タガログ語(フィリピン)
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>>346
上代のパラと現代のハラは、基本的に同じじや。
女真語のハラ(部族)と上代パラ(腹)は同系。
何度も言わすな、アホ。 >>362
そんなごたくは、いらんよ。
万葉歌の「目」の字をどう読むのか、言えよ。
分からんのなら、分からんと素直に言えばええだけ。
はよ。 >>330
いずれにしても、お前は負け。
素直に、ゴメンナサイ、しろよ。
わは。 >>368
357は、354に反対してるようにしか読めんだろがw
自分の言い方ぐらい工夫しろばーか
なお俺は354じゃないからお前は誰と戦ってんの状態wwww
まさに徘徊老人ボケ老人wwww
>>373
とうとう幽霊語まで動員してkalaに近づけてきたよこのバカw
ang isa paはそんな意味じゃないし、だいいちそんな単語列作るのが無理そう
これを文法的に解析できたら認めてやるけど、「寄り合い」なんていう意味じゃねえよ
ハッタリにしてもやっていいことと悪いことがあるわバーカw
>>374
大陸のハラを取り入れたものがなんで同時代の上代にパラになるんだよwww
日本語でPがp>Φ>h>(語頭でh、語中でゼロまたはw)と変化して
hになるのはその千年以上後の時代だって言うことがまだわからんのかこのスカポンタンwww
>>375
そのキチガイ設問のイミフ回答を示さないのは、てめえの頭がバカだっていうのを認めてるのと一緒だ文字バカの土人め >>375
「漢字の読み方」から出発して言語を語ろうとしてる時点で言語学未満
そんなこともわからないお前はトンチンカンのクルクルパー
最初からバカの乞食だから裸の王様ですらない >>373
>ang isa pa=寄り合い
っていうが、
angはリンカーの一種で主題を表す(ここでは英語のtheみたいなもん)、
isaは数詞で「一つ」という意味、
じゃあpaが鳩の単数とかそういう意味かと思ったらそうじゃなく「まだ、さらに」という副詞らしい
ここまでは『エクスプレス・フィリピノ語』巻末の語彙索引で解けた
で、念のためang isa paをグーグル翻訳にかけたらやっぱり「もうひとつ」っていう意味
「寄り合い」ってなんだよwwwwwデタラメじゃん >>345
王道にしちゃ、けちくさいこというなあ。 >>380
オメの頭、硬いな。
翻訳はグーグルだけじゃなく、glosbeもみよ。
paは、(もっと、さらなる、追加的な)の意味。
kalapatが会合・合同になるのは、kala=多くの、pat=さらにで(いっぱい)の意味になるから。
人がいっぱいになるのが会合、合同だ。
日本語で(寄り合い)をひけば、ang isa paが出るのは、さらに(集まる)という意のpaがあるためだ。
このpaが、kalapatiのpatiの単独語なんだよ。
ウガラ、ヤカラのカラが同族を意味するという単独のカラの用例は、まだか。
わははははは。 >>381
だって王道王道言ってるのは別のやつだし
あと、イミフの関係ないレスも別のやつ
ケチの反対の気前の良さを見せるとしたら
悪意ある誤解を繰り返すキチガイ相手じゃないだろ
>>382
「寄り合い」をひけばang isa paが出るっていうのがもうおかしい
それは翻訳エンジンが壊れてるか何かだ
んなもん当てにして故障も疑わないのがお前のポンコツぶりの証拠
あとのたわごとは聞くに値しないわ、ずっと同じこと繰り返してろば〜〜〜〜〜かwww >>383
要は、負けました、ということね。
わははははは。 >>387
インチキ勝負じゃん
最初から答えなんてないんだろ
だったら誰でも勝利宣言できるわwwwばーか >>387
そんなことよりさっさとリンカーの定義を言えよ
接着剤なんてポエムじゃなくて、ちゃんと学術的に裏打ちされた用語を使えよ
ウィキペディアで調べればいいだけだろ、サボってんじゃねえよ
多分英語版で見てグーグル翻訳にかければいいぞ
お前はどうせできないから、はい俺の勝ちな >>391
はいお前の負けな
わははははは。わははははは。わははははは。 目にしろ、鳩にしろ、腹にしろ、自分では何ひとつまともな解説ができんパラノイア。
こんなふうにして、荒らしつづけてきたロクデナシ。
貴重な人生の時間を浪費して、はてはそのうち還暦に。
まあ、そういうことにハタと気がつくような人間じゃなし、か。
アホラシ。 お前、パラノイアって他人の口借りてるだけで意味わかってないだろw
調べればお前のことってわかるぞw
意味わかんないままのただの罵倒にしかなってないしな で、こんなんもあるぞ。
タガログ語 ako(アコ)=私
日本語 ア(吾)=私
わははははは。 >>402
ちょっと残念だけど、微妙になってきた。
タガログ語のako(私)は、a+koで、ko=私のようだ。
マレー語でも、aku(私)のほかに、ku(私)もある。
どうやら、タガログ語のaku(私)と日本語のa(吾=私)は、別々の語彙だろうね。
申し訳ない。 かわりに、これどう。
日本語 khosuru(コスル)=擦る
タガログ語 kuskusin(クスクシン)=擦る
くすぐったいかもね。 >>408
その古英語の時代はイッキとかイッチみたいに発音していた
オランダ語では今もイック、ドイツ語では摩擦音化してイッヒ
英語ではその後cが落ちて代償延長という変化でイーとなり
500年前の母音大推移でアイになった
古英語の段階ではアの音はない >>403
そのkuやkoの部分の方は、中国語やチベット語の系統のngaとの可能性を検討できる要素
そのngaは日本語のa,waにつながっているかもしれない >>407
スルとコスルは、別。
コスルは、カスル、サスルと同類。
コスルは、(コス+ル)。 >>410
タガログ語のako(私)のko、マレー語のaku(私)のkuについては、以下のほうが類似性が高そう。
ベトナム語 cao(私)
タイ語 ku(私) タガログ語ダメ押しの一つ。
日本語 kama(カマ)=鎌
タガログ語 kamay(カマイ)=手
稲などの株を刈り取る農具が、鎌。
この字の漢音は、レン。
その鎌を、なぜカマと呼ぶのか。
タガログ語で、手のことはkamay(カマイ)。
また、kamao(カマオ=拳)。
つまり、鎌の金属部と木製の柄の部分の形が手の形に似るから、この鎌をカマ=手と呼んだもの。
日本語で猫などを相手に遊ぶことを(カマウ)と言い、また格闘するときの姿勢などを(カマエル)という。
いずれも手でもってそのような仕草をするので、その手の呼び名である(カマ)が用いられた。
タガログ語のkamay(カマイ)=手は、その日本語のカマ(鎌=手)と、まったくの同系の言葉だといえる。
先にも述べたが、日本語のタ=手もタガログ語のtainga(タインガ)=耳と同系の言葉であった。
日本語の語彙には、フィリピンタガログ語と同系とみられる語彙が、実に相当数みつかるのだ。
その語彙の祖先は同じ、ということになってくるのではないか。
わははははは。 音が近いと意味が遠い
意味が遠いと長々と理屈を付ける
しかも音が近いと言ってもいつも単発例で法則性ゼロ
かえってウソくさいんだよ
わかってねえなあ >>416
だが、反論できんパラノイア。
その理屈を覆せない脳タリン。
難癖つけるだけの勉強不足。 >>422
勉強不足はお前だ
「偶然の一致」ではないことを示すための方法論が比較言語学にはある
お前はそれを知らずただの語呂合わせを繰り返す統失 >>423
お前がその方法を使って、偶然の一致か有意であるか検証してみればいいこと。
お前が正直なら、その結果をワイの報告すればよい。
それだけの話。 >>425
それはお前の仕事
タガログ語と日本語の関係を信じている者が証明するのが当然
「難癖つけるだけ」のやつは、解決法を示さないが、
反論者である>>416はすでに代案を示している
音が近くて意味が近い例を、いくつも挙げればいいのだ
音がそう近くなくても、並行した類似例をいくつも挙げ、法則性を示せばいいのだ
これだけヒントを貰っていながらそうしないのは、お前の怠慢
他人の空似的な、単発の類似を一つ挙げてはごちゃごちゃ理屈をこねて、法則性も示さずドヤ顔
比較言語学の手法は別に俺の発明ではなく、言語学の常識
お前は常識を無視しているだけのアホ >>426
お前がやれ。
ワイは、そこまで興味なし。 >>427
大した興味もないくせに表面だけの類似ではしゃいでるだけか
そんなの言語学じゃないから出ていけよ
言語学と関係なくても平気なんだから出ていけよ さて、タガログ語語彙の中には、日本語の語彙と極めて類似するものがある。
おそらく、タガログ語の祖語と、日本語の祖語が非常に近い時期があったためだろう。
そのために、日本語語彙の中にタガログ語の語彙と極めて類似するものがみられるのではないか。
次のものは、そのことを指し示す例のようにみえる。
タガログ語 matur(マツル)=ありがとう
日本語 matur(マツル)=祀る
タガログ語では、salamat(サラマッ)は、ありがとう、感謝の意味だ。
