英語できなければバカにされる風潮おかしいよね
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どう考えても英語モノリンガルのアメリカンのほうがバカ アメリカでだって学校の勉強が出来なければバカにされるだろ 漢字をどれだけ知っているか、漢語が読めるかどうかが
かつての日本では教育度・教養度の指標とされたように
現在ではそれが英語になったんだと思う。 >>3
今でも漢字を知らないのは英語を知らないよりもっと恥ずかしい
必須教養でなくなったのは漢文の読み書き 日本はまだまだ英語ができる人が少ない
だからスレタイのような風潮はまったく無い
無さすぎるのが問題
危機感がないからどれだけ勉強したらいいのかについて誰もイメージが持てず
ぬる〜い授業と教材で何かやったような気になっている
あんなもんじゃだめだ
「中学高校と6年間も英語を習ってひと言も話せない」という批判は何もわかっていない
質も問題あるが、量が足りないんだよ
あとそもそも教材を与えられているのになんでみんな「文字を見ずに話す」という練習をしないの?
それで「言葉」を習っているつもりになって一度も疑問に思わなかった?
なぜ会話文が載っているのにそれを暗記して友達と英語で会話できるようになるまで練習しなかったの? でも日本人は英語が割とできても日本人しかいない中では英語使わないから
案外周囲の人間のレベルが推し量れないよね
インド人が他地方のインド人と会話するために英語が必要なのとは根本的に違うよなあ 大学に入って何かを研究しようと思うとまず読むのは洋書だからな
その基本である英語が出来ない奴がドイツ語やフランス語やラテン語が出来るわけがない いや、英語に嫌気が差して学習が中断しているような時、
他の外国語の学習がはかどって、それをきっかけに英語もできるようになるというのはよくある
文法用語への理解も深まる
とにかく何が何でも英語がすべての外国語の基礎みたいに考えるのは間違い
英語以外を勉強するのは気晴らしになっていいし、英語だけだと見えなかったものが見えてくる
英文法で同じ「動詞の-ing形」を「現在分詞」と呼んだり「動名詞」と呼んだりするのは何故だ?
理屈で違いを知るのもいいが、ラテン語を知ればあらビックリ、両者と似た名前のものはあるが
まったく形が違うのだ
つまりラテン語で違う形のものに違う名前を与えているのを、無理やり英語に当てはめて
同じ形の-ing形を用法によって2つの別の名前で呼んでいるのだ 英語はゲルマン系の固有語とギリシャ、ラテン系の借用語とを併用してるから、全ての西欧語の基礎にはなるが
さすがに中国語や朝鮮語やアラビア語の基礎にはならん 英語の場合は「ing形には名詞用法と形容詞用法がある」くらいに思っておいた方が
わかりやすいよね >>11
中国や韓国から学ぶものなんて何かあるか?
そんなの古代中世の仏教がどうこう、近世の儒教がどうこういってた時代だろ
グローバル化の中心はやはり欧米だよ 様々なローカルの価値を尊重・共有していくのが「グローバル化」の旨とするところであって
一方の文化に席巻されるなんてのは弊害のほうじゃないのかね 英語の語順を知ってるおかげで偽の中国語が書けて、通じる >>11
文法を中心に見ると違う
名詞句における性・数・格の一致(名詞と形容詞と、あるいは動詞の分詞との一致)
があってこそ印欧語の「らしさ」がわかるというもの
その点英語はほとんど衰退し単純化しているので「基礎」とは呼べない
現役の大言語ではロシア語がそのあたりをよく保っているが、我々にはラテン語が基礎にふさわしい
他言語の借用語が多いのは語彙の習得には便利だが、綴りを不規則にしやすい
>>13
その言語観には欧米人も呆れて軽蔑する >>15
逆もまた然り
日本人に漢文の知識があったことは西洋語を学ぶ一助になったことであろう 英語はむしろ中国語に似ている。
から、中国語を学ぶと英語の基礎になるし、英語を学ぶと中国語の基礎になるw 英語よりもエスペラントのほうが印欧語の基礎になる。
エスペラントには複数と対格の曲用がまだ残っているから。 SVOだけじゃなく名詞への修飾語の構造まで学べば、中国語が英語に似ているなんて言わなくなる
我昨天在市場里買的魚很好吃。
私が昨日市場で買った魚は美味しい。
The fish that I bought at the market yesterday tastes good.
ほら語順だって日本語に似ている。 英語は後置修飾から前置修飾に徐々に傾いてきているんじゃないかなあ?
そのうちに中国語みたに前置修飾になるかもしれないよw 「昨日市場で買った魚は美味しい。」
が日本語の通常の語順じゃないかなあ?
日常会話では日本語だって
「魚、昨日市場で買ったの、美味しいよね」
って言い方はよくする。 動詞が文末に来るケースとして中国語、ドイツ語、
ペルシャ語もそうだよね?
もしかして他言語の影響? >>14
それはマイノリティや多様性を尊重しようっていう新左翼的考え方。
帝国主義を肯定するのが保守主義や右翼の考え方。 >>21
何がおかしいんだろう、気持ちの悪い草だな
英語では属格名詞の被修飾名詞に対する前置のほうが古くて、
前置詞ofによる後置のほうが新しい
>>22
1-2行目は何が言いたいんだろう
とりあえず英語と中国語がお互いに特に似ているとは言い切れないよね
また付け足し文をアリとするなら他のどの言語ももっと自由な語順だ 属格の名詞の前置がofの後置に置き換わっていった時代もあったけど
現代の英語は原形の名詞を前置する修飾が主流じゃないの? 何を言うかと思ったら
原形名詞の前置は名詞を臨時に形容詞的に使う用法であって、
’sやofが歴史的に交代した「所有」の機能じゃないだろ
しかも肝心の形容詞は名詞を後置修飾することがよくあり、
非規範的な俗っぽい言い方になると特に後置が増える
これは準形容詞的な現在分詞・過去分詞の形容詞用法でも同じで、
後に前置詞句の修飾語が付くと特に必須だが、単独でもよく見かける 「所有」の機能なんてofが運用されている間に有名無実になってるし
所有用法でさえ'sやofを原形が奪いつつあるのが今の英語だろ
所有非所有の関係が意識に上がってる間は流石に原形前置にはならないが
熟語として熟した瞬間に'sやofが消えて原形の前置に移行するのが現代英語
これが19世紀くらいまでは、熟語になっても'sやofは残ってた でも原形前置は形容詞的用法しかないよね
属格の中心はあくまで所有だよ >>23
ドイツ語は動詞が文末にくるというけど基本的には疑問文以外では定動詞第二位という原則があって法助動詞や完了形や受動態のときは定動詞は必ず語順で言えば二番目にくるので枠構造という考え方しないといけません
ペルシア語のことはよくわかりませんが、日本語や朝鮮語のように動詞が文末にくるというのとはちょっと意味合いが異なります ドイツ語はV2を維持するための助動詞と文末の過去分詞その他で動詞が分裂しているね
二番目に来るのが形式を作るための動詞、文末に来るのは意味の中心となる要素
意味と形式の分裂というのがOV型言語との違いでもあるが、
ドイツ語が深層構造ではSOV型だというのは生成文法の初期から言われていたし、
なぜか今でも支持する人がいるようだ スレタイを見て思った。
「英語はドイツ語フランス語スペイン語より難しい」と聞いたことあるがどうなの?
スペイン語を大学で学んでた人の話では動詞や性を乗り越えればむしろ英語より簡単と言ってた。
英語は例外やこの時はこうするみたいなものが多いがスペイン語は例外は少ないと言ってたが。 >>37
解剖学者の養老孟司さんもドイツ語の例を挙げて同様のことをおっしゃっていた
という記憶が私にあります。
文法的性がやっかいだが、覚える必要がある語彙自体はドイツ語のほうが少ないとかなんとか。 上田博人先生のホームページに掲載されていたテキストによれば、
スペイン語学習でもっとも難しいのが動詞の語形変化を覚えることなんだとか。
ttps://lecture.ecc.u-tokyo.ac.jp/~cueda/gakusyu/kyozai/katuyo.pdf >>25
「昨日市場で買った魚」の「昨日市場で買った」の部分が属格名詞だとおっしゃりたい?
あと、英語の中国語化説や中国語のアルタイ語化説はトンデモだということ? >>25
> また付け足し文をアリとするなら他のどの言語ももっと自由な語順だ
そうかねえ?
語順が比較的自由になる格変化標識をもった言語では特にそうじゃないの?
そもそも付け足しと修飾の本質的な違いはなに? >>41
まず、>>20の
>私が昨日市場で買った魚は美味しい。
は「日本語の通常の語順」の例として挙げたつもりなのだが、
それに対してほとんどそのまんま>>22で
>「昨日市場で買った魚は美味しい。」
>が日本語の通常の語順じゃないかなあ?
というのは何を意図したレスなのか意味不明なんだよ
それを解明してから次の話に行きたい >>15
>英語の語順を知ってるおかげで偽の中国語が書けて、通じる
↑
出た、英語バカ日本人の発言。
「偽の中国語」って、日本語の人称や和製漢語、新字体を濫用した漢文もどきのことでしょ?
支那人に通じるわけない。本当に無知だね。
日本語と英語しか知らんからそういう頭悪そうな発言をするのよね。 横からだが、人称代名詞を人称とだけ呼ぶやつはバカだと思う
なんでこの板にいるのかわからんレベル 和習漢文のことだろ
それでもかなりの意志疎通はできたし昔はそれで筆談してた
今では日本人も中国人も漢文の読み書きが一般常識ではなくなってしまったからもう無理 >>41
>>20の時点では「英語、中国語、日本語の語順」を話題としていた
それに対する>>21の「英語は前置修飾になっていく」、
更にそれに対する反例として>>25の「名詞属格の前置修飾よりofによる後置修飾のほうが新しい」
につながっている
すなわち関係構文(関係詞、関係節など)は20の時点では「名詞に前置される修飾語」であればよく、
属格名詞の例である必要は全く無く、そんなつもりで書いたものでもない
レス番見て前後関係確認しろやボケ
「英語の中国語化説」はピジンのことでも言ってるのか?少数のLong time no seeなどはもしかしたら
影響あるのかも知れないが(以下重要)全面的に中国語が英語に影響を及ぼしたという事実も
それを思わせる状況も存在していない(以上重要)
「中国語のアルタイ化説」についてだが、巨視的には「ある」だろうが、数千年かけても達成できていないものを
定説のように言われても説得力がない 中国語はずっと、北のアルタイ的言語と
南のオーストロネシア語・オーストロアジア語・タイ・カダイ語に挟まれて中間的な位置付けを保ってきたことは確かだろう >>45
我不能理解中国語
で
通じるよ。経験が無いのに言うわけない。
〜的とか他是とか知ってる言葉は入れる >>49
たしかにそれは通じるね。
もしあなたが中国語がなんでも英語の語順になると考えているのなら、それは中国語を甘く見すぎですよと言いたかったけど。
ただし「中国語」という単語は大陸では「漢語」、台湾では「華語」といったほうがいい。
あと「能」は文語的で、口語では「会」が自然かと。
中国語話者と交流するのであれば、>>47の言うような筆談よりも中国語会話能力をつけるべき。
英語だけで中国語圏で生活するのは厳しいよ。香港とシンガポールは別かもしらんが。
元植民地でない地域の人は英語なんか必要ないからね。 >>50
さすがにそんな甘く通じるとは思ってないし、殆ど中国語知らないけどまぁ最低限通じるそれっぽいのが書けるってだけのことだから。
もちろん読み方は分からないしね >>43
「昨日、私は市場で魚を買いました」と言ったほうが
より自然な日本語の語順ではないかということです。
中国語は原則としてSVOですが、確かに中国語にも日本語の助詞「は」
のような機能を語順で表すこともでき、Oを主題にしたい場合はSOV
というふうにVO原則が破られることもあるわけですが・・・ 「格変化を失った英語はむしろ中国語に似ている面がある」と
書けばよかったのかな。
これくらいの暗黙の意味は言語学板なら伝わると期待してしまった。
揚げ足取りをされた気がする。 >>52 ますます意味不明。関係節と被修飾名詞の語順の話なのに、なぜ
その原型の主述構文「のほうがより自然」なんていう話になるんだ?
「私が市場で買った魚」は日本語として不自然なありえない形なのか?
あと中国語においてOを「主題」(について言うと、これを)にする時はOSVにするのが原則
SOVのうち把構文は主題化ではなく、既知の名詞句を再度取り上げて目的語として明示するもので、
動機はいろいろ(動詞本体に補語が付いて長くなったのと切り離す、目的語を強調する、など)
「把」を付けないSOVは、他のOとの対比(パンは食べるけどご飯は食べない、の類)であり「主題」ではない
>>53 いやそんなのとっくに知ってるよ
でも「格変化の喪失=中国語・SVO」という単純イメージではいかないことは、
中国語の母胎シナ・チベット語族全般に格の現象とSOV語順があることでまず暗示されるし、
中国語も代名詞「吾/我」「汝/爾」などに格形態の名残りがあると言われていること、
漢文にだって「O之V/O是V」、中国語にも「OSV/S把OV」などのOV構文があること、
なども踏まえない、ましてや日本語とそっくりの語順の中国語の関係節について何も踏まえない・言及しない
そんな漢文で返り点習っただけではしゃいでる「英語と中国語の類似」という
耳タコの俗説にはいいかげん飽き飽きしてるんだよ
おっさんの酒飲み話もたいがいにしろと >>55
要するに、「昨日私が市場で買った魚」というほうがより自然じゃないかということ。
「私が」が最も伝えたいことならば、私がが先頭に来ることはあるだろうが、
