上の差をはっきりさせるため、というのがある。
そしてそれが地理方言学的にも「-られる」言葉が尊敬語として多用される地域と
重なっているとする指摘がある。 ラ抜き合理説をあざ笑うかのように、今は「レ入れ」が進行しつつある
「書ける」を「書けれる」と言い「書けれない」のように言う
また可能動詞「取れる」は自動詞「取れる」(いじっていたらボルトが取れた)
と紛らわしく、また動詞によっては可能動詞形にしか見えない「思える」が
可能用法ではなく自発用法(どう見ても私にはそう思える=思われる(自発))しかない
これらの混乱した現象について「ラ抜きは可能用法だけ」「ラ抜きは合理的」という立場の人は何も言わない
そしてどの地方の方言にも江戸時代にも、無いかほとんど無かった「一段ラ抜き」や
「カ変ラ抜き」についても「ラ抜き合理派」は一切触れずに無視し続けている
一段ラ抜き…出れる、食べれる、聞ける(自発用法があり自発の動詞「聞こえる」と衝突)見れる(同じく「見える」と衝突)
「得れる」もどこかで現れているかも知れないし、「射る」の五段化が見られるので「射れる」もあるだろう
無文字言語じゃないんだから、文字言語の単なる習得漏れに過ぎないものを神聖視して
どれもこれも放置する必要もないのではないか ら抜きの「急激な増加」の大きな理由の一つを挙げるなら
間違いなく『しゃべれる、食べれる♪』と歌った
コンビニ「ミニストップ」のCMだろうなあ
あれ最初は「わざと子供みたいな言葉遣いをして」みたいな感じで笑ってたけど
そのうち世間のほうがあれを冗談と思わないというシャレにならん状態になってきた >「書ける」を「書けれる」と言い「書けれない」のように言う
ら抜きが常態の甲州弁なんかだと
それも固定化しているね
「このペン書けれんじゃん」とか 五段の可能動詞化だって合理的でも何でもないね
不合理なレ入れを容認してるんだから kak-ar-eru
kak-eru
ik-ar-eru
ik-eru
omow-ar-eru
omo(w)-eru
tabe-r-ar-eru
tabe-r-eru
tabe-eru
mi-r-ar-eru
mi-r-eru
mi-eru
自発・可能・尊敬、受身という理論的分類モデルを疑ってみたことはないだろうか?
これらの分類を超えたところにその真の意味合いがあったのだろうか? 自発は自然にという意味らしい。自分の意志によらない作用ということだろうか?
可能には状況可能と能力可能がある。状況可能はそれを可能にする環境にあるということだろう。
尊敬は神(自然)への畏怖? 何か自分を超えたものへの畏敬の念か。
受身はやはり自分の外からの影響・作用を意味する。 ik-areru
kak-areru
ik-areru
kak-ereru
レ足しはaがeに変化したもののにも見える。
-ar-抜きは明治末期にはすでに愛知県を中心とした東海地方に定着していたようだ。 ミスった。訂正:
ik-areru
ik-ereru
kak-areru
kak-ereru 自分の意志を中心に置き、それを言語主体としよう。
自分の意志によらない作用が自発・受身であり、物事が可能になる状況・環境だ。
もしかすると
昔の人は個人の能力も神から授かった受身の作用と感じたのかもしれない。
尊敬も神への尊敬、自分の意志を超えた作用への畏怖の念と関連しそうではある。
まあ、類推に過ぎないが、これらがもともと一つの意味をもっていたとしても驚かない。
しかし現代人はこういう思考法を徐々に捨ててきたのかもしれない。
これらの意味が一つであることを不自由に感じるようになってきた。
omow-ar-eru
omo-eru
「思うことができる」とはどういう意味だろうか?
思う能力?
思うは考えると違って「心に自然に浮かぶ」といった意味合いがありそうだ。
心に自然に浮かぶ能力がある? 日本語の受身が「雨に降られる」という形を持っていることからも、
「神や自然の作用を被る」という意味合いをまだ残存させているように思われる。
自分の意志を源にしない作用はすべて-ar-というわけか? 日本語のヴォイスを追いかけていると、
自動詞−受け身−非意志的−状態
他動詞−使役−意志的−動作
という概念がそれぞれ強く関連しあっていることがわかるよ 五段活用動詞のokuru「送る」のar抜き言葉であるokureru「送れる」は
「遅れる」とかぶってしまうね。okurareru「送られる」だとそうならない。
ar抜き言葉がなぜに生じたのだろうね。 「本が売られている」というのは現代日本語ではもはや文語的な固い表現じゃないか?
日常会話では「本が売っている」のほうがごくごく一般的であるように思えるが。 >>749
「している」の形も状態をあらわすニュアンスがあって、
自発や受身に近い連想が話者に働いているってことなんでしょうかね? 「私は«料理名»にします」と言っている人はいても
「私は«料理名»だ」なんて言っている人に遭遇したことがない。
文法学者の書いた書物や論文でしか実際には遭遇しない珍しい文例に思われる。 「〜のほうがごくごく一般的であるように思える」
「〜なんて言っている人に遭遇したことがない」
そんな個人の半径3メートルの知見だけで語られても >>754
実際どういう会話、どういう文脈で「私はウナギだ」なんて言う?
そういう言い回しがゼロだと言わないけど、
特別なシチュエーションでのレアケースに限られないかい? >>751
馬鹿言語屋を基準に物を考へないでくれたまへ・ 「私はウナギで」とは言うけど
「〜だ」と言い切ったりはなかなかしないよな 飲み屋で店員が注文した数種の酒をもってきたとき
「おれはレモンハイだ」とか言うだろ 今の女性語は「だ」に対する嫌悪感が強めで、性別を問わない中立的な「だ」も避ける
女性のニュースキャスターから見かけるようになったが、
「〜べきと述べました」←女性語の引用文の「べき止め」は90年代にはあったが、
今は引用に限らず言い切りにも使い、男性にも波及した
(女性キャスターのこの言い方についての言及は高島俊男のエッセーで見た)
また「僕はウナギで」のように意思表示を「で」で止める言い方も以前はなかった
これによって「だ」の直言・明言を避けて、語調を柔らかくしようとする傾向があるのだろう
こちらは若いサラリーマンからよく聞いたのが最初だったが、あるいは女性が先かもしれない
どちらもだいたい平成に入ってからだろうか >>751
文語というか、明治以降に定着した「欧文直訳体」の書き言葉。
主語に「被害」「受益」のニュアンスのない、会話文らしくないとされる受け身文は、
学術論文のような固い文章だけでなく、動詞によっては広く使われている。←こういう例
>>752
「〜ている」と「〜てある」の違いを考える時、補助動詞「いる」と「ある」の由来の違いに気付かされる。
動詞「ある」は無生物の存在を表し、動詞「いる」は人間を含む生物を主語とする。
そこで>>720の「壁に絵が掛けてある」「洗濯物が干してある」「自転車が駐めてある」を見ると、
壁、洗濯物、自転車、と無生物名詞が主語になっていることがわかる。
これは「…が〜てある」が、「人間」が「物」に対して何かの処置(他動詞で表される動作)を行なって、
その結果が継続している状態を表す構文だからだろう。
対する「…が〜ている」は「生徒が泳いでいる」「おじさんが弁当を食べている」なら人間が主語だが、
「風が吹いている」「岩が転がっている」は無生物が主語だから、範囲がより広いとは言える。
しかし人間が主語になれる他動詞文なら、「*弁当が食べている」とは言えない。
補助動詞に状態的なニュアンスがあっても、人間を主語とする他動詞の後に付くなら
その時点で意志的・動作的になるはず。従来はそうだったが…という話。 「ナニナニだ」には強い語気があるので、念を押したり、
強く何かを断言したり宣言をするときにしか使いませんね。
注文するときには
「にします」や「でお願いします」のほうが普通です。
店員さんが注文したものとは違う料理を何度も運んできて
客がキレて
「俺はウナギだと言っただろう、ウナギだと」みたいに怒る
シチュエーションしか思い浮かばないです。 社会言語学者さんあたりが、実際に調査したり、アンケートをとったりして
データを集めたらいいんじゃないかな?
あなたが料理店で料理を注文するときに使う言葉遣いはどれですかと。
「私はウナギ(にします)」と答える人がもっとも多いはず。
その省略形として「私はウナギ」と言う人はいても、
「私はウナギだ」という人は極めて稀か、特別なシチュエーションでしか考えにくいです。 「ご注文は?」
「中華飯にします」
「私は天津飯」
「じゃあ私は五目ラーメンで」
こういう会話なら自然な日本語です。
「私は天津飯」と言っている人は
最初の人は「私は」を省略しています。
2番めの人は「最初の人と違って私は」を強調するために
「私は」と言っています。そして前の人の「にします」を
自明の言葉として省略して「私は天津飯・・・」だけで済ませています。 >>760
少なくとも現代日本語では「**が売られている」という言い方を
日常会話の中で用いる頻度は稀だと思うけどね。
書き言葉の中か、朗読調でスピーチする場面、ニュースを読むキャスターや
アナウンサーの間では頻繁に観察できるかもしれないけど、純粋な会話ではまずない。
日常会話や5ちゃんねるのようなざっくばらんなチャット型掲示板では
「あそこでAが売ってるよ」という言い方がもっとも自然で当たり前のはずで、
「あそこでAが売られてるよ」という言い方は極めて珍しいか、
形式張っていて論文調の書き込みでしか遭遇しないはず。
会話の中で「売られているよ」というと「売っているよ」とは意味が
少し違ってきちゃうように感じさえする。 「昔のゲームソフトってもう売ってないかなあ?」
「あ、あった、あった。売ってる、売ってる。まだ売ってたね」
「昔のゲームソフトってもう売られてないかなあ?」
「あ、あった、あった。売られてる、売られてる。まだ売られてたね」
後者のほうが不自然だし、言っている意味が少し違うんじゃないかなあ? 「ある、いる」の区別はちょっと微妙なところがあるね。
「ここに人が二人いる」とは言えても「ここに人が二人ある』とは言えない。
昔は言えたようだけど。
「ここに桜の大木が二本あります」とは言えそうな気がする。
もちろん伐採された木材のことではなく生きている桜の木について。
でも、「生えてある」「植わってある」とは言えない。
機械が主語でも「車が走ってある」「飛行機が飛んである」とは言えない。 「てある」はそもそも「ている」と主題の文法関係が違うから 売られているだと、売っているよりは、
その商品目線に立って、その商品がそういう境遇に置かれている
ようなニュアンスを若干感じる。
売っているは商品が現在進行形でお店に置いてあることを指している。 「ウナギ文」は言語学界がつくりだした大いなる虚構ではないですかねえ? A ご出身はどちらですか?
B 広島です。
A Cさんは?
C 私は仙台です。
こういうやりとりなら違和感ないけどね。 「〜だ」言い切りが実際の会話にほとんど現れないだけであって
「〜だよ」とか敬語の「〜です」なら出現頻度も低くない 「今日は雨ですよ」がウナギ文か? これは主題文(トピック-コメント文)だ。
「今日が雨ですよ」これが本当のウナギ文か?
この「が」格は主格なのか?
しかし雨は意味的には形容詞じゃないか? >>771
一般に、
格助詞が文や節の中に閉じたスコープを持つのに対して
係助詞・副助詞「は」は文を越えたスコープを持っていると言われているね。
「は」はその場で交わされた会話全体を支配することがある。
つまり、「注文は?」「ご出身は?」というと、以降の会話では「注文」や「出身」が
話題の暗黙の前提として働き、
その言葉を文に組み込まずに省略(というより簡易化された言い方が)可能になる。
日本語では頻繁に「発話の経済」「発話の節約」が働く。 >>769
本が賣つてゐる→「本が(何かを)賣つてゐる」と云ふ意味になり、文章としては曖昧であり、完結してゐない。
本を賣つてゐる→「本を(誰が)賣つてゐるのか」と云ふ點で文章は完結してゐないが、單文としては意味が通る。
本が賣られてゐる→「本を(何處で)賣つてゐるのか」と云ふ點で文章は完結してゐないが、單文としては意味が通る。
格助詞「が」とは單文の主格を示す者。
格助詞「を」とは動詞に對して用ゐられる語に附屬するものにして、其の動詞の含める作用の影響の蒙る可き目標たる者を示す。
他動の目的は此れである。 >>775
本が賣られてゐる→「本を(何處で)賣つてゐるのか」
↓
本が賣られてゐる→「本を(何處で)賣られてゐるのか」 >>764
「使われています」以外でも、
「いくつもの企業で採用されています」
「ここの趣旨はあまり理解されていません」
は日常的な会話で使わないかな?
被害・受益以外の受け身だからってそんなに日常会話から縁遠いものだろうか?
「売られている」以外の欧文直訳体由来の「(ら)れる」は、
もうかなり日本語の中に定着しているんじゃないか >>767
原則は原則で、もう少し細かい注釈が必要だからといって、
生物/無生物で一旦分けることが無効というわけでもないだろう >>770
自分がよくわからないものは
結託して一つの意思で陰謀を巡らしていると思いこむタイプだろ、あんた >>773
意味なんて主観の産物、どう解釈したかなんてどうとでも言える、あんたみたいにね
言語学はまず形式を調べる。「雨はつらい」「雨で困る」「雨の日」ほら名詞だ >>773
ウナギ文は紛うことなき「主題-評言」文だよ
だからコプラ「だ」「です」が「主語-述語」文と違ってA=Bの形に収まらない
むしろウナギ文は「主題-評言」文の典型と言っていい
あと例文にいちいち「よ」を付けているところを見ると、
話し言葉では「よ」を付けないと「だ」が機能しないと思いこんでいるらしいぶん、
論理構造とモダリティの区別もついていない
「だ」の使用頻度を低める人がいるのは文体的特徴にすぎず、モダリティの問題でしかない
お勉強が中途半端すぎ >>782
関東人じゃないから実態が分からん
関西では口語で言い切りの「〜や」も頻繁に聞くが
テレビや映画を見る限り関東弁で「よ」もつかない言い切りの「〜だ」を会話でそれほど聞くとは想像しがたい
少なくともウナギ文に関して「俺はウナギだ!」という「よ」のつかない自然な会話例でも俺のために作ってくれよ >>783
「よ」は本来
「あなたが知らないことだと思うのでこの情報を伝えよう」という意味の終助詞であり、
同じく終助詞である「ね」が
「あなたもこの情報を知っている/同じように感じていると思う、その情報・感覚を共有したい」
という意味の終助詞であることとの対を成す
東京を含む言語圏は女性語式の言い方の影響が強く、
中年以下の若い世代に言い切りの「だ」だけで終わる言い方を避ける傾向が強いが、
それはとても感情的な文体解釈による要因にすぎず
「だ」自体の論理上の無効や不必要を意味しない
また関係がありそうな現象として、30代以下の若い世代には「よ」を引用の助詞らしきものとして使おうとする傾向がある
敬語を使うあらたまった場面でも「この空間がとても居心地いいですよということをアピールしています」
みたいな事を説明口調で言う人はよくいて、年輩者にはここで強めに発音される「よ」がなんだか失礼で邪魔に感じられる >>775
日本語では「が」と「を」の両用が古くからあったのでは?
>>781
それは語形・形式と意味とを混同している。
>>773ではそのため意味的には形容詞だと書いている。
形式的には名詞だが意味的には形容詞だといちいち書く必要があったのか。 天気予報を確認して「明日は雨だ」「そうか、雨なんだ」などとつぶやくことはある。
スケジュール表を確認して「明日は出張だ」とか。
いずれも「明日は**の日であるんだ」という意味で言っている。
これが対人上になると「明日は雨だよ」「明日は雨だぞ」「明日は雨よ」「明日は雨だね」「明日は雨だな」などとなるのが自然。
ちなみに、「明日は雨か」「そうか、雨なのか」とか言うこともある。「か」がつくけどこれは疑問文じゃない。質問をしているわけでも雨になることを疑っているわけでもない。
ところで、「今日は一段と綺麗だよ」(「今日の君は一段と綺麗だよ」)と言うときの「だ」は何だろうか?
学校文法では形容動詞の活用語尾ということになっている。
しかし実際には「綺麗よ」「綺麗ね」「元気かい?」と「だ」が省かれる例は珍しくない。
>>782
モダリティという概念はなかなか曖昧で掴みどころがない。
どういう意味で使っていらっしゃる?
「である」「であります」もモダリティであると? >>785
> 「この空間がとても居心地いいですよということをアピールしています」
これはべつに不自然に感じない。
てか、この「よ」を引用の助詞っぽいと解釈する理由がわからない。 >>789
文体的な制約も無視し、
伝達内容に対する話者の態度なんていう不要な情報もいちいち盛り込むからだよ
引用と見るや入れてくるのが従来の言い方と違いすぎる >>788
形容詞なら述語になるだけじゃなく修飾語としても被修飾語の性質を表せる
だが「雨の日」と言った所でそれは名詞が名詞を修飾した文でしかない
形容詞ならではの特徴って何だ?
