日本語の規範文法について質問するスレ
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このスレでは日本語(国語)の規範文法に関する質問を受け付けてマース >>411 >>406 はオレだが 国語教育にも 現実話者への影響力にも関心はない。 >>409 の続き 「象は鼻が長い」を日本語に訳すと 「象 あり 鼻 持つ 長い(状態を)」 になるんだけど、これを詳しく説明すると… 話者は「象は」=「象あり」と最初に言っている。 つまり「ここに象がありますよ」 「象が存在していますよ」と言っている。 もっと言うと 「これから話すことは象のことですよ」 と前提条件、背景を説明している。 そして「鼻が長い」=「鼻 持つ 長い」と言っている。 「鼻は長いという特徴を持っています」と言っている。 この鼻が誰の鼻かというと、もちろん象の鼻だ。 なぜならアタマで「象は=象あり」と言っているからだ。 >>413 の続き さらに、 「象は鼻が長い」 =象 あり 鼻 持つ 長い(と言う特徴) なので、品詞に分解すると =象(名詞) あり(動詞) 鼻(名詞) 持つ(動詞) 長い(形容詞) =S+V+S+V+C こういう並びになるので 英語と極めてよく似た語順になる。 英語には五文型があるそうだが、 そのうちの第五文型SVOCに酷似している。 もちろんSVSVCの並びは英語に山ほどある。 さらに、おれの見方の反射的心理効果として 日本語は英語に直訳できる可能性があると 思いたくなるね、あくまでも反射的効果だけど。 ・本が売ってる いちいち他人の言葉遣いに苛立って指摘するよりも 「本が(作者の名を)売っている」または 「本が(掲載された広告の商品を)売っている」 と言っているのだと解釈し、実質的に 「本が売られている」の意味なのだと思えば 精神も安定して波風も立たないじゃないか >>415 「自分でも論理的におかしいことは理解できている」と。 コンビニなどでも最近は雑誌以外の単行本や文庫本などの ○ 本を売っている ○ 本が売られている × 本が売っている >>416 そういう言葉を使う人達が「論理的におかしいことを理解している」かどうかは知らん (自分は使わないし) >>413 >「これから話すことは象のことですよ」 >と前提条件、背景を説明している。 これが「は」の役割で、 「あり」に置き換え可能な「存在」を提示しているんだとしたら、 なぜ誰でも知っている『桃太郎』の冒頭は 「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『が』いました」 の中に一個も「は」が出てこずに、それに続く 「(2)おじいさん『は』山へ芝刈りに、おばあさん『は』川へ洗濯に行きました」 の中には2回も「は」が出てきているの? おじいさんとおばあさんの存在は(1)でとっくに明確に示されているし、 (1)は(2)の「前提条件」「背景」をとっくに説明しているだろう? そしてあんたの持論では(1)の「が」は「存在」を示す動詞なんだろう? その動詞の主語は「おじいさんとおばあさん」なんだろう? だったらまず「おじいさんとおばあさん」の存在をなぜ先に「は」で示さないのさ? あんたの持論は矛盾だらけで破綻しているよ。わからなかったら何回でも説明してやるよ >>418 >>413 では、こう書いた。 >もっと言うと >「これから話すことは象のことですよ」 >と前提条件、背景を説明している。 「誤解を恐れず、もっと言うと」という意味で なぜこう書いたかというと、 世間には「は」の役割を「前提条件、背景説明」と 説明しているモノがあるから、 こういう説明にもなるよね、と言う趣旨だったが、 誤解につながったみたいだね。 それはそれで置いておくとして 「は」はあくまでも「あり」という動詞だ。 >「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『が』いました」 >「(2)おじいさん『は』山へ芝刈りに、おばあさん『は』川へ洗濯に行きました」 誰が書いた文か分からんが、感想を書くと >「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『が』いました」 >「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『は』いました」 「が」は「は」でも良いよね、意味がわかるから。 どこが違うかというと、「が=持つ」、「は=あり」で動詞が違う。 後に続く文が「いました」=「います」で「存在する」という動詞だ。 なので「は=あり」の次に「いました=存在」だと 「存在」+「存在」で念押しみたいな文になる。 だから「は」だと、念押しだから、くどさも出る。 んで、まあまあ「が」が使われるのかな〜と思った。 >>419 の続き >「(2)おじいさん『は』山へ芝刈りに、おばあさん『は』川へ洗濯に行きました」 >「(2)おじいさん『が』山へ芝刈りに、おばあさん『が』川へ洗濯に行きました」 これも「が」「は」のどっちでも良いね。 なんで「は」にしたか、話者に聞かないと、分からんね。 「は」でも「が」でも、いずれでも良いが、動詞が違う。 因みに >「(1)昔むかしある所におじいさんとおばあさん『 』いました」 >「(2)おじいさん『 』山へ芝刈りに、おばあさん『 』川へ洗濯に行きました」 「が」、「は」を使わなくても、意味は通じる。 古文だとこんな感じかな。 (1)のアタマの部分は >「(1)昔むかしある所に >「(1)昔むかし、所あるに これでも良さそうだね。 >>414 の続き 「が」は古くは所有を表す格助詞、所有格助詞だった。 しかし時代が下るにつれて主格を表す格助詞にも使われた、 という説明が古語辞典にあったな。 例えば 君が代=天皇 持つ 時代 我が家=私 持つ 家・家庭・家族 塞翁が馬=塞翁 持つ 馬 いずれも「SVO」の文だった。 この「が=持つ」が主格を表すと言えば、 確かにその通りだ。 「が=持つ」という動詞だから、主格を表すね。 >>419 >「誤解を恐れず、もっと言うと」という意味で 後から取って付けた苦しい弁解 そのいいかげんさがすでに破綻しているんだよ だったらなぜ先にそう言わないのかなあ 思ってもいないからだろ >世間には「は」の役割を「前提条件、背景説明」と >説明しているモノがあるから、こういう説明にもなるよね、 >と言う趣旨だったが、 どこで誰が言ってるんだ?三上章は言っていないよな? だったらその「モノ」を書けよ。実際にはそんなやつはいないんだろう。 >それはそれで置いておくとして >「は」はあくまでも「あり」という動詞だ。 「あくまで」ってw説得力ゼロw 「やだいやだい」って通説を否定する奇説に固執しているだけw >「が」は「は」でも良いよね、意味がわかるから。 いや、文体がガラッと変わるよ。 既出でもないものに「は」を使うのは、 「おとぎ話」ではなく「近代小説」の手法だ。 読み手をわざと軽い不安に陥れて、 即席の状況判断をさせようというところから始まっている。 定着しすぎて読者でも感覚が麻痺している者が多いが、 元々はそういう所から来ている。 そんな感覚すらないのならもう文法を語っちゃダメだ。 >>420 >動詞が違う。 違わない。述語動詞はあくまでも「行く」だよ。 「は」は助詞だ。 >>421 「所有」だからといって それが修飾関係にあるのか叙述関係にあるのかを 区別しない言語なんてないよ 「君が代」はお前の言葉で言えば 「天皇が持つ時代」(修飾関係)であって 「天皇が時代を持つ」(叙述関係)ではない 修飾関係に「性質」「状態」「特定指示」などがある中に「所有」もあるというだけ 叙述を表す動詞ならそれこそ「破壊」「生産」「観察」など、また細分化するならそれこそ 動詞の数だけ分類がある中に「所有」もあるというだけ 修飾関係の「所有」と叙述関係の「所有」は全く別のものだ >>422 土佐弁?高知弁? 歴史的には土佐弁かな。 大河ドラマ、福山・坂本竜馬を見たとき ずいぶんと「が」を多用すると思った。 >>424 >>「誤解を恐れず、もっと言うと」という意味で >後から取って付けた苦しい弁解 全然苦しくないけどねw それと 背景説明、前提条件との説明は多いぞ、ググれ、 繰り返すが「は=あり」という動詞だからな。 >>425 >>「が」は「は」でも良いよね、意味がわかるから。 >いや、文体がガラッと変わるよ。 そうそう、文体じゃなくて、 「は」と「が」では違う動詞になっている。 だから意味も違うし、読んだ感じも違う。 あたり前だけど。 >>426 >>427 「君が代」は「天皇 持つ 時代」だから もともとはSVOの文であって叙述関係だが これを丸々、丸ごと名詞句にしている。 「が=持つ」が本来の意味だったが それを意識出来なくなってしまい 修飾、限定になったと思われる。 似てるんだけど、名詞句にならなかった >>409 の この本は父が買ってくれました =この本 あり 父 持つ 買ってくれました(を) これは「買ってくれました」を丸ごと、全部、父が持っている。 「買ってくれました」という状況を、丸々、父が持っている。 ま、父が買ってくれた状況は、変わりないけどね。 んで、何を買ってくれたのかというと、 「この本は=この本あり」だから この本を、父が買ってくれたんだ、ということがわかる。 >>421 の続き ・ビールが美味い ・ビールは美味い この二つの文の違いは、使われている動詞が違う。 「は=あり」、「が=持つ」という動詞の違いだ。 「ビールが美味い」を日本語に直訳すると 「ビール 持つ 美味い」になる。 もっと丁寧に訳すと 「ビールが」=「ビール君は持っています」ということだ。 んで、ビール君は何を持っているの?といったら 「美味い」を持っている、 「美味い(状態・性質)」を持っている。 「美味い」は形容詞だから、 持つの対象として違和感あるかもしれない。 一方で「ビールは美味い」を日本語に直訳すると 「ビール あり 美味い」になる。 もっと丁寧に訳すと 「ビールは」=「ビール君はいます、ビール君は存在しています」 という風になる。 んで「美味い」が続くので 「ビール君は存在しています、美味い状態・美味い性質で」 となるんだね。 「ビール君は、美味い状態で、存在しています」 =「ビールは美味い」 最近の日本語、 海外の言葉みたいな 風にしか聞こえませんな >>432 の続き 「ビールが美味い」「ビールは美味い」は、それぞれ 「ビール 持つ 美味い」「ビール あり 美味い」となり 品詞に当てはめると「SVC」になる。 「あなたは正直ね」の場合は 「あなた あり 正直 あり」の二文に分かれる。 それぞれ「あなたは存在しています、正直は存在しています」 =「あなたは正直で存在しています」 と言う意味で、「は=あり」、「ね=あり」だ。 その理由は「あり」と「や、さ、よ…」は 「あり」が横訛りして「や、さ、よ…」になった。 親娘の関係にあるからだ。 そういうわけで「あり」を親言素、 「や、さ、よ…」を娘言素と呼びます。 親言素、娘言素は私が作ったので、辞書にはないでしょう。 今書いた通り、横訛りする前が親言素、横訛り後が娘言素だ。 親言語と娘言語は意味が同じだから、 入れ替えても、だいたい意味が通じる。 「あなたは正直ね」「あなたね、正直は」 「あなたや正直や」 「あなたね正直ね」 「あなたさ正直さ」? 組み合わせがたくさんあるので、 一般的でないのもあるが、だいたいありそうだ。 ×親言語と娘言語は意味が同じだから、 ○親言素と娘言素は意味が同じだから、 >>420 >これも「が」「は」のどっちでも良いね。 >なんで「は」にしたか、話者に聞かないと、分からんね。 >「は」でも「が」でも、いずれでも良いが、動詞が違う。 >>430 >「は」と「が」では違う動詞になっている。 >だから意味も違うし、読んだ感じも違う。 >あたり前だけど。 >>420 「どっちでも良い」「いずれでも良い」 >>430 「意味が違う」「読んだ感じも違う」 ほら矛盾している。形が違えば「意味」は必ず違うよ。 「意味」が違えば「どちらでも良い」ということにはならない。 >>436 意味が通じるからどちらでも良い。 でも動詞が違うから、文が違うだろ。 そういう趣旨で書いたけどねw 「意味が通じる」と「意味が同じ」は全く別だ 動詞が違えば当然意味も違う 言語学も文法学も そんな鈍感な人間の物言いで成り立つ文法なんて通らない 質問ではないのだが。ここである例文があるとする。 「△△船を建造している〇〇会社の横浜造船所を取材した」 この例文だと、以下の2通りに読むことができ意味が違ってくる。 A:「△△船を建造している」が「〇〇会社の横浜造船所」にかかる。 B:「△△船を建造している〇〇会社の」が「横浜造船所」にかかる。 Aだと△△船を建造している所は、必ず横浜造船所になる。 Bだと△△船を建造している所は、〇〇会社の別の造船所である可能性も ある。 この辺り、日本語だと言葉の修飾関係がわかりにくく意味が曖昧になる。 英語で以下のように書いても関係副詞節がどこにかかっているのかわかりに くい。 I covered the Yokohama shipyard of the 〇〇 company where they were building the △△ ship. 実は△△船を建造しているのは、横浜造船所でなくて別の造船所なのだが、 この場合、以下のように読点を打てば良いのか。 「△△船を建造している〇〇会社の、横浜造船所を取材した」 朝鮮大好き日本嫌いの滝浦真人(放送大学 法政大学)によるお友達審査 お友達から博士号もらったひとが お友達に博士号をとらせるために学位授与の工作でもしてるのか? 学位授与を暗黙の了解とした審査に何の意味があるんですかね 椎名 美智(しいな みち) 研究テーマ 近代英語期口語表現の歴史語用論的研究 (ずっと歴史語用論とかいう分野で英語の口頭表現のコーパス研究やってきたひと) http://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000020153405/ 法政大学国際日本学基幹科目 国際日本学演習 T・U 椎名 美智 日本語の性格T・U 滝浦 真人 http://www.hosei.ac.jp/gs/kenkyuka/jinbun/nihongaku/kamoku_kyoin.html 博士論文口頭試問 研究題目 「させていただく」という問題系―歴史社会語用論的調査と考察― 日時 : 2019年1月27日(日) 場所 : 放送大学本部(千葉県千葉市美浜区若葉2-11) >>434 の続き ドイツ語は語順が比較的自由だ、例えば… Ich gehe heute nach Haus. ich=私は、gehe=行く、heute=今日、nach=…へ、Haus=家 日本語訳は「私は今日家に帰ります」 語順を変えて Nach Haus gehe ich heute. 家に帰る、今日、私は。 あるいは、もっと変えられて Heute gehe ich nach Haus. 今日、私は家に帰ります。 もう一つ、他スレでも書いたが Hans trinkt heute Rotwein. ハンスは飲む、今日、赤ワインを。 Hans=ハンス、trinkt=三人称の飲む、heute=今日、Rotwein=赤ワイン Heute trinkt Hans Rotwein. 今日、ハンスは飲む、赤ワインを。 Rotwein trinkt Hans heute, 赤ワインをハンスは飲む、今日。 こういう風に動詞を二番目に置くだけで、語順は自由とのこと。 V2語順だそうだ、これも倒置なんだろうね。 >>454 の続き これが日本語にもあるのではないか、例えば… 松尾芭蕉「行く春や 鳥蹄(な)き魚の 目は泪」 意味は「春が行って、鳥が鳴き、魚の目に涙がある」 この文頭の「行く春や」は「春行くや」でも意味は通じる。 直訳はそれぞれ「行く春あり」「春行くあり」だが、 さらに娘言素を使い 「行く春や」、「春行くや」 「行く春よ」、「春行くよ」 「行く春さ」、「春行くさ」 これでも良さそうだ。 もう一つ 「昔むかしある所に、おじいさんとおばあさん ありけり」 「昔むかし所あるに、おじいさんとおばあさん ありけり」 「昔むかしある所に」と「昔むかし所あるに」は同じに読めそうだ。 作業仮説だが、つまり日本語でもドイツ語と同じに 「体言+動詞」でも「動詞+体言」でも意味が通じる。 ザックリと、SVでもVSでも、なんとかなる気がする。 要するに動詞は、名詞の前でも後でも、どこでも良い。 逆に言うと名詞は、動詞の前でも後でも、どこでも良いんだよ。 ただこういう風に、動詞と名詞を入れ替えが出来る場合は、限られていて 動詞が横訛りしていない親言素の場合だけのようだ。 親から娘言素になってしまうと、 名詞と動詞の入れ替えが出来なくなる、のではないか。 つまり娘言素の場合は後ろに付くしかなくなる…作用仮説w >>455 の続き (逆接)あいにくの台風です「が」、水泳大会を開催します。 (接続)サッカーがありました「が」、日本は勝ちました。 「が」の役割を「逆接、接続」に分けている。 しかしこれでは分け過ぎだ。 もっと単純に「が=持つ」の基本に返って解釈すべきだ。 どちらも同じ「が=持つ」の意味しかない。 ・あいにくの台風ですが、水泳大会を開催します。 この日本語直訳は (あいにくの台風です) 「持つ=が」 (水泳大会を開催します)。 詳しく説明すると (あいにくの台風です)という天候クンは、持っています。 それで、天候クンが何を持っているかというと、 (水泳大会を開催します)を持っている。 でも常識的に(あいにくの台風)だったら(水泳大会は中止だ)となる。 でも文章では(水泳大会を開催します)と続くから、 これで、逆接の「が」と思い込んでしまった。 >>456 の続き 一方で ・サッカーがありました「が」、日本は勝ちました。 この日本語訳は (サッカーがありました) 「持つ=が」 (日本は勝ちました)。 詳しく説明すると (サッカーがありました)君は、持っています。 それで、何を持っているかというと、 (日本は勝ちました)を持っている。 これだと文意に齟齬がないので、接続の「が」と錯覚した。 説明もそういう間違った説明になる。 でも、二つの例は、同じだ。 もし文章が次の場合だったら ・ブラジルとサッカーがありました「が」、日本は勝ちました。 この「が」は逆接か、接続か、難しくなるよ。 ブラジルはサッカーが強く、日本はブラジルより弱い。 なのに(日本は勝ちました)となると、 ここの「が」は逆接かもしれない。 でも本来の「が=持つ」だから、どちらの解釈も同じだ。 因みに ・サッカーがありました =サッカー 持つ ありました =サッカーは(ありました)を持っている。 >>457 の続き 三上章「象は鼻が長い」P255 >中国語にはコプラ専用の「是」があるし、 >日本語も「は」がコプラの役割の一部分を >受け持っていると見られる。 三上章は、 ・「は」がコプラの役割の一部分を受け持っている ・と見られる。 コプラはcopulaのことだろう。 三上章は、「は」は 「copulaの役割の一部を持っている」 +「と見られる」 と思っていた、うすうす感じていた、のは間違いない。 ただはっきり「は=あり」の動詞とは思っていない。 一応{copulaの役割の一部を持っていると見られる} と思っていた。 さらに「が=持つ」の動詞とは思っていなかった。 まあ、そんなこんなで、 「象は鼻が長い」という難解な本が出来たのであろう。 三上章の本で、 {外国の日本語研究者は「は」はcopulaだと言っている}と もっとはっきり書いていたのがあったんだけど、わからないな。 質問です。『新たな未知』という表現はおかしいのでしょうか? 実は今日学校の生徒会で行事のテーマ決めを行いました。そこである先生に、「あなた達の『新たな未知に向かって挑め』というフレーズの『新たな未知』という表現はおかしいじゃないの?」という指摘を受けました。 そこで一旦持ち帰り、複数の先生方といろいろと考えて見ましたが「おかしい」という考えもあれば、「問題ない」という意見あり、また『新たな』という言葉を変えて見ればという意見もありましたが、結局結論には至りませんでした。 そこで皆さん意見も取り入れて再度考え直したいと思っています。また、『新たな』に変わるフレーズもありましたらおしえて下さい。 問題のテーマはこういう感じです↓ 【新たな道に向かって踏み出せ 新たな未知に向かって挑め!】 皆さんのご意見お待ちしております。 ※乱文及び長文すいません・・・ >>466 1 「昔むかし ある所に おじいさんとおばあさん ありけり」 2 「昔むかし 所あるに おじいさんとおばあさん ありけり」 3 「昔むかし 所あるに ありけり おじいさん 山に柴刈りにゆきたり」 4 「昔むかし 所あるに ありける おじいさん 山に柴刈りにゆきたり」 5 「昔むかし 所あるに をりける おじいさん 山に柴刈りにゆきたり」 6 「昔むかし 所あるに をりけり おじいさん 山に柴刈りにゆきたり」 7 「昔むかし 所あるに をりける おじいさん ゆきたり 山に柴刈りに」 8 「昔むかし とある所に をりける おじいさん ゆきたり 山に柴刈りに」 9 「昔むかし 所とあるに をりける おじいさん ゆきたり 山に柴刈りに」 10 「昔むかし 所とあるに をりける おじいさん ゆきたる 山の柴刈りや」 3、6は間違いだな。 倒置と見れば大丈夫かもしれない。 気分的には4、5より3、6だけど。 7、8だと文句は出ない。 情景的には、どれもおなじだ…倒置だね。 9の「所とあるに」はあって良さそうだ。 あるかもしれないが、余り知らない。 味と言うならば、味だよな、1-10全部。 >>471 ググってみたら、 あったからありがとう >>467 未知は 「全然知らない、あると思った事すらない」という意味でも使うし 「うっすら知っているが自分にとってはよくわからん」という意味でも使う 前者のモノが新しく増えるのはおかしいが 後者のモノが新しく増えるのはよくある事。 挑戦する相手になるのは後者だな。存在さえ知らないものには、挑む事も出来ない。 ちなみに後者の意味は多分辞書に載ってないが、辞書の不備なので気にするな。 日本の辞書なんて定義の解説もガバガバだし、用法用例も手薄で全然足りてない。 どいつもこいつも大した出来じゃないよ。 >>475 >>476 有難うございます!参考にさせてもらいます。 >>467 > 問題のテーマはこういう感じです↓ > 【新たな道に向かって踏み出せ 新たな未知に向かって挑め!】 「新たな」と「未知」が意味的にかぶっている気がするし 「新たな」が二つ重なっているのもどうかと思う。 シンプルに「未知なる道に向かって踏み出せ!」でいいんじゃない。 >>478 確かにその方法もありますね!有り難うございます!参考にさせてもらいます。 >>478 未知と道でライミングしたいんだろうし 新たな道に向かって踏み出せ ○○○○未知に向かって挑め で何かひねる方向性もあるね >>483 そうです!その通りです!!! その○○○○に当てはまる言葉があったらいいんですが・・・ >>485 昔はテレビとか、 平成何年とかよく言ってたな >>484 まだ見ぬ とかどうかな まあ、科学の世界では知っている世界が広がるほど未知の世界も広がると言われているから 未知の領域とは新たに出てくるもの、という事で 新たな未知でもいいとは思うけど なるほど!そのような考え方があったとは気がつきませんでした。 ありがとうございます!! そして、イラストまでありがとうございます〜! <[ー&ー]> >>476 例えば「未知なる宇宙」というセリフは宇宙を知らない人間には絶対言えない 英語のunknownを英英辞書とかでひくと「知らない」と「よく分からない」の両方の意味が載っている場合が多い。 未知も同じ意味なんだが日本の辞書で「未知=よく分からない」を載せているものは少ない。 >>490 これ何年か後に国語学者やマナー講師が 「未知の宇宙という言葉は間違いです。だって『未知の宇宙』と言ってる人は宇宙がある事を知ってるでしょう?未知じゃありませんよね」 とか言い出すやつだ 早く「未知=よくわからない」を辞書に載せて! 手遅れにならないうちにはやく! >とか言い出すやつだ 言わないでしょ 『未知の宇宙』と『既知の宇宙』があるってだけじゃん 時間を呼ぶ際に 24時制って昔は 少なかったよね? >>491 ネタバレ ・よくある「本当は間違っている使うと社会人として恥ずかしい日本語」的なタイトルの本に載っている誤用説の六割―七割はコレ ・一流大学、旧帝大の文学部教授クラスが書いた本でもコレ ・なんJやVIPで毎年スレが立つ文化庁の「国語に関する世論調査」のネタも三回に一回ぐらいコレ ・敷居が高くなるのは不義理だけ説、爆笑一人じゃ出来ない説、汚名挽回誤用説(←すべて爆死済み)なども全部コレ >>492 日本語が一般人より下手な国語学者やマナー講師がそんな細かい事を考えるわけないだろ なんjの国語に関する世論調査スレなんてもう漏れなく馬鹿しか釣れてない感じになってるな とにかく、 時間の呼び方 デジタル化して24時制 多いよな? >>504 24時制がデジタルというのがようわからんのやけど 24時制やと時間がデジタルになるん? >>491 >>497 誤用説の変なところにツッコミ入れる人も昔からたくさんいるからな >>491 その前に「知る」と「わかる」の違いを確かめたら? あと「地球は丸い」のナンセンスぶりに比べたら大したことはない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる