日本語が簡単過ぎて泣けてくる
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「今日は雨ですよ」がウナギ文か? これは主題文(トピック-コメント文)だ。
「今日が雨ですよ」これが本当のウナギ文か?
この「が」格は主格なのか?
しかし雨は意味的には形容詞じゃないか? >>771
一般に、
格助詞が文や節の中に閉じたスコープを持つのに対して
係助詞・副助詞「は」は文を越えたスコープを持っていると言われているね。
「は」はその場で交わされた会話全体を支配することがある。
つまり、「注文は?」「ご出身は?」というと、以降の会話では「注文」や「出身」が
話題の暗黙の前提として働き、
その言葉を文に組み込まずに省略(というより簡易化された言い方が)可能になる。
日本語では頻繁に「発話の経済」「発話の節約」が働く。 >>769
本が賣つてゐる→「本が(何かを)賣つてゐる」と云ふ意味になり、文章としては曖昧であり、完結してゐない。
本を賣つてゐる→「本を(誰が)賣つてゐるのか」と云ふ點で文章は完結してゐないが、單文としては意味が通る。
本が賣られてゐる→「本を(何處で)賣つてゐるのか」と云ふ點で文章は完結してゐないが、單文としては意味が通る。
格助詞「が」とは單文の主格を示す者。
格助詞「を」とは動詞に對して用ゐられる語に附屬するものにして、其の動詞の含める作用の影響の蒙る可き目標たる者を示す。
他動の目的は此れである。 >>775
本が賣られてゐる→「本を(何處で)賣つてゐるのか」
↓
本が賣られてゐる→「本を(何處で)賣られてゐるのか」 >>764
「使われています」以外でも、
「いくつもの企業で採用されています」
「ここの趣旨はあまり理解されていません」
は日常的な会話で使わないかな?
被害・受益以外の受け身だからってそんなに日常会話から縁遠いものだろうか?
「売られている」以外の欧文直訳体由来の「(ら)れる」は、
もうかなり日本語の中に定着しているんじゃないか >>767
原則は原則で、もう少し細かい注釈が必要だからといって、
生物/無生物で一旦分けることが無効というわけでもないだろう >>770
自分がよくわからないものは
結託して一つの意思で陰謀を巡らしていると思いこむタイプだろ、あんた >>773
意味なんて主観の産物、どう解釈したかなんてどうとでも言える、あんたみたいにね
言語学はまず形式を調べる。「雨はつらい」「雨で困る」「雨の日」ほら名詞だ >>773
ウナギ文は紛うことなき「主題-評言」文だよ
だからコプラ「だ」「です」が「主語-述語」文と違ってA=Bの形に収まらない
むしろウナギ文は「主題-評言」文の典型と言っていい
あと例文にいちいち「よ」を付けているところを見ると、
話し言葉では「よ」を付けないと「だ」が機能しないと思いこんでいるらしいぶん、
論理構造とモダリティの区別もついていない
「だ」の使用頻度を低める人がいるのは文体的特徴にすぎず、モダリティの問題でしかない
お勉強が中途半端すぎ >>782
関東人じゃないから実態が分からん
関西では口語で言い切りの「〜や」も頻繁に聞くが
テレビや映画を見る限り関東弁で「よ」もつかない言い切りの「〜だ」を会話でそれほど聞くとは想像しがたい
少なくともウナギ文に関して「俺はウナギだ!」という「よ」のつかない自然な会話例でも俺のために作ってくれよ >>783
「よ」は本来
「あなたが知らないことだと思うのでこの情報を伝えよう」という意味の終助詞であり、
同じく終助詞である「ね」が
「あなたもこの情報を知っている/同じように感じていると思う、その情報・感覚を共有したい」
という意味の終助詞であることとの対を成す
東京を含む言語圏は女性語式の言い方の影響が強く、
中年以下の若い世代に言い切りの「だ」だけで終わる言い方を避ける傾向が強いが、
それはとても感情的な文体解釈による要因にすぎず
「だ」自体の論理上の無効や不必要を意味しない
また関係がありそうな現象として、30代以下の若い世代には「よ」を引用の助詞らしきものとして使おうとする傾向がある
敬語を使うあらたまった場面でも「この空間がとても居心地いいですよということをアピールしています」
みたいな事を説明口調で言う人はよくいて、年輩者にはここで強めに発音される「よ」がなんだか失礼で邪魔に感じられる >>775
日本語では「が」と「を」の両用が古くからあったのでは?
>>781
それは語形・形式と意味とを混同している。
>>773ではそのため意味的には形容詞だと書いている。
形式的には名詞だが意味的には形容詞だといちいち書く必要があったのか。 天気予報を確認して「明日は雨だ」「そうか、雨なんだ」などとつぶやくことはある。
スケジュール表を確認して「明日は出張だ」とか。
いずれも「明日は**の日であるんだ」という意味で言っている。
これが対人上になると「明日は雨だよ」「明日は雨だぞ」「明日は雨よ」「明日は雨だね」「明日は雨だな」などとなるのが自然。
ちなみに、「明日は雨か」「そうか、雨なのか」とか言うこともある。「か」がつくけどこれは疑問文じゃない。質問をしているわけでも雨になることを疑っているわけでもない。
ところで、「今日は一段と綺麗だよ」(「今日の君は一段と綺麗だよ」)と言うときの「だ」は何だろうか?
学校文法では形容動詞の活用語尾ということになっている。
しかし実際には「綺麗よ」「綺麗ね」「元気かい?」と「だ」が省かれる例は珍しくない。
>>782
モダリティという概念はなかなか曖昧で掴みどころがない。
どういう意味で使っていらっしゃる?
「である」「であります」もモダリティであると? >>785
> 「この空間がとても居心地いいですよということをアピールしています」
これはべつに不自然に感じない。
てか、この「よ」を引用の助詞っぽいと解釈する理由がわからない。 >>789
文体的な制約も無視し、
伝達内容に対する話者の態度なんていう不要な情報もいちいち盛り込むからだよ
引用と見るや入れてくるのが従来の言い方と違いすぎる >>788
形容詞なら述語になるだけじゃなく修飾語としても被修飾語の性質を表せる
だが「雨の日」と言った所でそれは名詞が名詞を修飾した文でしかない
形容詞ならではの特徴って何だ?