>>787
形式的に名詞で意味は形容詞、そんな言葉は確かにある
英語ならfunみたいなやつ
「雨」が形容詞なら「とても雨だ」のように程度副詞の修飾を受けることもできるはずだが
そんな言い方をするのは破格だとわかっていて修辞的に使う例ぐらいで、慣用的ではない >>788
モダリティという概念を理解しないのは知識を持っていないあなたの問題
どういう意味もこういう意味も、言語学用語としての定義は変わらないし、曖昧でもない
せめて>>420に挙がっている本の一冊でも読んで勉強したらどうだろう
真ん中のがモダリティについて比較的くわしい
>>789
不自然だよ
言葉の乱れの一種
ここに「よ」が入るのは馴れ馴れしすぎ
あと>>785の「よ」と「ね」の対比をちゃんと読んでほしい
それらが「だ」「です」「である」とは根本的に機能が違うということがわかるだろうか >>785
終助詞「よ」と「ね」のご説明は非常にわかりやすくて納得します。 >>795
わかってもらえたこと、たぶん興味を持ってもらえたことがうれしいです 「言葉の乱れ」と言うのは簡単だから言語学板ではなるべく避けたい。
科学というのは理論と現実を付きあわせて理論が間違っていれば速やかに
理論の側を修正することで発展するもの。
理論が常に正しくて現実が間違っていると言い始めたら科学でなくなっちゃう。 「本が売っている」は日本語としては間違い
それを言葉の乱れと呼んでも同じこと
もう使っているという人はこれから使わなければいい
日本語の教科書、文法書でも同じ
外国人向けでも、また日本人向けでも科学的な分析の結果できあがった規範がそう言っている
言語学の最先端でのみ言葉の乱れ、間違いといった規範的な言い回しは避けるべきだが
学校で現代日本語文法の規範もろくに習っていない、そしてそれを実践していない私たちが
そんな事を言うのは百年早い
分不相応、生意気、身の程知らず
まずはちゃんと規範を覚えてからものを言うべきだ
この板にはとっくに言語学者なんていないんだから
「本が売っている」には理論を推進させる力は何もない 規範に「規範」としての価値を認めるのはどうかと思うが 規範の価値を論じるのも規範をちゃんと知ってから、
規範が広く社会に知られ、認知されてからの話だ
今の日本人の文法意識は赤ん坊同然
規範文法を広めてみんながそれを作文やスピーチに活かせる社会にならないといけない 宗教学をやるならまず聖書をちゃんと読んで理解しろってのは尤もな話だが
言語の場合は別に言語の前に規範があるわけではないし、
多くの少数言語が「標準語」を持っていないように、規範が自然言語成立の必要条件であるわけではない
もちろん言語学をやる上で規範が存在する言語において規範に精通することは重要だが
規範のイデオロギー的側面に飲み込まれてはいけない
それはキリスト教原理主義者に科学的で中立の宗教学の研究が出来ないのと同じことだ 規範の存在意義とは当該言語における最上位のレジスターの有り様の規定と
最低限の明確なコミュニケーション手段の確保ではないだろうか
規範にこれ以上の価値を見出そうとする者は規範を実用的手段ではなく
それそのものを目的と見なしているのであり一種の信仰に近い心理状態に陥っていると言える 中央集権国家の運営における規範の価値そのものは評価すべきだが
マナー講師に代表されるように規範を悪用して悪辣な活動を働き不当な利益を得ている不届き者は断固糾弾されるべきである
また保守主義に基づいて市民の自由な日常の言語活動を抑圧する言語全体主義者も同じく評価すべきではないだろう 言語は生き物なので変わっていくのは当然である
規制する方がおかしい >>802-804
いつもの駄弁、読む価値なし
>>805
月並み、退屈、説得力なし
規制なんて誰もしていない
普及していないルールを広めることは規制する以前の話
立ち小便がしたかったらそこらでやってろ
痰を吐いてもいいぞ
それがお前の自由だ 馬鹿の話は必ず長い
こんなクソスレで何いっちゃってんのwwwwwwww 「青くありません」とは言うのに「青くあります」とは言わない。なぜ?
言葉の乱れ? >>807
俺は興味深く読んでいる
お前は消えろよキチガイ
書いてる人たちに失礼だろうが >>802
少数民族の自然言語と文明社会の大言語を比較するのが大間違い
前者の多くは部族社会において統制されているのと(だから若者が面倒がって継承しない)、
内的構造の複雑さ、自律的な文法によっておのずからがんじがらめだ
大言語の多くはそういう縛りをできるだけ減らした上に成り立っている
自由度が高いぶん、教育や規範によって自覚的に制限を加えないと社会がめちゃくちゃになる
よく知られる性・数・格や人称の縛りなんて、明示できるぶん透明度が高くてむしろ簡単なほうだ 動詞の尊敬語は主格を高め、動詞の謙譲語は与格を高める。
この説明は間違っているでしょうか。
当てはまらない事例があれば教えてくださりませ。 格というのは形態と密着した概念で、日本語で主格と呼んでしまうとそれはガ格しかなく、
与格と呼んでしまうとニ格しかないので、用語法的に避けたいです。
(ガ格目的語動詞やニ格主語動詞などもあるので)
格形態の如何に関わらず「動作主」「受け手」と分ければ、おっしゃる通りです
というか人間の動作に限って言えば、古典の授業でも習うくらい定説ですよね
例外は思い当たりませんがあるかもしれません
典型的な例は人間が動作主、人間が受け手で述語が動作らしい動作である場合ですが
この条件に当てはまらないものほど敬語の定義からも外れやすいようです ガ格目的語、二格主語と言われてるような現象って、日本語に限らず、格の概念のある言語ならよくある現象だとおもうけど、そういう言語において、主語・目的語って概念との住み分けってどうしてるんだろうね。 主語(subject)・目的語(object)のような文法関係と動作主(agent)・対象(theme)のような意味役割は区別しないとな >>815
連続する節において共通の存在を指していることが明らかであり、
かつ(少なくとも2番めの節から)省略可能な項、すなわりpivotとして認められるものは
復元したときに格が違っていても「主語」とみなすことができる
(私が)客室に入ってから(私が)窓を開けると、(私に(は))大きな山が見えた
格があるからって主語がないなんていう昔の暴論はもう通用しない
>>816
区別は当然、誰が混同している?
文法関係と意味役割は動詞の意味内容、指定する項の性質を通じて関係づけられている 「美味しいです」というのを文法違反だ、言葉の乱れだと書いてある本を読んだことがあります。
「美味しいだ」とは言えないので、「美味しいです」は完全に誤用だそうです。
これも「言葉の乱れ」でしょうか? よく創作物で田舎者が「美味しいだ」みたいな話し方するけどそういう方言実在するん? 反規範論者ってのは基本的に規範そのものを憎んでいるというよりも
規範を笠に着て個人の異様な言語観を他人に押し付ける人間が嫌いなんだよな
過去に追いすがり奇妙な知識を開陳する国語学者
若者を叩きたいが為に言葉遣いに難癖付ける老人
大衆の不安を煽り様々な捏造を繰り返して悪銭を稼ぐマナー講師
こういう輩に問題があるのであって
連中の道具になってる規範に罪は無い 言葉についての一般的な知識がないとそんなふうに見えるのか
話を何も聞いていないのと同じだな
被害妄想のバカ 米国務省発表『世界で最も難しい国ランキング』日本堂々のwww【海外の反応- 日本人に誇りを!】
https://www.youtube.com/watch?v=HRwvXPeNJqI >>799さんは学校教育による言語統制至上主義で、
言語が市場で自然に流通して普及する現象を完全に否定しているか、
それを認めたくない政治的意志を表明しているだけじゃないかな?
科学的見解とは区別したほうがいい。 >>824さんは言語市場における混乱至上主義者で
公的機関が混乱を収集して整理する働きを全面的に否定しているじゃないか
世代や階層や性別によって方言化がどんどん進行して
相互の誤解と衝突が増えなければ言語じゃないって決めつけてるだけじゃないかな? 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は
国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V >>827
何で両派ともこうも攻撃的で極端なんだ
もうちょっと冷静に話はできないのか
どっちも互を煽って怒らせることに終始してる >>827
結局反規範論者ってのは他人を攻撃したりマウントとったりするために規範を悪用してる人間が気に食わないだけだろ
規範そのものを壊滅し個人レベルまで方言化してバベルの塔の再演だなんて息巻くアナーキストは見たことがない 政府がなにか良かれとやることを「統制だ!」「支配だ!」なんて攻撃して破壊しようとする人間は
その時点でアナキストだろう >>818
それは確かに「言葉の乱れ」ですが、80歳代以上くらいの人にとっての「乱れ」であり、
その世代でもそれが乱れだったということを覚えている人はもう少数と思われ、
元に戻すことははるかに困難です。
なぜ今のようになったのかを順を追って書くことはできますが、長レスだからと嫌気がさされるのではないかと心配です たしかにもはや「乱れ」とは言えないものの
未だに何故かちょっとモゾモゾする感じのする
「居座りの悪い言葉」だよなあ <形容詞終止形+です もぞもぞするのは
脳内に「おいしいんです」か「おいしいのです」がデフォでインプットされてるから
字足らずに感じるのだと思われ おいしいです、は子どもの書く掟破りの幼稚な文章という気はしていたな
それでもそういうのに抵抗感のない若年層からどんどん世の中に蔓延してきて、慣れて来たわな ‥文章としては抵抗があったけど、口では平気で言っていたような気もする >>827
それは「言語政治学」として認めているよ。言語に対する政治的統制の一種として。 「おいしいのです」では意味が違うのでは?
「おいしいです」「おいしくないです」は言葉の乱れで
「おいしくあります」「おいしくありません」が正しい用法?
でも、「おいしいです」と「おいしくあります」を聞き比べて
どちらが違和感を持つ? >>839
おいしいもの+だ・です
おいしいの+だ・です
こういうのは体言+だ・です、で古くからの文法にかなっているということ
おいしいだ、おいしいです、とは言わないものだった 「服が売っている」も「服が売られている」よりも統計的頻度で上回っているでしょ。
Google検索で比較しても
"服が売っている"
約 174,000 件
"服が売られている"
約 57,000 件
ほら。 「これはおいしいのだ。あれはまずいのだ」には
「これはおいしいんだ。あれはまずいんだ」と
「これはおいしいものだ。あれはまずいものだ」という
二つの意味があるよねえ? 用言には「ます」
体言には「です」
という文法モデルを仮定すると、
「形容詞+ます」
「名詞+です」
で、「形容動詞+です」だから
形容動詞は体言になる。 >>834
「この花は青いです」と「この花は青くあります」を聞き比べると、
「です」のほうがモゾモゾするの? 〜くあります、は関係ない
あおいのです、と、あおいです、の問題 青いのです 正式
青いんです 関東方言
青いです 言葉の乱れ
だと今まで思っていたが >>842
どっちが多いかの問題じゃないでしょ
「服が売られている」だって、もう57,000件もあるんでしょ?
もはや「無生物主語文」「被害ではない受け身文」だからといって
「不自然な日本語」だなんて呼べないんじゃないかな >>845-846
そもそも「青くあります」のような言い回しは無い
ク活用形容詞連用形「-く」+補助動詞「ある」は
助詞「は」「も」「すら」によって分離されたときにしか成立しない
(「こそ」は「あれ」限定で化石的に可)
「ます」が無くても同じことが言えるので、>>846の言うように敬語形の変遷とは別の話 考察することに皆さん抵抗感が無くなってきたようなので>>818に長レスすると、
・たぶん明治〜昭和20年代くらい(仮)までの多くの社会人(軍人敬語除く)の会話体は、
動詞文の丁寧体肯定形「食べます」否定形「食べません」
形容詞文の丁寧体肯定形「寒い」「寒うございます」否定形「寒くない」「寒く(は)ありません」「寒うございません」
(後者は丁寧語でも敬意が強い。また818の挙げるような本では「当時は形容詞はです・ます無しで問題なかった」という)
形容動詞文の丁寧語肯定形「静かです」否定形「静かではありません」(続く) >>850続き ・昭和50年代(1970年代後半)以降の団塊世代が社会人として活躍しだす時期に、すでにあった「です」の拡張が定着しだす
形容詞文の丁寧体肯定形に「寒いです」が登場、対の否定形は当分「寒くありません」
※しかしここで「形容詞型イ終止形+です」が許されたことがきっかけで、特に90年代・平成以後に
(実際には若い人の文体「〜っす」や方言などで一部には存在はしていた)
願望助動詞「たい」+「です」、打消助動詞「ない」+「です」が許されるようになっていく
日本語教科書にはまだない「寒くないです」「静かじゃないです」「食べたくないです」が生まれ、
「ません」の使用範囲が狭まり、動詞文さえ「食べないです」が「食べません」を駆逐しつつある
そして『「食べません」は拒絶の感情があり、「食べないです」は拒絶しない柔らかい言い方だ』
という新しい解釈とともに「食べません」が口をついて出ることがない人が増えてきている
将来は動詞文肯定系「食べます」だけに残った「ます」もやがて消え「食べるです」に変わっていくかも知れない
ここまでの遠因は打消助動詞に「ます」専用になっていた「ぬ」と東日本口語起源の「ない」があったこと、
丁寧体が品詞の制約を超えて一貫性を求めるようになってきたことだろう
なお「食べるんです」「寒いのです」のいわゆる「のだ文」は
「説明のモダリティ」を持った別の文であり、丁寧体以外に普通体も一貫して存在するので、
ここまでの変遷に関わっていない >>851
団塊の世代は戦前戦中派が頑張って復興させた日本をダメにしただけでなく日本語まで乱していたか…(呆れ) 言語学やってる人間で乱れる乱れないとか言ってる奴がいるとしたら信じられない
乱れる乱れないでウダウダ騒いでる連中の行く末を白けた冷めた目で淡々と見守るのが言語学者だろ >>852
まあビートたけしが他の団塊文化人と組んで「俺たちが日本語をダメにした!」みたいな本を
出してるから、ああいう人達は自覚というか実感があるんだろうと思う
もちろん実際の原因はすべての世代が作っているから、規範の立場でも団塊だけを責めるわけにはいかない
たいていの「変化」は、一部に生じた特殊な形が、やがて大勢に使われるようになってはじめて
変化と呼べるようになるもので、その間には十年、二十年といったタイムラグがある
その新しい現象を「全体に及ぼす力」を持っているのは人口の膨らんだ世代、
かつての団塊世代、そして90年代に思春期〜20代だった第二次ベビーブーム世代などだ
特に後者はいろいろと日本語を変えたことに、たぶん自分たちでも無自覚だ(いいか悪いかは別として)
お手本となる「大人」が見えにくく、影響力が低下していた上に、同世代で固まって言葉を作っていたからだろう >>853
言語学板だからといって記述主義に凝り固まる必要はないし、
応用言語学は記述の成果を教育に取り入れた分野だ
国語教師だって言語学を応用して国語を教えている
ナイダの『新言語学問答』は面白かったけど、もう飽き飽きだ 何が事実かが重要なのであって
あっちが良いこっちが正しいそっちが好きなんてのは学問じゃない >>846 >>849
「よくないです」と「よくありません」はどちらが正式と思いますか?
「甘くありません」が普通に聞かれて「甘くあります」が成り立たないのはなぜ? >>848
コーパス的には使用率が3分の1以下の「服が売られている」のほうが誤用ないしはヒューマンエラーと見なすべきじゃないかな?
ビッグデータから学習する人工知能ならおそらく「服が売っている」を正しいと判断するはず。 >>857が例に出している言い方はどれもあるだろう
「よくなくません」とは言わないので「よくないです」と言うしかない
「よくあるです」、「よくあらないです」とは言わないので、「よくあります」、「よくありません」と言うしかない
「甘くあります」と言う人はあまり居ないだろうが、「寂しくあります」は普通に言う 上のほうでは「形容詞+あります」の形は非文だという見解が出ている。
それなのに「寂しくありません」が《ふつうに》使われているとしたらそれと矛盾してしまう。
「よくあります」については「頻繁にあります」の意味では使われていますね。
「よくありません」は「良い」と「頻繁に」の両方の意味がある。 >>856
いまさらこの板で学問を論じるとか滑稽すぎ
旧字旧仮名馬鹿に言ってやれよ
お前があいつの相手しろ >>857
『みんなの日本語』という最もよく売れている外国人向け日本語教科書では、
「よくありません」が採用されていて、「よくないです」は登場しない。
現時点では「よくありません」が全世代を通じて許容されている言い方だと言える。
もっと短い「甘いです」が丁寧体として許容されている以上、
「甘くあります」が役に立つ余地はない。
これまでも存在しなかったし、今後とも活躍のしようがない。 >>858
欧文直訳体に始まった非被害受け身文はすっかり日本語に定着している
どう嫌がらせしたって三島由紀夫の文章を誤りだなんて今さら言いようもない
「服」と「売る」という特定された組み合わせで57,000件もあるんだしな >>860
否定「ない」に接続するために補助動詞「ある」が使われているんだよ 日本語のカジュアルな日常会話では「売って(い)る」「やる・やって(い)る」でヲ格の代わりにガ格が生起しやすい。 「が」は元々は所有格
主格の格助詞だと考えるからおかしくなる 面白い映画をやっているチャンネル。
面白い映画がやっているチャンネル。
面白い映画がやられているチャンネル。
面白い映画のやっているチャンネル。
面白い映画のやられているチャンネル。 >>867
別におかしくならない
「が」は元は属格(所有格)だったが、当然ながらその後に来る被修飾語は名詞だった。
述語となる用言が文の主節ではなく従属節になる時、主語はゼロ格から「が」「の」の属格を取り、
用言は終止形から連体形となり、準体法用法で体言すなわち名詞扱いになって
「が」「の」の属格名詞の被修飾語となったり、またその用言がさらに後続する名詞を連体修飾して
全体で関係節の形を取ったりした
後に終止形が使われなくなり、それまでの連体形が終止形の機能(言い切りの語尾)も兼ねるようになった
「ガ格+連体形」は文の従属節ではなく主節に使われるようになった
その頃には「が」は属格用法を「の」に譲り、主格のみになっていた(文語と一部の方言除く)
現代の共通語の口語において「が」がかつて属格であったことが今の用法に影響を及ぼしている側面は皆無 >>870
>現代の共通語の口語において「が」がかつて属格であったことが今の用法に影響を及ぼしている側面は皆無
わざわざ共通語と言って可能性を限定する意味がない
「日本語の乱れ」は方言の影響によってもよく起こることなのだから >>871
方言について言えば九州弁の「の」を挙げた所で、>>867がどう覆そうとしているのか、
それが可能なのか、全く不明だ
文語について言えば慣用句などで「が」を使わない文語口調の主述文があるというだけ
これを乱れと呼ぶバカは無知な者だけ
無視したらバカが意味もなくつっこむだけなのが5ちゃんだからな 英語でもaのほうが文法的に正しいとされるのに
実際の使用頻度はbのほうが圧倒的に多数派だということがあるね。
a. It was I that bought the Mona Lisa.
b. It was me that bought the Mona Lisa.
a. 約 1,160,000 件
b. 約 9,890,000 件 あの映画館で面白い映画がやっているよ。
あの映画館で面白い映画がやられているよ。
後者は非文か? >>870
いろんな可能性を考慮すれば、その説明だけで本当に
「服が売っている」と言う日本語話者にその影響が一切ない(皆無だなど)と断言できるのだろうか?
言語学者でそこまで断言できる人がどれほどいるだろうか。
言語現象というのはそこまで単純ではないはず。 >>870さんには何か絶対視される厳格な文法理論のモデルがあり、
日本語母語話者はそれに厳格に従って話しているはずだという大前提があり、
その法則に適わない発話現象が見つかるとそれらはすべて言葉の乱れだという論法で済ませてしまっているように見える。 >>876
これ以上刺激するのはよくない
そういう人はそういう人だ 自分だったら「こうこうこういう理由でその可能性は低いと考えられる」とか
「そういう思われる」とか、別の仮説を提示する言い方で留めるなあ。 >>873
どちらも非規範的
模範文は「あの映画館で面白い映画をやっているよ」という無主語文
上は文法書に「若年層の一部に見られる」という注釈付きで記述される文
下は文体的に不統一なので記述もされない >>875
じゃあなぜ「服が売っている」は一定の年代より下にしか現れないんだろうね
純粋に言語学的に説明できるの?
>>876
たった4分でそこまで即レスできるんだ…こんな過疎板で… >>877
暴走しそうな相手に警告してあげるのはとても良い事だ
でないとそいつはもうすぐコピペ連投してスレ終了させるだろう
文法の常識がない相手にはそれしかない >>875
言語学の外側からものを言っても、いつまでたっても説得力なし
自分でもよくわかっていないものに対して「単純じゃないから断言するな」なんて猿でも言える 白人便器ネトサヨwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 似非関西塵ブサヨ奇形チビ猿の妄言集1
・言い回しや地名に「男」がつくのは駄目ニダ!!←別にいいだろ。一々ブサヨイデオロギー持ち込むな
・「○○男」「男○○」があるのに「○○女」「女○○」が無いのはシャベチャニダ!!←そう思うならてめぇが作れよ(笑)
・ジェンダーフリーニダ!!←カルト思想の押し付けをやめろアホ
・八紘一宇恐ろしいニダ!!←てめぇのフェミジェンダーフリー(笑)ブサヨ思想のが恐ろしいし下等
・人をやるのはどんな理由があっても許されないニダ!!←正当防衛でもか?なら死ねよ
・説得するニダ!!手を後ろにやるニダ!!←聞かない相手は?できる保証は?手を後ろにやったら逆効果だろ?w
・イカツイ見た目している奴に絡むニダ!!!!←てめぇのやってることこそまさにチンピラそのものだな(笑)
・絡まれたからボロクソに論破してやったニダ!!そしたら野郎野郎喚かれたニダ!!関東には多いニダ!!←DQNの武勇伝レベルっすね(笑)何かあれば東京ガー関東ガー喚くお前こそワンパターンなんだよなぁ(笑)
・パスポート持ってないニダ?ウリは海外に友達いるニダ!!←だから?偉いの?差別反対の癖に人様見下して随分と差別的なんですね(笑)
・ねぇよねぇよ言っているの見て絡みたくなったニダ!!←犯罪者予備軍乙(笑)やなやろのがウザいから(笑)
・ぶつけられたから謝られてもシカトしてやったニダ!!←ガイジだし器小さいな(笑)てめぇみてぇな奴のほざく綺麗事なんぞには何の価値もないな
・昔の価値観持ち出さなくても誇れるニダ!!←できてねぇじゃん(笑)で、てめぇみてぇなゴミカスが出来る(大爆笑)
・石で終わっていれば良かったニダ!!←お前は生まれる前に終わっていれば良かったのにねぇ(笑)
・広島長崎福島ニダ!!←ローマ字表記差別的で不愉快だからやめてくれない?差別駄目なんでしょ(笑)
・思想持ち込むの駄目ニダ!!←その通りだねぇ。やめたら?(笑) 似非関西塵ブサヨ奇形チビ猿の妄言集2
・屯田兵嫌ニダ!!←てめぇの存在が嫌だ
・差別やめろニダ!!ヘイトスッペチニダ!!集団で強くなった気でいるニダ!!←受講生相手に強くなった気になってブサヨ思想公開オナニーしたり関東人ガー日本人ガー喚いたりしているてめぇこそ差別しているしヘイトスッペチだな(笑)
そもそも何もしていない集団に言うってことは受講生差別主義者予備軍扱いか?それこそ差別と偏見なんだよバーカ
・言ってもいいニダ!!←じゃあ言うわ(笑)エゴサ(笑)する小心者ブサヨ奇形チビ猿(笑)
・立候補するニダ!!金寄越せニダ!!←てめぇで用意しろよガイジ
・外国人のためにしろニダ!!←知るかボケナス、日本人のものだ。嫌なら出てけ。てめぇらが合わせろよ。
・お前もう黙れニダ!!次からは来なくていいニダ!!←てめぇが黙れよ次からは来なくていいよ(笑)意見求めておいててめぇの許容量越えたら火病んなよ(大爆笑)
・綺麗なねーちゃんもやってたニダ!!あの猫ウザいニダ!!←セクハラだしキモいしてめぇのがウザいから
・バブルは異常な時代だったニダ!!今の政府はアレにしようとしているニダ!!←異常でもないし異常なのはてめぇだろ。極度のデフレからインフレにしてバブルになったら苦労しねぇよ経済オンチ(笑)
・間違ったこと言っているのが言ったら笑ってやれニダ!!←てめぇにとっての学問はその程度か(笑)底が浅いな(笑)間違ったことほざきまくってるブサヨ奇形チビ猿笑ってやるよ(大爆笑)
・ある法案が可決されたニダ!!←だから?悪くないし一々悲劇ぶるなよ。キモいね。
・選挙行ったニダ!!あなた達の一票で決まるニダ!!←選挙権あったの(笑)つーか命令される筋合いなんざねぇよ。ようはブサヨに投票しろってこったろ?やなこった
・あのババア←てめぇも年だろ十分ボケてるだろ耄碌ブサヨ(笑)
・ユニセックスニダ!!←キモい。押し付けるなガイジ
・ネット禁止ニダ!!←てめぇらの存在を禁止しろニダ!!
