>>326
「単語があるのなら、」いやないと言っている。語構成要素としての形態素「カラ」なら
あると何度も言っているのに、このバカは形態素という言葉がわからないらしい。
から【族・柄】
《満洲語・蒙古語のkala,xala(族)と同系の語。上代語では「はらから」「やから」など
複合した例が多いが、血筋・素性という意味から発して、抽象的に出発点・成行き・
原因などの意味にまで広がって用いられる。助詞カラもこの語の転》
(1)族。血筋。「問ひさくるうがら(親族)はらから(兄弟)無き国に」<万葉集460>
悉(ふつく)に親(うがら)族(やから)を集へて宴(にひむろうたげ)せむとす」<日本書紀景行27年>
『岩波古語辞典』
(2)以降では「すじ。素性。素質」「自然の成行き」「ため(為)」といった抽象的な用法に転じていて、
それも複合語が多いが、単独用法もある。だが用例を見てもわかるように(1)の意味の単独用法は
すでになく(氏ウジよりも古い概念だったという)、(2)以降とは別の概念である以上、
「カラ(氏族)の単語としての用法はなく、その名残りである語構成要素としての形態素「カラ」ならある」
というのが正確だろう。一体何を下衆の勘繰りしてしつこく食い下がっているのか、しかも勝利宣言とか
全く意味不明だ。