>>787
形式的に名詞で意味は形容詞、そんな言葉は確かにある
英語ならfunみたいなやつ
「雨」が形容詞なら「とても雨だ」のように程度副詞の修飾を受けることもできるはずだが
そんな言い方をするのは破格だとわかっていて修辞的に使う例ぐらいで、慣用的ではない >>788
モダリティという概念を理解しないのは知識を持っていないあなたの問題
どういう意味もこういう意味も、言語学用語としての定義は変わらないし、曖昧でもない
せめて>>420に挙がっている本の一冊でも読んで勉強したらどうだろう
真ん中のがモダリティについて比較的くわしい
>>789
不自然だよ
言葉の乱れの一種
ここに「よ」が入るのは馴れ馴れしすぎ
あと>>785の「よ」と「ね」の対比をちゃんと読んでほしい
それらが「だ」「です」「である」とは根本的に機能が違うということがわかるだろうか >>785
終助詞「よ」と「ね」のご説明は非常にわかりやすくて納得します。 >>795
わかってもらえたこと、たぶん興味を持ってもらえたことがうれしいです 「言葉の乱れ」と言うのは簡単だから言語学板ではなるべく避けたい。
科学というのは理論と現実を付きあわせて理論が間違っていれば速やかに
理論の側を修正することで発展するもの。
理論が常に正しくて現実が間違っていると言い始めたら科学でなくなっちゃう。 「本が売っている」は日本語としては間違い
それを言葉の乱れと呼んでも同じこと
もう使っているという人はこれから使わなければいい
日本語の教科書、文法書でも同じ
外国人向けでも、また日本人向けでも科学的な分析の結果できあがった規範がそう言っている
言語学の最先端でのみ言葉の乱れ、間違いといった規範的な言い回しは避けるべきだが
学校で現代日本語文法の規範もろくに習っていない、そしてそれを実践していない私たちが
そんな事を言うのは百年早い
分不相応、生意気、身の程知らず
まずはちゃんと規範を覚えてからものを言うべきだ
この板にはとっくに言語学者なんていないんだから
「本が売っている」には理論を推進させる力は何もない 規範に「規範」としての価値を認めるのはどうかと思うが 規範の価値を論じるのも規範をちゃんと知ってから、
規範が広く社会に知られ、認知されてからの話だ
今の日本人の文法意識は赤ん坊同然
規範文法を広めてみんながそれを作文やスピーチに活かせる社会にならないといけない 宗教学をやるならまず聖書をちゃんと読んで理解しろってのは尤もな話だが
言語の場合は別に言語の前に規範があるわけではないし、
多くの少数言語が「標準語」を持っていないように、規範が自然言語成立の必要条件であるわけではない
もちろん言語学をやる上で規範が存在する言語において規範に精通することは重要だが
規範のイデオロギー的側面に飲み込まれてはいけない
それはキリスト教原理主義者に科学的で中立の宗教学の研究が出来ないのと同じことだ 規範の存在意義とは当該言語における最上位のレジスターの有り様の規定と
最低限の明確なコミュニケーション手段の確保ではないだろうか
規範にこれ以上の価値を見出そうとする者は規範を実用的手段ではなく
それそのものを目的と見なしているのであり一種の信仰に近い心理状態に陥っていると言える 中央集権国家の運営における規範の価値そのものは評価すべきだが
マナー講師に代表されるように規範を悪用して悪辣な活動を働き不当な利益を得ている不届き者は断固糾弾されるべきである
また保守主義に基づいて市民の自由な日常の言語活動を抑圧する言語全体主義者も同じく評価すべきではないだろう 言語は生き物なので変わっていくのは当然である
規制する方がおかしい >>802-804
いつもの駄弁、読む価値なし
>>805
月並み、退屈、説得力なし
規制なんて誰もしていない
普及していないルールを広めることは規制する以前の話
立ち小便がしたかったらそこらでやってろ
痰を吐いてもいいぞ
それがお前の自由だ 馬鹿の話は必ず長い
こんなクソスレで何いっちゃってんのwwwwwwww 「青くありません」とは言うのに「青くあります」とは言わない。なぜ?
言葉の乱れ? >>807
俺は興味深く読んでいる
お前は消えろよキチガイ
書いてる人たちに失礼だろうが >>802
少数民族の自然言語と文明社会の大言語を比較するのが大間違い
前者の多くは部族社会において統制されているのと(だから若者が面倒がって継承しない)、
内的構造の複雑さ、自律的な文法によっておのずからがんじがらめだ
大言語の多くはそういう縛りをできるだけ減らした上に成り立っている
自由度が高いぶん、教育や規範によって自覚的に制限を加えないと社会がめちゃくちゃになる
よく知られる性・数・格や人称の縛りなんて、明示できるぶん透明度が高くてむしろ簡単なほうだ 動詞の尊敬語は主格を高め、動詞の謙譲語は与格を高める。
この説明は間違っているでしょうか。
当てはまらない事例があれば教えてくださりませ。 格というのは形態と密着した概念で、日本語で主格と呼んでしまうとそれはガ格しかなく、
与格と呼んでしまうとニ格しかないので、用語法的に避けたいです。
(ガ格目的語動詞やニ格主語動詞などもあるので)
格形態の如何に関わらず「動作主」「受け手」と分ければ、おっしゃる通りです
というか人間の動作に限って言えば、古典の授業でも習うくらい定説ですよね
例外は思い当たりませんがあるかもしれません
典型的な例は人間が動作主、人間が受け手で述語が動作らしい動作である場合ですが
この条件に当てはまらないものほど敬語の定義からも外れやすいようです ガ格目的語、二格主語と言われてるような現象って、日本語に限らず、格の概念のある言語ならよくある現象だとおもうけど、そういう言語において、主語・目的語って概念との住み分けってどうしてるんだろうね。 主語(subject)・目的語(object)のような文法関係と動作主(agent)・対象(theme)のような意味役割は区別しないとな >>815
連続する節において共通の存在を指していることが明らかであり、
かつ(少なくとも2番めの節から)省略可能な項、すなわりpivotとして認められるものは
復元したときに格が違っていても「主語」とみなすことができる
(私が)客室に入ってから(私が)窓を開けると、(私に(は))大きな山が見えた
格があるからって主語がないなんていう昔の暴論はもう通用しない
>>816
区別は当然、誰が混同している?
文法関係と意味役割は動詞の意味内容、指定する項の性質を通じて関係づけられている 「美味しいです」というのを文法違反だ、言葉の乱れだと書いてある本を読んだことがあります。
「美味しいだ」とは言えないので、「美味しいです」は完全に誤用だそうです。
これも「言葉の乱れ」でしょうか? よく創作物で田舎者が「美味しいだ」みたいな話し方するけどそういう方言実在するん? 反規範論者ってのは基本的に規範そのものを憎んでいるというよりも
規範を笠に着て個人の異様な言語観を他人に押し付ける人間が嫌いなんだよな
過去に追いすがり奇妙な知識を開陳する国語学者
若者を叩きたいが為に言葉遣いに難癖付ける老人
大衆の不安を煽り様々な捏造を繰り返して悪銭を稼ぐマナー講師
こういう輩に問題があるのであって
連中の道具になってる規範に罪は無い 言葉についての一般的な知識がないとそんなふうに見えるのか
話を何も聞いていないのと同じだな
被害妄想のバカ 米国務省発表『世界で最も難しい国ランキング』日本堂々のwww【海外の反応- 日本人に誇りを!】
https://www.youtube.com/watch?v=HRwvXPeNJqI >>799さんは学校教育による言語統制至上主義で、
言語が市場で自然に流通して普及する現象を完全に否定しているか、
それを認めたくない政治的意志を表明しているだけじゃないかな?
科学的見解とは区別したほうがいい。 >>824さんは言語市場における混乱至上主義者で
公的機関が混乱を収集して整理する働きを全面的に否定しているじゃないか
世代や階層や性別によって方言化がどんどん進行して
相互の誤解と衝突が増えなければ言語じゃないって決めつけてるだけじゃないかな? 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は
国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V >>827
何で両派ともこうも攻撃的で極端なんだ
もうちょっと冷静に話はできないのか
どっちも互を煽って怒らせることに終始してる >>827
結局反規範論者ってのは他人を攻撃したりマウントとったりするために規範を悪用してる人間が気に食わないだけだろ
規範そのものを壊滅し個人レベルまで方言化してバベルの塔の再演だなんて息巻くアナーキストは見たことがない 政府がなにか良かれとやることを「統制だ!」「支配だ!」なんて攻撃して破壊しようとする人間は
その時点でアナキストだろう >>818
それは確かに「言葉の乱れ」ですが、80歳代以上くらいの人にとっての「乱れ」であり、
その世代でもそれが乱れだったということを覚えている人はもう少数と思われ、
元に戻すことははるかに困難です。
なぜ今のようになったのかを順を追って書くことはできますが、長レスだからと嫌気がさされるのではないかと心配です たしかにもはや「乱れ」とは言えないものの
未だに何故かちょっとモゾモゾする感じのする
「居座りの悪い言葉」だよなあ <形容詞終止形+です もぞもぞするのは
脳内に「おいしいんです」か「おいしいのです」がデフォでインプットされてるから
字足らずに感じるのだと思われ おいしいです、は子どもの書く掟破りの幼稚な文章という気はしていたな
それでもそういうのに抵抗感のない若年層からどんどん世の中に蔓延してきて、慣れて来たわな ‥文章としては抵抗があったけど、口では平気で言っていたような気もする >>827
それは「言語政治学」として認めているよ。言語に対する政治的統制の一種として。 「おいしいのです」では意味が違うのでは?
「おいしいです」「おいしくないです」は言葉の乱れで
「おいしくあります」「おいしくありません」が正しい用法?
でも、「おいしいです」と「おいしくあります」を聞き比べて
どちらが違和感を持つ? >>839
おいしいもの+だ・です
おいしいの+だ・です
こういうのは体言+だ・です、で古くからの文法にかなっているということ
おいしいだ、おいしいです、とは言わないものだった 「服が売っている」も「服が売られている」よりも統計的頻度で上回っているでしょ。
Google検索で比較しても
"服が売っている"
約 174,000 件
"服が売られている"
約 57,000 件
ほら。 「これはおいしいのだ。あれはまずいのだ」には
「これはおいしいんだ。あれはまずいんだ」と
「これはおいしいものだ。あれはまずいものだ」という
二つの意味があるよねえ? 用言には「ます」
体言には「です」
という文法モデルを仮定すると、
「形容詞+ます」
「名詞+です」
で、「形容動詞+です」だから
形容動詞は体言になる。 >>834
「この花は青いです」と「この花は青くあります」を聞き比べると、
「です」のほうがモゾモゾするの? 〜くあります、は関係ない
あおいのです、と、あおいです、の問題 青いのです 正式
青いんです 関東方言
青いです 言葉の乱れ
だと今まで思っていたが >>842
どっちが多いかの問題じゃないでしょ
「服が売られている」だって、もう57,000件もあるんでしょ?
もはや「無生物主語文」「被害ではない受け身文」だからといって
「不自然な日本語」だなんて呼べないんじゃないかな >>845-846
そもそも「青くあります」のような言い回しは無い
ク活用形容詞連用形「-く」+補助動詞「ある」は
助詞「は」「も」「すら」によって分離されたときにしか成立しない
(「こそ」は「あれ」限定で化石的に可)
「ます」が無くても同じことが言えるので、>>846の言うように敬語形の変遷とは別の話 考察することに皆さん抵抗感が無くなってきたようなので>>818に長レスすると、
・たぶん明治〜昭和20年代くらい(仮)までの多くの社会人(軍人敬語除く)の会話体は、
動詞文の丁寧体肯定形「食べます」否定形「食べません」
形容詞文の丁寧体肯定形「寒い」「寒うございます」否定形「寒くない」「寒く(は)ありません」「寒うございません」
(後者は丁寧語でも敬意が強い。また818の挙げるような本では「当時は形容詞はです・ます無しで問題なかった」という)
形容動詞文の丁寧語肯定形「静かです」否定形「静かではありません」(続く) >>850続き ・昭和50年代(1970年代後半)以降の団塊世代が社会人として活躍しだす時期に、すでにあった「です」の拡張が定着しだす
形容詞文の丁寧体肯定形に「寒いです」が登場、対の否定形は当分「寒くありません」
※しかしここで「形容詞型イ終止形+です」が許されたことがきっかけで、特に90年代・平成以後に
(実際には若い人の文体「〜っす」や方言などで一部には存在はしていた)
願望助動詞「たい」+「です」、打消助動詞「ない」+「です」が許されるようになっていく
日本語教科書にはまだない「寒くないです」「静かじゃないです」「食べたくないです」が生まれ、
「ません」の使用範囲が狭まり、動詞文さえ「食べないです」が「食べません」を駆逐しつつある
そして『「食べません」は拒絶の感情があり、「食べないです」は拒絶しない柔らかい言い方だ』
という新しい解釈とともに「食べません」が口をついて出ることがない人が増えてきている
将来は動詞文肯定系「食べます」だけに残った「ます」もやがて消え「食べるです」に変わっていくかも知れない
ここまでの遠因は打消助動詞に「ます」専用になっていた「ぬ」と東日本口語起源の「ない」があったこと、
丁寧体が品詞の制約を超えて一貫性を求めるようになってきたことだろう
なお「食べるんです」「寒いのです」のいわゆる「のだ文」は
「説明のモダリティ」を持った別の文であり、丁寧体以外に普通体も一貫して存在するので、
ここまでの変遷に関わっていない >>851
団塊の世代は戦前戦中派が頑張って復興させた日本をダメにしただけでなく日本語まで乱していたか…(呆れ) 言語学やってる人間で乱れる乱れないとか言ってる奴がいるとしたら信じられない
乱れる乱れないでウダウダ騒いでる連中の行く末を白けた冷めた目で淡々と見守るのが言語学者だろ >>852
まあビートたけしが他の団塊文化人と組んで「俺たちが日本語をダメにした!」みたいな本を
出してるから、ああいう人達は自覚というか実感があるんだろうと思う
もちろん実際の原因はすべての世代が作っているから、規範の立場でも団塊だけを責めるわけにはいかない
たいていの「変化」は、一部に生じた特殊な形が、やがて大勢に使われるようになってはじめて
変化と呼べるようになるもので、その間には十年、二十年といったタイムラグがある
その新しい現象を「全体に及ぼす力」を持っているのは人口の膨らんだ世代、
かつての団塊世代、そして90年代に思春期〜20代だった第二次ベビーブーム世代などだ
特に後者はいろいろと日本語を変えたことに、たぶん自分たちでも無自覚だ(いいか悪いかは別として)
お手本となる「大人」が見えにくく、影響力が低下していた上に、同世代で固まって言葉を作っていたからだろう >>853
言語学板だからといって記述主義に凝り固まる必要はないし、
応用言語学は記述の成果を教育に取り入れた分野だ
国語教師だって言語学を応用して国語を教えている
ナイダの『新言語学問答』は面白かったけど、もう飽き飽きだ 何が事実かが重要なのであって
あっちが良いこっちが正しいそっちが好きなんてのは学問じゃない >>846 >>849
「よくないです」と「よくありません」はどちらが正式と思いますか?
「甘くありません」が普通に聞かれて「甘くあります」が成り立たないのはなぜ? >>848
コーパス的には使用率が3分の1以下の「服が売られている」のほうが誤用ないしはヒューマンエラーと見なすべきじゃないかな?
ビッグデータから学習する人工知能ならおそらく「服が売っている」を正しいと判断するはず。 >>857が例に出している言い方はどれもあるだろう
「よくなくません」とは言わないので「よくないです」と言うしかない
「よくあるです」、「よくあらないです」とは言わないので、「よくあります」、「よくありません」と言うしかない
「甘くあります」と言う人はあまり居ないだろうが、「寂しくあります」は普通に言う 上のほうでは「形容詞+あります」の形は非文だという見解が出ている。
それなのに「寂しくありません」が《ふつうに》使われているとしたらそれと矛盾してしまう。
「よくあります」については「頻繁にあります」の意味では使われていますね。
「よくありません」は「良い」と「頻繁に」の両方の意味がある。 >>856
いまさらこの板で学問を論じるとか滑稽すぎ
旧字旧仮名馬鹿に言ってやれよ
お前があいつの相手しろ >>857
『みんなの日本語』という最もよく売れている外国人向け日本語教科書では、
「よくありません」が採用されていて、「よくないです」は登場しない。
現時点では「よくありません」が全世代を通じて許容されている言い方だと言える。
もっと短い「甘いです」が丁寧体として許容されている以上、
「甘くあります」が役に立つ余地はない。
これまでも存在しなかったし、今後とも活躍のしようがない。 >>858
欧文直訳体に始まった非被害受け身文はすっかり日本語に定着している
どう嫌がらせしたって三島由紀夫の文章を誤りだなんて今さら言いようもない
「服」と「売る」という特定された組み合わせで57,000件もあるんだしな >>860
否定「ない」に接続するために補助動詞「ある」が使われているんだよ 日本語のカジュアルな日常会話では「売って(い)る」「やる・やって(い)る」でヲ格の代わりにガ格が生起しやすい。 「が」は元々は所有格
主格の格助詞だと考えるからおかしくなる 面白い映画をやっているチャンネル。
面白い映画がやっているチャンネル。
面白い映画がやられているチャンネル。
面白い映画のやっているチャンネル。
面白い映画のやられているチャンネル。 >>867
別におかしくならない
「が」は元は属格(所有格)だったが、当然ながらその後に来る被修飾語は名詞だった。
述語となる用言が文の主節ではなく従属節になる時、主語はゼロ格から「が」「の」の属格を取り、
用言は終止形から連体形となり、準体法用法で体言すなわち名詞扱いになって
「が」「の」の属格名詞の被修飾語となったり、またその用言がさらに後続する名詞を連体修飾して
全体で関係節の形を取ったりした
後に終止形が使われなくなり、それまでの連体形が終止形の機能(言い切りの語尾)も兼ねるようになった
「ガ格+連体形」は文の従属節ではなく主節に使われるようになった
その頃には「が」は属格用法を「の」に譲り、主格のみになっていた(文語と一部の方言除く)
現代の共通語の口語において「が」がかつて属格であったことが今の用法に影響を及ぼしている側面は皆無 >>870
>現代の共通語の口語において「が」がかつて属格であったことが今の用法に影響を及ぼしている側面は皆無
わざわざ共通語と言って可能性を限定する意味がない
「日本語の乱れ」は方言の影響によってもよく起こることなのだから >>871
方言について言えば九州弁の「の」を挙げた所で、>>867がどう覆そうとしているのか、
それが可能なのか、全く不明だ
文語について言えば慣用句などで「が」を使わない文語口調の主述文があるというだけ
これを乱れと呼ぶバカは無知な者だけ
無視したらバカが意味もなくつっこむだけなのが5ちゃんだからな 英語でもaのほうが文法的に正しいとされるのに
実際の使用頻度はbのほうが圧倒的に多数派だということがあるね。
a. It was I that bought the Mona Lisa.
b. It was me that bought the Mona Lisa.
a. 約 1,160,000 件
b. 約 9,890,000 件 あの映画館で面白い映画がやっているよ。
あの映画館で面白い映画がやられているよ。
後者は非文か? >>870
いろんな可能性を考慮すれば、その説明だけで本当に
「服が売っている」と言う日本語話者にその影響が一切ない(皆無だなど)と断言できるのだろうか?
言語学者でそこまで断言できる人がどれほどいるだろうか。
言語現象というのはそこまで単純ではないはず。 >>870さんには何か絶対視される厳格な文法理論のモデルがあり、
日本語母語話者はそれに厳格に従って話しているはずだという大前提があり、
その法則に適わない発話現象が見つかるとそれらはすべて言葉の乱れだという論法で済ませてしまっているように見える。 >>876
これ以上刺激するのはよくない
そういう人はそういう人だ 自分だったら「こうこうこういう理由でその可能性は低いと考えられる」とか
「そういう思われる」とか、別の仮説を提示する言い方で留めるなあ。 >>873
どちらも非規範的
模範文は「あの映画館で面白い映画をやっているよ」という無主語文
上は文法書に「若年層の一部に見られる」という注釈付きで記述される文
下は文体的に不統一なので記述もされない >>875
じゃあなぜ「服が売っている」は一定の年代より下にしか現れないんだろうね
純粋に言語学的に説明できるの?
>>876
たった4分でそこまで即レスできるんだ…こんな過疎板で… >>877
暴走しそうな相手に警告してあげるのはとても良い事だ
でないとそいつはもうすぐコピペ連投してスレ終了させるだろう
文法の常識がない相手にはそれしかない >>875
言語学の外側からものを言っても、いつまでたっても説得力なし
自分でもよくわかっていないものに対して「単純じゃないから断言するな」なんて猿でも言える 白人便器ネトサヨwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 似非関西塵ブサヨ奇形チビ猿の妄言集1
・言い回しや地名に「男」がつくのは駄目ニダ!!←別にいいだろ。一々ブサヨイデオロギー持ち込むな
・「○○男」「男○○」があるのに「○○女」「女○○」が無いのはシャベチャニダ!!←そう思うならてめぇが作れよ(笑)
・ジェンダーフリーニダ!!←カルト思想の押し付けをやめろアホ
・八紘一宇恐ろしいニダ!!←てめぇのフェミジェンダーフリー(笑)ブサヨ思想のが恐ろしいし下等
・人をやるのはどんな理由があっても許されないニダ!!←正当防衛でもか?なら死ねよ
・説得するニダ!!手を後ろにやるニダ!!←聞かない相手は?できる保証は?手を後ろにやったら逆効果だろ?w
・イカツイ見た目している奴に絡むニダ!!!!←てめぇのやってることこそまさにチンピラそのものだな(笑)
・絡まれたからボロクソに論破してやったニダ!!そしたら野郎野郎喚かれたニダ!!関東には多いニダ!!←DQNの武勇伝レベルっすね(笑)何かあれば東京ガー関東ガー喚くお前こそワンパターンなんだよなぁ(笑)
・パスポート持ってないニダ?ウリは海外に友達いるニダ!!←だから?偉いの?差別反対の癖に人様見下して随分と差別的なんですね(笑)
・ねぇよねぇよ言っているの見て絡みたくなったニダ!!←犯罪者予備軍乙(笑)やなやろのがウザいから(笑)
・ぶつけられたから謝られてもシカトしてやったニダ!!←ガイジだし器小さいな(笑)てめぇみてぇな奴のほざく綺麗事なんぞには何の価値もないな
・昔の価値観持ち出さなくても誇れるニダ!!←できてねぇじゃん(笑)で、てめぇみてぇなゴミカスが出来る(大爆笑)
・石で終わっていれば良かったニダ!!←お前は生まれる前に終わっていれば良かったのにねぇ(笑)
・広島長崎福島ニダ!!←ローマ字表記差別的で不愉快だからやめてくれない?差別駄目なんでしょ(笑)
・思想持ち込むの駄目ニダ!!←その通りだねぇ。やめたら?(笑) 似非関西塵ブサヨ奇形チビ猿の妄言集2
・屯田兵嫌ニダ!!←てめぇの存在が嫌だ
・差別やめろニダ!!ヘイトスッペチニダ!!集団で強くなった気でいるニダ!!←受講生相手に強くなった気になってブサヨ思想公開オナニーしたり関東人ガー日本人ガー喚いたりしているてめぇこそ差別しているしヘイトスッペチだな(笑)
そもそも何もしていない集団に言うってことは受講生差別主義者予備軍扱いか?それこそ差別と偏見なんだよバーカ
・言ってもいいニダ!!←じゃあ言うわ(笑)エゴサ(笑)する小心者ブサヨ奇形チビ猿(笑)
・立候補するニダ!!金寄越せニダ!!←てめぇで用意しろよガイジ
・外国人のためにしろニダ!!←知るかボケナス、日本人のものだ。嫌なら出てけ。てめぇらが合わせろよ。
・お前もう黙れニダ!!次からは来なくていいニダ!!←てめぇが黙れよ次からは来なくていいよ(笑)意見求めておいててめぇの許容量越えたら火病んなよ(大爆笑)
・綺麗なねーちゃんもやってたニダ!!あの猫ウザいニダ!!←セクハラだしキモいしてめぇのがウザいから
・バブルは異常な時代だったニダ!!今の政府はアレにしようとしているニダ!!←異常でもないし異常なのはてめぇだろ。極度のデフレからインフレにしてバブルになったら苦労しねぇよ経済オンチ(笑)
・間違ったこと言っているのが言ったら笑ってやれニダ!!←てめぇにとっての学問はその程度か(笑)底が浅いな(笑)間違ったことほざきまくってるブサヨ奇形チビ猿笑ってやるよ(大爆笑)
・ある法案が可決されたニダ!!←だから?悪くないし一々悲劇ぶるなよ。キモいね。
・選挙行ったニダ!!あなた達の一票で決まるニダ!!←選挙権あったの(笑)つーか命令される筋合いなんざねぇよ。ようはブサヨに投票しろってこったろ?やなこった
・あのババア←てめぇも年だろ十分ボケてるだろ耄碌ブサヨ(笑)
・ユニセックスニダ!!←キモい。押し付けるなガイジ
・ネット禁止ニダ!!←てめぇらの存在を禁止しろニダ!!
・靖国は敵弔ってないニダ!!沖縄のはいいニダ!!←ガイジか?弔っている場所あるし、行ったこともねぇ馬鹿が知ったかこくなよ死ね 似非関西塵ブサヨ奇形チビ猿妄言集3
・沖縄返還凄いニュースだったニダ!!←てめぇが死ねばもっといいよな
・沖縄戦の日ニダ!!←で?ブサヨはそこから何か得たのか?あぁファッション反省か(笑)
・許されないこととかしたニダ!!←てめぇらがな。
・子供に悪い意味は無いニダ!!←お仲間のブサヨが広めてんのに偉そうにすんなよ
・差別に抵抗する集団がいるニダ!!←あいつら逆に差別しまくっているけどな。新聞de真実の情弱ブサヨ奇形チビ猿には理解できねぇか(笑)
・陛下ではなくさんニダ!!←はぁ?関西でも陛下だわ。不敬な逆賊めが
・抗うのはいい言葉ニダ!!←どこがだ?そこから何か生まれるのか?てめぇのそのブサヨ思想は臭いしキモいし少数ではないな。被害者面するなよ。
・絆の元々の意味はーニダ!!←今どう使われているのかが重要なんだろ。茶化してどや顔のガイジ(大爆笑)それ言い出したら文字の持つ意味にまで発展してキリがねぇな(笑)
・進撃の巨人中々見れないニダ!!←ブサヨ発狂コンテンツだからな(笑)やっぱアレルギー反応起こしたか(大爆笑)
・イカツイ見た目の奴とかいたら暴力振るう奴と思うニダ!!←相手逆上させるだけだし、口ならほざいてもいいのか?てめぇこそ暴力振るっているし暴言吐いてんだろ。
でもヘイトスッペチは駄目(笑)差別かどうかはてめぇらが決めるのか?(笑)偉そうだなぁオイ、てめぇらブサヨこそ差別してんだよバーカ(笑)そこに気付けねぇからてめぇらブサヨはいつまで経ってもゴミクズ負け犬勢力なんだよバーカ(大爆笑) 似非関西塵ブサヨ奇形チビ猿妄言集4
・バブルは異常な時代だったニダ!!今の政府はアレにしようとしているニダ!!←異常でもないし異常なのはてめぇだろ。極度のデフレからインフレにしてバブルになったら苦労しねぇよ経済オンチ(笑)
・間違ったこと言っているのが言ったら笑ってやれニダ!!←てめぇにとっての学問はその程度か(笑)底が浅いな(笑)間違ったことほざきまくってるブサヨ奇形チビ猿を笑ってやるよ(大爆笑)
・ある法案が可決されたニダ!!←だから?悪くないし一々悲劇ぶるなよ。キモいね。
・選挙行ったニダ!!あなた達の一票で決まるニダ!!←選挙権あったの(笑)つーか命令される筋合いなんざねぇよ。ようはブサヨに投票しろってこったろ?やなこった
・あのババア←てめぇも年だろ十分ボケてるだろ耄碌ブサヨ(笑)
・ユニセックスニダ!!←キモい。押し付けるなガイジ
・ネット禁止ニダ!!←てめぇらの存在を禁止しろニダ!!
・靖国は敵弔ってないニダ!!沖縄のはいいニダ!!←ガイジか?弔っている場所あるし、行ったこともねぇ馬鹿が知ったかこくなよ死ね
・許されないこととかしたニダ!!←てめぇらとかがな。
・子供に悪い意味は無いニダ!!←お仲間のブサヨが広めてんのに偉そうにすんなよ
・差別に抵抗する集団がいるニダ!!←あいつら逆に差別しまくっているけどな。新聞de真実の情弱ブサヨ奇形チビ猿には理解できねぇか(笑)
・陛下ではなくさんニダ!!←はぁ?関西でも陛下だわ。不敬な逆賊めが
・抗うのはいい言葉ニダ!!←どこがだ?そこから何か生まれるのか?てめぇのそのブサヨ思想は臭いしキモいし少数ではないな。被害者面するなよ。
・絆の元々の意味はーニダ!!←今どう使われているのかが重要なんだろ。茶化してどや顔のガイジ(大爆笑)それ言い出したら文字の持つ意味にまで発展してキリがねぇな(笑)
・進撃の巨人中々見れないニダ!!←ブサヨ発狂コンテンツだからな(笑)やっぱアレルギー反応起こしたか(大爆笑)
・オレンジ色のアレとか嫌ニダ!!名前も出したくないニダ!!←犯珍くっさ。差別ブサヨ奇形チビ猿死ね(笑)名前も出したくないブサヨ奇形チビ猿のアレこそゴミクズだな(大爆笑) >>880
> じゃあなぜ「服が売っている」は一定の年代より下にしか現れないんだろうね
現れないということはない。世代間で比較すると差があるというにすぎない。
「ら抜き言葉」だって世代間で差があるんじゃないかなった?
たとえば「超うざい」とか「ナウい」という言葉を使う人も世代間の差があるだろう。 >>879
> どちらも非規範的
その根拠は?
模範文が「あの映画館で面白い映画をやっているよ」ならば、
「映画がやられている」のほうが「映画がやっている」よりも自然に感じなくては変だろう。
「服を売っている」が模範文なら、
「服が売っている」よりも「服が売られている」のほうが自然だということになるように。 >>880
「超うざい」や「ナウい」が世代間に現れ許容される差があるからといって、
これらの語が日本語の従来の文法構造からまったく独立に突飛に突如として現れた
「突然変異体」だと断言できる証拠になるのかい? >>889
元々言わなかったものをなぜ言うようになったのかということ
いつ言ってもおかしくなかったのなら、もっと前から使われていてもいい筈じゃないか >>891
屁理屈な上に答えるべき役割を押し付けているな >>890
非被害受け身文は文体的に堅い文章を中心に徐々に容認されてきた
口語的な動詞「やる」にはその順番がまだ回っていないということ
「やられる」は被害受け身のニュアンスが強いということでもある 専門板って頑迷でプライドの高い人間の集まりだから
ほんと言い争いが絶えないな しかも知識のないやつほど無駄にプライドだけ高い
何しに来てるんだか >>892
その理屈が通るなら-ar-抜き言葉だってそうなるはず。
多くの言語変化でも同じことが言えちゃうでしょ。
日本語の中でかつては誰も口にしなかった言い回しはすべて
日本語がもっている法則とはなんの関係もなく出てきたのかって疑問が湧く。
そういうものがすべて「突然変異」として片付けられるならばその理屈は通るが・・・ >>896
本当に知識があり、頭のいい人は、ちゃんと論理的に返答する。
自分の言葉でちゃんと答える。
相手を馬鹿だ無知だと繰り返し誹謗中傷することはしない。
ここの板にはそういう人が多すぎる。
ちゃんと冷静に話しができる人が少ない。 「服が売っている」はなぜ許されると思うのか、容認派は根拠を示すことができない
服が何を売っているの? 「服が売っていない」が許されるならその逆は「服が売っている」である方が自然だと感じるのは当然だろう? >>901
日本語でおkwwwwwwwwwwwwwwwwwww 水が(どうしたかと言えば、私は)欲しい
酒が(どうしたかと言えば、私は)飲める
服が(どうしたかと言えば、服屋が)売っている 白人便器ネトサヨwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>1
お前ができないのが簡単過ぎて泣けてくる
難しくないし大したことないしここまで簡単なのはお前ができないのがくらいだろ >>894
> 非被害受け身文は文体的に堅い文章を中心に徐々に容認されてきた
> 口語的な動詞「やる」にはその順番がまだ回っていないということ
前にも書いたように「服が売られている」は「服が売っている」よりは
堅い表現だと感じるからね。書き言葉というか論文調というか。
また意味合いも少し異なる。
まるで服がそういう目に遭っているというような視点で表現されていることに奇妙さを感じる。
> 「やられる」は被害受け身のニュアンスが強いということでもある
でも、「あの劇場で面白い映画がやられるよ」を被害の意味だと勘違いしやすいからだという解釈上の合理的理由はなさそう。 本自身が自らを賣つてゐるなんて縡は有得ぬから、本を賣つてゐるのは本では無い第三者である。
第三者が賣つてゐる本から考へれば、本自信は「らる」の受身になるのは當然である。 「服を売っている」だと「いったい誰が?」というニュアンスがある。「服を売っている人」という表現には馴染みやすい。
「服が売っている」を許容する人でも「服が売っている人」は許容しがたいだろう。
「服が売られている」だと「服がそういう目に遭っている」という被害のニュアンスがまざる。
「服が売っている」だと「服が店頭に並んでいることを私は発見した」感がそのまま伝わる。 「雑貨屋だけど、服が売ってるんだ」
こういう言葉遣いはは日常的にある
「〇〇が」は取り敢えず主題を提示するくらいの意味
主語のようには述語の使い方を束縛しない ASDの人「あの店では服が売られています」
普通の人「あの店に服が売っています」 > 「服を売っている」だと「いったい誰が?」というニュアンスがある。
自分は「服を売っている」で必要十分だと思う
それで主語が足りないと感じる人というのは
もしかすると西洋語の感覚で捉えているのだろうか
(Someone) sells clothes. の someone の部分が抜けている感じ? 「服を売っている」「服が売っている」
書き言葉では前者のほうが普通で正式だろうけど、
日常のくだけた会話、カジュアルな話し言葉では、後者のほうがごく自然でしょう。 >>916
「服が売っている」というのは現象文で、最初から行為主を一切問題にしていない文。
行為主を常に気にして構文を組み立てようとするのは英語のほうだと思うよ。
無生物(擬似生物視)主語構文はもちろん、itが《人称》代名詞だというのも日本語話者には奇妙に感じる。 ヲ格には誰かが何かを変化させるように働きかけるというニュアンスがあるからね。
その文が暗に明に行為主を持つ必要があるときにはヲ格をもってこないと不自然になる。
「服が売っている」を許容する人でも「服が売っている人」と言われると不自然に感じるはず。 「服を売っている」と「服が売られている」という文には行為主を付加できる余地がある。
行動主を付加しても不自然にならない構文構造を最初から完全に持っている。
でも、「服が売っている」という表現にはそれが欠けているのではないかな?
この文が非文だと感じる人は、だからこそ、この文が受け入れがたいんじゃないかなあ?
最初から行為主なんてどうでもいい、そんなことは問題にしていない、という話者感覚からすれば、こういう文も受け入れられる。 >>920
>最初から行為主なんてどうでもいい、そんなことは問題にしていない、
>という話者感覚からすれば
従来どおりに「服を売っている」と言えばいいだけ。ではなぜそうしないのか? 「服」と先ず言いたいのだから、「服が」と言う
そのあと、「売っている」「買いたい」「ある」「欲しい」などのいろんな述語をくっつける
そう言うことではないか
「水が」 「飲みたい」「売っている」「置いてある」「流している」「汲みたい」‥ 格助詞「が」とは三の用法に分ち、其の中「服が賣つてゐる」の文に該當する用法は「單文の『主格』を示す者」である。
「主格」とは「文中に於て動詞の表す動作を行ふ者、亦は作用、性質を働かせてゐる者」を示す。
さうであるならば、「服が賣つてゐる」とは「服自體が行爲者となつてが何かを賣つてゐる」と云ふ意味になり、
服が賣られてゐると云ふ受身の立場では無く、服が行爲者、主體者となつて何かしらの行爲を行つてゐると云ふ縡になる。
服が行爲者の立場なの歟、其とも受身の立場なの歟すらも判らぬとは相當頭が惡い證據だ。 >>922
答えがしっちゃかめっちゃかだな
「服が売っている」だけはそれまでの日本語教育文法でもまったく容認されていない
しかしそれまでの文法でも、「ガ格目的語」として認められてきたものはある
それは>>672ですでに網羅されている
1)「がわかる」などの自動詞が起源で意味的には他動詞であるもの
2)可能動詞、可能の助動詞など可能の意味が加わった他動詞「が買える」「が入手できる」など
3)「がほしい」など意味的には他動詞、形式上は形容詞であるもの
1)〜3)と「服が売っている」は全く異なる
いっしょにするな 多いというのは特定の世代の一部だけ
人口だけ多くてろくに読書もせず家電取ったこともなく同世代内でSNSやってただけの ごく一部でしょ
母数が多かったからアホも多かった
「服が売っている」なんて言うやつは
社会に出て徐々に減っているのかもうあまり聞かないな
社会から孤立して変なプライドこじらせてるやつはむしろ少数 >>921
> 従来どおりに「服を売っている」と言えばいいだけ。ではなぜそうしないのか?
だからヲ格には行動主が暗示されている。行動主の居場所が暗に考慮された表現。
行動主指向の言語なら、そういうことになるだろう。 従来のお堅い文法理論に固執するあまり、
擬似自動詞構文の存在すら認めたがらない論調が未だにあるようだね。 「服が売っている」はその状態・現象そのものを指している。
「服を売っている」と「服が売られている」はその行為を指している。
そこには暗に行為主体が想定されている。
ヲ格は行為主によって処置される対象であるとして服を提示している。 「服を売っている」と「服が売られている」は行為主を背景化した時点で
行為ではなく状態・現象を指しているじゃないか
「服が売っている」は行為としても状態・現象としても意味をなさない 「服がある」 「服が売っている」
「服がない」 「服が売っていない」
なにも問題ない! >>934
格助詞「が」とは三の用法に分ち、其の中「服が賣つてゐる」の文に該當する用法は「單文の『主格』を示す者」である。
「主格」とは「文中に於て動詞の表す動作を行ふ者、亦は作用、性質を働かせてゐる者」を示す。
さうであるならば、「服が賣つてゐる」とは「服自體が行爲者となつてが何かを賣つてゐる」と云ふ意味になり、
服が賣られてゐると云ふ受身の立場では無く、服が行爲者、主體者となつて何かしらの行爲を行つてゐると云ふ縡になる。
服が行爲者の立場なの歟、其とも受身の立場なの歟すらも判らぬとは相當頭が惡い證據だ。 >>935
お前のいうことにはいつも内容が伴っていない
自然言語が使えず日本語モドキの人工言語しか書けない自閉症は黙ってろ 日本語の話者感覚としては
「雨が降っている」と「服が売っている」は同種の表現ではないかと思える。
狭い意味での文法規律には反するだろうけど、話者は同じ感覚で表現しているのではないかな。
これに対して、
「服を売っている(誰かが)」のほうは「雨を降らせている(誰かが)」という意味合いを帯びる。
つまり、誰かがという示唆を感じる傾向があるので、使い分けられている可能性がある。
新しい分節がそこに生じている。 要するに、「服が売っている」と普通に表現する話者は、
「服を売っている」という日本語を棄てたわけじゃない。
このヲ格の代替ではなく、新しく分節が生じたのではないかな。
だから話者はこの二つを場面や言いたいニュアンスによって
使い分けている可能性がある。 「服を売っている」に対して「服が売っている」に加わるのが
具体的にどんなニュアンスなのか誰も説明できていない
答えは「話題」の「は」に対する
「新情報」「焦点」の助詞として「が」を使おうとしているということ
だが「は」に対する焦点の助詞というのはもともと存在せず、
名詞句の場合「は」の付かない個々の格助詞付きで出せばよかった
だから「服を売っている」でよかったのだ
しかも焦点表示のつもりで「が」を使うと、
格助詞「が」や他の格助詞の非焦点用法で衝突を起こすという欠点しかない >>940
なるほど。格の取り違えというところまでは見当がついていたが
何故そうなる(そうしてしまう)のかの理屈がよくわかった ガ格とヲ格の単なる取り違えならば、もっと広範にかつ無作為に
あらゆるケースでそのような現象が起こっていることが観察できるはず。
「服が売っている」に違和感を感じない人があらゆる構文でヲ格とガ格の
使い分けを無作為に間違える頻度が高いとかね。
しかし選択的にそれが起こっていて、その話者がそのような間違いを他の構文では
起こさないということになると、広義のヒューマンエラー論は苦しい説明だと思う。 「服が売っている」という言い方は、日常の軽い会話で高頻度に見られる表現なので、
地域差がないか、地域によっては高齢者層でも普通に軽い会話で使われていないかどうか、
そこをもっと調べるべきだと思う。
意識高い系の人の集まるネットアンケートではバイアスがかかりすぎている。 >>942
それは「売られている」に相当する、受身形にせずに済む動詞――
○○が(店に)「出ている」とか
要するにそういう平易かつ適当な単語が即座に思いつかないのが原因だろう
で結局「○○を〜」に言い直すこともなくそのまま発話する。それが常態化する、と 「服が賣つてゐる」は完全に現代表記ヘ育の惡しき弊害。 日本語使えなくて日本語モドキの人工言語しか使えないブサフンガイジ>>946 >>942
「違和感が感じた」のような文法感覚がゆるい文を口にする人はいる
そんな例を音声言語以外で見つけるのは至難の業だが、見つけたら報告するよ
体験ではそういう人は作文を書かせてもテニヲハがグチャグチャだし、説明されても直せない
少なくともこの板で「本が売ってる」の類を取り上げたのは00年代からで、
当時は「そんな人いるの?信じられない」という反応のほうが優勢だった
この構文を自然に感じる世代が成長し、なんとか擁護しようとするようになるのを見るのは面白い この肥だめ掲示板しか参考にできる文言がないのか
悲惨な人生だな
この板のデフォルト名のネタ元本もせいぜい題名くらいしかしらんのだろ 昔のスレではたしかにそういう例文を見つけて報告する人はいたね
といってもこの文型は話し手が大きくなればだんだん廃れていくものだから、
例も無くなっていくだろうね >>944
その表現についても違和感を抱かない日本語母語話者は少なくないんじゃないかな? 比較の「のほうが」はガ格目的語を生みやすいね
そして「のほう」も抜けて「そっちがよく使う」みたいな言い方ももう聞かれる
無い無いと言い張るのは世間知らずの引きヲタだけ 日本語が対格言語としては例外がやたらに多いというのは
言語学のメジャーなお題の一つ
無い無いと言い張るのは言語学の文献などまともに読んだことがないから
世間も知らず本も読まず「おれは見たことも聞いたことない」とか無知を誇るアホウ がとをとは置換可能な助詞ということ設定すれば問題ないな 古代日本語は能格言語だった可能性が高いと言われているけど
今の日本語は対格言語とされる
だからそんな互換性は一般的にはない
お題としてはたとえば
「本が売っている」は認容なのに
「本が売る」が非文となる理由 ら拔言葉の誤用の亂用で其の對象が受身にあるのか何うかすら判らなくなつた現代國語の宿痾。 >>960
真逆のでたらめ垂れてんじゃねーよ、白痴 んなことがわからんから白痴なんだよ
この白痴は自身が挙げた本をおそらく一冊たりとも読んだことがない
康熙体がどうのというくせに康熙字典すらね >>963
「眞逆」と云ふ縡は正反對と云ふ縡である。
>>960に對して正反對と云ふ縡は複數の論點が考へられるが、御前が孰の論點で正反對と云つてゐるかは云つた御前にしか判らぬ。
若しかして御前は一の論點しか無いと思つてゐるのかい。
人を白癡稱ばゝりする排他的差別主義者さんよ。 ガイジ語やのーて日本語でなんか言えや旧仮名ガイジwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>967
何うした、何も答へられないのかね。
答へられないのならば端から眞逆云々と云はねば宜いのだ。
排他的差別主義者さんよ。 ガイジ語以外の言語で話せンゴ
日本語ができへんなら英語でも可やで 近代日本語は伝統的な日本語の体を無視した関東方言の塊だからな
そんなものを崇拝してる時点でお国が知れる 全くや
今5ちゃんねるで最新の流行の日本語は関西方言をベースにしたなんJ語やで >>969
話を逸らすなよ。
早く何が眞逆なのか説明宜しく。 ガイジ語しか使えへんガイジにはこのスレに書き込む自分以外が全員同一人物に見えるらしい ガイジ語しか使えへんガイジにはこのスレに書き込む自分以外が全員同一人物に見えるらしい >>975
簡單正假名遣
●「は行動詞」の使用例
云ふ・言ふ(云・言う)、使ふ・仕ふ・遣ふ(使・仕・遣う)、貰ふ(貰う)、〜して了ふ・終ふ・仕舞ふ(〜してしまう)
斯くの如き語尾に「う」が附きし語をば「は行活用動詞」なりと識るべし。
而して而して意志や推量の場合の「云はう(云おう)」、「使はう(使おう)」、「貰はう(貰おう)」、「して了はう(〜してしまおう)」も然。
●語中の「ゑ」の使用例
「すゑる(据)」、「うゑる(餓【飢】)」、「うゑる(植)」の如き「わ行下一段活用」にての「ゑ」の使用例は、此三つのみ。
●語頭の「ゑ」の使用例
「ゑづく(餌附・嘔吐)」、「ゑる(彫、鐫)」、「ゑがく(描・畫)。
●「イ」の使用例「ゐ」の場合
「ひきゐる(率)」、「まゐる(參)」、「ゐる・をる(居)」、「くらゐ・ぐらゐ(位)」、「もちゐる(用)」、「せゐ(所爲)」となりて、
「わ行上一段活用」の動詞なるは、古語の「ゐる(率)」を除きては、「ゐる(居)」、「ひきゐる(率)」、「もちゐる(用)」の三つのみなり。 >>975
●「イ」の使用例「ひ」の場合
「ばあひ(場合)」、「つひに(遂に)」、「さいはひ(幸)」、「はひる(這入『入るは(いる)なり』)」等。
「おぢる(怖)」、「とぢる(閉・綴)」、「はぢる(恥)」。
「さう【然う】いふ〜(そういう〜)」、「さうかう【然う斯う】する内に(そうこうする内に)」、「さう【然う】云へば(そう言えば)」、
「さう【然う】だつたのか(そうだつたのか)」、「然う」の字音なるは「さう」となりて、「斯う」なるは「かう」なり。
「〜でせう(〜でしょう)」、「えうは(要は)」、「〜やうだ(〜樣だ)」、「〜のはうは(〜の方は)」、
「〜して了へ・終へば・仕舞へば(〜してしまえば)」、
「なほ(猶・尚)」、「まほさら(猶更・尚更)」、「なほかつ(猶且・尚且つ)」、「たとへ【ば】(例え【ば】)」、「とほる・どほり(通)」、
「すなはち(即・則)」、「いはゆる(所謂)」、「いはば(云わば)」、「〜と雖【いへど】も(〜と雖「いえど」も)」、
「すゑ(末)」、「お早【はや】う(おはよう)」、「有難【ありがた】う(ありがとう)」、「今日は(こんにちわ)」、「今晩は(こんばんわ)」、
「漸【やうや】く(ようやく)」、「まづ(先ず)」、「うれしう御坐います(嬉しゅう御坐います)」、
「たぐひ(類)」、「〜だらう(〜だろう)」、「〜であらう(〜であろう)」、「ゆゑ(故)」。
×到頭(宛字)→とう/\、
ちよつと→一寸
とても→迚も
〜してくれる→して呉れる
もの→?(人、事、者、凡ての「もの」の義)
もの→東西(支那の俗語にて金錢、物品の意)
こと→縡(事に同じ)
考(かんがへ)、思(おもひ)、思込(おもひこみ)、受付、据置(すゑおき)、夏休等々、基本的に名詞は送假名を省く。 >>975
ほぼ→粗、略。
やや→稍、漸。
しかく→爾く。
しかのみならず→加之。
かててくはへて→糅てゝ加へて。
なかんづく→就中。 >>982=害兒尓者偽物乃日本語尓使用不出來
只管不細工褌踊乎踊而已 そんなに昔の日本語が好きなら文章書くときは漢文で書けっちゅう話ですわ 明治以降に作られて昭和初期に廃れた「歴史的仮名遣い」なんてどこにも歴史性ないな
むしろ現代表記の方がこれからも廃れることないだろうから歴史性あるな 戦前の全体主義国家が好きなだけだから歴史とか伝統どうこうは関係ないぞ >>958
助詞の省略でごまかすとは小狡いな
◯>がとをとは置換可能な助詞ということ「を」設定すれば問題ないな
×>がとをとは置換可能な助詞ということ「が」設定すれば問題ないな
はいアウト >>960
この件はラ抜き関係ねーよバカ
むしろら抜きにばっかかまけてていいのかっていうお題だ >>987
古典との整合性、連続性を意識すればこその歴史的仮名遣いだろう
まさかそんなこともわからずにこのスレに書き込んでるのか >>991
關係がある。
「服が賣られてゐる」を正確に認識しえぬのは、ら拔き言葉の誤用の亂用に因つて、服が受身の立場にある縡を判らぬからだ。 >>992
古典という名の古典はないw
古典ってどれのこと指してんのw 結論:
ガイジのブサフンには日本語は難しすぎたwwwwwwwwwwwwww このスレッドは1000を超えました。
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