そうでもなければね。 >>55
SOVという特別な構文があることはドイツ語だってそうでしょ。
印欧諸語の中で古いペルシア語だってSOVだよ。 話題がスレタイから逸れているようですが、
>>20の例文の正しい語順は
「昨天我在市場裡買的魚很好吃」ですよ。
中国語では時を表す副詞は必ず主語の前に置かれる。
英語であれば時を表す副詞は文頭か文末に置かれる。
英語が中国語に似ているなどという人はにわかさん。 ちなみに文語では長ったらしい修飾を避けて、
「昨日吾於市買魚。其甘。」
と文章を分けるのが一般的。 >>56
だったら最初からそう言えばいいし、「私が」を外した意味はどこにもないだろう
>>57
お前の指摘は文脈上トンチンカンでしかない
ドイツ語にとってSOVは、主節ではなく従属節ならそうなるというだけで、
べつに「特別な構文」じゃないだろう
ペルシャ語の場合はSOVとSVOの分裂すらなく常にSOVなのだから
なおさらこの流れに関係ない
このスレの誰も「印欧語はSVOだ」なんて言っていないんだよ >>59
先秦古文では「於」に導かれる前置詞句は強調構文でない限り
動詞よりも後ろに来るのが普通
よって「買魚於市」となる
漢代以降は「以」その他と同様に前に行くようになる >>61
そうなんですか。文語も時代によって変化したんですね。
「以」は主語・動詞の後に置くこともできますが、それは先秦の文体なのですか。 >>62
先秦では少ないほうでしょ
もっと後の時代に、先秦風にしようとしてどの介詞も一律に後ろにやろうとした文体があった 英語の出来る出来ないに関わらずこの板にいるやつは全員馬鹿 いや、英語モノリンガルのアメリカ人と中国語も日本語も不自由なおまえが馬鹿 >>63
唐の韓愈の古文のこと?
六朝から唐にかけて主流であった駢文には主語・動詞の後に「於」や「以」が置かれる例が多かったはず。四庫全書が手元にないから検索できんが。 >>58
時と主語はどっちが先でも文は成立するよ
あと、いいかげん「関係節」という概念を理解してもらいたいものだ
「文」とか言ってはぐらかしているけど、文が名詞に対する修飾語であるわけもないだろう
「連体修飾語」と言えばまだわかるか?
でもこれは名詞や形容詞が名詞に対する修飾語になった場合もそう呼ぶから、それらは脇に置いて、
動詞または動詞を含む節全体が名詞を修飾する場合、と言ったらわかるだろうか
英語なら関係代名詞を含む節が名詞を「先行詞」として修飾している状態
それを「関係節と被修飾名詞」として扱ったのが>>20
これに関して言えば「中国語は英語に似ている」なんて言えないだろう
>>66
駢文に限ったことじゃないと思うが
宋代の文章でもよく見かけた インドヨーロッパ語族のヒンディー語はSOVが基本で、
前置修飾と後置修飾の両方の修飾語順構造を持ち、
後置詞を持つとされる。
英語以上に屈折的格変化を失ったペルシア語もSOV型が基本で、
基本は後置修飾だけど、前置修飾構造も併せ持つ。
生成文法のような見解ではドイツ語の基本語順はオランダ語同様にSOVだとされる。 日本語では、口語的により砕けた語用法においては後置修飾がけっこう頻繁に現れる。
「見て、これ」「行ったことあるだろ、ディズニーランドに、俺と一緒に」
日本人は直感的な日常会話ではVO的な思考を意外としているのかもしれない。
てか、語順に支配されにくい言語ならば、こうした構造変化が柔軟に現れるのは
当然かもしれない。
ただし、語順に支配される中国語でも、目的語が主題化・強調化されると
語順言語らしく語順に変化が生じてOVという構造が現れる。
でもこれも語順に支配されている証拠か。 >>69 1〜3行目
それは思い出した順にしゃべっているのが倒置として臨時に認められているだけ
本人だって機会があればすぐ言い直す
そこが上に挙がっている他の言語の「語順のヴァリエーション」とは根本的に違う 書き言葉は学校教育的な規範が後から注入されるので、
非常に人工的・社会主義的な日本語に変質している。 >>70
「あの場所、二人で行った、また行きたいね。」
「その女性、美人の、背が高い、知っているよね?」
というのも倒置?
だとしたら倒置と後置修飾の本質的な違いはいったい何? >>73
そのまま文字に書いて「手紙」として手渡せる?
メールの文にできる?
ツイートで見かけたことある? >>74-75
書き言葉というのは日本語のネイティブスピーカーの言葉じゃない。
学校教育を通じて国家が社会主義的に統制した人工言語としての日本語。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています