タガログ語(フィリピン)
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2人のうちの一人は、タガログ語と日本語の同系論なんてさっさとやめろと言っている
同系論を提示し始めた広島弁もどきが引っ込めばいいだけの話 でも喧嘩腰じゃん
正論言っても意味ないよそれじゃあ 話が通じない統失に丁寧に接したってつけあがるだけ
自分がもっと偉いと勘違いして上機嫌でデタラメを垂れ流す >>314
ワイは、このアホにからまれて迷惑してるの。
てきれば、こいつがチョッカイ出してこんことを希望する。
そういう立場。
こいつは荒らし。 >>315
それは無理筋。
ワイは、タガログ語の語彙と日本語の語彙に同系のものがあると言っているだけ。
なんの不都合もない。
いいがかりつけてきているヤツが引っ込めば、すんなりおさまる。 >>320
いずれにしても、喧嘩売られたら、ふつうは買う。
デタラメこいて、延々ひきのばしてるのは、このいいがかり野郎。
荒らしなんさ。 例えば、マタタクは(眼+叩く)だというのは常識。
そして、星のキラキラするさまを、(マタタキ)に喩えているのたが、
こいつはそれを曲解して、星のどこを叩くのか、そんなことあり得ん、だからマタタキは(眼+叩く)ではないと暴論を吐いて澄ましている。
わざと荒らしているのは、みえみえ。
だから、ワイが引っ込むとかどうかより、こいつが貝になってとじこもっていればいい、という話。 こいつが、メ(目)はマ(眼)よりずっとあとにできた語彙だとホラ吹くから、ワイは「万葉集の歌に目の字がもちいられているから、この目の字はメと読んだのかマと読んだのかと問うでいのだが、
なしのつぶてで、だんまりしている。
ウカラ、ヤカラのカラが同族を表す言葉だと、こいつが言うので、んじゃカラが単独で同族の意味に使われている用例を示せよ、と問うたらダンマリきめて、ワイが忘れてしまうのを待っている。
こういう賢ぶったパラノイアは、黙り込むまで追い込まなければならん、ということ。 >>325
同族を意味するカラの単語があるのなら、その用例を示してくれというてるだけなのに、ウカラが同族を意味するからカラだけを取り出す必要はない、と無理筋を展開してアホを晒しているが、これがワイに負けた証拠。 >>326
こいつは、こんな体たらくで、語学の修士課程修了だと誇っているのだから、どんだけパラノイアか分かるということ。 >>327
パラノイアは妄想狂とでも訳することができるが、こいつはその強度のパラノイア症だろう。
なんかわけのわからん妄想で、ワイを敵みたいに思い込んでるのだろう。
まあ、パラノイアは病棟へ帰るのが一番だがな。 まあ、ここで一息入れよう。
日本語 hato(ハト)=鳩
タガログ語 kalapati(カラパティ)=鳩
マレー語 merpati(メルパティ)=鳩
スンダ語 japati(ジャパティ)=鳩
この3か国語のパティ=鳩と、日本語のハト=鳩は、同系語だろう。
わははははは。 >>323
お前は自分が言ったことに責任を取れよ
>>302で
>「またたく」は何?
>マ叩くだろ?
>眼球を叩くのだろ?
>バカなの?
はいここ、「眼球『を』叩くのだろ?」と言っているね
だから俺は>>312で「を」ではなく「眼(が)たたく」だ、と言っているね
これは古語の直訳だから「たたく」を「はためく」などの類似した語でイメージするとわかりやすい
星の「またたき」も同じで、どちらの「たたく」も他動詞ではなく自動詞なのだ。
>だからマタタキは(眼+叩く)ではない暴論を吐いて澄ましている
バカだなあ、そんな事は言っていない。「を」ではなく「が」だと言っているのだ。
議論の相手を沈黙させようとしている者がこのスレには何人かいて「貝になれ」だの言っているが、
暴力のケンカじゃないんだから、とことん話し合えばいいじゃないか。
ただこいつみたいにあまりに低レベルだと、人の話をちゃんと聞けとは言いたくなる。 >>326
「単語があるのなら、」いやないと言っている。語構成要素としての形態素「カラ」なら
あると何度も言っているのに、このバカは形態素という言葉がわからないらしい。
から【族・柄】
《満洲語・蒙古語のkala,xala(族)と同系の語。上代語では「はらから」「やから」など
複合した例が多いが、血筋・素性という意味から発して、抽象的に出発点・成行き・
原因などの意味にまで広がって用いられる。助詞カラもこの語の転》
(1)族。血筋。「問ひさくるうがら(親族)はらから(兄弟)無き国に」<万葉集460>
悉(ふつく)に親(うがら)族(やから)を集へて宴(にひむろうたげ)せむとす」<日本書紀景行27年>
『岩波古語辞典』
(2)以降では「すじ。素性。素質」「自然の成行き」「ため(為)」といった抽象的な用法に転じていて、
それも複合語が多いが、単独用法もある。だが用例を見てもわかるように(1)の意味の単独用法は
すでになく(氏ウジよりも古い概念だったという)、(2)以降とは別の概念である以上、
「カラ(氏族)の単語としての用法はなく、その名残りである語構成要素としての形態素「カラ」ならある」
というのが正確だろう。一体何を下衆の勘繰りしてしつこく食い下がっているのか、しかも勝利宣言とか
全く意味不明だ。 >>329
よし、鳩を意味するパティの単語があるのなら、その用例を示してくれ あと、>>262のhaligiをハリジと誤読したことをまだ謝ってないよな
そもそも梁(はり)に影響したんだったらパリギでないとおかしいだろ
なんでHを見ると脊髄反射で古代日本語のPじゃなく現代日本語のHとつなげちゃうんだろう パタパタと羽音をハタめかせながら翔ぶからなぁ
クックッと鳴くから鳩という国もあるそうだが >>330
妄想で語義解釈すんな。
「たたく」と「はためく」と何の関係あるのよ。
お前、バカじゃないか? な。
こいつがワイにからんできてるの、分かるやろ。
ワイが一休みというたら、すぐ追いかけてきて、イチャモンつけてくる。
パラノイアの性癖だな。
妄想が妄想呼んで、舞い上がってしまうんだろな。
かなわんよ。 >>331
何回おなじこと言わすの。
族を表す「から」の単語があれば、それを書き出してくれ、と言うとるのに、分からん奴やな。
「柄」の字で表している「がら」に、族を表す意味があるなら、その例を書き出してくれよと言うの。
「カラ(氏族)の単語としての用法はなく」と言ってるが、単語がなければ証明できんじゃないか。
証明できんのに「あるある」と言うても、説得力ないわなあ。
だから「あるある」詐欺じゃねーの、と。
「その名残である語構成要素としての形態素『カラ』ならある」
アホだろ。
「その名残」などという架空の捏造するんじゃねーよ。
ハラ(腹)なら同族の意味は可能なのだから、学者たちがそのハラとハラカラのカラをとり間違えたというのが正解じゃろ。
その学者の誤りをそのままエラソーにとくとくとワイに説教したところが、
返り討ちにあったというわけ。
そこで、捏造してその場を切り抜けようとしているお前は、アホのパラノイア。
妄想力だけは一人前じゃな。 >>332
ほんまに、お前はパラノイア。
ワイはパティという単語があるとは言うてない。
鳩を意味するkalapati、merpati、japatiの語があるので、その共通語幹が鳩を意味しているのだろうと想定し、そのpatiの発音と日本語のハト(鳩)は同系だろういうとるわけ。
このpatiが鳩を表す単独語彙であるかどうかは、まだ分からん。
いくらハラカラのカラの単独語彙を示すことができなかったからとはいえ、あまりに言いがかり過ぎるではないか。
なんなら、お前がpatiという単語があるかどうか調べてみて、そんなのないならないと言えばええじゃないか。
自分で調べろ。
トンマめ。 >>338
『デジタル大辞泉』より
【はた・く】
1)打ち払う。ほこりなどをたたいて払う。「障子をはたく」
2)平たいもので打つ。たたく。「ほおをはたく」「布団をはたく」…
というように、「たたく」と似た意味の「はたく」が、国語にはある。
掃除道具の「はたき」にもあるように、何度か繰り返す動作を指すこともある
鳥が「はばたく」という動作は、羽(ハ)を何度も叩くように動かす動作だ
また、名詞などの語幹に「めく」が付くと「そのよう(な状態)になる」という動詞を派生する
「春めく」「ざわめく」「ひらめく」などを見るとわかるが、
「はためく」は「何度も叩くような動きをする」という意味に取れる
言語学的な考察っていうのはこういうふうに積み重ねるもんだ
わかったか、カスが >>339
お前が一休みとして言うべきなのは、「もう降参しました。構わないで。お願い」だろ
ところがやったのは、ただ頭子音が似ているってだけの例を、
歴史的音変化を無視して並べるだけ
トンデモにトンデモを重ねてるだけじゃん
みんなに休みましょうなんて殊勝な呼びかけしてるようには見えないよ。 >>340
>ハラ(腹)なら同族の意味は可能なのだから
ほらバカの本音が出た。「腹・hara」(現代日本語)は万葉時代にはparaだったのが確実だ。
だから満洲語・蒙古語のhala・xalaを日本語の「腹・para」と「取り違えた」なんてありえない。
xalaを結びつけるなら、ハラカラのハラではなくカラなのだ。その傍証となるのがウカラ・ヤカラだ。
お前は他人の話が聞けず、過去の研究の成果を証拠もなく気軽に否定し、
日本語史の常識も知らない。そのくせ思いつきだけの表面上の他人の空似ばかり挙げる。
誤りを客観的な方法で指摘されても無視する。統合失調症の徘徊老人そのまんまじゃん。
他人の説明を妄想呼ばわりするとか、お前が言うなw >>342
そのpatiはただの想像の産物でお前の妄想じゃないの?
だって単語としての用法がないのなら存在を認めないんだろ?(皮肉)
バカには皮肉が通じないからわかりやすく言ってやろう。
お前がpatiについて「その共通語幹が鳩を意味しているのだろうと想定し」
の「共通語幹」という間違った用語法で指しているのが、
お前が(意味がわからないから)ずっと無視し続けている、
「意味を持たない音声連続」以上で「語」未満の「形態素」という概念なんだよ
ハラカラのカラに単独用法がないからといって形態素という概念すら無視して
単語としてなかった、だけを連呼するのは、
-patiに単独用法がないから単語として存在しない
(なお形態素という概念は知らないし認めない)、
と言っているのと同じことだろうが。「形態素」がわからないなら自分で調べろ、トンマが。 1)定説により、日本語ハ行の子音は当初 [*p] であった可能性が高いとされる。
奈良時代頃までにはこれが摩擦音 [?] (ファフィフフェフォのような音)へと変化していた。
2)中古期にはハ行転呼と呼ばれる大きな変化があり、語頭以外(語中および語尾)の
ハ行子音 [?] に弱化が起こって、[w] をもつワ行音へと合流した。
3)続いて、ワ行のうち、鎌倉時代には「ヰ、ヱ」 wi, we が、江戸時代初期には「ヲ」 wo
が唇音を失い、「イ、エ、オ」 i, e, o へと合流した → 詳細についてはゐ ゑ をの各項を参照。
4)最後に、近世に入る頃、語頭に残っていた [?] 音にも(フ音以外に)変化が生じて、
一般に [ha, ci, ??, he, ho] (ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ)と記述されるような、現在の音形に近い形
が誕生した。
ウィキペディア日本語版「唇音退化」の項目より。最後のハヒフヘホの子音部分は文字化けするだろうから、
一応リンク貼っとく。読みこめるかどうかわからんが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%87%E9%9F%B3%E9%80%80%E5%8C%96
な?俺って親切だろ?お前はリンク一つ貼らないよな。万葉集の「目」がどうしたって、
いまだに説明できてないし、あれってただのハッタリじゃね?逃げんなよ。 >>331
お前が書き出している満州語・蒙古語のkala、xalaは、女真語ではハラだ。
k音、x音は、発音ではhaだよ。
だから、日本の学者たちはこのkala、xalaをカラと読んで、ハラカラのカラと同系だと勘違いしたんだ。
その辞典の学者たちの勘違いだ。
kala、xalaの発音はhalaだ。
ボケ >>344
「はばたく」は、羽撃く、羽摶く、と書くが、この撃、摶はともに「うつ」だ。
羽を打つわけだ。
たたくと意味は類似している。
「またたく」の「叩く」と似たようなもんじゃ。
アホ。 >>348
万葉歌調べてみ。
すぐ出てくるわ。
その「目」をどう読むかだよ。
調べてから言え。 >>347
タガログ語 kalapat=会合
マレー語 merpat=併合
スンダ語 japat=会合
これらは、一つの語彙から分かれて語頭に音が付加したものだろう。
ハトは群れをなして飛んだり、地上では餌に集まってくる。
それでpatがついているのだ。
語尾のpatがみな同じなので、これらの語彙の祖形がpatのような形だったのは、容易に考えることができる。
そうすれば、日本語のハトのほうが、その祖形に近いとみることができる。
お前も、ごたくばかり並べておらんと、ワイくらい熱心に調べてみろよ。
わははははは。 >>352
追加
日本語のハト(鳩)の語義は、(集まってくるもの)かもな。
わははははは。 寺やなんかに集まってくるカワラバトは元々日本にも近隣アジアにも居なかった
日本に居たのは山でひっそり暮らすキジバト >>346
その同族を表すカラの単語見つけ出してからごたくは言え、となんどいうたか。
証拠もないのにこうだああだと無理押ししても無駄。
まず、証拠だせ。
まあ、お前には無理だろうがな。 >>354
パラノイア、調べてから言え。
在来種は、カラスバト、キジバト、ベニバト、キンバト、アオバト。
これに、1500年程前に渡来したカワラバト。
いろいろあるぞ。 >>357
調べたつもりでトンチンカンな解釈
アホだなお前
自分から言ってることが矛盾しているぞ
在来種っていうのは「もともとその地域に生息している種」だよ
1500年前に来たカワラバトがなんで「在来種」なんだよ
れっきとした外来種だろうが
それ以前には日本に生息していなかったってことだろうが
言葉の意味をちゃんと考えろ、徘徊老人め
例えば明治維新以降に、のようにいつの時代から日本にいたかを基準に定義するのは
近代日本の生物学の便宜上の区分であって、
歴史上の相対的な「在来(土着)⇔外来」という区分とは関係ないだろ >>352
それは鳩と関係ないな
マレー語では-iという接尾辞が付くと別の他動詞を活発に派生する
それらに対してmerpatiは別の次元で存在する同音異義語にすぎない
それにpatiを単語として取り出せっていう宿題には答えられていないじゃん
それができないとお前は複数の語を同源と認められないんだろ?
だから「形態素」という概念を頑なに使わないわけだがwww
でも「一つの語彙」という言い回しを使い続ける以上、お前はpatやpatiという
「語」が単独で存在したことを証明しなきゃいけないわけだwww
とっととやれよ >>351
やーだよ、めんどくさい お前がやれ
「ま」が眼球、「め」が視線、なんてお前のバカ創作の可能性大
まあ過去説にそれがあったとしても、そう誤解する理由はある
マは露出形だから、後ろに必ずなにか名詞や動詞が来る
後続要素つまり被修飾要素が名詞である場合、それが具体名詞ならマの使い方も身体器官としての具体名詞、
つまり眼球や瞼周辺を含むものになる 後続要素が抽象名詞である場合、マの意味も抽象的なものに近づく
だが後者はほとんど不可能だ
古代日本語の和語に抽象名詞は非常に少なく、あっても文法的な役割を持つ形式名詞ぐらいだ
マ+抽象名詞 という組み合わせはほとんど存在しえない
だからマのほうに視線という意味は生じにくいのだ
唯一あり得るのは、単用のメを目的語とする動詞、主語とする自動詞や形容詞のイディオムだ
これはメの意味自体を抽象的に拡大するやりかたで、これなら比喩的な用法を通じて
抽象的なさまざまなイディオムを派生できる。例を上げるのも面倒だから古語辞典でも国語大辞典のたぐいでも引くといいよ >>350
俺に安価してなに俺と同じこと言ってんの?
ほんと統失だなお前
統失って統合失調症の略な
意味は自分で調べろ だいたい、万葉集について特定の「漢字」を挙げて、それをどう「読む」かを
問題にするっていうのが言語学の話題としてズレてんだよな
万葉集は音声言語しかなかった上代日本語を、あの手この手の漢字あそびで
なんとか読めるように工夫した、行き当たりばったりの創作の産物だよ?
日本語の合理的な正書法なんか、なかったんだよ
言い換えれば一つの「ことば」にたいしてそれをどう「書く」かは一定じゃなかった
「漢字一字」を出発点にしてこの書物のコトバを語ること自体がナンセンスだ
あーいるよね、この板には「言語=文字」って決めつけて
「文字」に魂が宿ると思い込んでる土人もどきが
言葉を見ずに文字から出発する発想のやつってそこで満足するよね
だからリンカーの定義に接着剤がどーたらとポエムまがいのトンデモかますバカがいる
文法なんて興味無しで名詞の表面上の類似しか見ないバカ >>358
とうとう頭に来たな、パラノイア。
在来種に対する言葉が、外来種だろが。
カワラバトが外来種で、それは1500年前に渡来したと書いてあるだろ。
お前は、おろかにも日本の在来種がキジバトだけだと勘違いしつつ、カワラバトは外来種だと言うたわけ。
ちゃんと調べてから言え、パラノイア。 >>368
ZOZOTOWN前澤社長の仕掛けたトリック >>370
自分を作品に載せるとは、どういうことか? >>359
タガログ語のkalapati(鳩)の成り立ちは、次のように理解することができる。
karamihan=群集、多数派
karami=多くの
napakalaking=塊状
これらから、kalaは(多数、多くの)の意味。
ang isa pa=寄り合い
malapit=寄る
pa、pitが(寄る)を意味している。
上のkalaと下のpitを構成したのが、次の語彙だ。
kalapat=会合
(多数が寄り合う)という意味になる。
このkalapatにi音を付けたのがkalapati=鳩、だ。
このkalapati=鳩は、語義としては(多数が寄り合うものたち)ということになる。
したがって、kalapatiのpatiの単体としては、上記ang isa paのpaに求められる。
つまり、このpa(寄り合い)が、patiの語幹語だ。
パラノイア、お前もワイくらい努力せいよな。
わははははは。 >>346
上代のパラと現代のハラは、基本的に同じじや。
女真語のハラ(部族)と上代パラ(腹)は同系。
何度も言わすな、アホ。 >>362
そんなごたくは、いらんよ。
万葉歌の「目」の字をどう読むのか、言えよ。
分からんのなら、分からんと素直に言えばええだけ。
はよ。 >>330
いずれにしても、お前は負け。
素直に、ゴメンナサイ、しろよ。
わは。 >>368
357は、354に反対してるようにしか読めんだろがw
自分の言い方ぐらい工夫しろばーか
なお俺は354じゃないからお前は誰と戦ってんの状態wwww
まさに徘徊老人ボケ老人wwww
>>373
とうとう幽霊語まで動員してkalaに近づけてきたよこのバカw
ang isa paはそんな意味じゃないし、だいいちそんな単語列作るのが無理そう
これを文法的に解析できたら認めてやるけど、「寄り合い」なんていう意味じゃねえよ
ハッタリにしてもやっていいことと悪いことがあるわバーカw
>>374
大陸のハラを取り入れたものがなんで同時代の上代にパラになるんだよwww
日本語でPがp>Φ>h>(語頭でh、語中でゼロまたはw)と変化して
hになるのはその千年以上後の時代だって言うことがまだわからんのかこのスカポンタンwww
>>375
そのキチガイ設問のイミフ回答を示さないのは、てめえの頭がバカだっていうのを認めてるのと一緒だ文字バカの土人め >>375
「漢字の読み方」から出発して言語を語ろうとしてる時点で言語学未満
そんなこともわからないお前はトンチンカンのクルクルパー
最初からバカの乞食だから裸の王様ですらない >>373
>ang isa pa=寄り合い
っていうが、
angはリンカーの一種で主題を表す(ここでは英語のtheみたいなもん)、
isaは数詞で「一つ」という意味、
じゃあpaが鳩の単数とかそういう意味かと思ったらそうじゃなく「まだ、さらに」という副詞らしい
ここまでは『エクスプレス・フィリピノ語』巻末の語彙索引で解けた
で、念のためang isa paをグーグル翻訳にかけたらやっぱり「もうひとつ」っていう意味
「寄り合い」ってなんだよwwwwwデタラメじゃん >>345
王道にしちゃ、けちくさいこというなあ。 >>380
オメの頭、硬いな。
翻訳はグーグルだけじゃなく、glosbeもみよ。
paは、(もっと、さらなる、追加的な)の意味。
kalapatが会合・合同になるのは、kala=多くの、pat=さらにで(いっぱい)の意味になるから。
人がいっぱいになるのが会合、合同だ。
日本語で(寄り合い)をひけば、ang isa paが出るのは、さらに(集まる)という意のpaがあるためだ。
このpaが、kalapatiのpatiの単独語なんだよ。
ウガラ、ヤカラのカラが同族を意味するという単独のカラの用例は、まだか。
わははははは。 >>381
だって王道王道言ってるのは別のやつだし
あと、イミフの関係ないレスも別のやつ
ケチの反対の気前の良さを見せるとしたら
悪意ある誤解を繰り返すキチガイ相手じゃないだろ
>>382
「寄り合い」をひけばang isa paが出るっていうのがもうおかしい
それは翻訳エンジンが壊れてるか何かだ
んなもん当てにして故障も疑わないのがお前のポンコツぶりの証拠
あとのたわごとは聞くに値しないわ、ずっと同じこと繰り返してろば〜〜〜〜〜かwww >>383
要は、負けました、ということね。
わははははは。 >>387
インチキ勝負じゃん
最初から答えなんてないんだろ
だったら誰でも勝利宣言できるわwwwばーか >>387
そんなことよりさっさとリンカーの定義を言えよ
接着剤なんてポエムじゃなくて、ちゃんと学術的に裏打ちされた用語を使えよ
ウィキペディアで調べればいいだけだろ、サボってんじゃねえよ
多分英語版で見てグーグル翻訳にかければいいぞ
お前はどうせできないから、はい俺の勝ちな >>391
はいお前の負けな
わははははは。わははははは。わははははは。 目にしろ、鳩にしろ、腹にしろ、自分では何ひとつまともな解説ができんパラノイア。
こんなふうにして、荒らしつづけてきたロクデナシ。
貴重な人生の時間を浪費して、はてはそのうち還暦に。
まあ、そういうことにハタと気がつくような人間じゃなし、か。
アホラシ。 お前、パラノイアって他人の口借りてるだけで意味わかってないだろw
調べればお前のことってわかるぞw
意味わかんないままのただの罵倒にしかなってないしな で、こんなんもあるぞ。
タガログ語 ako(アコ)=私
日本語 ア(吾)=私
わははははは。 >>402
ちょっと残念だけど、微妙になってきた。
タガログ語のako(私)は、a+koで、ko=私のようだ。
マレー語でも、aku(私)のほかに、ku(私)もある。
どうやら、タガログ語のaku(私)と日本語のa(吾=私)は、別々の語彙だろうね。
申し訳ない。 かわりに、これどう。
日本語 khosuru(コスル)=擦る
タガログ語 kuskusin(クスクシン)=擦る
くすぐったいかもね。 >>408
その古英語の時代はイッキとかイッチみたいに発音していた
オランダ語では今もイック、ドイツ語では摩擦音化してイッヒ
英語ではその後cが落ちて代償延長という変化でイーとなり
500年前の母音大推移でアイになった
古英語の段階ではアの音はない >>403
そのkuやkoの部分の方は、中国語やチベット語の系統のngaとの可能性を検討できる要素
そのngaは日本語のa,waにつながっているかもしれない >>407
スルとコスルは、別。
コスルは、カスル、サスルと同類。
コスルは、(コス+ル)。 >>410
タガログ語のako(私)のko、マレー語のaku(私)のkuについては、以下のほうが類似性が高そう。
ベトナム語 cao(私)
タイ語 ku(私) タガログ語ダメ押しの一つ。
日本語 kama(カマ)=鎌
タガログ語 kamay(カマイ)=手
稲などの株を刈り取る農具が、鎌。
この字の漢音は、レン。
その鎌を、なぜカマと呼ぶのか。
タガログ語で、手のことはkamay(カマイ)。
また、kamao(カマオ=拳)。
つまり、鎌の金属部と木製の柄の部分の形が手の形に似るから、この鎌をカマ=手と呼んだもの。
日本語で猫などを相手に遊ぶことを(カマウ)と言い、また格闘するときの姿勢などを(カマエル)という。
いずれも手でもってそのような仕草をするので、その手の呼び名である(カマ)が用いられた。
タガログ語のkamay(カマイ)=手は、その日本語のカマ(鎌=手)と、まったくの同系の言葉だといえる。
先にも述べたが、日本語のタ=手もタガログ語のtainga(タインガ)=耳と同系の言葉であった。
日本語の語彙には、フィリピンタガログ語と同系とみられる語彙が、実に相当数みつかるのだ。
その語彙の祖先は同じ、ということになってくるのではないか。
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