だんじり祭りは大阪だけではない。
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奈良のだんじりって古いの見ると猫木に直接軸通してるの多いのな
改修して台木と挟む形になってるの多いけどその辺なんとも思わなかったのかな 長尾のだんじり
勾欄持ちの間に閂通ってて太鼓台っぽい形してる
腰回り10本の柱が竹内と共通してるのはよほど心配設計だったのか同じ作りを意識したのか 大阪型の後ろ屋根下勾欄は上に盛り上がる
堺型派生型や住吉型の一部?は下がる
面白い
濱八町地区が折衷型の初出もとい先駆けらしい
堺和泉泉大津…その周辺は堺型だけにあるのかわからないが閂のついただんじりが見受けられる
基本担い棒が周りに付いている(担い棒が付いてないのは知っている限りだが勝根しか無いのだろうか…
新調で作ってもらったり地元で作るにしても何型を参考に…あそこと同じのを…隣の村より…というのであれば地域独自のスタイルが生まれると思うが、地区で競い合いがある所や協調性がある所はガラパゴス化すのかも
もしくは流行りや乗り遅れてはなるまいとやり方を変えて標準化していくのだろう(中には致し方ない理由もある
地車囃子で龍踊り…走り揺らし回し唄う…やり回し…
曳行方法も気になって来たが、この辺は今の時代だんじりの形式にとらわれないところがあるようなので考えるのをやめた 改造して似せる
取り付ける、外す
だんじりってみんな似たようなもんなんだな 勾欄で堺型派生や住吉型の一部は下がると書いたが
前の勾欄が上がってるのか…どっちなんだろか 奈良で岸和田型のだんじりが二台に増えた
堺だんじり騒動を省みれば、流行りが奈良に流れてきただけかもしれない
奈良にもだんじりが製作されて多くが大阪に渡ったというのは、作りはするけど祭りはするけど必要とする村が意外となかったか
単に「なんかあそこでだんじり作ってはるけど誰が買うんやろ」くらいの気分で村人は見ていたのかな
新調が高価だからか、大阪から中古で買っただんじりは多い
中には地元製作なのか特注なのか凝った作りや独特の物が多い
奈良はその辺気持ちがフワッとしているのだ だんじり騒動などで流出したり購入してあまり手のつけてない古いだんじりを見ると閂のほぞ跡があって担い棒が後付けっぽいから昔のは練り歩くだけか走るだけだったのか
利便性はやはり横に持ち手がある方がいいけど、最初はそこまで気にしてなかったのかな 古市北町の改修でなんとなくわかった
勾欄の幅に関わらず腰掛けるタイプ(閂、肩背棒に板を置いて足を置く
勾欄が出っ張ってなければ板をつけて立つスタイル
勾欄が出っ張っていれば腰を通して板をつけて立つスタイル
勾欄が出っ張っていれば短目に改造して板をつけて立つスタイル
4つ目が多くなって来た気がする
立つ方が岸和田らしく、背筋を伸ばして指揮をとり、偉そうじゃないからかな
そもそも泉州式の曳行方だと座るのが合わないのかも知れない
でも、有志の力やお金が入るようになれば工務店等に改修のお願いができるからこそ、昔も今も地域の伝統や確立された曳行方法用に改造がされると
なんでこんなところで書いてるんだろうな 柏原市古町のだんじり、どこかで見たことあるなと思ったら當麻のだんじりに若干似てる
後ろ屋根勾欄と三枚板を欠けばかなり似てるのでは
と云うか當麻五町のだんじりの情報が少ない
勝根もどこかに似てるのがあったな、障子のない堺型だんじり いやそんなに似てないわやっぱ
でも収斂なのか似せたのかそんなの多いからキリが無い 神社、寺が多いのは京都じゃない!
新潟県は神社が日本一
村上大祭のおしゃぎりがある よーいさーじゃ
ちょーさーじゃ
北河内とやぐらの一部地域で掛け声が似てる
太鼓台の文化圏でも見られ太鼓の事をちょうさという地域もある
掛け声や鬼板に一本角がついてる点などで関連性を考えたが疲れた
おーたおーたという掛け声も何故高石市の一部と北河内(他にあるかは知らない)で残っているのか、共通しているのか?
オイサーとソラヨイヨイが西は堺市の端から河内まで続いて残っていたり
収斂だろうか、様式の伝播だろうか
それらが残っているのはとてもありがたい
脳がないのでここに掃き溜める ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています