日本語の規範文法について質問するスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
このスレでは日本語(国語)の規範文法に関する質問を受け付けてマース この板が一番つまらない
キチガイが仕切ってて言語学を潰そうとしている ネットワークがなかった、
特にWebがなかった頃は
デジタル時計なんてほぼなかったよな /
/ / / …
金毘羅船々 追風に穂かけ
スラッシュ シュシュ >>328
ネットなど影も形もない頃からデジタル表示の時計はあったぞ? クォーツ時計の文字盤デジタル表示とコンピュータのデジタル処理とを混同
インターネットと時計のデジタル表示が連動していると勝手に思っている 時計でデジタルと言ったら表示方式の意味だけど、原子時計かなんかを使った補正と混同してるのかな。 >>366
12時制やろうが24時制やろうがどっちもデジタルやん
アナログ情報である時刻を有限精度の数値として表現してるんやからデジタルや >>362
そういえば太陽の南中基準で午前午後に分けること自体、必然性などないんだよな。
南中は晴れていれば見えるが、夜の0時はパッと見ても分からん。
分けるなら日の出日の入りで分ける方が自然だろう。
江戸期まではそうしてたはずで、だから元旦が1年の始めだったんじゃなかったっけ?
長針が1日2回転の針表示は、南中基準で分ける変な方式に沿ったものではあるけど、一体何なのか? >>374
一日二回転は日時計の延長だから
昼に一回転弱 → 昼一夜一
そして北半球で日時計から進化したから右回り
もし南半球で進化してたら左回りになってた
日出日没は季節に依るからそれに依らない基点として
正子正午を設けた
遠い昔は正子を正確に求めるのが難しく
簡単に求められる正午を採用 検索すると「24時間時計」ってのも出てくるなあ
短針が一日で一回転するのはちょっと面白い >>375
日時計は日中は半回転しかしないじゃない。
だけど、真南を基準点にして便宜的に午前と午後に分割した結果、というのは納得できるな。
>>377
変わらない真南を基準点にして便宜的に分割、という推理になると。
>>378
それだと短針が遠目とかで分かりづらい、ということはあるんだよね。
24等分だと分かりにくいなら12等分でも構わん理屈ではあるが、要するにそうはしてないと。 種イホンはドイツ語Die Ernaehrung(栄養)のもじり
ディーエアネールンク
↓
ディアネーフン
↓
デネイフン
↓
種イホン そのクエスチョンマークの意味は何だ
変かなぁ、変じゃないのかなぁ、と迷っているということか >>33
そういえば、そういう変な言い回しをする奴がいるが、どこかの方言由来とかかね? >>396
どこの方言由来だろうと、40代ぐらいから下はみんな使ってるよ
この板にはお前みたいに事実に疎いやつばかり来る
十五年前は「本が売ってる?そんなの聞いたことがない」っていうやつばかりだった
五年前は「本が売ってるのどこがおかしいんだよ?」っていうやつばかりだった
今更「どこかの方言のせいだ」なんて言った所で、何の意味がある 滝浦真人によるお友達審査
お友達に博士号をとらせるために学位授与の工作でもしてるのか?
椎名 美智(しいな みち)
研究テーマ
近代英語期口語表現の歴史語用論的研究
ずっと歴史語用論とかいう分野で英語の口頭表現のコーパス研究やってきたひと
https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000020153405/
法政大学国際日本学基幹科目
国際日本学演習 T・U 椎名 美智
日本語の性格T・U 滝浦 真人
http://www.hosei.ac.jp/gs/kenkyuka/jinbun/nihongaku/kamoku_kyoin.html
研究題目 「させていただく」という問題系―歴史社会語用論的調査と考察―
日時 : 2019年1月27日(日)
場所 : 放送大学本部(千葉県千葉市美浜区若葉2-11) >>397
どこかの低学歴の田舎もんが人間面してのさばってるのか? >>402
本屋で本が売ってるのか? アタマ大丈夫? >>403
日本の40代から下はみんなそういう言い方してるんだよ
お前が知らないだけ
お前はずっと田舎の精神病院にでも引きこもってるんだろう
それか他人と接しない独居老人だ
今さら実例も知らないくせにくだらない独善吐くな >>404
> 日本の40代から下はみんなそういう言い方してるんだよ
してゐないが(嗤)。 「は」と「が」の意味、役割、使い方が
話題になっているようですね。
こういう混乱は「は」「が」の分類、解釈が
間違っているから来るものです。
結論を言うと…
×「は」=係助詞、文末が終止形
×「が」=格助詞
○「は」=「あり」という動詞
○「が」=「持つ」という動詞
「象は鼻が長い」
=象は + 鼻が長い
=象+あり+鼻+持つ+長い(と言う特徴)
=S+V+S+V+C
こういう文章です。 >>406 を踏まえて
「本が売っている」は良い文章だと思わないけど
指導者自身が分からないから
こういう文章が生まれてくるんじゃないかな。
【「は」も「が」も、どちらも主格を表す】
じゃダメだ。
「本が売っている」を無理矢理か解釈すると
=「本 持つ 売っている(状態を)」
日本語訳は
「本は持っています、売っている状態を」
「本が売られている」
=「本 持つ 売られている(状態を)」
日本語訳は
「本は持っています、売られている状態を」
「本は売っている」
=「本 あり 売っている(状態で)」
日本語訳は
「本はあります、売っている状態で」
「本は存在しています、売っている状態で」
「本は売られている」
=「本 あり 売られている(状態で)」
日本語訳は
「本はあります、売られている状態で」
「本は存在しています、売られている状態で」
こうだろうな。 女が風俗嬢に転向する可能性はほぼゼロだし、男にとっては最高の世界だね。 三上章の「象は鼻が長い」の
例文を日本語に訳すと…
象は鼻が長い
=象 あり 鼻 持つ 長い(状態を)
日本は温泉が多い
=日本 あり 温泉 持つ 多い(状況を)
この本は父が買ってくれました
=この本 あり 父 持つ 買ってくれました(を)
昨日は大風が吹いた
=昨日 あり 大風 持つ 吹いた(状況を)
牡蠣料理は広島が本場です
=牡蠣料理 あり 広島 持つ 本場です(を) >>405
してるよバーカw
田舎者の引きこもりのメンヘラは口開くだけ恥晒しwww >>406
言語学者の分析が正しかろうと間違っていようと
国語教育には1ミリも反映しないし、
現実の話者の[誤った文法/言語の変化]に対しては
その千分の一も影響しないよメンヘラ >>411
>>406 はオレだが
国語教育にも
現実話者への影響力にも関心はない。 >>409 の続き
「象は鼻が長い」を日本語に訳すと
「象 あり 鼻 持つ 長い(状態を)」
になるんだけど、これを詳しく説明すると…
話者は「象は」=「象あり」と最初に言っている。
つまり「ここに象がありますよ」
「象が存在していますよ」と言っている。
もっと言うと
「これから話すことは象のことですよ」
と前提条件、背景を説明している。
そして「鼻が長い」=「鼻 持つ 長い」と言っている。
「鼻は長いという特徴を持っています」と言っている。
この鼻が誰の鼻かというと、もちろん象の鼻だ。
なぜならアタマで「象は=象あり」と言っているからだ。 >>413 の続き
さらに、
「象は鼻が長い」
=象 あり 鼻 持つ 長い(と言う特徴)
なので、品詞に分解すると
=象(名詞) あり(動詞) 鼻(名詞) 持つ(動詞) 長い(形容詞)
=S+V+S+V+C
こういう並びになるので
英語と極めてよく似た語順になる。
英語には五文型があるそうだが、
そのうちの第五文型SVOCに酷似している。
もちろんSVSVCの並びは英語に山ほどある。
さらに、おれの見方の反射的心理効果として
日本語は英語に直訳できる可能性があると
思いたくなるね、あくまでも反射的効果だけど。 ・本が売ってる
いちいち他人の言葉遣いに苛立って指摘するよりも
「本が(作者の名を)売っている」または
「本が(掲載された広告の商品を)売っている」
と言っているのだと解釈し、実質的に
「本が売られている」の意味なのだと思えば
精神も安定して波風も立たないじゃないか >>415
「自分でも論理的におかしいことは理解できている」と。
コンビニなどでも最近は雑誌以外の単行本や文庫本などの
○ 本を売っている
○ 本が売られている
× 本が売っている >>416
そういう言葉を使う人達が「論理的におかしいことを理解している」かどうかは知らん
(自分は使わないし) >>413
>「これから話すことは象のことですよ」
>と前提条件、背景を説明している。
これが「は」の役割で、
「あり」に置き換え可能な「存在」を提示しているんだとしたら、
なぜ誰でも知っている『桃太郎』の冒頭は
「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『が』いました」
の中に一個も「は」が出てこずに、それに続く
「(2)おじいさん『は』山へ芝刈りに、おばあさん『は』川へ洗濯に行きました」
の中には2回も「は」が出てきているの?
おじいさんとおばあさんの存在は(1)でとっくに明確に示されているし、
(1)は(2)の「前提条件」「背景」をとっくに説明しているだろう?
そしてあんたの持論では(1)の「が」は「存在」を示す動詞なんだろう?
その動詞の主語は「おじいさんとおばあさん」なんだろう?
だったらまず「おじいさんとおばあさん」の存在をなぜ先に「は」で示さないのさ?
あんたの持論は矛盾だらけで破綻しているよ。わからなかったら何回でも説明してやるよ >>418
>>413 では、こう書いた。
>もっと言うと
>「これから話すことは象のことですよ」
>と前提条件、背景を説明している。
「誤解を恐れず、もっと言うと」という意味で
なぜこう書いたかというと、
世間には「は」の役割を「前提条件、背景説明」と
説明しているモノがあるから、
こういう説明にもなるよね、と言う趣旨だったが、
誤解につながったみたいだね。
それはそれで置いておくとして
「は」はあくまでも「あり」という動詞だ。
>「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『が』いました」
>「(2)おじいさん『は』山へ芝刈りに、おばあさん『は』川へ洗濯に行きました」
誰が書いた文か分からんが、感想を書くと
>「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『が』いました」
>「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『は』いました」
「が」は「は」でも良いよね、意味がわかるから。
どこが違うかというと、「が=持つ」、「は=あり」で動詞が違う。
後に続く文が「いました」=「います」で「存在する」という動詞だ。
なので「は=あり」の次に「いました=存在」だと
「存在」+「存在」で念押しみたいな文になる。
だから「は」だと、念押しだから、くどさも出る。
んで、まあまあ「が」が使われるのかな〜と思った。 >>419 の続き
>「(2)おじいさん『は』山へ芝刈りに、おばあさん『は』川へ洗濯に行きました」
>「(2)おじいさん『が』山へ芝刈りに、おばあさん『が』川へ洗濯に行きました」
これも「が」「は」のどっちでも良いね。
なんで「は」にしたか、話者に聞かないと、分からんね。
「は」でも「が」でも、いずれでも良いが、動詞が違う。
因みに
>「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『 』いました」
>「(2)おじいさん『 』山へ芝刈りに、おばあさん『 』川へ洗濯に行きました」
「が」、「は」を使わなくても、意味は通じる。
古文だとこんな感じかな。
(1)のアタマの部分は
>「(1)昔むかしある所に
>「(1)昔むかし、所あるに
これでも良さそうだね。 >>414 の続き
「が」は古くは所有を表す格助詞、所有格助詞だった。
しかし時代が下るにつれて主格を表す格助詞にも使われた、
という説明が古語辞典にあったな。
例えば
君が代=天皇 持つ 時代
我が家=私 持つ 家・家庭・家族
塞翁が馬=塞翁 持つ 馬
いずれも「SVO」の文だった。
この「が=持つ」が主格を表すと言えば、
確かにその通りだ。
「が=持つ」という動詞だから、主格を表すね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています