タガログ語(フィリピン)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
フィリピンへの人々の移動の第1波は、1万2000年前頃から始まり7000年前頃まで続き、起源地は中国南部らしい。
この人々は、台湾などへも移動した。
第2波は6000年前〜4000年前にあり、起源地は雲南だとされている。
そして、第3波が4500年前〜3500年前。
第4波は2500年前頃〜で、この時期の人々が現在のタガログ人のほかフィリピンの多数を占める人々だという。
このほかには、そもそもの先住者であるネグリト系、またスンダ系の人々もいるようだ。
タガログ人がフィリピンにやってきた2500年前頃の時期は、日本では弥生前期に当たる。
またタガログ語は、マレー語やインドネシア語と近い関係にあるとされる。
このタガログ語の語彙が、日本語の語彙と似ているケースが少なくないというわけ。
そして、これは、人々がフィリピンへ移動を活発化させる時期と、日本列島への南方からの人や食物の流入の時期が大いに重なっているとみられていることと無関係ではないということになってくる。 オーストロネシア語族の中で最も古い特徴を持ち、
その故地と言われているのは台湾先住民の諸語だ
台湾の諸語だけで語族内の分化の原点となる違いが説明できると言われる
台湾に次いで古いのが、フィリピンの諸言語で、
これまたマレー諸語とミクロネシア諸語とポリネシア諸語が
分化する以前の特徴がよく保たれている まあ、最後のダメ押しは、これだな。
日本語 ユミ(弓)
タガログ語 ymuko(ユムコ)=弓、曲げる、反らせる、蝶結びなど
このユミ、ユムコが同系の語彙であれば、日本語のユミ(弓)の原義は曲げるかもね。
タガログ語のユムコに蝶結びなどの結びの意味があるのは、紐を曲げることから来ているのだろう。
そうなれば、日本語の結ぶ意のユウ(結う)もユミ(弓)と同系であり、タガログ語のユムコ(蝶結びなど)とつながるのかもしれない。 弓は残念ながら日本にしてもフィリピンにしても外来文化だから
どちらにとっても外来語だろうねえ なんでオーストロネシア語族全体、オーストロネシア祖語と比べずに
タガログ語単体と日本語を比べたがるんだろうねえ >>111
マレー語やスンダ語、ジャワ語、ベトナム語、クメール語、タイ語などは、グーグル翻訳やglosbe翻訳で調べることができて、日本語とタガログ語の語彙を比べるときに、同じ作業をそれらの語彙に行っているので問題ない。
今回示した4語彙については、タガログ語としか対照しなかった。
オーストロネシア語の祖語については、残念ながらそれを調べる手立てがない。
祖語を掲載している専門書籍を買ってまで、調べる気はないし。 >>109
弓には大別すると、大陸系の弓と太平洋系の弓があるとされている。
大陸系の弓は、ツルをはずすと弓が湾曲したままの状態のもの。
太平洋系は、ツルをはずすと弓が真っ直ぐになるもの。
日本の弓は、太平洋系とされている。
とすると、案外、日本語やタガログ語のユミ、ユムコの語彙は独自性のもので、相当に古いことも考えられるね。 でかいこと言うなら川本崇雄ぐらい読んでおけばいいのに
祖語の形だって出ている
タガログ単体の比較なんて聞くに値しない ニートの暇つぶしなんだからそれくらい大目に見てやりなよ >>115
そんなら、ユムコ(弓)の祖形をちょと書き出してみてよ。 >>113
>オーストロネシア語の祖語については、残念ながらそれを調べる手立てがない。
>祖語を掲載している専門書籍を買ってまで、調べる気はないし。
不誠実だねえ
仮説を立てる資格なし
https://en.wikipedia.org/wiki/Proto-Austronesian_language#Nouns
なんだ、簡単に出てきたよ
「弓」bowは「busuR」だってさ
マレー語に近い形だな
もったいつけといて、お前は資格というか能力がないんだな
>>107
yumukoをymukoと間違ったままで訂正もしない
タガログ語そのものとろくに向き合っていないんだろ >>124
busuRは、busog(弓)の関連だ。
yumukoの祖語だよ。
なにやってんの。
川本崇雄の本に載ってないのか。
そりゃ、弓をbusog関連でみてる限り、日本語のユミとはつながらんわな。
はよ、yumukoの祖語、探してちょんまげ。 >>125
yumukoとユミは他人の空似
系統関係も借用関係もない
だから探す必要もない
探すならお前の仕事だ
さっさとやれよ 他人の空似と断定しちゃうのは
同祖と断定しちゃうのと同レベルだよ >>126
アッホ。
busog(弓)の祖語が本に載ってたもんで、どや顔してその祖語busuRを出したところが、なんやそれ、yumuko(弓)の祖語とちゃうやんかと笑われて、関係ない発言でぶっ飛ばしている脳なし。
偉そうにもの言うてるのやから、はよ、yumukoの祖語出さんかい。
本に載ってないことは、うむともよう言わんてか。
あははははは。 >>128
この論文から思うに、アメリカ人などの研究者の中には、旧来の言語学の方法以外の別の視野から果敢に新しい言語学の地平に挑戦する者がいるということ。
まあいえば、なんでもいいのだ、成果が上がればそこにのめりこんでみる、という冒険者精神。
で、そうした中の一人がぬきんでて、新しい地平をみせてくれることになり、ひとつ世界が新しくなる。
自分が旧来の方法論の中のみで生きていることを自覚せずに、毎日毎日旧世界の水をのんでいる者からすれば、なにアイツは、ということになる。
つまりは、冒険者精神があるかないかの違いだ。
日本人は特に四畳半世界が大好きだから、そこからつま先ひとつも出してみる勇気がないのが少なくない。
しかし、そのときすでに、南極の極点でションベンしてみたくて、必死に犬ぞり走らせているヤツがいるんだな、不思議と。 オレもオレも!
日本語のカレーとタガログ語のカレカレ!
発音も見た目もそっくり!! >>131
日本語のカレーも、タガログ語のカレカレも、おやじは同じインドカレー。
ユミも、ユムコも、おやじは同じO1a。 >>129
お前もグーグル翻訳でいくつか調べたんならわかるだろうに
マラガシー語もマオリ語もみんなバラバラなんだよばーか
それでなんでタガログ語が祖語につながってるって断定できんだよ >>127
そもそもyumukoの後半の-ukoが何なのか何の考察もないんだよウンコ頭 >>128
要領を得ないだらだらした駄文だな
こういうの見ると日本語系統論自体が幼稚な分野だっていうのがよく分かる
帝国主義丸出しだし
印欧語比較言語学だってアーリア人仮説からニーチェの思想を生み、ヒトラーに啓発を与えた 日本語と英語で共通な単語がたくさんある
スシ、テーブル、インターネット
日本語と英語は同祖に違いない
みたいな話? >>134
逃げるんじゃねー。
yumukoの祖語、出さねーか。
このボンクラハゲ。 >>134
yumukoには(おじぎ)の意味もある。
なんでか分かる?
オメのトロい脳じゃ、無理だろな。
yum・ukoじゃねーし。 >>140
ヘルシンキ大学修士課程修了のワイが、特にお前に講義してやろう。
ワイが調査した結果では、タガログ語のyumukoとベトナム語のuon congは同系の言葉で、どちらも曲がる、曲げる意味をもっている。
このことから、タガログ語のyumukoはyumu・koの構成だと推定することができる。
で、ベトナム語のuon=屈曲、cong=湾曲だから、yum、koともに曲がる意だと想定できる。
このタガログ語のyumuと日本語のyumiは同じ発音の祖語を持ち、それはyum(n)だっただろう。
このことを勘案すれば、ベトナム語のuonは、そのyum(n)から派生したyuonのy音が落ちたものだろう。
1万2000年前の中国南部のO1aの人民は、弓をyum(n)と発音ていたということだな。
ヘルシンキ大学修士課程修了者は、女の尻ばかり追いかけていたヤツとは、できがちがうからな。
わははははは。 >>141
タガログ語とベトナム語の音対応の法則性について一言も言えないわけね
ベトナム語はここ500年の間にも音変化がたどれるが、最初からその形だったのか?
ムオン語の例は?近隣の南島語と言われるチャム語は? 名詞1語でこんなにもたついて、対応法則もろくに出せない仮説なんてゴミ >>145
タガログ語の語彙とベトナム語の語彙が、意味と発音において類似するケースが散見されている。
ベトナム人の主要勢力のキン族は中国南部が起源地とされ、モン族との接触もあったようだ。
6000年前には農耕を行いつつベトナム北部に移動したとされている。
タガログ語族とキン族の間に共通語彙があることは不思議でない。
音韻的には、ベトナム語は中国語の影響を受けていて、タガログ語の音韻とは相当異なるようだが、語彙の共有ということにおいては音韻的な連続性はさほど問題にならない。
お前の文は、疑問符ばかりで、ちゃんと答えが出せていない。
ワイの考えを否定するほどの内容ではない。
ワイの考えを超える説明を出せよ。 >>148
じゃあ疑問文じゃなくて命令だ
語彙の対応例を示せ
ただあるあるというだけなら詐欺 タガログ語の勉強しているけど、いろいろおもしろいね
リンカーとかマーカーとか、聞き慣れない概念が多い
マーカーって格助詞や前置詞や冠詞や類別詞とは違うのか >>149
アホちゃう。
まず、お前がワイのユムコ、ウオン・コン同系説を否定せんかい。
その否定の根拠が確かなら、お前の否定説を認めてやろうじやないか。
はよ、否定の根拠、出せ。 >>149
ほら、専門家。
151に答えてやれよ。
ギャロン語知ってるなら、タガログ語の文法くらい、おちゃのこさいさいだろ。 >>151
ngは、日本語の(〜な)(〜の)などの指示連体詞といわれる接着剤と同じかもね。
例えば、(大きな家)=大きい+家。
大きいの形容詞の(い)をはずして、接着剤の(な)を塗って、家に接着する。
これ、タガログ語のngと役割、同じかも。 >>152
肯定が先、仮説を立てるのが先
反証はそのあとだ
何語だって比較研究の検証はそういう順番だよバカ
>>153
自演2投目乙
ギャロン語?何の話だ?
ID出ない板で簡単に他人と別の他人を結びつける、
お前みたいなキチガイはこの板に時々いるけど、
だいたい話の筋道が立っていなくて頭が悪いよな >>154
「接着」とはなんぞや
修飾とは違うの? >>157
大きな美しい家
この場合(美しい)が、修飾語。
大きなの(な)は、指示連体詞と呼ばれるもの。
大きいと、美しい家を結ぶために置くのが(な)で、
(い)の形容詞を取り除いて、そこに(な)を入れて、大きな家という単語をつくる。 >>155
いやいや。
わしはこう考える。よって、お前の考えは間違っている、というのが普通の頭。
お前のは、お前のはまちがっている。しかし、わしの考えは述べん、というもの。
つまり、否定したいだけ。
自分の考えをもっているわけではない。
つまり、知らんのなら、始めから言うな。 つかそんなに自説に自信があるならこんな訳わからん辺鄙なところに投下せずに
論文寄稿して査読してもらえよ
5chで素人風情がたかだか数人相手に威張ってどうなるってんだ >>159
「大きな美しい家」なら、「大きな」も「美しい」も修飾語で、
どちらも「家」を被修飾語として連体修飾している
というのが常識
日本語では「大きな」は「連体詞」と呼ばれる
「連体詞」とは、活用せず連体修飾だけをする語の類、すなわちそういう品詞だ
「結ぶ」とは何も説明していない曖昧な概念だ
「大きな家」とは単語ではなく、句だ
>>154>>159は日本語について誤った説明をしているだけで、
タガログ語のリンカーの説明にもなっていない >>161
そんなことは、どうでもええ。
ユムコの祖語、はよ出せよ。
ワイは、早くから出しとる。
お前の考える祖形をだせ。
出せんのなら、お前の負け。 >>164
(美しい)は(家)の修飾語。
(大きな)の(な)は、(大きい)と(美しい家)を連体する指示詞。
この(な)によって、(大きな美しい家)という句が成立する。 >>166
「連体する」ってなんですかね
なんで「連体修飾」っていう普通に日本語にある言い方をしないんですか?
したら「美しい」の修飾語と同じになっちゃうからですか?
「(大きい)と(美しい家)を連体する」ってますます説明になってませんが
そして「指示詞」の意味も間違っていますね
指示詞とは、これ・この・あれ・あの等のように、
話し手から見て特定の位置関係にある事物を
指し示す言葉ですよ?修飾語になるものとならないものがありますが
少なくとも「(大きい)と(美しい家)を連体する指示詞」のような、
「AとBを〜する指示詞」という用法自体がありえません タガログ語の語彙と日本語の語彙に極めて類似しているものがあるのは、事実。
次の語彙も同系であるのは、ほぼ間違いない。
タガログ語 paran(パラン) 草原、平原、原
日本語 hara(ハラ) 原
タガログ語話者の故地は、中国南部。
フィリピンへの中国南部からの移動は、1万2000年頃から始まった。
その1万2000年前に南方から来て日本の南九州へ上陸した者たちがいて、在来の縄文人と混交した。
なので、日本語の語彙とタガログ語の語彙に極めて類似した語彙があることは、不思議ではない。
日本語の語彙にタガログ語の語彙と類似したものがあることは、学者も認めている。
日本語の成立には、この南方から来た者たちの言語が大きく関与していると想定することができるのだ。
もちろん、日本語の成立には、この他にも各種の言語が関わっているのも間違いないだろう。
ただ、その関与者の最初の者たちが、タガログ語話者の祖先たちだったというわけ。 >>171
訂正
6行目の1万2000年頃→1万2000年前頃 南九州ならハラ(パラ)じゃなくてバル(パル)になるんじゃないの >>173
バルだよね。
西都原もバル。沖縄のヤンバルクイナのバル。
ただ、これまでみたところでは、原を一語でいうときに、バルと濁点つけるのかなと。
滋賀県の米原はマイバラで、ハラに濁点付き。
なので、バルは他の語と接続するときにバルとなっているようにみえる。
沖縄や南九州でも原を単独で用いるときは、ハラではないかなあ。
確かではないけど。 >>178
HH→HH、HR/HL→HL、HF→HF、HS→HS >>173
いろいろみてみると、沖縄では、他の語とつないで原を用いてもハラと発音する地名があるそうだ。
では、なぜハラとバルがあるのかということでは、さるサイトでは、広辞苑の字義を引用して、「ハラ(原)は、平らで広い土地。耕作しない平地。原、原野}としており、一方では「ハル(墾る)は、新たに土地を切り開くこと。開墾すること」を挙げている。
これからすると、バルは「開墾した土地」ということになるけど、どうでしょうね。 >>178
そうじゃなくて、AとU、第2母音の違いを問題にしている >>184
這話斷在這邊真的很吊人胃口呀
二乃如此直接的告白,只希望作者別又學某部作品?個空耳來敷衍了事呀...
現在就期待下一話中,風太郎會如何回應二乃的告白 >>185
還胡説什麼?
一点也不合這里的話頭兒
不許随便打断話題 >>181
単に本土から移住した人が付けた地名なだけじゃないの? >>187
バルは、朝鮮語の里(マル)が元だというのがあった。
http://www.shochian.com/harubaru.htm
この画面の一番上のサイト。 >>189
この人や引用された説は「ル」の部分のカタカナ表記した形の類似点しか見ていないのでお話にならない
-lと-ruではもう天地ほど違う。カタカナで考えるなと言いたい
というかバルを朝鮮語beolと結びつけた日本国語大辞典がもうデタラメ。大野晋の岩波古語から変な伝統が続いているのか
母音調和を持つ朝鮮語のaは陽母音、eo(広いオ)は陰母音で、
朝鮮語の日本語と対応する借用語では閉音節のLは日本語のタ行に対応する例が圧倒的に多い
母音にせよ、末子音にせよ、借用したのならバルのような形にはならない
「村、部落、里、郷、洞里」という意味の朝鮮語マウル→日本語〜マル(丸)→〜バル(原)、〜ハル(原)
という説も噴飯もの。まず、「原」なら生活空間の外側で、むしろ「村」とは対比される存在だろう
>意味も私が想像した「〜ばる・はる」の原義と非常に合致する。
というが、そこに至る推論が「稲作地帯に隣接する居住空間ではないか」「「クニ」を構成する氏族の「館(やかた)」
という意味を持つのではないか。」「「クニ」の防衛ラインを形成しているのではないか。」とも、ただの憶測の域を出ない。
何より、マウルmaeulは中期朝鮮語(15世紀)には子音zが入るmaz@lという形だった。これは朝鮮語史の常識だ。
(@はここではアレア「下のア」という、点で表記された古い母音を指すことにする)
中期語maz@lは慶尚道のmasil、京畿道のmaeulなどに分化していく
古代において朝マウルmaeul→日マルmaru→バルbaruという変化はありえない >>190
村里を指すマルが、村の外の原を指す言葉に変わって行くというのは、不合理だというのは説得的。
このマルが、日本の城の一の丸などの丸の語源だとする説もあるね。また船の名前の丸とか。
ついでに、中期朝鮮語でついていたzが次第になくなっていく原因は、ハングルの導入と関係あるのだろうか。 バル、ハラについて。
宮崎県に有名な新田原(にゅうたばる)基地があるが、この基地のあるところが新富町大字新田。
昔は新田村(にゅうたそん)。
なんで(むら)ではなく音読みの(そん)なのか。
それは、(にゅう)の発音のためだろう。
(にゅう)のウから(た)のアに上ったあと(むら)のウ、アと上り下がりが急で発音しにくい。
そのために(むら)ではなく(そん)の発音を入れて、(た)のアのあとにオ、ンと発音の上がり下がりをなくして発音しやすくした。
それと同じで、(にゅうたばる)が(にゅうたばら)だったら、ウからアが三連続して最後のアの発音を維持するのに力がいる。
そこで、最後のアをウに変えることで力を抜き、(にゅう)のウと音をそろえることで落ち着きをよくした。
福岡県行橋市に、新田原(しんでんばる)がある。
この読み方も同じで、シンデンバラだと最後のアに力が必要で、その労力軽減のためにラをウに変えてバルとし、前のンに音を近づけて落ち着きをよくしたものだろう。
この新田は関西では(にった)であり、(にゅうた)よりも1音少ないので、そのような調整が必要なく、新田村(にったむら)で発音の労力に不都合がない。
沖縄のヤンバルクイナも同じで、ヤンのン音からバラとアア音が続くことは力が必要になるため、バルと口を閉じるウ音に変化させ、後続のクイナのウ音に連絡しやすくしているようにみえる。
このようにみると、発音上、上下の変化を小さくして、できるだけ労力を軽減しているのがバルということになる。 >>194
Shanna Marie McLaughlin、 >>191
朝鮮半島の言葉が文化語彙として盛んに日本語に取り入れられたらしい時期は、
李朝初期にハングルが創られ、それによって記録された後に中期朝鮮語と呼ばれる言語が
話された時期より、約千年も前の時代だ。
中期の時点でmaz@lという語形が記録され、その後maeulやmasilといった方言形に分化していったのだから、
(maeul→malという縮約形もその後生まれているが、早くともせいぜい数百年前だろう)
「日本語にマルとして取り入れられる朝鮮語のmalという形」なるものが、
1500年前に生まれていた可能性は無に近い
ハングルのおかげでそういう事がわかる、という話。マル、バル、バラ(ハラ)関連は
今の所、日本の中でしか考察できない現象ではないかと思う >>192
もともと村(そん)と呼ぶ地方なんだが
宮崎県 椎葉村(しいばそん)、西米良村(にしめらそん)、諸塚村(もろつかそん)‥‥
鹿児島県 大和村(やまとそん) タガログ語と日本語が類似する語は、これだろうな。
類似は、この2国語だけ。
この他に、このような語彙の国はない。
タガログ語 pusod(プソッ)=へそ・臍
日本語 heso(ヘソ)=へそ・臍
へそ兄弟というところだ。
わははははは。 >>201
もうすでにそのような慣例ができているのだろうな。
周りがソンなのに、自分とこだけムラでは浮き上がってしうし。
ここにあげられている村の名はみな、ソンとしたほうが楽に発音できるみたいだ。
ムラとすると発音しにくいような。 >>198
バルの問題は、単に九州から沖縄にかけての独自な発音の結果生まれたものだと思うね。
このような日常的な言葉については、劇的な成り立ちはないように思う。
一般の人が日常的に受け入れられる範囲のことが理由だろうね。 >>202
タガログ語のpusodは、オーストロネシア祖語の*pusaRに遡る
https://en.wiktionary.org/wiki/pusat
*pusaRを起源とすると思われる諸言語の「へそ」の例を挙げると、
マレー語およびインドネシア語のpusat、同義語のpusar(いずれも「へそ」または派生義「中心」)
フィジー語vico、ハワイ語piko、マオリ語pito、そしてフィリピンのイロカノ語puseg、フィリピン及びマレーシアのイラヌン語puseg
すべて音対応の法則でつながっている。似ていないように見えても、並行する別の語の例が対応関係を証明しているのだ
あと、日本語の「へそ」には類似する古形のホソ(平安期、のちホゾ)がある
調べるのならこれくらいやっとけ
>類似は、この2国語だけ。この他に、このような語彙の国はない。へそ兄弟というところだ。わははははは。
>類似は、この2国語だけ。この他に、このような語彙の国はない。へそ兄弟というところだ。わははははは。
なぜ「言語」を語るのに「国」「国語」単位なんだ?この統失丸出しめ。 平安期の発音はposoだろうね
これは関係あるかもね
タガログがというよりオーストロネシアが、だけれども >>209
トトロ公開の10年前、宮崎駿と手塚治虫が日テレ24時間テレビのアニメ枠を奪い合っていた! >>207
君ら、簡単におっしゃっちゃってるが、この臍の語彙がいつ日本語に入ったと思ってるの。
オーストロネシア語が成立する以前だ、イゼン。
そして、中古音以前がホゾ。
1万2000年前の中国南部から一つは台湾、フィリピンへ、一つは日本へと海を渡った人民がいて、彼らが伝えた言葉の一つにヘソがあった。
その古代中国南部語が、さらに時代が新しくなった3500年前頃にフィリピンへ移動したのがタガログ語。
いわば、日本語のヘソのほうが古形を保っている確率が高いのだ。
先に往ったうに、オーストロネシア語が成立する前の言葉なんだな、日本のヘソは。
君らの爺さんよりも先祖なんだぞ。 >>203
村はムラともソンとも読めるんだから、統一されてませんぜ
〇〇郡〇〇町
〇〇マチと読むところ、〇〇チョウと読むところ、入り乱れてまっせ こいつは1語や2語でいちいちだらだらとくどくどうるさいんだよ
言ってることもコロコロ変わるし仮説が破綻してもスルーだしろくに調べもしない
言語学をバカにしすぎなんだよ
大野晋の『日本語の起源』でも読んだほうがよっぽど例が多いよ
マレー語でperutと「腹」という例もあったな
perutのeはシュワのほう、tは出渡りのない飲み込む音
(広東語などの入声韻尾の要領)だから「プルッ」のように聞こえる
本が見つかったらもっと書いてやる
タガログ単独説なんて話にならない >>213
ワイ説では、ムラかソンか、マチかチョウかは、その名前の発音による。
沖縄の恩納村はオンナソンだが、オンナムラよりオンナソンのほうが調和している。
これは母音調和というのではなかったか?
ワイ説のほうが、日本語の文法にかなっている。 >>217
本土が混在している一方で沖縄の場合は通常チョウ・ソンの音読みだけどな >>215
オーストロネシア祖語なんて知ったかぶりして、反論されたもんだから、大野晋へ話を振ったな。
オーストロネシア語の起源地は中国南部。
1万2000年前にそこの人民の一派が南九州に渡ってきた。
だから、その日本語が1万2000年以降に成立するオーストロネシア語より古形を保っているというのは、ごく当たり前。
タガログ語のほうが、変化形かもな。
タミル語なんかは、関係ないだろう。 >>214
体の部位は、3つ。
日本語 オツム(ツム)=頭
タガログ語 tumungo(ツムンゴ)=頭
日本語 ヒジ=肘
タガログ語 bisig(ビシィ)=前腕
日本語 タ=手
タガログ語 tainga(タインガ)=耳
このtainga(タインガ)は(出っ張り)というのが原義で、扉のノブなどにも用いられる。
日本ではタはテ=手の古音だとされているので、手が体から出っ張った物ととらえれば、このタとタガログ語のtaingaとは同系とみることができる。
つまり、日本語の手の古義は、タガログ語を援用すれば、(出っ張り)だった可能性がある。 >>215
勉強の方向が間違ってるのじやないの。
ハラ(腹)は、女真語のハラ(部族)と同系語。
タミルじゃないし。 >>217
沖縄の町村名は、三文字が多い。
音が長くなるから、さらに音が長くなるマチ、ムラより、音を短縮するチョウ、ソンのほうが言いやすい。 >>220
追加
タガログ語の身体語では、目も可能性が高い。
日本語 メ(マ)=目
タガログ語 mata(マタ)=目
メはマからの変化だとされるが、メは視覚に関わる語彙で、マは眼球を指す語彙だと思う。
後になって、メとマは混同されるようになる。
マのほうが古い。 >>219
オーストロネシア祖語という概念自体は知ったかぶりでも何でもないよ
お前が意味のないyumuko連呼で本来自分の仕事である傍証を全くしないだけ
それだけなら単なる類似であって対応でも何でもない
大野晋が『日本語の起源』を書いたのは、タミル語説提唱より十数年前だから
タミル語は関係ないよ
なぜ名前を挙げたかというと、それまでの他の研究者による日本語起源論をまとめて
いくつかの単語の対応例をそれぞれの項目で挙げていて、
日本語系統論を語るのに便利だからというに過ぎない
お前は下衆の勘繰りであさっての方向に見当違いの事を言ってるだけ
中国南部からの民族移動は別にお前の説じゃないだろ
他人のふんどしで手続きを踏まない語呂合わせばっか単独でして恥ずかしくないの? >後になって、メとマは混同される
露出形と被覆形の違いも知らんのかこいつは >>221
>ハラ(腹)は、女真語のハラ(部族)と同系語。
音の類似に囚われて、意味の共通性がまるでない
過去の説を踏まえるにしても説明不足すぎ、やり直し
>タミルじゃないし
タミル説と関係ないのは>>225に書いた
先行文献ぐらいちゃんと読んどけ >>223
mata(目)はマレー語・インドネシア語にもある
タガログ単独説が意味ないことがこれでわかるな >>224
万葉集読んでみろ。
万葉歌でメ(目)は、視線のことじゃ。
メは視覚関連の目のこと。
マはマナコ(マのコ)にみるように眼球のこと。
ウィキにそう書いてあるじゃろ。
常識だろ。 >>225
なに言っちゃって。
ワイは、日本語、タガログ語の系統論をしていない。
単なる語彙の類似性だけを取り上げている。
そして、その語彙の類似性は、太古の一つの語彙に遡るだろうと、言うているもの。
お前が、系統論へ振っただけ。
その民族移動を想定するのに、日本語、タガログ語の類似性をあげた学者いるの。
誰よ、それ。
類似性を言っている学者は、言語学的な系統論を論じているものであって、語彙の移動と民族の移動の関連を目的として論じているものではない。
学者と素人のワイを比較してどうする。 チノ「いらっしゃいませ」
悟空「オッス、オラ孫悟空よろしくな!」
チノ「あっはい…よろしくおねがいします、それでご注文は?」
悟空「このエースケケアっちゅうのをくれ」
チノ「アイスココアですねかしこまりました」
悟空「オラわくわくすっぞ!」
チノ「お待たせしましたアイスココアです」
悟空「ヒャーーーーwwwwwうんめえ!オラこんなうめえ飲み物飲んだの初めてだワクワクすっぞ!」
チノ「ありがとうございますお代は380円です」
悟空「オラ金持ってねえんだまたな!」シュン
チノ「消えた!?……なんだか不思議なお客さんでした」
この日から喫茶店でいろんな人に出会えるのをちょっと楽しみにしているチノちゃんなのだった。 >>229
それは承知している。
マレー語とマレー語の類縁のインドネシア語で目はmata。
スンダ語、ジャワ語、その他ベトナム語やタイ語などでは別の語彙だ。
マレー族の原郷は、そもそも雲南あたりとする説が有力。
フィリピンのタガログ族も中国南部が原郷。
身体言語が同じであっても不思議でないし、台湾やフィリピンを経て南に拡散した者たちの一派と目されている。
目を意味するmataを共有していてもおかしくない。 >>227
メが視覚的な意味を持ち、マが物理的な眼球を意味するとするワイの説が間違いというなら、テメは偉そうに言うだけじゃなく、ちゃんとメとマについて露出型、被覆型の説明つけてみろよ。 >>228
だいいち、マレー語の(プルー)とハラ(腹)は無理して読めば、ハラの音にも聞こえるかという程度で、空耳アワーくらいの類似だ。
お前は、こんな程度で語彙の発音の類似を云々してるのか。
出直せよ。 >>228
ええかげんなこと、言うなよ。
日本語の語彙にハラカラ(同胞・同じ母から生まれた兄弟姉妹)がある。
このハラカラは、古くは(ハラガラ)だそうだ。
一方、女真語では、(イラン・ハラ)の語彙があり、これは「三つの氏族」という意味だそうだ。
女真語では(ハラ)は氏族・同族・部族のことだ。
この女真語の部族を表す(ハラ)と、日本語の(同胞)を意味する(ハラガラ)の(ハラ)が同系だと、相当高い確率でみなすことができる。
マレー語の(プルー)と仮に関連があるとしても、日本語の(ハラ)はその発音と意味の類似性から、女真語の(ハラ)と直接的な同系性が高いとみなすことができる。
お前の(プルー)は、圏外並みじゃ。 >>242
まだ気が付かないとはお笑いだw
日本語で腹がharaハラになるのは江戸時代中期からで、
その前はΦaraファラ、もっと前はparaパラだバカタレ
女真語・満洲語でhalaと発音した語は「部族」の意味だが、
清朝時代には部族制度が形式化して「姓」の意味に変化している
日本語系統論の昔のアルタイ語説では、halaはウカラ・ヤカラのカラに比定されている
上代日本語にはHの音がなかったから、漢語でもH音で始まる字はカ行音になる、それと同じ理屈だ
ウカラ・ヤカラはともに万葉集では「親族」、ヤカラはのち意味が変化して
鎌倉時代の十訓抄では「仲間」の意味になっている
「はらから」を言うなら「はら」の部分ではなく「から」の部分をhalaと結びつけて検討するべきなのだ
わかったかスカポンタン >>241
それはお前のタガログ語だって同じこと
単独の、あるいは4,5個の類似なんて英語とだって挙げられる
kill 斬る
that(接続詞) 〜だと
so そう
ゲルマン人がノルド人とともに北極海を越えて日本まで来たんだよ、たぶんな
お前がやってるのはそのレベル >>235
>>27-28は明らかにタガログ語と日本語の比較じゃないか
日本語との関係を論じるなら、
オーストロネシア語族の分岐のそのまた分岐の先の末端のタガログ語だけ論じるより、
オーストロネシア語族全体と比較したほうが合理的だろ
だいいち日本語との比較だけを話題にしたがっているお前って明らかにこのスレでは荒らしだよな? >>234
日本語版のウィキペディアは馬鹿でも書けるし、バカほど書きたがるし、
バカほど自分のバカ記事を保守したがる。あんなもの当てになるか。だからお前も記事名を挙げずに煙に巻くだけ。
一般的に露出形は複合語の前部要素、被覆形は単独の単語として使われる
両者は単独の語と複合語の間で交替を行なっていて、今に伝わるものもある
被覆形 め(目、眼) 露出形 ま-ぶた(目の蓋) ま-つ-げ(目の毛、「つ」は「の」と同義の属格助詞)
露出形による複合語は他にも「ま-な-こ」(目の子、「な」は「の」と同義の属格助詞)「ま-の-あたり」
複合語でも「め-の-たま>めんたま>めだま」は後世にできた露出形を使わない形
すくなくとも露出形「ま」を文中で単独で使うことはない
被覆形 て(手) 露出形 た-な-ごころ(掌、手の中心) た-まくら(手-枕) た-おる(手-折) た-ぢから(手-力)
被覆形 ふね(舟、船) 露出形 ふな-あそび(舟-遊) ふな-たび(船-旅) これは今も生産的な交替
以下、雨アメ・アマ、天アメ・アマ、酒サケ・サカ、などがそれぞれ被覆形と露出形の違いだ
露出形が名詞としてより古い形で、これに古い主格助詞-iが付いてa>eという母音の変化が起こったのが
交替の起源と考えられている。-i付きの形が主格ではなくなったので複合化を防ぐカバー(覆い)が付いたという意味でこう呼ぶ
交替によってその部分の意味の変化・違いなどは存在しない。メとマだけがその例外だなんて理屈もないだろう >>245
スカタンはお前じゃ。
江戸時代以前のそのpharaでもハラと変わらん。
そのウカラのカラが単独で同族の意味で用いられている例を、万葉集の歌から取り出してここに書き出してみ。
その単独のカラが同族を意味しているなら、お前の言うことは認めてやろう。
ウカラ、ヤカラのカラが同族を意味しているとする辞典などの解説は承知しているが、単独のカラが同族を意味している例はみたことがない。
はよ、書き出してくれよ。
テメ、露出形と被覆形の説明はどうした。
ふざけやがって。
はよ、メとマの違いを露出形と被覆形を用いて説明せんか。
アホンダラ。
説明もできんのに、えらそーなこと言うな。
ボケ。 >>247
前にも言うたが、ワイは日本語やタガログ語そのものの関係を問題にしとるのではない。
語彙の類似性だけを問題にしとるのや。
日本語の比較しとるのと違うわい。
お前、相当あたま悪いな。 >>250
やっぱり、アホンダラやな。
その程度のことは、お前がバカにするウィキに出ておるわ。
ということは、お前の言うとることは、お前がバカにするウィキ程度やということで、お前がバカ程度の脳しか持ってないという証拠や。
その程度なんやから、そらそーなことは言うな。
万葉集の歌に「目」の字が書かれている。
お前はそれ調べて、この「目」の字をなんと読むのか、ちゃんと考えて、ワイに報告せよ。
話はそれからや。
アホンダラ。 SNH48好きのきもくてうざい孤独な50代ロリコン自治厨は絶望的につまんねえんだよ
むかしカレー先生がたのしく盛り上げてたのに
SNH48好きのきもくてうざい孤独な50代ロリコン自治厨がうぜえ自治して
愉快ななかまたちはみんな逃げていった
SNH48好きのきもくてうざい孤独な50代ロリコン自治厨が憎くて仕方ない
SNH48好きのきもくてうざい孤独な50代ロリコン自治厨さえいなければいい板だったのに >>252
>テメ、露出形と被覆形の説明はどうした。 >ふざけやがって。
>はよ、メとマの違いを露出形と被覆形を用いて説明せんか。
>アホンダラ。 >説明もできんのに、えらそーなこと言うな。 >ボケ。
すぐ上の>>250で完全に説明されているものも理解していないんじゃないか
バカもここまで来ると哀れだなwww
>>255
>メ(目)は、視線のことじゃ。メは視覚関連の目のこと。>マはマナコ(マのコ)にみるように眼球のこと。
お前がこう書いたのは、「メ」と「マ」の違いが「意味の違い」であると思っている証拠
じゃあ「まなざし」はどうだ?「視線」を論じるときの言葉じゃないか!w
「まのあたり」だって「視覚」の対象となる範囲であって、眼球は関係ないよな!w
何か説明してみろよw ばーかばーかおしりぺんぺんw >>259
お前はアホやな。
おのれの勘違いに固執して、その筋でしかものが見えん近視眼症状や。
「まなざし」は、「眼の向く方向」。
「し」が、東、西など方向を指す言葉なのも知らんのか。
オメは修士課程修了とほざいているのに、こんな初歩的なことも理解しとらんとはな。
ちゃんと日本語を勉強してから、ほざけ。
オタンコナス。 >>259
万葉集の歌に書かれている「目」をどう読むのか勉強したか。
はよ、報告せえよ。
バカめ。 まだ、いっぱいあるぞ。
日本語 ハリ(梁)
タガログ語 haligi(ハリジ)=柱
わははははは。 屋根を支える垂直に立ったのがハシラ (≑haligi)
屋根の張り出しをつくる水平部材がハリ いい加減にスレチに気づけよ
ここは日本語とオーストロネシア語比較スレじゃなくてタガログ語スレだ
色んな人が遠回しにシグナル送ってんのに何一人で盛り上がってんだか >>264
ワイのことは、放って置いてくれていいのだよ。
無理に相手してくれなくて、結構。
テメは別の方と話してたらええじゃないか。
わははははは。 ハリの原形動詞はハル
ハル(張る)はいっぱいに伸ばす
胸を張る、枝を張る、木材をならべて張る
対してハシラ、halgiは垂直に立てるもの >>260
「まなざし」が「ま(眼)な(=の)+さし(指す・射す)」なのも知らんのか
「し」が「東」の「日向かし」のような「方向」だとして、じゃあ「し」って何だよ
もしかして「なず」なんていう動詞があってその未然形とでも思ってるのかw
>>261
何を自慢したいのか、自分で引用もできないんならただのハッタリだな
タガログ語単独同系説を唱えて自分で否定しているところからお前がただのバカw >>265
その笑い声が他人すべてをバカにしているよね >>262
カタカナでラ行になる音を見かけるとすぐRとLの違いもお構いなし
haligiのgiはギだろ、ハシラのシに近づけようと勝手に口蓋化させるな
日本語中心主義のガラパゴス感覚まる出し
バカすぎてもう草も生えん >>268訂正
誤>じゃあ「し」って何だよ
正>じゃあ「ざ」って何だよ >>252上
べつに単独の単語でなければ比較研究の対象として言及できない、なんていう「縛り」は
比較言語学の教科書のどこにも書いてないんだが?
斜め上の勘違いでデタラメな仮説を補強
バカの上にバカを重ねる無恥っぷり
学問の基礎を修めないバカ相手はほんと疲れる 日本語との比較研究なんていう退屈な話より、
タガログ語自体の話がしたいんだが
文法の肝の一つ「リンカー」について訊ねても>>154>>159みたいな変なのしか出てこない
>>169への反論もない
動詞の既然と未然(realisとirrealis)についても答えられないだろう >>267
ウトイな。
haligi(ハリジ=柱)を横にしたものが、日本のハリ(梁)じゃ。
日本のことは、なんにも知らんな。
ヘルシンキ大学留学が長過ぎたんだ〜。
日本のことになるととたんに無知になるのは、長すぎた春(ハリ)だな。
あははは。 >>270
haligi=ハリジ。
グーグル翻訳で、聴いてみろ。
ハリギだって。
わははは。 >>268
あほ。
「まなざす」などという言葉はないわ。
脳、大丈夫か。 >>273
お前がどう考えようと、それは結構。
ワイは、お前のいうような意図で、類似語を探してるんではないからな。
へんなチョッカイ入れんでくれんか。 >>274
ワイは、そんな話に興味はない。
ほかの誰かと、話してくれ。 >>276
だーから、その「横にする」ことの理由がどこにもないだろうが
柱という「縦」のものがあってこそ、梁という「横」のものがあり得るんだろう
1番目と2番目で全然別のものが、一体どういう理屈で同一視できるんだよこのバカ
留学とか修士号とか、ID出ない板で誰のこと言ってるんだよ
この統失患者は >>277
>>266はお前だろ。そのお前が「ハリジ」と書いたが、
グーグル翻訳で日本語「柱」→タガログ語「haligi」と出て、
スピーカーボタンを押したら「ハリギ」と発音したぞ
一体誰の何を笑っているんだ?お前自身の読み間違いか?
この統合失調症患者のバカが、永遠に自分を笑っていろ
>>278 そんなこと誰も言ってないわこの酔っぱらいのキチガイ
「な」は「の」と同じ意味の属格助詞だ(>>250、>>268)
「さし」は「(まっすぐに)向かう、伸びる」という意味の動詞の連用形による名詞化だ
「まなざし」とは「眼+の+向かう所」を意味する、視線そのものをイメージした語だ
動詞の活用語尾だから、「し」はここでは方角ではない
逆に「方角」という名詞に解釈したお前には「なざ」または「ざ」を説明する義務があるだろ
まだその説明を聞いていないんだよなあ
とっととやれよ >>297
だったら「単独のカラが同族を意味している」例なんか無くたっていいんじゃん
自分で言ったことに責任持てよこのダブスタキチガイが
>>280
>>154>>159はお前自身がノリノリで答えたら
>>169でコテンパンにされたので出てこれないんだろう
そうでなければさっさと反論しろよこの卑怯者
文法用語ぐらいちゃんと勉強してこいよ >>284の1行目、安価訂正
誤>>>292
正>>>252 >>282の2行目、一部訂正
誤>>>266はお前だろ。
正>>>262はお前だろ。
まったく無駄レスばっか多くて草生えるな、この統失キチガイめ >>282
お前、耳悪い。
いや、耳というより、脳悪い。
ちゃんと「ハリジィ」と言うとる。
なにが、「ハリギ」や。 >>282
アホ〜。
「指す」は「さ+す」。
「す」は「〜する」の「す」で動詞化の接辞。
「さ」は「先」の「さ」だろう。
で、「さし」は「先の方」になる。
「差し出す」を辞書で見てみろ。
「前の方に出す」と出ておろうが。
「マナ」は眼球で、この場合は瞳孔を意味している。
「ま+な+さ+し」は、「瞳孔の先の方」。
それが「まなざし」の意味や。
瞳孔の先の方には恋人がいたり、片思いの人がいたりするからな。
そのまなざしが、えもいわれん角度の色合いになるのや。
ボケ。 >>284
たまらんアホだなあ。
「ウガラ」「ヤカラ」が同族だとお前がいうから、その「カラ」が同族を指している例を示せというとるの。
それともなにか。
「ウガラ」「ヤカラ」は、それぞれが「ウ+カラ」ではなく、まったくの一語だというつもりか。
お前は、自分で説明できんようになると、相手をののしって、遁走する性癖がある。
ええかげんにせえよ。 >>288
仮に口蓋化してハリジになっているとしても、
haligiという綴りは、どっちみちタガログ語がローマ字化されたときのものだろ
つまりそんな変化があったとしてもせいぜい500年
haligiはハシラとはぜんぜん関係ない
日本語との対応なんていうくっそトンデモなんかより、
オーストロネシア語族の対応表見てたほうがおもろいわ
https://en.wikipedia.org/wiki/Tagalog_language#Austronesian_comparison_chart
>>52に対する>>57がこいつのバカっぷり、知性の無さを露呈してる >>291
ウカラ・ヤカラの中に意味が共通するカラという形態素が存在するって話だろうが
単独の「カラ」が使われなくなってもぜんぜん不思議じゃないんだが?
「語」に拘泥するってことは、お前って語と形態素を混同してるんだろ?
だから言語学の教科書ぐらい見てこいっての
逃げてるのはお前だろうがバーカ >>290
>「指す」は「さ+す」
>「す」は「〜する」の「す」で動詞化の接辞。
>「さ」は「先」の「さ」だろう。
>で、「さし」は「先の方」になる。
「さし」が「先の方」だったらそもそも「指す」を想定して言及する必要もないじゃんwww
なんで挙げたんだこのバカwww
>「マナ」は眼球で、この場合は瞳孔を意味している。
>「ま+な+さ+し」は、「瞳孔の先の方」。
たった2行で破綻してんじゃんwww
いったい「な」はマナ(眼球、瞳孔)の一部なのか、それとも「の」の意味の助詞なのか
お前の中で矛盾してるわこの痴呆徘徊老人がw
そもそも「ま」が眼球だというお前の説の出処が不明だわ
さっさとウィキペディアのリンク貼れよ
どうせないだろうし、あってもトンデモバカのバカ作文だ >>294
バルの存在によって>>171が完全に否定され、以後こいつは沈黙
おら逃亡してんじゃないぞ >>290
>「さ」は「先」の「さ」だろう。
じゃあ「さ」の単独用法を出せよwww
「カラ」について同じ要求をしたお前なら、当然言えるよなw
>>260の
>「し」が、東、西など方向を指す言葉なのも知らんのか。
と言った手前、「さ」を単独の名詞として扱うために
「先」という意味の幽霊語を創作しなきゃいけなかったんだなw
でもそれだと「「す」は「〜する」の「す」で動詞化の接辞」
つまり「し」がその連用形、と言ったことと矛盾するよなw
ちゃんと収拾付けろよ、この統失徘徊老人バカめ >>295
もう頭が錯乱状態になっとるな、お前。
「ま」が眼球の意味なのを、ご存知ない?
何年、生きとるの。
「まぶた」は「マ」の「蓋」じゃないの?
蓋するのは何に対して?
眼球じゃないの?
アホじゃないの?
「またたく」は何?
マ叩くだろ?
眼球を叩くのだろ?
バカなの? >>298
オメは、カラの説明まだできてないじゃん。
先に、お前が説明しろよ。
アホ。 >>298
お前はアホやろ。
前に言うたろが。
「差し出す」
「さ」に当てた漢字が「差」や。
お前が必死に叫んどる「じゃあ『さ』の単独用法を出せよwww」は、とうに言うとるわ、ボケナスめ。
「さしだす」の「さ」が、それじゃ。
ボケ。
お前は、はよ「カラ」=同族、氏族の単独使用例を出せよ。
アホやろ。 >>292
もうお前は頭が混乱して、わけが分からなくなっとる。
ワイは、タガログ語のhaligi(ハリジ)と日本語のハリ(梁)は同系やと言うとるの。
日本語のハシラ(柱)は別の語彙やろが。
あ〜あ、糞やな、お前。 それに、万葉集の歌に出てくる「目」の字の読み方も、はよ調べて、どう読むのか報告せえと言うたろ。
どうなっとるのや。
待ってるのやで。
宿題、多いのう。
勉強しいや。 >>307
私は、貝になりたい、てか。
閉じこもってなよ。
出てこんでええで。 >>302
「ま」は露出形、「め」は被覆形、意味の根本的な違いはない、
俺は既に250でそう言った 「まぶた」の例もとっくに250に出ている。
「またたく」は「眼(が)たたく」だ。お前みたいに眼「を」叩いたら痛いだけだ、この暴力サイコパスが。
それだと星の「またたき」をまぶたの動き(別名まばたき、はためき)と関係付けられんわアホ。誰が星を叩くんだ。
>>303
「カラ」は245でとっくに説明済みだバカ。俺は「形態素は、単独用法を探すまでもなく、
語構成要素としてそれが含まれる語をいくつか挙げることで存在を証明できる」
という立場だからこれでいい。それに反対して何度も単独用法を挙げろと言ったお前は、
290の「まなざし」の説明で「『さ』は『先』の『さ』だろう」と証拠もなく言ったが、それならお前が
「『先』の『さ』」だという「さ」の単独用法を探して証明しないとな。お前は自分に対して不誠実。
誤ったルールの思い込みで、自分にできないことを他人に求めるなバカ。次はお前の番だ。 >>305
それだと290でお前自身が「『す』は『〜する』の『す』で動詞化の接辞」と言ったことと
矛盾するってまだわかってないのかこの間抜けめ。漢字そのものは古代語の構成要素ではなく、
後から当てたものだ。「先」+「する」で「さす」という動詞を作るというトンデモがお前の主張。
でもそれは複合語であって「さ」の単独用法じゃなくね?
わかったらさっさと「さ(先)」の単独用法を出せよ。
>>306
そうじゃない。281で「縦」のものであるhaligiと「横」のものであるハリを簡単に一緒にするなと言っている。
281に対する反論がまだないんだよ。
そもそも語の比較は基本的に「意味」が両言語間で「同じ」であること、
近い意味なら他の例をもっと挙げることが求められている。ちゃんと281に答えろよボケ老人が。
>>308
出題者がバカで出題内容・主旨がまったく意味不明なので答えようがありませ〜ん。
それがわかったから何?勿体つけずにさっさと回答示して恥をかけばーか。
あと「はだゲン」ネタはつまらんので禁止。被爆者を愚弄するな。
ロックしてる人と横棒打ってる人は俺じゃないのでスルー。 2人のうちの一人は、タガログ語と日本語の同系論なんてさっさとやめろと言っている
同系論を提示し始めた広島弁もどきが引っ込めばいいだけの話 でも喧嘩腰じゃん
正論言っても意味ないよそれじゃあ 話が通じない統失に丁寧に接したってつけあがるだけ
自分がもっと偉いと勘違いして上機嫌でデタラメを垂れ流す >>314
ワイは、このアホにからまれて迷惑してるの。
てきれば、こいつがチョッカイ出してこんことを希望する。
そういう立場。
こいつは荒らし。 >>315
それは無理筋。
ワイは、タガログ語の語彙と日本語の語彙に同系のものがあると言っているだけ。
なんの不都合もない。
いいがかりつけてきているヤツが引っ込めば、すんなりおさまる。 >>320
いずれにしても、喧嘩売られたら、ふつうは買う。
デタラメこいて、延々ひきのばしてるのは、このいいがかり野郎。
荒らしなんさ。 例えば、マタタクは(眼+叩く)だというのは常識。
そして、星のキラキラするさまを、(マタタキ)に喩えているのたが、
こいつはそれを曲解して、星のどこを叩くのか、そんなことあり得ん、だからマタタキは(眼+叩く)ではないと暴論を吐いて澄ましている。
わざと荒らしているのは、みえみえ。
だから、ワイが引っ込むとかどうかより、こいつが貝になってとじこもっていればいい、という話。 こいつが、メ(目)はマ(眼)よりずっとあとにできた語彙だとホラ吹くから、ワイは「万葉集の歌に目の字がもちいられているから、この目の字はメと読んだのかマと読んだのかと問うでいのだが、
なしのつぶてで、だんまりしている。
ウカラ、ヤカラのカラが同族を表す言葉だと、こいつが言うので、んじゃカラが単独で同族の意味に使われている用例を示せよ、と問うたらダンマリきめて、ワイが忘れてしまうのを待っている。
こういう賢ぶったパラノイアは、黙り込むまで追い込まなければならん、ということ。 >>325
同族を意味するカラの単語があるのなら、その用例を示してくれというてるだけなのに、ウカラが同族を意味するからカラだけを取り出す必要はない、と無理筋を展開してアホを晒しているが、これがワイに負けた証拠。 >>326
こいつは、こんな体たらくで、語学の修士課程修了だと誇っているのだから、どんだけパラノイアか分かるということ。 >>327
パラノイアは妄想狂とでも訳することができるが、こいつはその強度のパラノイア症だろう。
なんかわけのわからん妄想で、ワイを敵みたいに思い込んでるのだろう。
まあ、パラノイアは病棟へ帰るのが一番だがな。 まあ、ここで一息入れよう。
日本語 hato(ハト)=鳩
タガログ語 kalapati(カラパティ)=鳩
マレー語 merpati(メルパティ)=鳩
スンダ語 japati(ジャパティ)=鳩
この3か国語のパティ=鳩と、日本語のハト=鳩は、同系語だろう。
わははははは。 >>323
お前は自分が言ったことに責任を取れよ
>>302で
>「またたく」は何?
>マ叩くだろ?
>眼球を叩くのだろ?
>バカなの?
はいここ、「眼球『を』叩くのだろ?」と言っているね
だから俺は>>312で「を」ではなく「眼(が)たたく」だ、と言っているね
これは古語の直訳だから「たたく」を「はためく」などの類似した語でイメージするとわかりやすい
星の「またたき」も同じで、どちらの「たたく」も他動詞ではなく自動詞なのだ。
>だからマタタキは(眼+叩く)ではない暴論を吐いて澄ましている
バカだなあ、そんな事は言っていない。「を」ではなく「が」だと言っているのだ。
議論の相手を沈黙させようとしている者がこのスレには何人かいて「貝になれ」だの言っているが、
暴力のケンカじゃないんだから、とことん話し合えばいいじゃないか。
ただこいつみたいにあまりに低レベルだと、人の話をちゃんと聞けとは言いたくなる。 >>326
「単語があるのなら、」いやないと言っている。語構成要素としての形態素「カラ」なら
あると何度も言っているのに、このバカは形態素という言葉がわからないらしい。
から【族・柄】
《満洲語・蒙古語のkala,xala(族)と同系の語。上代語では「はらから」「やから」など
複合した例が多いが、血筋・素性という意味から発して、抽象的に出発点・成行き・
原因などの意味にまで広がって用いられる。助詞カラもこの語の転》
(1)族。血筋。「問ひさくるうがら(親族)はらから(兄弟)無き国に」<万葉集460>
悉(ふつく)に親(うがら)族(やから)を集へて宴(にひむろうたげ)せむとす」<日本書紀景行27年>
『岩波古語辞典』
(2)以降では「すじ。素性。素質」「自然の成行き」「ため(為)」といった抽象的な用法に転じていて、
それも複合語が多いが、単独用法もある。だが用例を見てもわかるように(1)の意味の単独用法は
すでになく(氏ウジよりも古い概念だったという)、(2)以降とは別の概念である以上、
「カラ(氏族)の単語としての用法はなく、その名残りである語構成要素としての形態素「カラ」ならある」
というのが正確だろう。一体何を下衆の勘繰りしてしつこく食い下がっているのか、しかも勝利宣言とか
全く意味不明だ。 >>329
よし、鳩を意味するパティの単語があるのなら、その用例を示してくれ あと、>>262のhaligiをハリジと誤読したことをまだ謝ってないよな
そもそも梁(はり)に影響したんだったらパリギでないとおかしいだろ
なんでHを見ると脊髄反射で古代日本語のPじゃなく現代日本語のHとつなげちゃうんだろう パタパタと羽音をハタめかせながら翔ぶからなぁ
クックッと鳴くから鳩という国もあるそうだが >>330
妄想で語義解釈すんな。
「たたく」と「はためく」と何の関係あるのよ。
お前、バカじゃないか? な。
こいつがワイにからんできてるの、分かるやろ。
ワイが一休みというたら、すぐ追いかけてきて、イチャモンつけてくる。
パラノイアの性癖だな。
妄想が妄想呼んで、舞い上がってしまうんだろな。
かなわんよ。 >>331
何回おなじこと言わすの。
族を表す「から」の単語があれば、それを書き出してくれ、と言うとるのに、分からん奴やな。
「柄」の字で表している「がら」に、族を表す意味があるなら、その例を書き出してくれよと言うの。
「カラ(氏族)の単語としての用法はなく」と言ってるが、単語がなければ証明できんじゃないか。
証明できんのに「あるある」と言うても、説得力ないわなあ。
だから「あるある」詐欺じゃねーの、と。
「その名残である語構成要素としての形態素『カラ』ならある」
アホだろ。
「その名残」などという架空の捏造するんじゃねーよ。
ハラ(腹)なら同族の意味は可能なのだから、学者たちがそのハラとハラカラのカラをとり間違えたというのが正解じゃろ。
その学者の誤りをそのままエラソーにとくとくとワイに説教したところが、
返り討ちにあったというわけ。
そこで、捏造してその場を切り抜けようとしているお前は、アホのパラノイア。
妄想力だけは一人前じゃな。 >>332
ほんまに、お前はパラノイア。
ワイはパティという単語があるとは言うてない。
鳩を意味するkalapati、merpati、japatiの語があるので、その共通語幹が鳩を意味しているのだろうと想定し、そのpatiの発音と日本語のハト(鳩)は同系だろういうとるわけ。
このpatiが鳩を表す単独語彙であるかどうかは、まだ分からん。
いくらハラカラのカラの単独語彙を示すことができなかったからとはいえ、あまりに言いがかり過ぎるではないか。
なんなら、お前がpatiという単語があるかどうか調べてみて、そんなのないならないと言えばええじゃないか。
自分で調べろ。
トンマめ。 >>338
『デジタル大辞泉』より
【はた・く】
1)打ち払う。ほこりなどをたたいて払う。「障子をはたく」
2)平たいもので打つ。たたく。「ほおをはたく」「布団をはたく」…
というように、「たたく」と似た意味の「はたく」が、国語にはある。
掃除道具の「はたき」にもあるように、何度か繰り返す動作を指すこともある
鳥が「はばたく」という動作は、羽(ハ)を何度も叩くように動かす動作だ
また、名詞などの語幹に「めく」が付くと「そのよう(な状態)になる」という動詞を派生する
「春めく」「ざわめく」「ひらめく」などを見るとわかるが、
「はためく」は「何度も叩くような動きをする」という意味に取れる
言語学的な考察っていうのはこういうふうに積み重ねるもんだ
わかったか、カスが >>339
お前が一休みとして言うべきなのは、「もう降参しました。構わないで。お願い」だろ
ところがやったのは、ただ頭子音が似ているってだけの例を、
歴史的音変化を無視して並べるだけ
トンデモにトンデモを重ねてるだけじゃん
みんなに休みましょうなんて殊勝な呼びかけしてるようには見えないよ。 >>340
>ハラ(腹)なら同族の意味は可能なのだから
ほらバカの本音が出た。「腹・hara」(現代日本語)は万葉時代にはparaだったのが確実だ。
だから満洲語・蒙古語のhala・xalaを日本語の「腹・para」と「取り違えた」なんてありえない。
xalaを結びつけるなら、ハラカラのハラではなくカラなのだ。その傍証となるのがウカラ・ヤカラだ。
お前は他人の話が聞けず、過去の研究の成果を証拠もなく気軽に否定し、
日本語史の常識も知らない。そのくせ思いつきだけの表面上の他人の空似ばかり挙げる。
誤りを客観的な方法で指摘されても無視する。統合失調症の徘徊老人そのまんまじゃん。
他人の説明を妄想呼ばわりするとか、お前が言うなw >>342
そのpatiはただの想像の産物でお前の妄想じゃないの?
だって単語としての用法がないのなら存在を認めないんだろ?(皮肉)
バカには皮肉が通じないからわかりやすく言ってやろう。
お前がpatiについて「その共通語幹が鳩を意味しているのだろうと想定し」
の「共通語幹」という間違った用語法で指しているのが、
お前が(意味がわからないから)ずっと無視し続けている、
「意味を持たない音声連続」以上で「語」未満の「形態素」という概念なんだよ
ハラカラのカラに単独用法がないからといって形態素という概念すら無視して
単語としてなかった、だけを連呼するのは、
-patiに単独用法がないから単語として存在しない
(なお形態素という概念は知らないし認めない)、
と言っているのと同じことだろうが。「形態素」がわからないなら自分で調べろ、トンマが。 1)定説により、日本語ハ行の子音は当初 [*p] であった可能性が高いとされる。
奈良時代頃までにはこれが摩擦音 [?] (ファフィフフェフォのような音)へと変化していた。
2)中古期にはハ行転呼と呼ばれる大きな変化があり、語頭以外(語中および語尾)の
ハ行子音 [?] に弱化が起こって、[w] をもつワ行音へと合流した。
3)続いて、ワ行のうち、鎌倉時代には「ヰ、ヱ」 wi, we が、江戸時代初期には「ヲ」 wo
が唇音を失い、「イ、エ、オ」 i, e, o へと合流した → 詳細についてはゐ ゑ をの各項を参照。
4)最後に、近世に入る頃、語頭に残っていた [?] 音にも(フ音以外に)変化が生じて、
一般に [ha, ci, ??, he, ho] (ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ)と記述されるような、現在の音形に近い形
が誕生した。
ウィキペディア日本語版「唇音退化」の項目より。最後のハヒフヘホの子音部分は文字化けするだろうから、
一応リンク貼っとく。読みこめるかどうかわからんが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%87%E9%9F%B3%E9%80%80%E5%8C%96
な?俺って親切だろ?お前はリンク一つ貼らないよな。万葉集の「目」がどうしたって、
いまだに説明できてないし、あれってただのハッタリじゃね?逃げんなよ。 >>331
お前が書き出している満州語・蒙古語のkala、xalaは、女真語ではハラだ。
k音、x音は、発音ではhaだよ。
だから、日本の学者たちはこのkala、xalaをカラと読んで、ハラカラのカラと同系だと勘違いしたんだ。
その辞典の学者たちの勘違いだ。
kala、xalaの発音はhalaだ。
ボケ >>344
「はばたく」は、羽撃く、羽摶く、と書くが、この撃、摶はともに「うつ」だ。
羽を打つわけだ。
たたくと意味は類似している。
「またたく」の「叩く」と似たようなもんじゃ。
アホ。 >>348
万葉歌調べてみ。
すぐ出てくるわ。
その「目」をどう読むかだよ。
調べてから言え。 >>347
タガログ語 kalapat=会合
マレー語 merpat=併合
スンダ語 japat=会合
これらは、一つの語彙から分かれて語頭に音が付加したものだろう。
ハトは群れをなして飛んだり、地上では餌に集まってくる。
それでpatがついているのだ。
語尾のpatがみな同じなので、これらの語彙の祖形がpatのような形だったのは、容易に考えることができる。
そうすれば、日本語のハトのほうが、その祖形に近いとみることができる。
お前も、ごたくばかり並べておらんと、ワイくらい熱心に調べてみろよ。
わははははは。 >>352
追加
日本語のハト(鳩)の語義は、(集まってくるもの)かもな。
わははははは。 寺やなんかに集まってくるカワラバトは元々日本にも近隣アジアにも居なかった
日本に居たのは山でひっそり暮らすキジバト >>346
その同族を表すカラの単語見つけ出してからごたくは言え、となんどいうたか。
証拠もないのにこうだああだと無理押ししても無駄。
まず、証拠だせ。
まあ、お前には無理だろうがな。 >>354
パラノイア、調べてから言え。
在来種は、カラスバト、キジバト、ベニバト、キンバト、アオバト。
これに、1500年程前に渡来したカワラバト。
いろいろあるぞ。 >>357
調べたつもりでトンチンカンな解釈
アホだなお前
自分から言ってることが矛盾しているぞ
在来種っていうのは「もともとその地域に生息している種」だよ
1500年前に来たカワラバトがなんで「在来種」なんだよ
れっきとした外来種だろうが
それ以前には日本に生息していなかったってことだろうが
言葉の意味をちゃんと考えろ、徘徊老人め
例えば明治維新以降に、のようにいつの時代から日本にいたかを基準に定義するのは
近代日本の生物学の便宜上の区分であって、
歴史上の相対的な「在来(土着)⇔外来」という区分とは関係ないだろ >>352
それは鳩と関係ないな
マレー語では-iという接尾辞が付くと別の他動詞を活発に派生する
それらに対してmerpatiは別の次元で存在する同音異義語にすぎない
それにpatiを単語として取り出せっていう宿題には答えられていないじゃん
それができないとお前は複数の語を同源と認められないんだろ?
だから「形態素」という概念を頑なに使わないわけだがwww
でも「一つの語彙」という言い回しを使い続ける以上、お前はpatやpatiという
「語」が単独で存在したことを証明しなきゃいけないわけだwww
とっととやれよ >>351
やーだよ、めんどくさい お前がやれ
「ま」が眼球、「め」が視線、なんてお前のバカ創作の可能性大
まあ過去説にそれがあったとしても、そう誤解する理由はある
マは露出形だから、後ろに必ずなにか名詞や動詞が来る
後続要素つまり被修飾要素が名詞である場合、それが具体名詞ならマの使い方も身体器官としての具体名詞、
つまり眼球や瞼周辺を含むものになる 後続要素が抽象名詞である場合、マの意味も抽象的なものに近づく
だが後者はほとんど不可能だ
古代日本語の和語に抽象名詞は非常に少なく、あっても文法的な役割を持つ形式名詞ぐらいだ
マ+抽象名詞 という組み合わせはほとんど存在しえない
だからマのほうに視線という意味は生じにくいのだ
唯一あり得るのは、単用のメを目的語とする動詞、主語とする自動詞や形容詞のイディオムだ
これはメの意味自体を抽象的に拡大するやりかたで、これなら比喩的な用法を通じて
抽象的なさまざまなイディオムを派生できる。例を上げるのも面倒だから古語辞典でも国語大辞典のたぐいでも引くといいよ >>350
俺に安価してなに俺と同じこと言ってんの?
ほんと統失だなお前
統失って統合失調症の略な
意味は自分で調べろ だいたい、万葉集について特定の「漢字」を挙げて、それをどう「読む」かを
問題にするっていうのが言語学の話題としてズレてんだよな
万葉集は音声言語しかなかった上代日本語を、あの手この手の漢字あそびで
なんとか読めるように工夫した、行き当たりばったりの創作の産物だよ?
日本語の合理的な正書法なんか、なかったんだよ
言い換えれば一つの「ことば」にたいしてそれをどう「書く」かは一定じゃなかった
「漢字一字」を出発点にしてこの書物のコトバを語ること自体がナンセンスだ
あーいるよね、この板には「言語=文字」って決めつけて
「文字」に魂が宿ると思い込んでる土人もどきが
言葉を見ずに文字から出発する発想のやつってそこで満足するよね
だからリンカーの定義に接着剤がどーたらとポエムまがいのトンデモかますバカがいる
文法なんて興味無しで名詞の表面上の類似しか見ないバカ >>358
とうとう頭に来たな、パラノイア。
在来種に対する言葉が、外来種だろが。
カワラバトが外来種で、それは1500年前に渡来したと書いてあるだろ。
お前は、おろかにも日本の在来種がキジバトだけだと勘違いしつつ、カワラバトは外来種だと言うたわけ。
ちゃんと調べてから言え、パラノイア。 >>368
ZOZOTOWN前澤社長の仕掛けたトリック >>370
自分を作品に載せるとは、どういうことか? >>359
タガログ語のkalapati(鳩)の成り立ちは、次のように理解することができる。
karamihan=群集、多数派
karami=多くの
napakalaking=塊状
これらから、kalaは(多数、多くの)の意味。
ang isa pa=寄り合い
malapit=寄る
pa、pitが(寄る)を意味している。
上のkalaと下のpitを構成したのが、次の語彙だ。
kalapat=会合
(多数が寄り合う)という意味になる。
このkalapatにi音を付けたのがkalapati=鳩、だ。
このkalapati=鳩は、語義としては(多数が寄り合うものたち)ということになる。
したがって、kalapatiのpatiの単体としては、上記ang isa paのpaに求められる。
つまり、このpa(寄り合い)が、patiの語幹語だ。
パラノイア、お前もワイくらい努力せいよな。
わははははは。 >>346
上代のパラと現代のハラは、基本的に同じじや。
女真語のハラ(部族)と上代パラ(腹)は同系。
何度も言わすな、アホ。 >>362
そんなごたくは、いらんよ。
万葉歌の「目」の字をどう読むのか、言えよ。
分からんのなら、分からんと素直に言えばええだけ。
はよ。 >>330
いずれにしても、お前は負け。
素直に、ゴメンナサイ、しろよ。
わは。 >>368
357は、354に反対してるようにしか読めんだろがw
自分の言い方ぐらい工夫しろばーか
なお俺は354じゃないからお前は誰と戦ってんの状態wwww
まさに徘徊老人ボケ老人wwww
>>373
とうとう幽霊語まで動員してkalaに近づけてきたよこのバカw
ang isa paはそんな意味じゃないし、だいいちそんな単語列作るのが無理そう
これを文法的に解析できたら認めてやるけど、「寄り合い」なんていう意味じゃねえよ
ハッタリにしてもやっていいことと悪いことがあるわバーカw
>>374
大陸のハラを取り入れたものがなんで同時代の上代にパラになるんだよwww
日本語でPがp>Φ>h>(語頭でh、語中でゼロまたはw)と変化して
hになるのはその千年以上後の時代だって言うことがまだわからんのかこのスカポンタンwww
>>375
そのキチガイ設問のイミフ回答を示さないのは、てめえの頭がバカだっていうのを認めてるのと一緒だ文字バカの土人め >>375
「漢字の読み方」から出発して言語を語ろうとしてる時点で言語学未満
そんなこともわからないお前はトンチンカンのクルクルパー
最初からバカの乞食だから裸の王様ですらない >>373
>ang isa pa=寄り合い
っていうが、
angはリンカーの一種で主題を表す(ここでは英語のtheみたいなもん)、
isaは数詞で「一つ」という意味、
じゃあpaが鳩の単数とかそういう意味かと思ったらそうじゃなく「まだ、さらに」という副詞らしい
ここまでは『エクスプレス・フィリピノ語』巻末の語彙索引で解けた
で、念のためang isa paをグーグル翻訳にかけたらやっぱり「もうひとつ」っていう意味
「寄り合い」ってなんだよwwwwwデタラメじゃん >>345
王道にしちゃ、けちくさいこというなあ。 >>380
オメの頭、硬いな。
翻訳はグーグルだけじゃなく、glosbeもみよ。
paは、(もっと、さらなる、追加的な)の意味。
kalapatが会合・合同になるのは、kala=多くの、pat=さらにで(いっぱい)の意味になるから。
人がいっぱいになるのが会合、合同だ。
日本語で(寄り合い)をひけば、ang isa paが出るのは、さらに(集まる)という意のpaがあるためだ。
このpaが、kalapatiのpatiの単独語なんだよ。
ウガラ、ヤカラのカラが同族を意味するという単独のカラの用例は、まだか。
わははははは。 >>381
だって王道王道言ってるのは別のやつだし
あと、イミフの関係ないレスも別のやつ
ケチの反対の気前の良さを見せるとしたら
悪意ある誤解を繰り返すキチガイ相手じゃないだろ
>>382
「寄り合い」をひけばang isa paが出るっていうのがもうおかしい
それは翻訳エンジンが壊れてるか何かだ
んなもん当てにして故障も疑わないのがお前のポンコツぶりの証拠
あとのたわごとは聞くに値しないわ、ずっと同じこと繰り返してろば〜〜〜〜〜かwww >>383
要は、負けました、ということね。
わははははは。 >>387
インチキ勝負じゃん
最初から答えなんてないんだろ
だったら誰でも勝利宣言できるわwwwばーか >>387
そんなことよりさっさとリンカーの定義を言えよ
接着剤なんてポエムじゃなくて、ちゃんと学術的に裏打ちされた用語を使えよ
ウィキペディアで調べればいいだけだろ、サボってんじゃねえよ
多分英語版で見てグーグル翻訳にかければいいぞ
お前はどうせできないから、はい俺の勝ちな >>391
はいお前の負けな
わははははは。わははははは。わははははは。 目にしろ、鳩にしろ、腹にしろ、自分では何ひとつまともな解説ができんパラノイア。
こんなふうにして、荒らしつづけてきたロクデナシ。
貴重な人生の時間を浪費して、はてはそのうち還暦に。
まあ、そういうことにハタと気がつくような人間じゃなし、か。
アホラシ。 お前、パラノイアって他人の口借りてるだけで意味わかってないだろw
調べればお前のことってわかるぞw
意味わかんないままのただの罵倒にしかなってないしな で、こんなんもあるぞ。
タガログ語 ako(アコ)=私
日本語 ア(吾)=私
わははははは。 >>402
ちょっと残念だけど、微妙になってきた。
タガログ語のako(私)は、a+koで、ko=私のようだ。
マレー語でも、aku(私)のほかに、ku(私)もある。
どうやら、タガログ語のaku(私)と日本語のa(吾=私)は、別々の語彙だろうね。
申し訳ない。 かわりに、これどう。
日本語 khosuru(コスル)=擦る
タガログ語 kuskusin(クスクシン)=擦る
くすぐったいかもね。 >>408
その古英語の時代はイッキとかイッチみたいに発音していた
オランダ語では今もイック、ドイツ語では摩擦音化してイッヒ
英語ではその後cが落ちて代償延長という変化でイーとなり
500年前の母音大推移でアイになった
古英語の段階ではアの音はない >>403
そのkuやkoの部分の方は、中国語やチベット語の系統のngaとの可能性を検討できる要素
そのngaは日本語のa,waにつながっているかもしれない >>407
スルとコスルは、別。
コスルは、カスル、サスルと同類。
コスルは、(コス+ル)。 >>410
タガログ語のako(私)のko、マレー語のaku(私)のkuについては、以下のほうが類似性が高そう。
ベトナム語 cao(私)
タイ語 ku(私) タガログ語ダメ押しの一つ。
日本語 kama(カマ)=鎌
タガログ語 kamay(カマイ)=手
稲などの株を刈り取る農具が、鎌。
この字の漢音は、レン。
その鎌を、なぜカマと呼ぶのか。
タガログ語で、手のことはkamay(カマイ)。
また、kamao(カマオ=拳)。
つまり、鎌の金属部と木製の柄の部分の形が手の形に似るから、この鎌をカマ=手と呼んだもの。
日本語で猫などを相手に遊ぶことを(カマウ)と言い、また格闘するときの姿勢などを(カマエル)という。
いずれも手でもってそのような仕草をするので、その手の呼び名である(カマ)が用いられた。
タガログ語のkamay(カマイ)=手は、その日本語のカマ(鎌=手)と、まったくの同系の言葉だといえる。
先にも述べたが、日本語のタ=手もタガログ語のtainga(タインガ)=耳と同系の言葉であった。
日本語の語彙には、フィリピンタガログ語と同系とみられる語彙が、実に相当数みつかるのだ。
その語彙の祖先は同じ、ということになってくるのではないか。
わははははは。 音が近いと意味が遠い
意味が遠いと長々と理屈を付ける
しかも音が近いと言ってもいつも単発例で法則性ゼロ
かえってウソくさいんだよ
わかってねえなあ >>416
だが、反論できんパラノイア。
その理屈を覆せない脳タリン。
難癖つけるだけの勉強不足。 >>422
勉強不足はお前だ
「偶然の一致」ではないことを示すための方法論が比較言語学にはある
お前はそれを知らずただの語呂合わせを繰り返す統失 >>423
お前がその方法を使って、偶然の一致か有意であるか検証してみればいいこと。
お前が正直なら、その結果をワイの報告すればよい。
それだけの話。 >>425
それはお前の仕事
タガログ語と日本語の関係を信じている者が証明するのが当然
「難癖つけるだけ」のやつは、解決法を示さないが、
反論者である>>416はすでに代案を示している
音が近くて意味が近い例を、いくつも挙げればいいのだ
音がそう近くなくても、並行した類似例をいくつも挙げ、法則性を示せばいいのだ
これだけヒントを貰っていながらそうしないのは、お前の怠慢
他人の空似的な、単発の類似を一つ挙げてはごちゃごちゃ理屈をこねて、法則性も示さずドヤ顔
比較言語学の手法は別に俺の発明ではなく、言語学の常識
お前は常識を無視しているだけのアホ >>426
お前がやれ。
ワイは、そこまで興味なし。 >>427
大した興味もないくせに表面だけの類似ではしゃいでるだけか
そんなの言語学じゃないから出ていけよ
言語学と関係なくても平気なんだから出ていけよ さて、タガログ語語彙の中には、日本語の語彙と極めて類似するものがある。
おそらく、タガログ語の祖語と、日本語の祖語が非常に近い時期があったためだろう。
そのために、日本語語彙の中にタガログ語の語彙と極めて類似するものがみられるのではないか。
次のものは、そのことを指し示す例のようにみえる。
タガログ語 matur(マツル)=ありがとう
日本語 matur(マツル)=祀る
タガログ語では、salamat(サラマッ)は、ありがとう、感謝の意味だ。
なので、salamatの語幹のmatと、maturの語幹のmatuは同じであり、このmatが感謝、ありがとうの意味を持っているとみることができる。
そうなると、日本語の祀る(matur)の語幹であるmatuが神を祀り、神に感謝することであることを考えると、タガログ語のmaturと日本語のmaturはほぼ同系の語彙であると想定することが可能となる。
このことから、日本語の(祀る)とは、神に感謝する意であることが推測されるのだ。
日本語の(祀りごと)とは、そうむずかしい内容なのではなく、ごく当たり前に神に感謝することだといえる。
祀るとは、そういうことなのだ。
わははははは。 [まつる] 食物を供えたりする儀式を行い神霊を慰める、祈願する
悪さをしないように安らかにゐますようになだめるのである
感謝どころではない
うっふっふ >>432
その解釈はよくみるが、しかしその解釈では、収穫祭で初穂を供えることの説明ができない。 不作になりませんように、と、豊作になりますように、は同じことだから
畏れと感謝は表裏一体なんですよ >>435
だいたい、豊作祈願、不作にならないように願うのは5月の田植えの祭り。
秋の新嘗では、そのような祈願はしない。 韓国のインチョキ教授みたいだな
語呂合わせ的に日本語と韓国語で似た単語見つけてきて根拠もなしに韓国語起源を主張するキチガイ ハルナの御山が火を噴いて一帯は熱気を帯びた灰や岩で覆いつくされた
山の神が怒りを解くように皆祈ったが収まるものではない
ムラオサ兼警察署長が甲冑をつらねて完全武装で山の神と対峙して鎮火させようとした
ムラオサは熱い灰に包まれて死んでしまったが、祈りが通じてやがて噴火は収まった
千五百年の後に甲冑姿のまま、火砕流堆積物に埋もれ、山の方向に向いた遺体が発掘されたらそれはこの時のムラオサである
神の怒りはすさまじい >>443
その二つにモンゴル語も加わると様子は一変し、モンゴル→朝鮮→日本へと語彙が動いたを表すようになる。
さらにそのモンゴルの先に同様の語彙がみられるとなれば、日本の語彙はもう中央アジアにまで広がる語彙だということになってくる。
つまり、日本と韓国の語彙が同系だというだけのものではなくなってくるのだな、これが。 >>445
これは、スレッド間違い。
ここは、タガログ語のスレだったな。
ごめんちゃい。 このタガログ語の祖語と縄文語が1万2000年前頃に接触して、現在の日本語の祖語が形成されたとのモデルは、まず間違いないところだろうな。
1万2000年前頃にそのタガログ語祖語を話す者たちが上陸したのは南九州で、その遺跡もちゃんと判明している。
舟を造るための丸ノミ型石器がみつかっている。
この形の石器は、南方でみられるものであることは証明されている。
また、燻製施設、蒸し焼き配石も見つかっていて、いずれも南方起源のものだろうということだ。
この南九州には在来の縄文人がいたわけだから、彼らと混交したと考えられる。
そこで、縄文語とタガログ語祖語の者たちとの混合語ができたというわけだ。
肝心なことは、1万2000年前頃に南九州にやってきた者たちの起源地が、どうやら中国南東部あたりであったらしいことだ。
この中国南東部あたりは、タガログ語祖語を話す者たちの起源地でもあると考えられている。
で、現代の日本語の語彙とタガログ語の語彙に少なくない類似がみられるのは、このためだというのがワイの主張なのだ。
そして、現代科学は、その中国南東部あたりがYハプロO1aの起源地であることも突き止めている。
現在の日本ではY-O1aは少ないが、彼らが日本語の祖形を形成した片方の主役だったことは、たぶん間違いないだろう。
フィリピンのタガログ語話者のO1aは、日本人の親戚のひとつだということになるのだ。
わははははは。 ハロープロがどうしたとか煙幕張って一酸化炭素中毒を狙ってるんだろうが、妻がピーナでタガログ語話者が親戚になったのだろう >>451
しかしまあ、タガログ語話者も、種族的には中国南東部福建省あたりが発祥だがな。
最近は、縄文中期頃に焼畑を持ってやってきた者たちもいて、この種族は広東省あたりが発祥と主張されているようだ。
またさらに、縄文晩期に水稲をもってやってきたのは、やはり広東省あたりが発祥の種族らしいから、とにかく日本の初期の文化形成にあたって、中国南部発祥の種族が大きく関与したことは間違いないだろうな。 稲作が中国南部あたりから日本へ渡来したんだろうとは近年言われていること
だが、言語も同様と断ずることもできまい
台湾、フィリピン、マレー、ミクロネシア、ポリネシアあたりがオーストロネシア語族として捉えられるのが一般
日本語とオーストロネシア語族とは音韻や語彙に関して十分ではないが類似も指摘されてはいるが、推定にとどまる例が多い
北方のアルタイ語族との類似も過去に注目されたが、類型的に似ているとの意味以上は出て来ていない
日本語は北方系の要素もあり、南方系の要素もある言語のようだ
特にこの言語と同系統だと言ってしまうことはできない
だからこそ、いろんな系統論が出てきやすいんだろうけどね そもそも印欧語の系統図って
印欧語族が常に征服者だったからこそ成り立つもので
アジアでは単一の語族が支配的なわけじゃないから
同じような系統図が作れるわけがないんだよね 世界の支配人種であるヤムヤナ人はホモサピエンスの最高傑作だからな
そこらの劣等民族はわけが違うわけよ まあ、日本書紀の日向神話などにみられる南方系説話の痕跡と、タガログ語の語彙と日本語の語彙が類似するケースが多々みられることとは関連があるということになってくる。
そして、これに南九州における考古学的な知見を合わせると、縄文時代に中国南部発祥の種族と旧石器時代から列島に在住してきた縄文人との混交が起こったことは、相当高い確率で想定できるだろう。
これまでに言われてきた日本文化の基層には南方系の文化があるとする説は、こうしたことによって立証されるのかも知れない。
ただ、元々の基層文化は北方系縄文人の文化であり、その基層に深く関与したのが渡来した南方系文化だというのが正しい見方だと思われる。 そこで、この証拠。
タガログ語 kataan(カタアン)=言葉
タガログ語 kata(ケイタア)=言った
日本語 kataru(カタル)=語る
日本語のカタル(語る)の原意は、(言う)かもな。
わははははは。 >>461
へぇ〜
先進国である日本や欧米に人権が人気なのはもちろん知ってたけど
後進国にも人権ってあるのか >>460
台湾からポリネシア系が南へ拡散したのは古くても5000〜2500年前のことだという
フィリピンを経て紀元前2000年頃にはインドネシアに達した
5000年前であってもその頃には日本列島、琉球弧とも既に縄文人が暮らしており、ポリネシア系は入り込む余地がなかった
その後、台湾には渡らなかった華南の人々が弥生人として稲作とともにやって来た
ただし、オーストロネシア語を話すモンゴロイドとしてはもともと華南、台湾にまたがっていたのだが、台湾に渡らないまま華南で数千年を過ごした人たちが日本に来たもの
>>461
カタルは、ある程度まとまった考えやストーリーを述べること
暗唱したものを節をつけて吟じたりもする
イフとは違ったニュアンスを持たされた別語彙 つーか今の日本人の遺伝子にオーストロネシア系民族の血って入ってないだろ
そりゃ言語自体は生物学的遺伝と関係なく伝播することもあるけどさ 華南から渡って来た人は台湾原住民と数千年の時を隔てて北方モンゴロイド化し、風貌もポリネシア系のそれではなくなっていた
ただ、ポリネシア系とは下戸遺伝子を共有し、日本にももたらされた >>463
中国南部からフィリピンなどへ渡った第1波は、1万2000年前〜7000年前だったというのが通説だけどな。
「フィリピン基礎講座ー歴史(先史時代からスペイン来寇まで)」
をみてちょ。 >>463
現代の日本語の意味では、それが正しいが、古い時代には(語る)は(話す)くらいの意味だったと思うけどね。 >>464
こういう語彙の対照では、語幹の発音が似ているかどうかが重要。 >>465
この1万2000年前の渡来者は、Y−O1aだったと思うね。
日本人のO1aは全体の1.2%ほど。
1億2000万人に対して1.2%は、144万人になる。 まあ、どちらにしても、日本語にはオーストロネシア語族の最も古い語彙が現在も存続している可能性が高い。
学者の中には、日本語をオーストロネシア語族の中の一つとみなす者もいるそうだから、
日本語の語彙とタガログ語の語彙には類似するものがかなりみられるというワイの主張は、そうそう間違ったものではないと言うことができる。 母音終わりの発音や、ワクワクだとかピチピチだとか繰り返す擬音・擬態語は南洋の香りがするけれども
文法は北方系のようで、モンゴル人力士の日本語のうまいこと
語順が一緒だとか >>472
学者の言う“二重構造論”が、それだよね。
元々の縄文語は、北方系じゃないかなあ。 >>474
弥生は、どうみても南方系。
O1b1だし。
縄文南方系は、無理。
ナイフ型尖頭器や細石刃は北方種族由来。
縄文北方、弥生南方は、動かん。 弥生人は顔だけ見てると醤油顔で北方大陸人風だけど、熱帯作物である水稲を栽培してきたポリネシア系華南人の末裔
彼らがやってくる前に列島に居た縄文人は、半島からも樺太からもいろんなところからやってきた旧い人種
寒冷適応したモンゴル風の顔が出て来るより前の顔
弥生人の方が大陸でモンゴロイドの影響を受けていた
‥そういう構図が描けるわけだが、さぁ、当たってるのかどうか知らん >>475
ルート自体は両方南方経由の北方なんだよ
ここでいう南方北方は言語の話 中国南部、台湾、フィリピンなどで濃密にみられるY-O1a系の細分類は、ウィキによると次のような系統になるようだ。
O1a1a2=日本、浙江
O1a1a2a=北京
O1a1a2a1=北京、湖南、福建、雲南タイ族
O1a2=台湾、フィリピン、インドネシア、マダガスカル、メラネシア、ミクロネシア、ハワイ
これをみると、台湾やフィリピンほかオーストロネシア語族とされる系統は、中国南部から渡海した時にO1a1a2系統から独自にO1a2に変容した可能性がある。
一方、日本と百越系はO1a1a2の基本系を維持しているようにみえる。 華南 → 台湾 → フィリピン、インドネシア、メラネシア、ミクロネシア、ハワイ‥
華南 → 弥生人 >>484
弥生人の先祖の起源地が華南であるのはそのようだが、弥生人のYはO1b2a1とされ、朝鮮民族や満州民族の稲作民はO1b2a2とされている。
そして、東南アジアなどにみられるオーストロアジア語族の話者はO1b1a1aとされ、日本などのO1b2とともに中国南部で発生したとみられている。
そこで、同じ華南発祥でも、日本や台湾などへ渡ったO1aは浙江省・福建省あたりで、東南アジアへ南下ししたO1b1や日本などへ稲をもたらした弥生人O1b2は広東省・広西壮族自治区あたりであったのではないか。 日本のO1a1a2は、オーストロネシア語族である台湾、フィリピンなどのO1a2の祖先と近い関係なのかも。
台湾やフィリピンに渡る前の浙江、福建にいた祖先たちは、O1a1だったのかもね。 華北にO1aはみられず、一方朝鮮、満州、モンゴルにまでO1aがみられるということは、このO1aは日本から北上していったものと考えるのがよい。
1万年前には九州系とみられる土器を持った種族の遺跡が済州島でみられ、7600年前には蔚山にも九州系の土器を持った者たちが進出している。
満州などのO1aは、南九州系の縄文人が北上していった痕跡だろう。
この時期はヒプシサーマルの気温上昇期だから、その気温上昇に乗って海岸を進んでいった。
満州の遼河文明で出土する土器には、九州の土器とよく似た隆起文土器がみられるそうだ。 >>491
近畿が密度高いところみると、確かに弥生の遺伝子だろう。
O1b2だな。
中国大陸の沿岸部北上した者らはO1b1。
発生元は広東。 近畿に密度が濃いなら弥生人じゃなくて渡来人でしょうが >>495
近江には弥生前期の大水田の服部遺跡があり、この服部遺跡にまさる大水田が弥生前期の葛城で開発されていて中西遺跡の名がついている。
いずれも、当時列島最大規模の水田だ。
近畿にはすでに弥生前期から相当な資本投下がなされ、渡来系弥生人の入植も進んでいたとみるべき。 >>494
今みたいに行く先々でコンビニがあるわけじゃないから、食料自給しながら進んだとすれば、必ずその痕跡が残る。 最近の血液。DNA研究
北方バイカル湖畔から、Y染色体のD系統を持つ人々が華北へ、さらに日本列島にやってきて縄文人の中核を形成した
その後、弥生時代にやってきたのは華南長江流域で水稲栽培をしていたO系統の人たち
やがて稲作は日本列島から韓半島の南部へも波及した
半島の人たちもO系統であり、その昔住んでいた弥生人(倭人)の後裔が特に南部には多いであろう
現代日本人のY染色体D系統は3割、O系統は5割
O系統は稲作の普及とともに列島に広がり、先住の縄文人と混交しながらも、人口爆発を起こしてその染色体比率を高めた 愛媛県松山市の『東進衛星予備校』の佐伯早苗の態度=「お客様のお子様より友人が大事」←中学生か???!!! 全然関係無いけどY染色体ハプログループで個人を人種分けしようとするガイジ5chにめっちゃ多いよな
Y染色体で遡れるのは父親の父親の父親の父親の・・・・・・・父親の父親が何人かだけなのに >>498
>最近の血液。DNA研究。
北方バイカル湖からY染色体のD系統を持つ人々が華北へ、さらに日本列島にやってきて縄文人の中核を形成した
mazika!
そんな研究あったら、出せ。
日本中、大騒ぎだぞ。 >>502
そのずっと昔の父親のYがD1bで、それ以降も全然変わらん頑固者。 >>505
マクロな民族集団全体レベルならハプログループを分析することは意味をなすけど
個人レベルだとその人を生み出した数万人のご先祖様の中のたった一人がどのグループだったかしか分からん
最低限その血が入ってるいることが分かるだけで個人レベルでは大して意味のない情報 今の日本人で弥生人同様の醤油顔をした人でも高率で南洋に展開したオーストロネシア語族と共通する系統のY染色体を持つというところに意味がある >>508
O1b2だったら、オーストロアジア語族関連だけどね。 >>506
その個人が、どの種族の系統であるか分かるというだけ。
現在の社会文化的アイデンティティとは別のアイデンティティを示すことになるが、ロマンチシズムを満足させる程度であって、個人の問題としては大きな意味は持たない。 >>512
そうだね。
ただ、それは集団としての経歴であって、Yに関しては個人の出来事はあまり関係しないかも。 言語の系統を探るスレであって、個人のことをやってるんじゃないよ タガログ語と日本語の関係は深い。
日本語 arara(アララ)=驚き、心配
タガログ語 alala(アララー)=心配、気遣い
この表現は、世界で日本語とタガログ語しかない。 ooh la la [フランス語] あらら! 驚きを表す >>516
ooh laは、(おいおい)と言うような意味。
日本やフィリピンのおばさんらが、アララ(どうしたの)と心配顔で言うのとは違う。 中国人も「ありゃー」というとき、「アイヤー」と言う
日本人も痛みを感じて「アチー」と言ってしまうのは英語のアウチに似ている
間投詞なんてどこも似たものになる傾向 >>519
アチーなんて言ったことないけどどこの方言? 日本人も英米人も同じ人間なんだから、言いたくなるよ アイヤーは、関西では(しまった)と言う意味で普通に使うよ。 人、人間という意味の言葉は、各国それぞれ異なる。
この人、人間の語彙を共有している国語は、それぞれ強い関係にあったことを示している。
日本語とタガログ語がそれだ。
日本語 to(ト)=人、人間
タガログ語 tao(タオ)=人、人間
日本語のto(ト)は、ヒト、オトナ、トーチャン、イモウト、オトコ、オトメなどの語の語幹語だ。
このトとタガログ語のtao(タオ)は、発音も意味もよく似ている。
古い時代に日本語とタガログ語の祖語が出会ったことを示しているようだ。 日本語について、ひと、おとな、とうちゃん、いもうと、おとこ、おとめが挙げられているが‥
ひと;民族としての日本人を指し、生物としての人類についてはかつて別の語があったらしいとの説あり
おとな:一定の年齢に達した者 精通、初潮のあった性的に成熟した者 ‥男女を問わない
とうちゃん:男親はちち、てて、ととなどタ行でいう
いもうと:いもひとの転
をとこ:をつ(復つ)+こ 若々しい男性
をとめ:をつ+め(女) 若々しい女性 まさか、タガログ語も現代の言葉を拾い上げて比較しているのではないと思うが >>529
ヒトは、ヒ(1)+ト(人間)で、ヒは英語のaに相当する数詞ではないか。1個の人間=ヒト、と考えられる。
オトナは、オ(大)+ト(人間)+ナ。
トウチャンは、ト(人間)+チャン(愛称)。
イモウトは、イモ(芋)+ト(人間)。
オトコは、オ(大)+ト(人間)+コ。
オトメは、オ(大)+ト(人間)+メ(女)。
これらは、皆、ト(人間)という属性が付けられている。
この日本語のト(人間)と、タガログ語のtao(タオ=人間)は、同系の言葉だろう。
遥か昔の一つの語彙に行き着くと思われる。
だぶん、それは、ト音に近い語彙だろう。 >>530
万葉時代の日本語にしても、タガログ語の祖語にしても、語幹音は現代語の語幹音とほとんど変わらないと思われる。
なので、現代語同士の比較が役に立たないということにはならない。
むしろ、十分役に立つと言える。 和語数詞にあつてはヒト、フタ、ミ、ヨと連なるものなり
ヒを一と爲しトを人と爲すが如きは恣意に過ぐ
かやうなる業、語幹を扱ふにあらずして單に語感を弄すものなり
一事が萬事此の体にて、到底國語を探る態度には非ず >>534
ヒトの語彙が、ヒ+トで構成されたものであることは、概ね認めることができると思う。
あとは、ヒとトの意味の解釈である。
ヒは数詞の一、トは人間という意味であると解釈する。
これと異なる解釈があれば、示して頂きたい。 ヒト+ト でトが被るから減って ヒト なんじゃないの? ヒト(人)の語義はヒ+トで、1(ヒ)+人間(ト)=人(ヒト)。
これしかない。
なので、ヒフミヨ…の北方系数詞と南方系の人間を意味するto(ト)の混合語が、ヒト(人)ということになる。
日本語の二重構造論の端的な例だ。
わははははは。 kami ay tao (我々は人間だ)
kamai=私たち
1万2000年前に南九州に上陸した者たちが、在来の縄文人に対して、自分を指さしてkamiと言った。
それで、縄文人は、新来の者たちをkamiと呼んだ。
日本語の神(kami)の語源かもなあ〜。
わははははは。 まあ、しかし、このkami(私たち)は、次のようにたどることができるな。
タガログ語kami→マレー語kami→ネパール語hamilai→ヒンディー語hamen
タガログ語のkamiは、ヒンディー語のhamen由来のようだ。
そして、ヒンディー語のhamen(私たち)は、英語のhuman(人間)とも同系のようだ。 homoも同系だろうな。
(私たち)→(人間)なんだろう。
同族が人間。
他部族は野蛮人。
わははは。 ヒンディー語のhamen(私たち)の同系語を東西に並べると、
homo・human(英)←hamen(ヒン)→kami(タガ)
となる。
しかし、これとは別系統の(私たち)が、もう少し高緯度でみられる。
us(英)→uns(独)→os(デンマーク)→nas(ポーランド)→nas(ベラルーシ)→nas(ウクライナ)→nas(露)→us(モンゴル)→uli(韓国)→uzi(ウジ・氏・日本)
日本語のウジ(氏)が、(私たち)の意味であることは、明らか。
わははははは。 さあ、タガログ語と日本語の語彙の類似性をみてきたが、調べた語彙は概ね出尽くした。
タガログ語の語彙には、日本語の語彙とよく似たものが多いことが分かる。
日本語の語彙には、タガログ語の祖語である中国南部の言葉に由来するものが潜んでいることが、想定できる。
タガログ語と日本語の語彙の類似について、最後にこの語彙の比較を行ってみよう。
日本語 takai(タカイ)=高い
タガログ語 mataas(マタアス)=高い
日本語の(高い)は、タケと発音する岳、丈、竹などと同類。
その語幹音はta(タ)だと考えることができる。
一方、高いを意味するタガログ語のmataas(マタアス)は、maが語頭接辞、asは語尾接辞なので、語幹音のta(タ)が高いを意味していることが分かる。
このようにみると、日本語のtakai(タカイ・高い)と、タガログ語の(高い)を意味するmataas(マタアス)は、まったくの同系語だと考えることができる。
そして、その語幹音のta(タ)が、ともに(高い)の意味を持っているということができるのだ。
縄文時代草創期の1万2000年前に南からやってきて南九州に上陸した者たちの起源地が、タガログ語話者の祖地と同一である可能性が極めて高く、その起源地はおそらく中国南部の福建省あたりだったと推定することが可能だ。
そして、彼らは先住の縄文人と混交して、西日本一帯に広がりつつ日本語の基礎を形作ったということになってくるのだ。
それが、おそらく、真実だろう。
わははははは。 なんだかんだ面白かったよ
研究が進んだらまた頑張れ しかしなんでタガログ語だけは昔も今も発音が変わってない前提なんだろうな
まともに研究されてないだけだと思うが >>550
実質それ前提で語呂合わせしてるヤツしかおらんがな
ほんまタガタガやな タガログ語スレのイケメンのみんな
今度の日曜日はこれを見てよ
日曜劇場「下町ロケット」最終回!佃VS帝国重工全面対決…下町プライド最後の大逆転
TBS 2018/12/23 21:00 - 22:09
阿部寛,土屋太鳳,竹内涼真,安田顕,徳重聡,和田聰宏,今野浩喜,中本賢,谷田歩,坪倉由幸,馬場徹,朝倉あき,立石涼子,
山本圭祐,山田悠介,松川尚瑠輝,菅谷哲也,菅野莉央,原アンナ,ぼくもとさきこ,イモトアヤコ,真矢ミキ,六角精児,
内場勝則,岡田浩暉,今田耕司,恵俊彰,池畑慎之介,古舘伊知郎,木下ほうか,工藤夕貴,山本學,中村梅雀,倍賞美津子,
尾上菊之助,立川談春,神田正輝,吉川晃司,杉良太郎
この日は親切なことにダイジェスト版も放送すんのよ
このダイジェスト版をみればいままで観てなくても最終回で感動出来るはず!
「下町ロケット」ダイジェスト
TBS 2018/12/23 14:00 - 17:00
前作から3年、宇宙から大地へ…あの「下町ロケット」が帰ってきた!新たなライバル…ぶつかり合う仲間たち…
諦めない佃製作所の新たな挑戦が始まる!
わたしはたおちゃん出演シーンだけノーカットで集めてもらえればいいんだけどな ♪山寺の 和尚さんは
毬は蹴りたし 毬はなし
猫を紙袋に 押し込んで
ポンと蹴りゃ ニャンと鳴く
ニャンが ニャンと鳴く ヨーイヨイ
タガログ タガログ タガログ タガログ エーホッホー 言語学の研究って証拠探すのほぼ不可能だよね
いま未解読の言語系統や文字が今後解読される余地なんてある?
ロゼッタストーンみたいなのがあればともかくな 朝鮮大好き日本嫌いの滝浦真人(放送大学 法政大学)によるお友達審査
お友達から博士号もらったひとが
お友達に博士号をとらせるために学位授与の工作でもしてるのか?
学位授与を暗黙の了解とした審査に何の意味があるんですかね
椎名 美智(しいな みち)
研究テーマ
近代英語期口語表現の歴史語用論的研究
(ずっと歴史語用論とかいう分野で英語の口頭表現のコーパス研究やってきたひと)
http://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000020153405/
法政大学国際日本学基幹科目
国際日本学演習 T・U 椎名 美智
日本語の性格T・U 滝浦 真人
http://www.hosei.ac.jp/gs/kenkyuka/jinbun/nihongaku/kamoku_kyoin.html
博士論文口頭試問
研究題目 「させていただく」という問題系―歴史社会語用論的調査と考察―
日時 : 2019年1月27日(日)
場所 : 放送大学本部(千葉県千葉市美浜区若葉2-11) 朝鮮大好き日本嫌いの滝浦真人(放送大学 法政大学)によるお友達審査
お友達から博士号もらったひとが
お友達に博士号をとらせるために学位授与の工作でもしてるのか?
学位授与を暗黙の了解とした審査に何の意味があるんですかね
椎名 美智(しいな みち)
研究テーマ
近代英語期口語表現の歴史語用論的研究
(ずっと歴史語用論とかいう分野で英語の口頭表現のコーパス研究やってきたひと)
http://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000020153405/
法政大学国際日本学基幹科目
国際日本学演習 T・U 椎名 美智
日本語の性格T・U 滝浦 真人
http://www.hosei.ac.jp/gs/kenkyuka/jinbun/nihongaku/kamoku_kyoin.html
博士論文口頭試問
研究題目 「させていただく」という問題系―歴史社会語用論的調査と考察―
日時 : 2019年1月27日(日)
場所 : 放送大学本部(千葉県千葉市美浜区若葉2-11) 朝鮮大好き日本嫌いの滝浦真人(放送大学 法政大学)によるお友達審査
お友達から博士号もらったひとが
お友達に博士号をとらせるために学位授与の工作でもしてるのか?
学位授与を暗黙の了解とした審査に何の意味があるんですかね
椎名 美智(しいな みち)
研究テーマ
近代英語期口語表現の歴史語用論的研究
(ずっと歴史語用論とかいう分野で英語の口頭表現のコーパス研究やってきたひと)
http://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000020153405/
法政大学国際日本学基幹科目
国際日本学演習 T・U 椎名 美智
日本語の性格T・U 滝浦 真人
http://www.hosei.ac.jp/gs/kenkyuka/jinbun/nihongaku/kamoku_kyoin.html
博士論文口頭試問
研究題目 「させていただく」という問題系―歴史社会語用論的調査と考察―
日時 : 2019年1月27日(日)
場所 : 放送大学本部(千葉県千葉市美浜区若葉2-11) 急に人がいなくなったな
ゴロ合わせタガログ語研究家はどこ行ったんだ? ヒンディー語がフィリピンのタガログ語に影響を与えたとか言うアホは誰? まぁ、日本語もヒンディー語の影響は受けているしな
ごくごく僅かだけど ヒンディ語が日本に来たなんてアホの極み
ヒンディ語はインドネシア祖語の影響を受けているのさ。
インドネシアからインドへ。
インドネシアからフィリピンに。 日本語はタガログ語起源
畑(pata) タガログ語で Patlang 花 Bulaklak
B → F
L → N
Funalak
Hanalak
Hana 中心 gitna pusat Center
同源じゃね? 言語学者なんて頭の悪い人間の集まりだから真実に近づけるわけがない。
離れていくばかり。 日本語の「おちんちん」はタガログ語で「titi」
同源の言葉だろう。
「父」の訓読みの起源でもあるかもしれない。 http://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/english/1552040728
【朗報】
「電子マネーをチャージ(charge=入金)は意味不明な和製英語でネイティブには通じない」
という俗説を忘れたくない人々がとうとうEnglish板に殴り込み
→「辞書に載ってます」の声に何事も無く爆発四散 フィリピンで中途半端に語学留学しちゃって勘違いした系? 炎上上等! 炎上上等! 炎上上等! 炎上上等!
滝浦真人(放送大学教授)
安全保障関連法案に反対する学者の会(左翼団体)に賛同して署名 (2015年7月10日09時から7月13日09時までのご署名分)
>敬語論の増加は帝国日本のアジア侵略と時期を一にしていることがわかる。国語学が帝国ひいては天皇制の正統化に加担した。
(山田孝雄 共同体の国学の夢 (再発見 日本の哲学) 滝浦 真人 左翼思想を展開したものを博士の学位請求論文に利用)
暴言
>2016年に生きてんの?!この言葉。。旧七帝大www
>こういうふうに、塾・予備校を仮想敵にして、それを排除したらすべて片づく!って小泉郵政改革論法みたいのを振り回すひとっているよねー
>オープンな日本の大学の敬語の授業を聴講しました、って人から「質問がございます」ってメールが来たので、
学生さんなら「質問箱」から送ってください、そうでないならどうぞ科目登録してください(学生さんはお金払ってる)、ただ質問だけっていうのは対応していません悪しからず、
…と書きつつ、まあ1つだけ、って核心部分の説明を書いて送ったんだけど、なーんにも言ってこないのなー
「正しい日本語に関心がある」んだそうだけど、あなたの日本語の使い方、ただしくないと思うわー
滝浦真人(放送大学教員)のあやしい学位取得 (おともだちを利用した忖度)
学位請求論文の題:「日本語敬語および関連現象の社会語用論的研究」
主査:滝浦と親しい間柄の教員(社会語用論は専門外)
副査:英語学、認知言語学が専門の研究者(門外漢)
副査:言語処理が専門の理系研究者(門外漢)
論文の内容:テーマと内容の異なる既刊書4つを無理やりつないだだけ (敬語論で公平な学問的見解でなく政治的信条の表明)
結果:大賛辞とともに学位授与(いわゆる忖度)
男性教授は「数多くの論文を書いてきており、これまでの実績で学位を与えられるものと思った」←博士号不正に授与されたひと
滝浦真人の既存の著作をただつないだだけのものに、専門が合致しない審査員ばかりで、親しい人が主査のずさんな審査で博士号を与えるのも不正
https://hakushigo.exblog.jp/14960461/
放送大学
soumu-ka@ouj.ac.jp(総務課)
北大
https://www.hokudai.ac.jp/introduction/pub/ >>546
日本語の「高(たか)」の読みは高句麗語由来の可能性が高いだろ。
高句麗語では「達」が語尾についた場合、岳(高山)を表し、その他の場合「達」は高いを意味したようだ。
朝鮮語では「達」を「Dal」と読んでいるが、「dak」と読んでいた可能性もある。
朝鮮半島辺りでは「t」音「k」音「r」音「n」音が区別のつかない状態だったらしい。
高句麗語が南方語であった可能性も否定はできない。
最近の研究ではシベリア人は南方から日本経由で大陸に渡ったとする研究がある。
ミトコンドリアN9bは日本の方が古いし、Y-DNAの「C」も日本の方が古い。
http://itannokodaisi.shisyou.com/img031.gif
高句麗語にタガログ語の影響が残っていても不思議がない。 >>576
>Kakain ako ng titi mo!
文法的に正しいのか?
慣用的にはそんな言い方せんやろ? セブ行ったら俺のカタコトのタガログがあんまり通じんかった。
セブアノ語なんて知らんがな 愛してる
タガログ語 マハルキタ
セブアノ語 ギィヒグマタキタ >>587
慣用的にちんちん食べる話すんのかお前は >>586
トルコ語のdag^(山)、日本語のtake(山、「岳」)の方がよっぽど無理なく結び付けられる >>595
Gusto mo ang Malaki titi ko! 西中島のフィリピン人ホステス親子 生活保護のフィリピーナ
https://m.imgur.com/m7oSrhg 「目」はmata(インドネシア語と同じ)
日本語 マドロム(微眠む) =眠る、まどろむ
タガログ語では、matulogは(ma+tulog)らしい。
maは、(〜する、動詞接辞)。
tulogは、(眠り)。
眠ると動詞化するにはmaは不可欠で、matulog(眠る)で一字ということのよう。
日本語では、マドロムは(目盪む、微眠む)と当て字される。
この漢字が当てられるまえに、マドロムの語彙があったとこが分かる。
マドロムのドロは、トロケルのトロだろう。
鮪のトロと同じ。
目の注視力がトロけるの意がマドロムのトロムと思われ、ウトウトするのト。
なので、マドロムのトロは(注視力が溶けるようになくなる=眠気)を指しているとみられる。
そして、タガログ語では、matulogと同系とみられるmatunawには(溶かす)の意味がみられる。
とすると、タガログ語のmatulogのtulogが(眠り)を意味しているのと、日本語のマドロムのトロムは極めて似ているようにみえる。 フィリピンとか全員英語ペラペラだし現地人同士でも英語でコミュニケーション撮ってるんだからタガログ語は淘汰されるだろうな 「フィリピンとか全員英語ペラペラ」って、異世界のフィリピンかな? ビサヤには自分たちの祖先がカリマンタン島から当時ネグリトしかいなかったネグロス島などにやってきたという伝承があるけど、ほかのフィリピン諸語も一旦カリマンタンを経由して来たのかな
サバのカダサン・ドゥスン語なんか語群としてフィリピンとは別のはずなんだけど、接中辞があるところとかタガログ語っぽい
なんか子音か母音を少しだけ置き換えるだけでタガログ語っぽい何かになりそうな
リンクが張れないけどKadazan Dusun songsで検索したらフィリピンっぽい響きの歌がたくさん上がってる 今日何種類も野鳥の声を聞いたが、名前がわからずここに書けない、残念 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています