>>181
なかなか鋭い指摘、的を得ているな
「という」には対象を特定して強調する意味があり、
これが現代文の中では古文における「なる」の体言を断言するはたらきの代用として使われているわけだ

つまり「なる≒という」となる必然性は説明でき、誤用とは言えないわけだ