・靖国は敵弔ってないニダ!!沖縄のはいいニダ!!←ガイジか?弔っている場所あるし、行ったこともねぇ馬鹿が知ったかこくなよ死ね 似非関西塵ブサヨ奇形チビ猿妄言集3
・沖縄返還凄いニュースだったニダ!!←てめぇが死ねばもっといいよな
・沖縄戦の日ニダ!!←で?ブサヨはそこから何か得たのか?あぁファッション反省か(笑)
・許されないこととかしたニダ!!←てめぇらがな。
・子供に悪い意味は無いニダ!!←お仲間のブサヨが広めてんのに偉そうにすんなよ
・差別に抵抗する集団がいるニダ!!←あいつら逆に差別しまくっているけどな。新聞de真実の情弱ブサヨ奇形チビ猿には理解できねぇか(笑)
・陛下ではなくさんニダ!!←はぁ?関西でも陛下だわ。不敬な逆賊めが
・抗うのはいい言葉ニダ!!←どこがだ?そこから何か生まれるのか?てめぇのそのブサヨ思想は臭いしキモいし少数ではないな。被害者面するなよ。
・絆の元々の意味はーニダ!!←今どう使われているのかが重要なんだろ。茶化してどや顔のガイジ(大爆笑)それ言い出したら文字の持つ意味にまで発展してキリがねぇな(笑)
・進撃の巨人中々見れないニダ!!←ブサヨ発狂コンテンツだからな(笑)やっぱアレルギー反応起こしたか(大爆笑)
・イカツイ見た目の奴とかいたら暴力振るう奴と思うニダ!!←相手逆上させるだけだし、口ならほざいてもいいのか?てめぇこそ暴力振るっているし暴言吐いてんだろ。
でもヘイトスッペチは駄目(笑)差別かどうかはてめぇらが決めるのか?(笑)偉そうだなぁオイ、てめぇらブサヨこそ差別してんだよバーカ(笑)そこに気付けねぇからてめぇらブサヨはいつまで経ってもゴミクズ負け犬勢力なんだよバーカ(大爆笑) 似非関西塵ブサヨ奇形チビ猿妄言集4
・バブルは異常な時代だったニダ!!今の政府はアレにしようとしているニダ!!←異常でもないし異常なのはてめぇだろ。極度のデフレからインフレにしてバブルになったら苦労しねぇよ経済オンチ(笑)
・間違ったこと言っているのが言ったら笑ってやれニダ!!←てめぇにとっての学問はその程度か(笑)底が浅いな(笑)間違ったことほざきまくってるブサヨ奇形チビ猿を笑ってやるよ(大爆笑)
・ある法案が可決されたニダ!!←だから?悪くないし一々悲劇ぶるなよ。キモいね。
・選挙行ったニダ!!あなた達の一票で決まるニダ!!←選挙権あったの(笑)つーか命令される筋合いなんざねぇよ。ようはブサヨに投票しろってこったろ?やなこった
・あのババア←てめぇも年だろ十分ボケてるだろ耄碌ブサヨ(笑)
・ユニセックスニダ!!←キモい。押し付けるなガイジ
・ネット禁止ニダ!!←てめぇらの存在を禁止しろニダ!!
・靖国は敵弔ってないニダ!!沖縄のはいいニダ!!←ガイジか?弔っている場所あるし、行ったこともねぇ馬鹿が知ったかこくなよ死ね
・許されないこととかしたニダ!!←てめぇらとかがな。
・子供に悪い意味は無いニダ!!←お仲間のブサヨが広めてんのに偉そうにすんなよ
・差別に抵抗する集団がいるニダ!!←あいつら逆に差別しまくっているけどな。新聞de真実の情弱ブサヨ奇形チビ猿には理解できねぇか(笑)
・陛下ではなくさんニダ!!←はぁ?関西でも陛下だわ。不敬な逆賊めが
・抗うのはいい言葉ニダ!!←どこがだ?そこから何か生まれるのか?てめぇのそのブサヨ思想は臭いしキモいし少数ではないな。被害者面するなよ。
・絆の元々の意味はーニダ!!←今どう使われているのかが重要なんだろ。茶化してどや顔のガイジ(大爆笑)それ言い出したら文字の持つ意味にまで発展してキリがねぇな(笑)
・進撃の巨人中々見れないニダ!!←ブサヨ発狂コンテンツだからな(笑)やっぱアレルギー反応起こしたか(大爆笑)
・オレンジ色のアレとか嫌ニダ!!名前も出したくないニダ!!←犯珍くっさ。差別ブサヨ奇形チビ猿死ね(笑)名前も出したくないブサヨ奇形チビ猿のアレこそゴミクズだな(大爆笑) >>880
> じゃあなぜ「服が売っている」は一定の年代より下にしか現れないんだろうね
現れないということはない。世代間で比較すると差があるというにすぎない。
「ら抜き言葉」だって世代間で差があるんじゃないかなった?
たとえば「超うざい」とか「ナウい」という言葉を使う人も世代間の差があるだろう。 >>879
> どちらも非規範的
その根拠は?
模範文が「あの映画館で面白い映画をやっているよ」ならば、
「映画がやられている」のほうが「映画がやっている」よりも自然に感じなくては変だろう。
「服を売っている」が模範文なら、
「服が売っている」よりも「服が売られている」のほうが自然だということになるように。 >>880
「超うざい」や「ナウい」が世代間に現れ許容される差があるからといって、
これらの語が日本語の従来の文法構造からまったく独立に突飛に突如として現れた
「突然変異体」だと断言できる証拠になるのかい? >>889
元々言わなかったものをなぜ言うようになったのかということ
いつ言ってもおかしくなかったのなら、もっと前から使われていてもいい筈じゃないか >>891
屁理屈な上に答えるべき役割を押し付けているな >>890
非被害受け身文は文体的に堅い文章を中心に徐々に容認されてきた
口語的な動詞「やる」にはその順番がまだ回っていないということ
「やられる」は被害受け身のニュアンスが強いということでもある 専門板って頑迷でプライドの高い人間の集まりだから
ほんと言い争いが絶えないな しかも知識のないやつほど無駄にプライドだけ高い
何しに来てるんだか >>892
その理屈が通るなら-ar-抜き言葉だってそうなるはず。
多くの言語変化でも同じことが言えちゃうでしょ。
日本語の中でかつては誰も口にしなかった言い回しはすべて
日本語がもっている法則とはなんの関係もなく出てきたのかって疑問が湧く。
そういうものがすべて「突然変異」として片付けられるならばその理屈は通るが・・・ >>896
本当に知識があり、頭のいい人は、ちゃんと論理的に返答する。
自分の言葉でちゃんと答える。
相手を馬鹿だ無知だと繰り返し誹謗中傷することはしない。
ここの板にはそういう人が多すぎる。
ちゃんと冷静に話しができる人が少ない。 「服が売っている」はなぜ許されると思うのか、容認派は根拠を示すことができない
服が何を売っているの? 「服が売っていない」が許されるならその逆は「服が売っている」である方が自然だと感じるのは当然だろう? >>901
日本語でおkwwwwwwwwwwwwwwwwwww 水が(どうしたかと言えば、私は)欲しい
酒が(どうしたかと言えば、私は)飲める
服が(どうしたかと言えば、服屋が)売っている 白人便器ネトサヨwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>1
お前ができないのが簡単過ぎて泣けてくる
難しくないし大したことないしここまで簡単なのはお前ができないのがくらいだろ >>894
> 非被害受け身文は文体的に堅い文章を中心に徐々に容認されてきた
> 口語的な動詞「やる」にはその順番がまだ回っていないということ
前にも書いたように「服が売られている」は「服が売っている」よりは
堅い表現だと感じるからね。書き言葉というか論文調というか。
また意味合いも少し異なる。
まるで服がそういう目に遭っているというような視点で表現されていることに奇妙さを感じる。
> 「やられる」は被害受け身のニュアンスが強いということでもある
でも、「あの劇場で面白い映画がやられるよ」を被害の意味だと勘違いしやすいからだという解釈上の合理的理由はなさそう。 本自身が自らを賣つてゐるなんて縡は有得ぬから、本を賣つてゐるのは本では無い第三者である。
第三者が賣つてゐる本から考へれば、本自信は「らる」の受身になるのは當然である。 「服を売っている」だと「いったい誰が?」というニュアンスがある。「服を売っている人」という表現には馴染みやすい。
「服が売っている」を許容する人でも「服が売っている人」は許容しがたいだろう。
「服が売られている」だと「服がそういう目に遭っている」という被害のニュアンスがまざる。
「服が売っている」だと「服が店頭に並んでいることを私は発見した」感がそのまま伝わる。 「雑貨屋だけど、服が売ってるんだ」
こういう言葉遣いはは日常的にある
「〇〇が」は取り敢えず主題を提示するくらいの意味
主語のようには述語の使い方を束縛しない ASDの人「あの店では服が売られています」
普通の人「あの店に服が売っています」 > 「服を売っている」だと「いったい誰が?」というニュアンスがある。
自分は「服を売っている」で必要十分だと思う
それで主語が足りないと感じる人というのは
もしかすると西洋語の感覚で捉えているのだろうか
(Someone) sells clothes. の someone の部分が抜けている感じ? 「服を売っている」「服が売っている」
書き言葉では前者のほうが普通で正式だろうけど、
日常のくだけた会話、カジュアルな話し言葉では、後者のほうがごく自然でしょう。 >>916
「服が売っている」というのは現象文で、最初から行為主を一切問題にしていない文。
行為主を常に気にして構文を組み立てようとするのは英語のほうだと思うよ。
無生物(擬似生物視)主語構文はもちろん、itが《人称》代名詞だというのも日本語話者には奇妙に感じる。 ヲ格には誰かが何かを変化させるように働きかけるというニュアンスがあるからね。
その文が暗に明に行為主を持つ必要があるときにはヲ格をもってこないと不自然になる。
「服が売っている」を許容する人でも「服が売っている人」と言われると不自然に感じるはず。 「服を売っている」と「服が売られている」という文には行為主を付加できる余地がある。
行動主を付加しても不自然にならない構文構造を最初から完全に持っている。
でも、「服が売っている」という表現にはそれが欠けているのではないかな?
この文が非文だと感じる人は、だからこそ、この文が受け入れがたいんじゃないかなあ?
最初から行為主なんてどうでもいい、そんなことは問題にしていない、という話者感覚からすれば、こういう文も受け入れられる。 >>920
>最初から行為主なんてどうでもいい、そんなことは問題にしていない、
>という話者感覚からすれば
従来どおりに「服を売っている」と言えばいいだけ。ではなぜそうしないのか? 「服」と先ず言いたいのだから、「服が」と言う
そのあと、「売っている」「買いたい」「ある」「欲しい」などのいろんな述語をくっつける
そう言うことではないか
「水が」 「飲みたい」「売っている」「置いてある」「流している」「汲みたい」‥ 格助詞「が」とは三の用法に分ち、其の中「服が賣つてゐる」の文に該當する用法は「單文の『主格』を示す者」である。
「主格」とは「文中に於て動詞の表す動作を行ふ者、亦は作用、性質を働かせてゐる者」を示す。
さうであるならば、「服が賣つてゐる」とは「服自體が行爲者となつてが何かを賣つてゐる」と云ふ意味になり、
服が賣られてゐると云ふ受身の立場では無く、服が行爲者、主體者となつて何かしらの行爲を行つてゐると云ふ縡になる。
服が行爲者の立場なの歟、其とも受身の立場なの歟すらも判らぬとは相當頭が惡い證據だ。 >>922
答えがしっちゃかめっちゃかだな
「服が売っている」だけはそれまでの日本語教育文法でもまったく容認されていない
しかしそれまでの文法でも、「ガ格目的語」として認められてきたものはある
それは>>672ですでに網羅されている
1)「がわかる」などの自動詞が起源で意味的には他動詞であるもの
2)可能動詞、可能の助動詞など可能の意味が加わった他動詞「が買える」「が入手できる」など
3)「がほしい」など意味的には他動詞、形式上は形容詞であるもの
1)〜3)と「服が売っている」は全く異なる
いっしょにするな 多いというのは特定の世代の一部だけ
人口だけ多くてろくに読書もせず家電取ったこともなく同世代内でSNSやってただけの ごく一部でしょ
母数が多かったからアホも多かった
「服が売っている」なんて言うやつは
社会に出て徐々に減っているのかもうあまり聞かないな
社会から孤立して変なプライドこじらせてるやつはむしろ少数 >>921
> 従来どおりに「服を売っている」と言えばいいだけ。ではなぜそうしないのか?
だからヲ格には行動主が暗示されている。行動主の居場所が暗に考慮された表現。
行動主指向の言語なら、そういうことになるだろう。 従来のお堅い文法理論に固執するあまり、
擬似自動詞構文の存在すら認めたがらない論調が未だにあるようだね。 「服が売っている」はその状態・現象そのものを指している。
「服を売っている」と「服が売られている」はその行為を指している。
そこには暗に行為主体が想定されている。
ヲ格は行為主によって処置される対象であるとして服を提示している。 「服を売っている」と「服が売られている」は行為主を背景化した時点で
行為ではなく状態・現象を指しているじゃないか
「服が売っている」は行為としても状態・現象としても意味をなさない 「服がある」 「服が売っている」
「服がない」 「服が売っていない」
なにも問題ない! >>934
格助詞「が」とは三の用法に分ち、其の中「服が賣つてゐる」の文に該當する用法は「單文の『主格』を示す者」である。
「主格」とは「文中に於て動詞の表す動作を行ふ者、亦は作用、性質を働かせてゐる者」を示す。
さうであるならば、「服が賣つてゐる」とは「服自體が行爲者となつてが何かを賣つてゐる」と云ふ意味になり、
服が賣られてゐると云ふ受身の立場では無く、服が行爲者、主體者となつて何かしらの行爲を行つてゐると云ふ縡になる。
服が行爲者の立場なの歟、其とも受身の立場なの歟すらも判らぬとは相當頭が惡い證據だ。 >>935
お前のいうことにはいつも内容が伴っていない
自然言語が使えず日本語モドキの人工言語しか書けない自閉症は黙ってろ 日本語の話者感覚としては
「雨が降っている」と「服が売っている」は同種の表現ではないかと思える。
狭い意味での文法規律には反するだろうけど、話者は同じ感覚で表現しているのではないかな。
これに対して、
「服を売っている(誰かが)」のほうは「雨を降らせている(誰かが)」という意味合いを帯びる。
つまり、誰かがという示唆を感じる傾向があるので、使い分けられている可能性がある。
新しい分節がそこに生じている。 要するに、「服が売っている」と普通に表現する話者は、
「服を売っている」という日本語を棄てたわけじゃない。
このヲ格の代替ではなく、新しく分節が生じたのではないかな。
だから話者はこの二つを場面や言いたいニュアンスによって
使い分けている可能性がある。 「服を売っている」に対して「服が売っている」に加わるのが
具体的にどんなニュアンスなのか誰も説明できていない
答えは「話題」の「は」に対する
「新情報」「焦点」の助詞として「が」を使おうとしているということ
だが「は」に対する焦点の助詞というのはもともと存在せず、
名詞句の場合「は」の付かない個々の格助詞付きで出せばよかった
だから「服を売っている」でよかったのだ
しかも焦点表示のつもりで「が」を使うと、
格助詞「が」や他の格助詞の非焦点用法で衝突を起こすという欠点しかない >>940
なるほど。格の取り違えというところまでは見当がついていたが
何故そうなる(そうしてしまう)のかの理屈がよくわかった ガ格とヲ格の単なる取り違えならば、もっと広範にかつ無作為に
あらゆるケースでそのような現象が起こっていることが観察できるはず。
「服が売っている」に違和感を感じない人があらゆる構文でヲ格とガ格の
使い分けを無作為に間違える頻度が高いとかね。
しかし選択的にそれが起こっていて、その話者がそのような間違いを他の構文では
起こさないということになると、広義のヒューマンエラー論は苦しい説明だと思う。 「服が売っている」という言い方は、日常の軽い会話で高頻度に見られる表現なので、
地域差がないか、地域によっては高齢者層でも普通に軽い会話で使われていないかどうか、
そこをもっと調べるべきだと思う。
意識高い系の人の集まるネットアンケートではバイアスがかかりすぎている。 >>942
それは「売られている」に相当する、受身形にせずに済む動詞――
○○が(店に)「出ている」とか
要するにそういう平易かつ適当な単語が即座に思いつかないのが原因だろう
で結局「○○を〜」に言い直すこともなくそのまま発話する。それが常態化する、と 「服が賣つてゐる」は完全に現代表記ヘ育の惡しき弊害。 日本語使えなくて日本語モドキの人工言語しか使えないブサフンガイジ>>946 >>942
「違和感が感じた」のような文法感覚がゆるい文を口にする人はいる
そんな例を音声言語以外で見つけるのは至難の業だが、見つけたら報告するよ
体験ではそういう人は作文を書かせてもテニヲハがグチャグチャだし、説明されても直せない
少なくともこの板で「本が売ってる」の類を取り上げたのは00年代からで、
当時は「そんな人いるの?信じられない」という反応のほうが優勢だった
この構文を自然に感じる世代が成長し、なんとか擁護しようとするようになるのを見るのは面白い この肥だめ掲示板しか参考にできる文言がないのか
悲惨な人生だな
この板のデフォルト名のネタ元本もせいぜい題名くらいしかしらんのだろ 昔のスレではたしかにそういう例文を見つけて報告する人はいたね
といってもこの文型は話し手が大きくなればだんだん廃れていくものだから、
例も無くなっていくだろうね >>944
その表現についても違和感を抱かない日本語母語話者は少なくないんじゃないかな? 比較の「のほうが」はガ格目的語を生みやすいね
そして「のほう」も抜けて「そっちがよく使う」みたいな言い方ももう聞かれる
無い無いと言い張るのは世間知らずの引きヲタだけ 日本語が対格言語としては例外がやたらに多いというのは
言語学のメジャーなお題の一つ
無い無いと言い張るのは言語学の文献などまともに読んだことがないから
世間も知らず本も読まず「おれは見たことも聞いたことない」とか無知を誇るアホウ がとをとは置換可能な助詞ということ設定すれば問題ないな 古代日本語は能格言語だった可能性が高いと言われているけど
今の日本語は対格言語とされる
だからそんな互換性は一般的にはない
お題としてはたとえば
「本が売っている」は認容なのに
「本が売る」が非文となる理由 ら拔言葉の誤用の亂用で其の對象が受身にあるのか何うかすら判らなくなつた現代國語の宿痾。 >>960
真逆のでたらめ垂れてんじゃねーよ、白痴 んなことがわからんから白痴なんだよ
この白痴は自身が挙げた本をおそらく一冊たりとも読んだことがない
康熙体がどうのというくせに康熙字典すらね >>963
「眞逆」と云ふ縡は正反對と云ふ縡である。
>>960に對して正反對と云ふ縡は複數の論點が考へられるが、御前が孰の論點で正反對と云つてゐるかは云つた御前にしか判らぬ。
若しかして御前は一の論點しか無いと思つてゐるのかい。
人を白癡稱ばゝりする排他的差別主義者さんよ。 ガイジ語やのーて日本語でなんか言えや旧仮名ガイジwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>967
何うした、何も答へられないのかね。
答へられないのならば端から眞逆云々と云はねば宜いのだ。
排他的差別主義者さんよ。 ガイジ語以外の言語で話せンゴ
日本語ができへんなら英語でも可やで 近代日本語は伝統的な日本語の体を無視した関東方言の塊だからな
そんなものを崇拝してる時点でお国が知れる 全くや
今5ちゃんねるで最新の流行の日本語は関西方言をベースにしたなんJ語やで >>969
話を逸らすなよ。
早く何が眞逆なのか説明宜しく。 ガイジ語しか使えへんガイジにはこのスレに書き込む自分以外が全員同一人物に見えるらしい ガイジ語しか使えへんガイジにはこのスレに書き込む自分以外が全員同一人物に見えるらしい >>975
簡單正假名遣
●「は行動詞」の使用例
云ふ・言ふ(云・言う)、使ふ・仕ふ・遣ふ(使・仕・遣う)、貰ふ(貰う)、〜して了ふ・終ふ・仕舞ふ(〜してしまう)
斯くの如き語尾に「う」が附きし語をば「は行活用動詞」なりと識るべし。
而して而して意志や推量の場合の「云はう(云おう)」、「使はう(使おう)」、「貰はう(貰おう)」、「して了はう(〜してしまおう)」も然。
●語中の「ゑ」の使用例
「すゑる(据)」、「うゑる(餓【飢】)」、「うゑる(植)」の如き「わ行下一段活用」にての「ゑ」の使用例は、此三つのみ。
●語頭の「ゑ」の使用例
「ゑづく(餌附・嘔吐)」、「ゑる(彫、鐫)」、「ゑがく(描・畫)。
●「イ」の使用例「ゐ」の場合
「ひきゐる(率)」、「まゐる(參)」、「ゐる・をる(居)」、「くらゐ・ぐらゐ(位)」、「もちゐる(用)」、「せゐ(所爲)」となりて、
「わ行上一段活用」の動詞なるは、古語の「ゐる(率)」を除きては、「ゐる(居)」、「ひきゐる(率)」、「もちゐる(用)」の三つのみなり。 >>975
●「イ」の使用例「ひ」の場合
「ばあひ(場合)」、「つひに(遂に)」、「さいはひ(幸)」、「はひる(這入『入るは(いる)なり』)」等。
「おぢる(怖)」、「とぢる(閉・綴)」、「はぢる(恥)」。
「さう【然う】いふ〜(そういう〜)」、「さうかう【然う斯う】する内に(そうこうする内に)」、「さう【然う】云へば(そう言えば)」、
「さう【然う】だつたのか(そうだつたのか)」、「然う」の字音なるは「さう」となりて、「斯う」なるは「かう」なり。
「〜でせう(〜でしょう)」、「えうは(要は)」、「〜やうだ(〜樣だ)」、「〜のはうは(〜の方は)」、
「〜して了へ・終へば・仕舞へば(〜してしまえば)」、
「なほ(猶・尚)」、「まほさら(猶更・尚更)」、「なほかつ(猶且・尚且つ)」、「たとへ【ば】(例え【ば】)」、「とほる・どほり(通)」、
「すなはち(即・則)」、「いはゆる(所謂)」、「いはば(云わば)」、「〜と雖【いへど】も(〜と雖「いえど」も)」、
「すゑ(末)」、「お早【はや】う(おはよう)」、「有難【ありがた】う(ありがとう)」、「今日は(こんにちわ)」、「今晩は(こんばんわ)」、
「漸【やうや】く(ようやく)」、「まづ(先ず)」、「うれしう御坐います(嬉しゅう御坐います)」、
「たぐひ(類)」、「〜だらう(〜だろう)」、「〜であらう(〜であろう)」、「ゆゑ(故)」。
×到頭(宛字)→とう/\、
ちよつと→一寸
とても→迚も
〜してくれる→して呉れる
もの→?(人、事、者、凡ての「もの」の義)
もの→東西(支那の俗語にて金錢、物品の意)
こと→縡(事に同じ)
考(かんがへ)、思(おもひ)、思込(おもひこみ)、受付、据置(すゑおき)、夏休等々、基本的に名詞は送假名を省く。 >>975
ほぼ→粗、略。
やや→稍、漸。
しかく→爾く。
しかのみならず→加之。
かててくはへて→糅てゝ加へて。
なかんづく→就中。 >>982=害兒尓者偽物乃日本語尓使用不出來
只管不細工褌踊乎踊而已 そんなに昔の日本語が好きなら文章書くときは漢文で書けっちゅう話ですわ 明治以降に作られて昭和初期に廃れた「歴史的仮名遣い」なんてどこにも歴史性ないな
むしろ現代表記の方がこれからも廃れることないだろうから歴史性あるな 戦前の全体主義国家が好きなだけだから歴史とか伝統どうこうは関係ないぞ >>958
助詞の省略でごまかすとは小狡いな
◯>がとをとは置換可能な助詞ということ「を」設定すれば問題ないな
×>がとをとは置換可能な助詞ということ「が」設定すれば問題ないな
はいアウト >>960
この件はラ抜き関係ねーよバカ
むしろら抜きにばっかかまけてていいのかっていうお題だ >>987
古典との整合性、連続性を意識すればこその歴史的仮名遣いだろう
まさかそんなこともわからずにこのスレに書き込んでるのか >>991
關係がある。
「服が賣られてゐる」を正確に認識しえぬのは、ら拔き言葉の誤用の亂用に因つて、服が受身の立場にある縡を判らぬからだ。 >>992
古典という名の古典はないw
古典ってどれのこと指してんのw 結論:
ガイジのブサフンには日本語は難しすぎたwwwwwwwwwwwwww このスレッドは1000を超えました。
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