>>184
 「〜と云ふ」の語法の對して強調の意が生ずるのは「今度と云ふ今度は〜」と云ふ使用に於てゞあり、『「正しい日本語」なる幻影』に強調の意が生ずる謂は何處にも無い。
『「正しい日本語」なる幻影』とは『「正しい日本語」と稱ばれてゐる幻影』乃至は『「正しい日本語」と云ふ名の幻影』程度の意味であつて、
此の文の何處にも強調や斷定や推定や傳聞の意味は存在しない。
肆に「なる」は明かな誤謬である。