日本語の規範文法について質問するスレ
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このスレでは日本語(国語)の規範文法に関する質問を受け付けてマース >>518
こういうの見るとつくづくここってキチガイの遊び場だと痛感する
不特定多数の他人に向けて発信しといて何も伝えていない 遊び場て
自分にしか理解できん(もしかしたら自分にも理解できん)誰も読まんもん書いて面白いんか? ぐぐってないけどどうせホモビデオの型番か何かだろう
>>521
お前が言うな 時間帯呼ぶのが、
24時制の歴史って
軍用の時代までさかのぼる >>535
他レスの誰と同一視してるのか調べる気にもならないがトンチンカンすぎるw
ほんと専門板って糖質ガイジばっかだな >>536
ある社会学者が、急に重い鬱病を発症してから偉大な仕事をした理由 >>509はなんの人違いでもなく普通に悔しそうだが?
何しろ反論にもなにもなってないからなw >>538
何をどう反論しろと?
そもそも議論なんてどこでやってるんだ?
安価で流れも示せない
おまけに感情透視までしてるし、キチガイのダブル役満だなこいつ ナナイは、ツングース系の民族。分布は主にアムール川(黒竜江)流域で、ロシア国内に約1万人で、中国国内にも居住している。2004年人口調査時の中国国内人口は約4640人。中国国内のナナイはホジェン族と呼び、55の少数民族の一つとして認定されている。
ロシアに住んでいるナナイは、一部がロシア人との混血が進んでいる。
http://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/english/1552040728
【朗報】
「電子マネーをチャージ(charge=入金)は意味不明な和製英語でネイティブには通じない」
という俗説を忘れたくない人々がとうとうEnglish板に殴り込み
→「辞書に載ってるよ」の言葉に何事も無く爆発四散
. 中国のエヴェンキ族出身の朝克という言語学者は肌が白くて髪の毛が茶色がかっていたな 質問です。
「這いずってでも泥臭くてでも前へ進め」
↑日本語あってますか?
「泥臭くてでも」全然聞きませんよね?ググってもこのようなのは見受けられません。
でも「這いずってでも泥臭くても前へ進め」これだとなんかおかしいですよね。
宜しくお願いします。 >>557
「這いずって」の段階で「も」ではなく「でも」を使っているのは、
「泥臭くて」に「も」ではなく「でも」を使っていることとパラレルではありませんか?
なぜそれにもかかわらずあならは「泥臭くても」と「泥臭くてでも」の違いだけを問題視しているのですか?
これをヒントに疑問の持ち方を変えてみてください 「寒くてでも」とか「形容詞のテ形+でも」という言い方はしないからね。
無理に並列形にしないで「泥臭く這いずってでも前へ進め」と言うか
並列形にこだわるなら「這いずってでも泥臭くなって(泥にまみれて)
でも前へ進め」と言えばいいのでは。 津軽海峡冬景色の歌詞について質問
♪〜北へ帰る人の群れは誰も無口で 海鳴りだけを聞いている
って歌詞があるんだけど、ここでの「誰も無口」って表現が引っかかる
「誰も口を開かない」とか、「誰もが無口で」とか、「皆が無口で」ならまあわかるんだけども
全然無口だと変だけど、全然喋らないなら違和感ないって感覚
これ日本語的にただしいんでしょうか? 「誰も」の後には「〜ない」とやるのがしっくり来るのだけど、歌詞だからメロディーとの兼ね合いで字数制限もあるだろうし
「誰も」「〜する」と肯定表現を続けることもよく聞く
言葉の規範感覚は人によって随分違うから 無口って否定表現だろ
しかも今さら昭和歌謡で規範意識って 無口って否定表現だろ、と言うのは規範意識からの書き込みだね >>564
歌詞でも「誰も饒舌で」だったらもっと変だよね。
意味的には「誰も口を開かない/喋らない」だから
「誰もが」じゃなくてもまあいけるんだろう。 次に否定形がくることを前提とした「も」なのに、無口であるっていう肯定文で否定的な内容がくるのって日本語としてどうなんだろう?
「全然楽観的じゃない」はいいけど、「全然悲観的である」は違和感
無不非なんかがついてはっきり否定的な単語の場合はこう
「全然平凡じゃない」はいいけど、「全然非凡である」は、んーやっぱ変だなあ それは先入観じゃないかな?
「全然悲観的である」も「全然非凡である」も特に違和感は感じないけど > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 最近漫画のドラゴンボールを読んでるんですが「やつらども」という表現がやたら出てきます(「地球人のやつらどもを皆殺しだ」とか)
この複数形に複数形を重ねた表現は日本語としておかしくないでしょうか? 「ども」は複数の意味ではなく侮蔑の意味合いで付け加えているのだろう
目くじらをたてるほどでもない 確かに九州っぽいと思うだろうが、ドラマで乃木坂のやつが言ってた 由来をたどればどこかの方言かもしれないが
「ます」が衰退して「です」を使った構文に置き換わる変化は全国的に起きてるだろ ません の否定が強いとして ないです。が使われるようになってきたけんのう。 それは間違い、話が逆
形容詞(ーイ)+です という形が昭和中期から増えてきたせい
文体的には丁寧口調が続くから統一感があるものの、
そもそも体言でないものにデスを付けるのはつじつまが合わなかった
それ以前はどうしていたかというと、形容詞の言い切りは丁寧体がなく、そのままでよかった
特に丁寧にする時は「ーうございます」と言っていたが、形容詞のウ音便形自体が関東では東京だけの習慣で、
この「山の手」的な口調は広域的な新興の首都圏方言には引き継がれなかった
形容詞語尾+です が容認された結果、形容詞の終止形だけでなく、同形語尾の助動詞「たい」、補助動詞「やすい/にくい」など
様々な形容詞型活用+です も容認され、ついに打消し「ない」+です も昭和末期には使われるようになっていた
もともと簡略的な 動詞「っす」「す」 という丁寧体があり、関東以北の東日本方言や、
東京の年の近い者同士の部活やバイトの敬語として使われていたのが、
一律に「っす→です」という機械的な置き換え(体言だけでなく形容詞語尾もデスに変換)をする事によってナイデスが生まれた
打消し「ない」+です ばかりを常用するようになった結果、元からあった「ません」の頻度が下がり、
「マセンは拒否の感情を強めたもの」という再解釈が「ないです」「ません」を使い分ける層の間で起こったのだ
だが「ないです」を常用する者は、自分で思っているよりぜんぜん「ません」を使えていない 口をついて出ることが全く無い でございます → でごいす → でげす → でぇす → です
こういった感じでできた言葉だろうからな
「です」などというのは江戸の粋筋、幇間、遊女あたりが使ってたような感じがする よいでございます、おもしろいでございますとは言えなかった DQN丁寧語で 行くっす、するっす って言う層がある >>581
丁寧体がなくてそのままでよかったってのは文献に残ってるのかい?
昔の人は目上に向かって「この本面白いですよ」ってのを「この本面白いよ」って言ってたのか おもしろい、という言いきりの形のあとに付ける言葉がなかった
面白うございますならあったが、その後首都圏ではこの言い方も影をひそめ、面白いです一辺倒になった、と書いているようだが >>591
高島俊男の『お言葉ですが…』シリーズのどれかには書いてあるよ
最初の数冊のうちの一つだったと思う
「よ」は付けないんだ ここで聞いてもいいかどうか迷うけど
「昨日に見たドラマが…」とか
時々聞いたり読んだりする
自分ではかなりの違和感あるけど
これって普通なの? 何でこんなに可愛いのかよ。 と言う言葉は普通に使われるのでしょうか? >>583
順番に変化したんじゃなくて
一つの基本に対して、地方や社会階層によって略し方が違う感じだと思うがw せやろなぁ
今もDQN丁寧語で するっす。とか言う層があるし >>579
「形容詞イ語尾+です」は避けられてきたとはいえ、口語では観察されていたのではないかと思う 以下は戦後期の例
> 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。
戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、
生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、
勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、
決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。 坂口安吾『不良少年とキリスト』青空文庫から
>>596
時間名詞句を副詞的に使うときは、助詞などを付けないのが一般的なルールだが、「に」を付ける人はたまにいるね
仮説を2つ立ててみた
1)朝鮮語の-eをなぞった(言語接触で説明する説)
2)「1万円からお預かりします」の「から」のように、すべての文節に助詞が付かないと正しくないのではないかと思い込み
要らない助詞をわざわざ付ける人が出始めた(文法体系の再解釈による内的変化の説)
「三日目に」などのように付けても可、または付けたほうが良い、という例もあるが、その辺も慣例と違う人がいる >>598
いいや、昔は「です」などという言葉はなかったが、花柳界の女だけが使うという描写の映画は観た
江戸の遺風を知る映画人が強調したかった事だろう >>601
反論してるように見えない
「いいや」と前置きして同意してる感じ 江戸時代の由来はこの際関係ないだろ
明治の後半から大正期にかけて口語体の文章語が成立し、安定して以後の変化が問題なんだから >>598 >>599
陸に上がった両生類が恐竜に進化してから人間の祖先の哺乳類になった、と言われた様な違和感があるよな 江戸時代関係ないけどこの際言いたいうんちく書いて
朝鮮資料やキリシタン資料などで辿れるの?
「ます」なら まゐらする>まらする>まっする>まする>ます
と変化していて、たとえばマラスルは朝鮮資料で残っている 受けしめん
てのが否定じゃなく受けしめるって言い回しの場合国語的にはなんていう言葉なんですか?
推量の受動詞と聞いたんですが、受けしめんだと、うけしむ、になるんですか? >>609
言ってることが支離滅裂です
考えてる途中のことを断片的に書くのではなく、
前後の引用とできれば出典も書いてください >>610
レスありがとうございます
「幸福を受けしめん」
という文が否定じゃなくて幸福を受けるといった場合の文章だと受けしめんって単語は「受けしめる」になりますか? そもそも「受けしむ」が単独の動詞じゃないので
下二段活用「受く」(現代語の「受ける」)に使役の助動詞「しむ」が未然形接続した形で
現代語訳するとここの部分は「受けさせる」になる >>612と別人だけどそこまでは同じ見解なので続ける
>「幸福を受けしめん」
これだけじゃまだ不足だが、近代の宗教的または文学的な文語表現だと見当をつけてみる
使役の助動詞「しむ」(マ行下二段活用)の未然形「しめ」に助動詞「む(ん)」が付いているが、
用法は推量「〜だろう」か意志「(私が)〜しよう」か勧誘「(私達が一緒に)〜しよう」、
あるいは適当「〜するのがよい」だと思われる
「受けしむ(うけさせる)」の主語「誰が」がわかればもっとはっきり絞ることができる
実はこの判別は動詞の主語(動作主)の「人称」という概念で容易になる
主語が1人称単数なら意志「(私が)受けさせよう」、
主語が1人称複数なら勧誘「(私達が一緒に)受けさせよう」、
主語が2,3人称なら推量「受けさせるのだろう」、または適当「受けさせるのがよい」という意味になる
「受けしめん」の後に体言が来て連体修飾しているわけでもなく、助詞が来て準体言になっているわけでもないのなら、
「む(ん)」の他の用法である婉曲、仮定は可能性がない 受け+しめ+ん
動詞+使役(〜させる)+意思(〜しよう) ぐぐったら北一輝の文章らしいな
ただし「ん」は付いていない >>611です
皆様レスありがとうございます
出典は仏教、浄土真宗の讃仏偈
永遠(くわ)のたのしみ うけしめん
です
http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/sandan.html
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