なので、salamatの語幹のmatと、maturの語幹のmatuは同じであり、このmatが感謝、ありがとうの意味を持っているとみることができる。
そうなると、日本語の祀る(matur)の語幹であるmatuが神を祀り、神に感謝することであることを考えると、タガログ語のmaturと日本語のmaturはほぼ同系の語彙であると想定することが可能となる。
このことから、日本語の(祀る)とは、神に感謝する意であることが推測されるのだ。
日本語の(祀りごと)とは、そうむずかしい内容なのではなく、ごく当たり前に神に感謝することだといえる。
祀るとは、そういうことなのだ。
わははははは。 [まつる] 食物を供えたりする儀式を行い神霊を慰める、祈願する
悪さをしないように安らかにゐますようになだめるのである
感謝どころではない
うっふっふ >>432
その解釈はよくみるが、しかしその解釈では、収穫祭で初穂を供えることの説明ができない。 不作になりませんように、と、豊作になりますように、は同じことだから
畏れと感謝は表裏一体なんですよ >>435
だいたい、豊作祈願、不作にならないように願うのは5月の田植えの祭り。
秋の新嘗では、そのような祈願はしない。 韓国のインチョキ教授みたいだな
語呂合わせ的に日本語と韓国語で似た単語見つけてきて根拠もなしに韓国語起源を主張するキチガイ ハルナの御山が火を噴いて一帯は熱気を帯びた灰や岩で覆いつくされた
山の神が怒りを解くように皆祈ったが収まるものではない
ムラオサ兼警察署長が甲冑をつらねて完全武装で山の神と対峙して鎮火させようとした
ムラオサは熱い灰に包まれて死んでしまったが、祈りが通じてやがて噴火は収まった
千五百年の後に甲冑姿のまま、火砕流堆積物に埋もれ、山の方向に向いた遺体が発掘されたらそれはこの時のムラオサである
神の怒りはすさまじい >>443
その二つにモンゴル語も加わると様子は一変し、モンゴル→朝鮮→日本へと語彙が動いたを表すようになる。
さらにそのモンゴルの先に同様の語彙がみられるとなれば、日本の語彙はもう中央アジアにまで広がる語彙だということになってくる。
つまり、日本と韓国の語彙が同系だというだけのものではなくなってくるのだな、これが。 >>445
これは、スレッド間違い。
ここは、タガログ語のスレだったな。
ごめんちゃい。 このタガログ語の祖語と縄文語が1万2000年前頃に接触して、現在の日本語の祖語が形成されたとのモデルは、まず間違いないところだろうな。
1万2000年前頃にそのタガログ語祖語を話す者たちが上陸したのは南九州で、その遺跡もちゃんと判明している。
舟を造るための丸ノミ型石器がみつかっている。
この形の石器は、南方でみられるものであることは証明されている。
また、燻製施設、蒸し焼き配石も見つかっていて、いずれも南方起源のものだろうということだ。
この南九州には在来の縄文人がいたわけだから、彼らと混交したと考えられる。
そこで、縄文語とタガログ語祖語の者たちとの混合語ができたというわけだ。
肝心なことは、1万2000年前頃に南九州にやってきた者たちの起源地が、どうやら中国南東部あたりであったらしいことだ。
この中国南東部あたりは、タガログ語祖語を話す者たちの起源地でもあると考えられている。
で、現代の日本語の語彙とタガログ語の語彙に少なくない類似がみられるのは、このためだというのがワイの主張なのだ。
そして、現代科学は、その中国南東部あたりがYハプロO1aの起源地であることも突き止めている。
現在の日本ではY-O1aは少ないが、彼らが日本語の祖形を形成した片方の主役だったことは、たぶん間違いないだろう。
フィリピンのタガログ語話者のO1aは、日本人の親戚のひとつだということになるのだ。
わははははは。 ハロープロがどうしたとか煙幕張って一酸化炭素中毒を狙ってるんだろうが、妻がピーナでタガログ語話者が親戚になったのだろう >>451
しかしまあ、タガログ語話者も、種族的には中国南東部福建省あたりが発祥だがな。
最近は、縄文中期頃に焼畑を持ってやってきた者たちもいて、この種族は広東省あたりが発祥と主張されているようだ。
またさらに、縄文晩期に水稲をもってやってきたのは、やはり広東省あたりが発祥の種族らしいから、とにかく日本の初期の文化形成にあたって、中国南部発祥の種族が大きく関与したことは間違いないだろうな。 稲作が中国南部あたりから日本へ渡来したんだろうとは近年言われていること
だが、言語も同様と断ずることもできまい
台湾、フィリピン、マレー、ミクロネシア、ポリネシアあたりがオーストロネシア語族として捉えられるのが一般
日本語とオーストロネシア語族とは音韻や語彙に関して十分ではないが類似も指摘されてはいるが、推定にとどまる例が多い
北方のアルタイ語族との類似も過去に注目されたが、類型的に似ているとの意味以上は出て来ていない
日本語は北方系の要素もあり、南方系の要素もある言語のようだ
特にこの言語と同系統だと言ってしまうことはできない
だからこそ、いろんな系統論が出てきやすいんだろうけどね そもそも印欧語の系統図って
印欧語族が常に征服者だったからこそ成り立つもので
アジアでは単一の語族が支配的なわけじゃないから
同じような系統図が作れるわけがないんだよね 世界の支配人種であるヤムヤナ人はホモサピエンスの最高傑作だからな
そこらの劣等民族はわけが違うわけよ まあ、日本書紀の日向神話などにみられる南方系説話の痕跡と、タガログ語の語彙と日本語の語彙が類似するケースが多々みられることとは関連があるということになってくる。
そして、これに南九州における考古学的な知見を合わせると、縄文時代に中国南部発祥の種族と旧石器時代から列島に在住してきた縄文人との混交が起こったことは、相当高い確率で想定できるだろう。
これまでに言われてきた日本文化の基層には南方系の文化があるとする説は、こうしたことによって立証されるのかも知れない。
ただ、元々の基層文化は北方系縄文人の文化であり、その基層に深く関与したのが渡来した南方系文化だというのが正しい見方だと思われる。 そこで、この証拠。
タガログ語 kataan(カタアン)=言葉
タガログ語 kata(ケイタア)=言った
日本語 kataru(カタル)=語る
日本語のカタル(語る)の原意は、(言う)かもな。
わははははは。 >>461
へぇ〜
先進国である日本や欧米に人権が人気なのはもちろん知ってたけど
後進国にも人権ってあるのか >>460
台湾からポリネシア系が南へ拡散したのは古くても5000〜2500年前のことだという
フィリピンを経て紀元前2000年頃にはインドネシアに達した
5000年前であってもその頃には日本列島、琉球弧とも既に縄文人が暮らしており、ポリネシア系は入り込む余地がなかった
その後、台湾には渡らなかった華南の人々が弥生人として稲作とともにやって来た
ただし、オーストロネシア語を話すモンゴロイドとしてはもともと華南、台湾にまたがっていたのだが、台湾に渡らないまま華南で数千年を過ごした人たちが日本に来たもの
>>461
カタルは、ある程度まとまった考えやストーリーを述べること
暗唱したものを節をつけて吟じたりもする
イフとは違ったニュアンスを持たされた別語彙 つーか今の日本人の遺伝子にオーストロネシア系民族の血って入ってないだろ
そりゃ言語自体は生物学的遺伝と関係なく伝播することもあるけどさ 華南から渡って来た人は台湾原住民と数千年の時を隔てて北方モンゴロイド化し、風貌もポリネシア系のそれではなくなっていた
ただ、ポリネシア系とは下戸遺伝子を共有し、日本にももたらされた >>463
中国南部からフィリピンなどへ渡った第1波は、1万2000年前〜7000年前だったというのが通説だけどな。
「フィリピン基礎講座ー歴史(先史時代からスペイン来寇まで)」
をみてちょ。 >>463
現代の日本語の意味では、それが正しいが、古い時代には(語る)は(話す)くらいの意味だったと思うけどね。 >>464
こういう語彙の対照では、語幹の発音が似ているかどうかが重要。 >>465
この1万2000年前の渡来者は、Y−O1aだったと思うね。
日本人のO1aは全体の1.2%ほど。
1億2000万人に対して1.2%は、144万人になる。 まあ、どちらにしても、日本語にはオーストロネシア語族の最も古い語彙が現在も存続している可能性が高い。
学者の中には、日本語をオーストロネシア語族の中の一つとみなす者もいるそうだから、
日本語の語彙とタガログ語の語彙には類似するものがかなりみられるというワイの主張は、そうそう間違ったものではないと言うことができる。 母音終わりの発音や、ワクワクだとかピチピチだとか繰り返す擬音・擬態語は南洋の香りがするけれども
文法は北方系のようで、モンゴル人力士の日本語のうまいこと
語順が一緒だとか >>472
学者の言う“二重構造論”が、それだよね。
元々の縄文語は、北方系じゃないかなあ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています