タガログ語(フィリピン)
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フィリピンへの人々の移動の第1波は、1万2000年前頃から始まり7000年前頃まで続き、起源地は中国南部らしい。
この人々は、台湾などへも移動した。
第2波は6000年前〜4000年前にあり、起源地は雲南だとされている。
そして、第3波が4500年前〜3500年前。
第4波は2500年前頃〜で、この時期の人々が現在のタガログ人のほかフィリピンの多数を占める人々だという。
このほかには、そもそもの先住者であるネグリト系、またスンダ系の人々もいるようだ。
タガログ人がフィリピンにやってきた2500年前頃の時期は、日本では弥生前期に当たる。
またタガログ語は、マレー語やインドネシア語と近い関係にあるとされる。
このタガログ語の語彙が、日本語の語彙と似ているケースが少なくないというわけ。
そして、これは、人々がフィリピンへ移動を活発化させる時期と、日本列島への南方からの人や食物の流入の時期が大いに重なっているとみられていることと無関係ではないということになってくる。 オーストロネシア語族の中で最も古い特徴を持ち、
その故地と言われているのは台湾先住民の諸語だ
台湾の諸語だけで語族内の分化の原点となる違いが説明できると言われる
台湾に次いで古いのが、フィリピンの諸言語で、
これまたマレー諸語とミクロネシア諸語とポリネシア諸語が
分化する以前の特徴がよく保たれている まあ、最後のダメ押しは、これだな。
日本語 ユミ(弓)
タガログ語 ymuko(ユムコ)=弓、曲げる、反らせる、蝶結びなど
このユミ、ユムコが同系の語彙であれば、日本語のユミ(弓)の原義は曲げるかもね。
タガログ語のユムコに蝶結びなどの結びの意味があるのは、紐を曲げることから来ているのだろう。
そうなれば、日本語の結ぶ意のユウ(結う)もユミ(弓)と同系であり、タガログ語のユムコ(蝶結びなど)とつながるのかもしれない。 弓は残念ながら日本にしてもフィリピンにしても外来文化だから
どちらにとっても外来語だろうねえ なんでオーストロネシア語族全体、オーストロネシア祖語と比べずに
タガログ語単体と日本語を比べたがるんだろうねえ >>111
マレー語やスンダ語、ジャワ語、ベトナム語、クメール語、タイ語などは、グーグル翻訳やglosbe翻訳で調べることができて、日本語とタガログ語の語彙を比べるときに、同じ作業をそれらの語彙に行っているので問題ない。
今回示した4語彙については、タガログ語としか対照しなかった。
オーストロネシア語の祖語については、残念ながらそれを調べる手立てがない。
祖語を掲載している専門書籍を買ってまで、調べる気はないし。 >>109
弓には大別すると、大陸系の弓と太平洋系の弓があるとされている。
大陸系の弓は、ツルをはずすと弓が湾曲したままの状態のもの。
太平洋系は、ツルをはずすと弓が真っ直ぐになるもの。
日本の弓は、太平洋系とされている。
とすると、案外、日本語やタガログ語のユミ、ユムコの語彙は独自性のもので、相当に古いことも考えられるね。 でかいこと言うなら川本崇雄ぐらい読んでおけばいいのに
祖語の形だって出ている
タガログ単体の比較なんて聞くに値しない ニートの暇つぶしなんだからそれくらい大目に見てやりなよ >>115
そんなら、ユムコ(弓)の祖形をちょと書き出してみてよ。 >>113
>オーストロネシア語の祖語については、残念ながらそれを調べる手立てがない。
>祖語を掲載している専門書籍を買ってまで、調べる気はないし。
不誠実だねえ
仮説を立てる資格なし
https://en.wikipedia.org/wiki/Proto-Austronesian_language#Nouns
なんだ、簡単に出てきたよ
「弓」bowは「busuR」だってさ
マレー語に近い形だな
もったいつけといて、お前は資格というか能力がないんだな
>>107
yumukoをymukoと間違ったままで訂正もしない
タガログ語そのものとろくに向き合っていないんだろ >>124
busuRは、busog(弓)の関連だ。
yumukoの祖語だよ。
なにやってんの。
川本崇雄の本に載ってないのか。
そりゃ、弓をbusog関連でみてる限り、日本語のユミとはつながらんわな。
はよ、yumukoの祖語、探してちょんまげ。 >>125
yumukoとユミは他人の空似
系統関係も借用関係もない
だから探す必要もない
探すならお前の仕事だ
さっさとやれよ 他人の空似と断定しちゃうのは
同祖と断定しちゃうのと同レベルだよ >>126
アッホ。
busog(弓)の祖語が本に載ってたもんで、どや顔してその祖語busuRを出したところが、なんやそれ、yumuko(弓)の祖語とちゃうやんかと笑われて、関係ない発言でぶっ飛ばしている脳なし。
偉そうにもの言うてるのやから、はよ、yumukoの祖語出さんかい。
本に載ってないことは、うむともよう言わんてか。
あははははは。 >>128
この論文から思うに、アメリカ人などの研究者の中には、旧来の言語学の方法以外の別の視野から果敢に新しい言語学の地平に挑戦する者がいるということ。
まあいえば、なんでもいいのだ、成果が上がればそこにのめりこんでみる、という冒険者精神。
で、そうした中の一人がぬきんでて、新しい地平をみせてくれることになり、ひとつ世界が新しくなる。
自分が旧来の方法論の中のみで生きていることを自覚せずに、毎日毎日旧世界の水をのんでいる者からすれば、なにアイツは、ということになる。
つまりは、冒険者精神があるかないかの違いだ。
日本人は特に四畳半世界が大好きだから、そこからつま先ひとつも出してみる勇気がないのが少なくない。
しかし、そのときすでに、南極の極点でションベンしてみたくて、必死に犬ぞり走らせているヤツがいるんだな、不思議と。 オレもオレも!
日本語のカレーとタガログ語のカレカレ!
発音も見た目もそっくり!! >>131
日本語のカレーも、タガログ語のカレカレも、おやじは同じインドカレー。
ユミも、ユムコも、おやじは同じO1a。 >>129
お前もグーグル翻訳でいくつか調べたんならわかるだろうに
マラガシー語もマオリ語もみんなバラバラなんだよばーか
それでなんでタガログ語が祖語につながってるって断定できんだよ >>127
そもそもyumukoの後半の-ukoが何なのか何の考察もないんだよウンコ頭 >>128
要領を得ないだらだらした駄文だな
こういうの見ると日本語系統論自体が幼稚な分野だっていうのがよく分かる
帝国主義丸出しだし
印欧語比較言語学だってアーリア人仮説からニーチェの思想を生み、ヒトラーに啓発を与えた 日本語と英語で共通な単語がたくさんある
スシ、テーブル、インターネット
日本語と英語は同祖に違いない
みたいな話? >>134
逃げるんじゃねー。
yumukoの祖語、出さねーか。
このボンクラハゲ。 >>134
yumukoには(おじぎ)の意味もある。
なんでか分かる?
オメのトロい脳じゃ、無理だろな。
yum・ukoじゃねーし。 >>140
ヘルシンキ大学修士課程修了のワイが、特にお前に講義してやろう。
ワイが調査した結果では、タガログ語のyumukoとベトナム語のuon congは同系の言葉で、どちらも曲がる、曲げる意味をもっている。
このことから、タガログ語のyumukoはyumu・koの構成だと推定することができる。
で、ベトナム語のuon=屈曲、cong=湾曲だから、yum、koともに曲がる意だと想定できる。
このタガログ語のyumuと日本語のyumiは同じ発音の祖語を持ち、それはyum(n)だっただろう。
このことを勘案すれば、ベトナム語のuonは、そのyum(n)から派生したyuonのy音が落ちたものだろう。
1万2000年前の中国南部のO1aの人民は、弓をyum(n)と発音ていたということだな。
ヘルシンキ大学修士課程修了者は、女の尻ばかり追いかけていたヤツとは、できがちがうからな。
わははははは。 >>141
タガログ語とベトナム語の音対応の法則性について一言も言えないわけね
ベトナム語はここ500年の間にも音変化がたどれるが、最初からその形だったのか?
ムオン語の例は?近隣の南島語と言われるチャム語は? 名詞1語でこんなにもたついて、対応法則もろくに出せない仮説なんてゴミ >>145
タガログ語の語彙とベトナム語の語彙が、意味と発音において類似するケースが散見されている。
ベトナム人の主要勢力のキン族は中国南部が起源地とされ、モン族との接触もあったようだ。
6000年前には農耕を行いつつベトナム北部に移動したとされている。
タガログ語族とキン族の間に共通語彙があることは不思議でない。
音韻的には、ベトナム語は中国語の影響を受けていて、タガログ語の音韻とは相当異なるようだが、語彙の共有ということにおいては音韻的な連続性はさほど問題にならない。
お前の文は、疑問符ばかりで、ちゃんと答えが出せていない。
ワイの考えを否定するほどの内容ではない。
ワイの考えを超える説明を出せよ。 >>148
じゃあ疑問文じゃなくて命令だ
語彙の対応例を示せ
ただあるあるというだけなら詐欺 タガログ語の勉強しているけど、いろいろおもしろいね
リンカーとかマーカーとか、聞き慣れない概念が多い
マーカーって格助詞や前置詞や冠詞や類別詞とは違うのか >>149
アホちゃう。
まず、お前がワイのユムコ、ウオン・コン同系説を否定せんかい。
その否定の根拠が確かなら、お前の否定説を認めてやろうじやないか。
はよ、否定の根拠、出せ。 >>149
ほら、専門家。
151に答えてやれよ。
ギャロン語知ってるなら、タガログ語の文法くらい、おちゃのこさいさいだろ。 >>151
ngは、日本語の(〜な)(〜の)などの指示連体詞といわれる接着剤と同じかもね。
例えば、(大きな家)=大きい+家。
大きいの形容詞の(い)をはずして、接着剤の(な)を塗って、家に接着する。
これ、タガログ語のngと役割、同じかも。 >>152
肯定が先、仮説を立てるのが先
反証はそのあとだ
何語だって比較研究の検証はそういう順番だよバカ
>>153
自演2投目乙
ギャロン語?何の話だ?
ID出ない板で簡単に他人と別の他人を結びつける、
お前みたいなキチガイはこの板に時々いるけど、
だいたい話の筋道が立っていなくて頭が悪いよな >>154
「接着」とはなんぞや
修飾とは違うの? >>157
大きな美しい家
この場合(美しい)が、修飾語。
大きなの(な)は、指示連体詞と呼ばれるもの。
大きいと、美しい家を結ぶために置くのが(な)で、
(い)の形容詞を取り除いて、そこに(な)を入れて、大きな家という単語をつくる。 >>155
いやいや。
わしはこう考える。よって、お前の考えは間違っている、というのが普通の頭。
お前のは、お前のはまちがっている。しかし、わしの考えは述べん、というもの。
つまり、否定したいだけ。
自分の考えをもっているわけではない。
つまり、知らんのなら、始めから言うな。 つかそんなに自説に自信があるならこんな訳わからん辺鄙なところに投下せずに
論文寄稿して査読してもらえよ
5chで素人風情がたかだか数人相手に威張ってどうなるってんだ >>159
「大きな美しい家」なら、「大きな」も「美しい」も修飾語で、
どちらも「家」を被修飾語として連体修飾している
というのが常識
日本語では「大きな」は「連体詞」と呼ばれる
「連体詞」とは、活用せず連体修飾だけをする語の類、すなわちそういう品詞だ
「結ぶ」とは何も説明していない曖昧な概念だ
「大きな家」とは単語ではなく、句だ
>>154>>159は日本語について誤った説明をしているだけで、
タガログ語のリンカーの説明にもなっていない >>161
そんなことは、どうでもええ。
ユムコの祖語、はよ出せよ。
ワイは、早くから出しとる。
お前の考える祖形をだせ。
出せんのなら、お前の負け。 >>164
(美しい)は(家)の修飾語。
(大きな)の(な)は、(大きい)と(美しい家)を連体する指示詞。
この(な)によって、(大きな美しい家)という句が成立する。 >>166
「連体する」ってなんですかね
なんで「連体修飾」っていう普通に日本語にある言い方をしないんですか?
したら「美しい」の修飾語と同じになっちゃうからですか?
「(大きい)と(美しい家)を連体する」ってますます説明になってませんが
そして「指示詞」の意味も間違っていますね
指示詞とは、これ・この・あれ・あの等のように、
話し手から見て特定の位置関係にある事物を
指し示す言葉ですよ?修飾語になるものとならないものがありますが
少なくとも「(大きい)と(美しい家)を連体する指示詞」のような、
「AとBを〜する指示詞」という用法自体がありえません タガログ語の語彙と日本語の語彙に極めて類似しているものがあるのは、事実。
次の語彙も同系であるのは、ほぼ間違いない。
タガログ語 paran(パラン) 草原、平原、原
日本語 hara(ハラ) 原
タガログ語話者の故地は、中国南部。
フィリピンへの中国南部からの移動は、1万2000年頃から始まった。
その1万2000年前に南方から来て日本の南九州へ上陸した者たちがいて、在来の縄文人と混交した。
なので、日本語の語彙とタガログ語の語彙に極めて類似した語彙があることは、不思議ではない。
日本語の語彙にタガログ語の語彙と類似したものがあることは、学者も認めている。
日本語の成立には、この南方から来た者たちの言語が大きく関与していると想定することができるのだ。
もちろん、日本語の成立には、この他にも各種の言語が関わっているのも間違いないだろう。
ただ、その関与者の最初の者たちが、タガログ語話者の祖先たちだったというわけ。 >>171
訂正
6行目の1万2000年頃→1万2000年前頃 南九州ならハラ(パラ)じゃなくてバル(パル)になるんじゃないの >>173
バルだよね。
西都原もバル。沖縄のヤンバルクイナのバル。
ただ、これまでみたところでは、原を一語でいうときに、バルと濁点つけるのかなと。
滋賀県の米原はマイバラで、ハラに濁点付き。
なので、バルは他の語と接続するときにバルとなっているようにみえる。
沖縄や南九州でも原を単独で用いるときは、ハラではないかなあ。
確かではないけど。 >>178
HH→HH、HR/HL→HL、HF→HF、HS→HS >>173
いろいろみてみると、沖縄では、他の語とつないで原を用いてもハラと発音する地名があるそうだ。
では、なぜハラとバルがあるのかということでは、さるサイトでは、広辞苑の字義を引用して、「ハラ(原)は、平らで広い土地。耕作しない平地。原、原野}としており、一方では「ハル(墾る)は、新たに土地を切り開くこと。開墾すること」を挙げている。
これからすると、バルは「開墾した土地」ということになるけど、どうでしょうね。 >>178
そうじゃなくて、AとU、第2母音の違いを問題にしている >>184
這話斷在這邊真的很吊人胃口呀
二乃如此直接的告白,只希望作者別又學某部作品?個空耳來敷衍了事呀...
現在就期待下一話中,風太郎會如何回應二乃的告白 >>185
還胡説什麼?
一点也不合這里的話頭兒
不許随便打断話題 >>181
単に本土から移住した人が付けた地名なだけじゃないの? >>187
バルは、朝鮮語の里(マル)が元だというのがあった。
http://www.shochian.com/harubaru.htm
この画面の一番上のサイト。 >>189
この人や引用された説は「ル」の部分のカタカナ表記した形の類似点しか見ていないのでお話にならない
-lと-ruではもう天地ほど違う。カタカナで考えるなと言いたい
というかバルを朝鮮語beolと結びつけた日本国語大辞典がもうデタラメ。大野晋の岩波古語から変な伝統が続いているのか
母音調和を持つ朝鮮語のaは陽母音、eo(広いオ)は陰母音で、
朝鮮語の日本語と対応する借用語では閉音節のLは日本語のタ行に対応する例が圧倒的に多い
母音にせよ、末子音にせよ、借用したのならバルのような形にはならない
「村、部落、里、郷、洞里」という意味の朝鮮語マウル→日本語〜マル(丸)→〜バル(原)、〜ハル(原)
という説も噴飯もの。まず、「原」なら生活空間の外側で、むしろ「村」とは対比される存在だろう
>意味も私が想像した「〜ばる・はる」の原義と非常に合致する。
というが、そこに至る推論が「稲作地帯に隣接する居住空間ではないか」「「クニ」を構成する氏族の「館(やかた)」
という意味を持つのではないか。」「「クニ」の防衛ラインを形成しているのではないか。」とも、ただの憶測の域を出ない。
何より、マウルmaeulは中期朝鮮語(15世紀)には子音zが入るmaz@lという形だった。これは朝鮮語史の常識だ。
(@はここではアレア「下のア」という、点で表記された古い母音を指すことにする)
中期語maz@lは慶尚道のmasil、京畿道のmaeulなどに分化していく
古代において朝マウルmaeul→日マルmaru→バルbaruという変化はありえない >>190
村里を指すマルが、村の外の原を指す言葉に変わって行くというのは、不合理だというのは説得的。
このマルが、日本の城の一の丸などの丸の語源だとする説もあるね。また船の名前の丸とか。
ついでに、中期朝鮮語でついていたzが次第になくなっていく原因は、ハングルの導入と関係あるのだろうか。 バル、ハラについて。
宮崎県に有名な新田原(にゅうたばる)基地があるが、この基地のあるところが新富町大字新田。
昔は新田村(にゅうたそん)。
なんで(むら)ではなく音読みの(そん)なのか。
それは、(にゅう)の発音のためだろう。
(にゅう)のウから(た)のアに上ったあと(むら)のウ、アと上り下がりが急で発音しにくい。
そのために(むら)ではなく(そん)の発音を入れて、(た)のアのあとにオ、ンと発音の上がり下がりをなくして発音しやすくした。
それと同じで、(にゅうたばる)が(にゅうたばら)だったら、ウからアが三連続して最後のアの発音を維持するのに力がいる。
そこで、最後のアをウに変えることで力を抜き、(にゅう)のウと音をそろえることで落ち着きをよくした。
福岡県行橋市に、新田原(しんでんばる)がある。
この読み方も同じで、シンデンバラだと最後のアに力が必要で、その労力軽減のためにラをウに変えてバルとし、前のンに音を近づけて落ち着きをよくしたものだろう。
この新田は関西では(にった)であり、(にゅうた)よりも1音少ないので、そのような調整が必要なく、新田村(にったむら)で発音の労力に不都合がない。
沖縄のヤンバルクイナも同じで、ヤンのン音からバラとアア音が続くことは力が必要になるため、バルと口を閉じるウ音に変化させ、後続のクイナのウ音に連絡しやすくしているようにみえる。
このようにみると、発音上、上下の変化を小さくして、できるだけ労力を軽減しているのがバルということになる。 >>194
Shanna Marie McLaughlin、 >>191
朝鮮半島の言葉が文化語彙として盛んに日本語に取り入れられたらしい時期は、
李朝初期にハングルが創られ、それによって記録された後に中期朝鮮語と呼ばれる言語が
話された時期より、約千年も前の時代だ。
中期の時点でmaz@lという語形が記録され、その後maeulやmasilといった方言形に分化していったのだから、
(maeul→malという縮約形もその後生まれているが、早くともせいぜい数百年前だろう)
「日本語にマルとして取り入れられる朝鮮語のmalという形」なるものが、
1500年前に生まれていた可能性は無に近い
ハングルのおかげでそういう事がわかる、という話。マル、バル、バラ(ハラ)関連は
今の所、日本の中でしか考察できない現象ではないかと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています