【読み間違い】間違えて覚えてた言葉3【勘違い】
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首 いちばん上に位するもの
首席 第一の席次
首相 首席の大臣 日本は飛び級が無いから、代わりに首席というのが設けられている >>41
人間が勝手に思ってる「学問」を盲信するほど
無知に成る
人類の歴史が六千年しかないのに
音声言語歴十万年はおかしい
進化論を盲信した人ですか >>623
今は滅んだ恐竜の化石が出てくるんだが、数千年前には人類と共存していたんだろうな
それしか考えられないよね
ギャートルズでもそう描かれている あ、原始家族フリントストーンだったか
ギャートルズみたいな日本の漫画は考証がいい加減だからマンモスくらいしか出てこない >>626
そういうので良いんなら思い出したが
最初聞いた時「科学忍者対ガッチャマン」だと思った
どっちがヒーローだろうって考えた >>623
は?音声言語は人間がギャーとかグェーとか鳴ける様になった頃からある計算なんだが?
音声で意識疎通なんか犬でもやっとるわ 元ちとせ えっ!? もとちとせ だと思ってたわww >>628
神が天地創造万物創生を行ったのは六千年前のこととキリスト教神学が解明している 「適正価格」ってよく馬鹿な使われ方をしてるよな
「この値段なら買ってもいい」のような、買い手本位の意味で使ってる奴が何故か異様に多い 自分が適正だと思う価格だから売り手が使っても買い手が使っても構わない
価格は最終的に需要と供給で決まるので買い手の意見がより強く反映された適正価格というものもあり得る
異常に安い値段や高い値段を「適正価格」と呼ぶ奴に必要なツッコミは「適正価格の使い方間違えてますよ」ではなくて「テメーの『適正』の算出基準はどうなっとんじゃボケ!」だ それは売り手が買い手の意見を反映するためのリサーチをして売り手が設定する価格
または買い手が売り手の立場に立って売り手が価格を設定することを想定した場面における買い手の立場での主張であって
売り手が設定する価格であることに変わりはない
適正価格は単に「(○○にとって)適正な価格」という意味の熟語じゃないぞ
あくまでも利潤のことを考慮した価格を表すものだ
勿論そのためには買い手の購買意欲をそそる程度の価格でないといけないが 2行目がおかしくなってしまった
または売り手の立場で価格を設定することを想定した場面における買い手の人間の主張であって
の方がマシか >>635
> または売り手の立場で価格を設定することを想定した場面における買い手の人間の主張であって
いや、こういう見積もりを買い手がやっちゃいけない決まりも第三者機関がやっちゃいけない決まりもないし、
辞書には「適正価格は売り手が決めるもの」なんて書いてないだろうw
辞書の内容に勝手に妄想を付け加えるなよw 「座礁」の「座」
「捻挫」の「挫」の「坐」
って「しりもちをつく」という意味もあるのか? 昔から「すわる」には「固定する」や「安定する」、「位置が決まる」「動かなくなる」ニュアンスがあるからね
「目がすわる」とかもそういう意味だしね
「目が座る」と書くのは誤り…なんていう専門家もいるけど、何種類かある当て字のバリエーションにすぎない
実際には昔から「そっちでも良かった」って感じだろうね
捻挫はまたちょっと違う意味があるかもしれないけど 和語の「すわる」は「すえる」の自動詞形で、安定してじっとしている、腰を下ろしてじっとしているという意味。
漢語の「座」は、すわる、すわる所、席、ものを置くところ(台)、地位、星座、山を数える単位、などの意味がある。
漢語の「挫」は、くじく、へし折るという意味。 おかしいね これぽっちも似ていない
私とあなたの笑顔 今では
鏡を見てるような気分
なんで似てないのに鏡を見てるような気分なんや? >>641
今ではって言ってるんだから今は似てるんだよ
本来なら全く似てない筈のあなたと私が今では鏡を見てるかのように似てる ほ〜
おかしいね
これぽっちも似ていないあなたと私 の笑顔
(が)
今では、鏡を見てるような気分 (になるくらい似てる)
ってことなのか。どういうテクニークなのか知らんが解釈難しいな 「それは言い訳」ってこの場合は、その言い訳がプラスイメージのこともあるの?
「言い訳にならない」という行為は、「言い訳をするな」に対してやっていいことですか? 言い訳は、自分の過失を正当化する説明。
言い分は自分の主張。
の違いみたいな話なんじゃない?
それでもよくわかんないけど。 「くらい」と「ぐらい」
「ころ」と「ごろ」
これは? 別に食事中ではなかったがそれを言われて悪い気分だった >>657
「子ども」とか「障がい者」みたいに、これらをそうさせた人たちと同じ種類の人なのでしょう。 >>661
すず木一ろうみたいで、本当に嫌だよね。 転んだあとの
「起き上がる」と「立ち上がる」って
違いはあるの? モーツァルトのレクイエムより
「みいつの大王」 → 「みいらの大王」 滑り台とかの
「座って滑る」と「お尻で滑る」
の違いはありますか? >>636
そうじゃなくて、おまえが言ってるのは買い手であっても売り手の立場を考慮した評価だから
俺が主張する「間違った使い方」には当たらないということだ
勝手に辞書の内容に妄想を付け加えてることにするなよ 「貼付」について
https://biz.trans-suite.jp/2485
>「はりつけ」とは読まない
>「貼付」の読み方で気を付けたいのが「貼付」を「はりつけ」と読んでしまうことです。「貼付」は
>言葉通り「貼り付ける」ことであり「はりつけ」と読んでも意味としては完全な間違いで
>はないでしょう。しかし、正しく「言葉を読む」という点では正解とは言えません。
音読みしたら「ちょうふ」なのはいいとして、「はりつけ」と訓読するのは間違いなの?
『正しく「言葉を読む」』ってどういうこと? 微妙にスレチかも知れないけど、名言を曲解する奴は多いな
例えばベッケンバウアーの「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」という言葉は
明らかに「勝利(勝者)をリスペクトすべきだ」という趣旨の発言なのに
その言葉尻だけを都合良く解釈して、敗者を叩くためのむしろ逆の意味の言葉として使う輩も多い
元々ネガティヴな状況での発言でもないのに、こんなネガティヴな意味で使われたら
名言とは呼べないし、発言者にも失礼だ
・・・というのも所詮感情論に過ぎないのかね、言語学的には
由来が分からなければ、誤解から変遷した言葉を使ってても全然違和感ないもんな >>676
支離滅裂だな
しかもてんぷはよくてはりつけは駄目なのか 単純に、はりつけと読ませるなら貼り付けと、送り仮名をつけるってだけの話じゃないの?
自分は普通に、そうでしょとしかおもわなかった。
他にも受付とか、すぐには思い出せないけどいくつかあると思う。
いつも気になってる。 日本語の送り仮名のルールは割と緩いので貼付が「貼り付け」の略でないとは必ずしも言えんのよ 漢語の「添付」はテンプと読め、添え付けなどと読むな
なんかそんな趣旨の事を言ってる
漢語の「貼付」(チョウフ)が貼り付けることという意味なら、日本語の「はりつけ」と同じ意味
で、その「はりつけ」に漢字を当てて「貼り付け」とか「貼付」と書いたりする
となると漢字で「貼付」とあっても、それは日本語の「はりつけ」に漢字を当てたものである可能性もある
けれども>>676のリンク先文章の筆者は、特に漢字ばかりで「貼付」と書いてあるのは普通に漢語として書いたんだろうからチョウフと読めと言いたいんだろう
>>682
「受付」は純日本語の「うけつけ」に漢字を当てただけのもので、元々漢語ではない
ジュフとかいう漢語はないので「うけつけ」としか読みようがない (追伸)
まぁ、もともと「貼布」を貼り付けと読むのにはいつも後ろめたさは感じていた
チョウフなんて音読みは難しいから、字面からみて「貼り付け」なんだろうと理解してもっぱらそう読んでいた
安易な読み方でスミマセンという感じはしていた >>686
そう思っていたとしてもテンプと読んでいただろう そえつけなんてのは>>684を書くときに適当に作ったものだ
辞書につけ添えという言葉はあったけど添えつけなんて載ってないよ ノーチラス号の由来は確か本編中で説明があるよ
自分はむしろ小学生の頃それを読んでオウム貝を知った
>>675
失笑を買ってそう >>694
そうだったんですね。自分は小1のときに読んだのですが、すっかり忘れていました。 確か本編中にはノーチラス号の外見描写があまりなくて、「ノーチラス号はオウム貝に似たデザイン」というイメージは
後世のイラストレーターや映像作家が仕方なく名前に寄せたデザインを採用しがちなせい、
とかいう話だったと思う 失笑を買うの意味を間違えているのを指摘された時は半年くらい暴れてたなw 愛の反対は憎しみではなく無関心
誤:無関心でいられるくらいなら憎まれた方が良い
正:無関心でいることは憎しみ以上の悪である(物事に関心を持ちなさいという啓蒙の言葉) 仏事=弔事
みたいな使い方してたけど
神道の儀式は神事でいいんだけど、
灌頂や仏式の結婚式など、めでたい仏教の儀式は仏事とは言わんのか?
法事もどうなんだろう。 新年関連とか花まつりとかも仏事だから、仏事=葬式っていうイメージがないんだけど。
でも仏教系の由来のお祭りとかにあまり参加しない人はこういう感覚分からないのかな? 花まつり?知らんのう。
仏教は盆、墓参り、葬式の法事のイメージや
新年関連は神社で初詣やらえべっさんやし、新年に仏教行事なんかあらせんよ。 >>708
こういう日本の文化をよく知らない人もいるからね 灌仏会、お釈迦さんの誕生祝いじゃと。
こんなんがあるとは初めて知ったのう。クリスマスの何分の1の知名度なんかのう?
「花まつり」は1916年に東京で始まったもんらしいし、西日本の寺でもやっとっても一般人参加のもんは少なく、幼稚園児が参加したりしとるもん見たら関東が多いのう。
浅草やらでもやりよるみたいなし、関東では身近なもんなんかのう?
日本の仏教行事としては、派手なもんじゃのう。
日本の仏教で像が出てくることは、普通お目にかかれんのう。 東国では馴染みがあるんかも知れんのう。
般若心経や詠歌も心得とるが、花まつり言うんは知らなんだし、全く馴染みが無いよ。
東日本のもんは、意外に仏教に楽しゅう親しんどるんじゃのう。 春の高校野球を先発高校野球と思ってた夏より先にやるから
明治維新の長州を長崎だと思っていた 日本全国どこでも大体新年の法要はやってると思うよ
というか大体何かの節目ごとに法事がある
最近のもので言うと節分の豆まきも仏教系のイベントだから
ああいう時は豆をまく以外に本堂の方でもナムナムやってたり信者向けの講話があったりする ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています