日本語は徐々に変わりつつある
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例えば、2006年のアクセントと2018年のアクセントじゃちょっと違うし、
試してみれば分かるけど、5ch(2ch)語も初めて来た年やルールを覚えた年の書き込みはネイティヴの様に理解出来るが、年が経過すると変化に適応出来ずつまらなく感じるらしい。アニメの日本語も生まれた年のほうが理解しやすいよ。 アクセントなんて地域ごとに全然違うだろいい加減にしろ
クソスレ糸冬了 アクセントの変革は1980年代から変わってきている
バブル後じゃ遅すぎる 文字文化を持つと言葉は変化しにくくなるんじゃないかな。 言葉が脳外に記録されて世代を越えて保管され、それが文化的に権威とされて模範になるから。
話し言葉は一般に低俗で卑しい文化だとされ、文化の階層化が起こることによって。 言語が変化するってのは言語学の初歩の初歩的概念じゃん 文字が生まれる前の言語って世代が交代する事にめまぐるしい速さで変化していったんだろうな
俺は言語の起源は単一だと思ってるけど、文字が生まれるまでの数万年のタイムスパンでもはや起源た辿れないくらいに
全言語は多様化してしまった 言語が変化するというのは言語学の見方だが、
一般人は簡単に同意しちゃいかんのよ
ただでさえ日本人は「人」の責任をないがしろにして
言語という「現象」が自然現象のように誰の意志も反映せずにただそこに「ある」と思い込みたがる
言語の変化はそこに変化させている「誰か」が必ずいるんだよ 一番変わってんのは方言の衰退だろうよ
ら抜きだの「間違った日本語」だのはささいな問題でしかない だがなぜか不思議なことに多摩弁やら相模弁やら、
あのあたりの首都圏外縁部の方言がやけに幅効かすようになった
そして逆に最も厳しく衰退してしまった方言は東京弁 (江戸弁や山の手弁など) 方言の衰退はグローバル化言語市場の出現によるもの。
その市場を支えるのはメディアと交通の発達。
国家の言語統制、具体的には学校教育もそれに加味されて加速した。 学校教育は「書き言葉」に特別な権威を付加した。書き言葉の権威付け・ブランド化だ。
そして「話し言葉」を低俗で未開で卑しい文化だと見下しす価値観を日本人全体に植え込んだ。 他の国ってどうなってんのかね
日本みたいに中央集権傾向の強いフランスや韓国は方言の衰退が激しそうだけど
ドイツやイタリアみたいな分権傾向の強い国は全然衰退してないのかな イタリアは根強いやろな
1つのイタリア人という意識無いらしいし >>13
それは元々あった多摩弁や相模弁じゃないよ
語彙もアクセントも消えた後に、語尾だけくっつけたただの文体
復活したんじゃなくて、その辺りの人が家庭内や身近な相手とだけ使っていたのが外に出た たいていの方言で語彙は消滅しつつあると思う
「なおす(片付ける)」みたいな「え、標準語じゃないの?」みたいな語彙を除いては
助詞助動詞活用とかの方言はまだましなんだけどね 首都圏の人は地元の方言の存在を知らなすぎる
必ずしも死滅していなくて、どこにでもいる「旧住民」のお年寄りは話しているのにな
どっかの東北人だろうとか間違えている
せめて地元の図書館の郷土資料コーナーで○○方言集みたいなのを読むといい
断片的で大事なことはほとんどわからないけど、例文が載っているとちょっと感じがつかめる
まるで知らない言葉が多数載っていて驚きだ 「とても」「非常に」を表す方言はどこの地域にもあるはずなのだが、
近年はテレビの影響でどこの地域も「めっちゃ」に侵食されつつある 「ばり」とか「がばい」とか「たいがい(てげ/たいぎゃー)」とかいろいろあるだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています