漢文から現代中国語にどのように変化したのか?
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近年、クラ・ダイ語族、モン・ミエン語族、オーストロアジア語族、オーストロネシア語族など近縁、近隣の言語集団との対照研究や考古学、人類学などとの学際的研究も進んだ結果、閩語、粤語、呉語など、かつて中国語の方言とされたものが、口頭言語としては互いに通じないばかりでなく、その違いが基層言語の違いであることも判明し、ゲルマン語派内の相互の違いに匹敵することから、単一言語ではなく、複数言語の集合体と考えるのが、海外の学者の間では一般的になった(王育徳、橋本萬太郎、諏訪哲郎、 Oi-kan Yue-Hashimoto, ジェリー・ノーマン、ポール・K・ベネディクトなど)。
すなわち、百越語の内部でもかなりの差異があり、百越語は別系統の諸言語の集合体であったことになる。 >>121
ガラの悪くない名古屋民というのが想像つかない >>1
おおっ!良いスレ
「皆殺しにされた。」
以上w >>145
寧ろ中国語では無くて、
オーストロアジア系の文字だった?! つか、中国語と英語って似てね?
文法が。
漢文は日本語と似てる。 『菅』の例外発音は?
謎だよなw何でスガだけ発音違うの? >>162
英語が簡略化したのはそれからずっと後のノルマンディー上陸以後
ローマ帝国時代から増えた中国人たちがその時代まで生きのびて、彼らのカタコトの英語が支配的になっていったのかもしれないね >>138
書いたら同じだけれど、アラビア語は数字の端数から読むよ >>166
日本語「食は広州にあり」
中国語「食在広州」
英語 …主語がないので翻訳不能
(「食」は主語ではなく主題) >>168
場所(副詞句)は文頭、「在」は主語が後 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています