日本列島最北の島、樺太4
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>>841
不明ということはない
松田傳十郎が国境としたのは間宮海峡の西に対してであって、北に対してではない
松田傳十郎と間宮林蔵の樺太探検の主眼は間宮海峡を発見・確認することであって、
間宮海峡の存在を確認したことを以て、当該海峡を国境としたわけであるから、
当然西に向けてのことである
沿海州を領有する清国及びこれを間もなく侵略せんとする魯西亞との国境問題として、
樺太が沿海州の一部であるのか否かは重要な論点だったのである
そして間宮海峡によって樺太が沿海州に属さない島であることが確認されたので、
樺太全島が日本の領土であることの論拠が一層強まったのである
彼等の探検で西側により重点が置かれていたのもこの理由に拠る なるほどそういうことですなね。松田や間宮のミッションが侵略せんとする露西亜の勢力が
どこまで及んでいるかであったので、樺太が島とわかりロシヤの勢力がから樺太に及んでない
のを確認し、大陸との国境として海峡最狭部のラッカに標識を建てたのですね。
今度大統領補佐官になったボルトン氏は対露強硬派でずっと北方領土を日本に返せと言っている。
戦前もヤルタ会議に臨むルーズベルトに対し、正当な日本領土である樺太をソ連に引き渡すことは
著しく正義に反するという意見を付した(ボルトン文書)のもボルトン(血筋がつながるかは不明)
がいたがルーズベルトはこれを無視しただけでなくクリル(千島列島)も日露戦争で日本ガロシヤから奪ったと
信じていた。もうろくルーズベルトのせいで北の大地が失われた。
武士道をこよなく愛し日本びいきだったセオドア・ルーズベルトとは大違いだった。 >>846
何故残虐非道の欧州の愚図どもと仲良くしなきゃならんのだ ロシア極東は戦前シベリア共和国として独立しようとていた。今でもロシア連邦から離れる
兆候があるのでプーチンは警戒し、昨年ウラジオストクでの日本との北方領土共同開発の
話し合いにサハ共和国の代表を同行させている。極東共和国ができれば日本がすぐに認め
同盟関係を結びトンネルを掘り樺太全土を返還させればすべてOK。 朝鮮人の手綱もままならない日本人がそんなの夢のまた夢だね 朝鮮と関わると戦前の二の舞なので日本人も対馬海峡を最前線として朝鮮から手を
引く覚悟をするべきっしょ。 前からこのスレに出没する荒らしの特徴として、
樺太を否定して大口を叩く割には樺太の知識を何も持たず、
やたらと中国や朝鮮に矛先を向けるよう仕向ける習性がある
興味がないのでお仲間のところにでも行けばいいのに んだっす。オラも前からそう考えていたっす。おそらくサヨクの在日で樺太返還を求める
人を右翼だとレッテルを貼り朝鮮に日本人の関心を向けようとしている工作員だろう。
樺太が返還されたら海底トンネルでシベリアとつながりトランスユーラシア鉄道として
新幹線を求めてくるだろうから、うっとうしい朝鮮はスルーしたいもんだ。
対馬海峡にトンネルを掘る案は戦前からあるが、夢夢考えるべきではない。 おまえたちがどう足掻こうと、日本のエスタブリッシュメントは親朝鮮だよ。しかも上層部に近づけば近づくほどね
そもそも神道自体が古代朝鮮人の宗教なんだよ。逆に天皇を始めた人らは朝鮮とは無関係
これはミスリードなんだよな 朝鮮も中国も嫌いじゃないんでその煽りは無意味
>>858の言ったことが真実であることを証明しただけ 朝鮮人、朝鮮人とパカにすな!同じ米くてトコチカウ? >>855
ロシアなんてモスクワとサンクトペテルブルクのある中央連邦管区と北西連邦管区だけで十分じゃね? 幕末に日本が実効支配できていたのはアニワ湾かせいぜい北緯48度の地峡あたりまで。
あるいは西海岸のポロコタンと東海岸のマアヌイを結ぶライン。
タライカ湾周辺は実効支配できていたとはいえない。 >>863
それだけでもグリーンランドの2.5倍でアメリカ東部の可住地面積全部合わせたのより広いけどね
だからこそアングロサクソンとユダヤにつけ狙われてるロシア 樺太の天然ガスや石油資源が北海道東部にあったら?北海道は食・エネルギー・可住地・観光資源のすべてを兼ね備えた
東洋のスイスになってたろうな。東アジア人ってのは気質の問題なのか、日本人に限らず先見の明が無いよな。開発センスがないというか
可住地も広く、油田もあった満州を軽視して放置プレーしてた漢族、沖縄尖閣要らない言った漢族
樺太。北海道を黒船くるまで放置してた日本人
そりゃ白人も取りにくるわな。「だっておまえら興味持ってなく要らないって言ってたじゃん」 >>864
嘘を言ってはいけない。
日本人がアニワ湾周辺にしかいないといったのはロシアのプチャーチン。
アイヌ人も日本人だったのだし完全に樺太のアイヌは幕府あるいは松前の管理下にあった。
西海岸ポロコタン(北緯50度以北)はアイヌ最大の集落があり幕末には越前の大野藩が進出、警備のサムライもいたので
日本の実効支配下にあった。
東海岸にもウェンコタン(北緯50度以北)があり48度のマーヌイということはありえない。
北緯48度以南が和人の進出、行き来が盛んであったということに過ぎない。
タライカ湖周辺のアイヌも輪荒勤番所の敷香詰所により日本の管理下にあった。
勤番所は寛政二(1790年)に白主、まもなくクシュンコタンにも設置された。
幕末の文久二(1862年)には南樺太広範囲に配置されていた。
勤番所には槍持、足軽など警備兵が常在していたので、幕末の南樺太は日本が実効支配していたと言える。 漢族も和人も環境変化を嫌うよね。白人と比べて居心地のいい環境からは絶対動きたくない。リスクを冒さない
種族特性がある(住み慣れた環境から離れるなら、人口爆発してでもそこで繁殖拡大を繰り返す傾向にある)
日本だったら関東以南から拡大しようとしなかった和人、北京以南に頑なに引き篭もった漢族
日本人も東北や蝦夷が寒いのが嫌だったというより、関東以南に見られる湿潤温暖気候のエリア以外には住みたくなかったんだろう
だから東北もずっと過疎地、北海道・樺太なんて最果てはもってのほか 文政四年(1821)頃の日本領樺太勤番所の組織
重役1人、槍持、草履取、若党各1人随行
目附1人、槍持、草履取、若党各1人随行
添役1人、槍持、草履取各1人
徒士2人、草履取各1人
医師1人、薬箱持1人
足軽5人 文久二年(1862)の樺太における勤番所
勤番所 5箇所
勤番所所属の詰所 18箇所 樺太勤番所配置状況(文久二年)
久春古丹(クシュンコタン)勤番所
得高詰所、小実詰所、遠渕詰所、ポロアントマリ詰所、鈴谷詰所
西富内(真岡)勤番所
トコンボ詰所、ノダサン詰所
輪荒勤番所
馬群漂詰所、白浦詰所、シコキウシナイ詰所、落帆詰所、富内詰所、愛郎詰所、敷香詰所
久春内(クシュンナイ)勤番所
シララオ詰所、名寄詰所、鵜城詰所
白主勤番所
リヤトマリ詰所 祝 陸上自衛隊 水陸機動団発足
ロシア連邦崩壊時には真っ先に大泊及び真岡に上陸し、樺太を解放すべし!
父祖の地、最北の本土奪還を祈るばかりである。 ロスケを甘く見るな。なんてたってあの英米ユダヤですら倒しきれないからな 樺太・千島・色丹・歯舞諸島の返還さえ実現すればそれ以上争うことはない 塢(ヲ)が「村落」を表す肉分語であることは先述の通りであるが、
より正確な発音としては「vo(ヴォ)」となるようである
魯人側の呼称でもヴォで終わる地名が多数あり、これが該当するものであろう
但し、ヌイオやチャイオは縫江や茶江と呼ばれていたものであるから、
他の言語に由来する地名の可能性もある
肉分語は特殊な子音が多くラテン文字表記も難しい言語であり、濁音は多め
尚、肉分は近年「ニヴフ」と呼ばれることが多いが、是は黒龍江方言での自称であり、
樺太方言では「niγvng(ニグヴン)」又は「nivng(ニヴン)」であって、
「肉分(ニクブン)」のほうが寧ろ正確な発音に近い
ニグヴンの意味は「人間」であり、アイヌ語でアイヌが人間を意味するのと同じである
又、肉分語で、和人のことを「シズム」と呼ぶが、
是はアイヌ語で和人を意味する「シーサム」に由来する 北樺太にもアイヌ語由来の地名は至るところにある
幌子谷(ポロコタン)は言う迄もなく「大きい村」の意であるし、
藻子間(モコナイ)や散狛間(チョロコマナイ)のように「ナイ」とあるのは「川」の意である
木透(キトウシ)の「ウシ(する所・多くある所)」も特徴的で、北海道でも多く見られる
落石(オッチシ)は北海道の根室にある落石(おちいし)と同じ名であるし、
後戸(ノテト)は「not-etu(ノテトゥ)」で「岬の鼻」の意とされている(noh + etu)
或いは「not-etoh(ノテトホ)」で「岬の先端」とも考えられるが語源は同じであろう
「too(トー)」は「湖・沼」の意であるが、
湖や湾のある地の名前に「ト」で終わるものが多いのは偶然ではあるまい ロシアの国連大使はアメリカのミサイル攻撃を明白な国際法違反、侵略行為だと
わめいているが、1945年8月の樺太、千島への無警告攻撃は明らかな国際法違反、侵略行為
おまけに日ソ中立条約違反であることは明白だ。
日本はカムチャツカを保障占領してもいい立場だけど平和ボケの状態では無理だろう。
マッカーサーにより物理的な武装解除だけでなく心理的にも武装解除されたままである。 英米仏のユダヤ連合国に包囲網敷かれてロスケは万事休すか
100年予測みたいにこのまま崩壊するのか。プーチンは人類巻き込んで相打ち狙うか
まあ日本も明治以降の天皇家自体が英国のエージェントみたいなもんだから
永久に独立は不可能だから人のこと笑えないけどさ。 四月からゴールデンカムイという日露戦争後の日本を描いたアニメが始まった
「兄ちゃん達が戦ってくれたから、日本は南樺太を取り戻せた」という台詞が第二話にあった
「取り戻せた」と言うあたり良く解っているようだ
主に北海道を舞台にするようであるがアイヌに関する豆知識も多いようだ
先の展開は知らないが、アイヌに興味があれば勉強になるかも知れない 樺太に限らず沿海州北部(アムール下流域)、カムチャツカまでロシア極東広く居住していた
アイヌ系日本人が声をあげていただければ幸いだ。
今でもカムチャツカ、沿海州、ポーランドなどでアイヌの血を引くと申請している人はいる。 北海道という樺太の上位互換があるのに開発しない日本人
寒いのが嫌なのか、一か所に群れたがる習性なのか・・・ 所詮日本には縁のなかった土地
アニワ湾以外はまともに実効支配できていなかった 所詮ロシアには縁のなかった土地
デカストリ湾以外はまともに実効支配できていなかった
火事場泥棒しか取り柄のない国 戦後のソ連の管轄地域は北千島4島だけでほとんどの千島列島は米国管轄だったようだ。
しかしスターリンがかつてロシア帝国領であった千島すべてとシベリア出兵でソ連本土に
日本軍が進駐したこと、日露戦争の怨念より日本本土の北海道北半分の管轄を主張、
米軍の進駐の遅れから北海道侵攻を準備していたが、北千島・占守島でのソ連軍の大きな損害、
樺太の日本軍の頑強な抵抗のため豊原占領が遅れついに北海道占領を諦めたというのが
真実のようだ。北海道が分断されなかったのは樺太の88師団将兵の涙ぐましい勇敢で自己犠牲の
大和魂の発露だった。 >>887
北海道を語るスレッドではないので、ここに粘着しないでよそへ行きなさい。 >>881
今回のコナンの映画は日本大好きをアピールしてたぞw ロスケのテリトリーであるいてつくシベリアの大地は例えどんなに広大でも寒く不毛で閉鎖感があるのかねえ
暖かく広大な太平洋を要する日本列島を本当は羨望の眼差しで見てたのかもね。(これは朝鮮人や漢民族も思ってそうだが) 例え進出時期が同じだったとしても樺太のシベリア的な風土が=ロスケの大地って印象付けてしまったのが痛い >>892
進出時期は全く異なる。日本は本格的には17世紀からだが、アイヌや巡教僧侶が樺太に
渡ったのはそれよりはるか昔のこと。
方やロシアは少数の漂流民が18世紀から一時的に留まったがすべてのロシア人は病死か原住民に
殺されている。ロシアが本格的に進出したのは19世紀中ごろ。
シベリア的なのは北緯52度以北の北端部のみ。方や南樺太は日本的な地形、風景で
北海道の延長と言っていい。実際幕府は北海道と樺太を合わせて蝦夷地と呼んでいた。 その北海道も明治維新までまともに開発してなかったくせによく言うよ 「骨まで愛して」でヒットした歌手・城卓也は樺太生まれだったんだね。ちょっとアイヌっぽい
顔だったね。お父さんは戦争中死亡し室蘭に引き上げている。
53歳で亡くなっているが、樺太での赤軍進駐で苦労したせいかなあ。 実は日本人以上にロスケの領土を妬んでる民族がイギリス >>896
そういや日本人が引き上げてから何十万人もロシア人やってきたんだよな
日系(やアイヌ)の人々はどのくらい残ってたんだ? せんだみつおも樺太生まれだね。胸毛いっぱいの濃い人が多いような・・・。
あと北イタリアのコルチナ・ダンペッツオインスブルック五輪(1956年)で日本人唯一のアルペンスキー
銀メダリストの猪谷千春が国後島出身だね。 北海道新幹線、全然需要なくて閑古鳥だってね。
樺太新幹線どころか札幌延伸すらままならない日本人。
樺太どころか北海道にだって住みやしないじゃないか 財務省の犬かよw
経済効果なんか考えたらそもそも地方の鉄道はおろか防波堤すら採算合わないってだけで作らなくなるが
論点がそもそもずれてるわ
そうじゃないだろ。日本は災害大国なんだぞ >>894
ロシアも開明的なピョートル大帝が登場するまでは日本以上に近代技術は遅れていた。
大帝がオランダの造船工として技術をマスターし、西欧から技術を導入した。
シベリアでも小銃で原住民を脅してヤサク(毛皮税)をとっていただけで、開発なんか
しちゃいない。樺太然りで政治犯の収容所と軍隊の駐屯地、砦を築いただけ。
むしろ日本の方が日露戦争後、パルプなど開発を進めた。今でも日本時代の線路や銀行の
建物などが利用されている。19世紀末、サガレンを訪れたチェーホフも近代前の状況を
述べていて、この島が日本のものであることが自然だと率直に語っている。
産業革命を経ていないロシアと日本に開発が遅れたと言っても意味がない。 漢民族も羨望の眼差しで見つめる北海道
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180504-00000072-jij-cn
一方、暖かい関東以南からは出て来ようとせず札幌延伸すらままならない言うだけで口ほどにもない日本人
ほんと大和朝廷の頃の太古から変わらないんだよな。暖かい関東まで開発してそれ以北は放置プレイ そろそろ君がどこの人間なのかはっきりさせておかないと説得力がないぞ ロシア帝国がもう少し上手くかじ取りしてたら、樺太どころか満州、アリューシャン列島、アラスカも今頃ロスケの大地だったんだよな。
我々日本人が抱えてる”圧迫感”をカナダ人や米国人も味わうことになってた。
もしそうなってたら、自分が↓になるのを絶対許さない米国がどうなってたか
案外日中韓の極東連合を取りこんでロスケ潰しかな(で、潰した後に史実みたいに北朝鮮建国して極東3国を仲違いさせると) 本日、12時からNHK教育「 先人たちの底力」で間宮林蔵を取り上げるぞ! 北海道はおろか、古代から東北の開発すら及び腰の日本人に樺太なんてとんでもない シベリアはおろか、古代からヴォルガ下流の開発すら及び腰のロシア人にサハリンなんてとんでもない 任那はおろか、古代から鬱陵島の開発すら及び腰の朝鮮人に竹島なんてとんでもない >>908
ピョートル以降、一気に開発したろ。日本人もあと50年早く近代化してれば樺太千島カムチャッカハワイは取れたかもな。内向きな性質なのが悪い。 チュクチ自治管区から北極圏か
温暖化して氷の溶けていく北極海の利益を得るには
そこまで支配しないとダメだな 日本人って台湾もあまり開発しなかったよな。半島には異常なほど熱心に開発してたくせに。
暑すぎても寒すぎても住みたがらない日本人
出雲人の故郷、朝鮮半島だけはどんな犠牲を払ってでも開発したがるらしい。 もともと過疎スレだったが変な奴が来るおかげでそれに拍車がかかってきたなww 朝鮮人、朝鮮人とパカにすな!同じ米くてトコチカウ? 武力で奪還するっていう話を抜きにすれば
シベリア新幹線作ってやるから樺太千島返せってことしかできなくね? 国内と海外を一緒に語るなよw
だが今の日本国民の意識では日本中に新幹線を敷き詰めるなんてのは
夢のまた夢なのは事実 大和新幹線はもうそんなに必要ないっしょ。四国新幹線(豊予海峡トンネル)と南海新幹線
(阿波〜紀州〜鳥羽〜渥美半島)と日本海新幹線(札幌〜稚内〜大泊)で完成。
大泊〜尼港(間宮トンネル)の樺太縦貫鉄道は樺太返還条件に無償建設。 本来なら徳川幕府が250年掛けて築いた幕藩ネットワークは
全国に人口、産業、富、文化と均一に分け隔てなく分散されてた(アメリカやドイツもそうでこっちのが賢い)が
明治維新の時に金融ユダヤ人たちに担がれた出雲の勢力によってそれはすべてぶち壊しにされた
そして東京以外は寂れて、日本人の富で朝鮮半島を開発した。 日本が憲法改正し軍隊を持ち普通の国になりロシアに圧力をかけないかぎり
プーチンは樺太を返還しない。 ロスケに圧力って無理ゲーだろ。アメリカですらロスケに圧力掛けても効かないのに
そんなことより北海道と東北にもっと移住しろよ日本人
北海道も札幌ばかりに群れるな。もっと分散しろ 1912年ストックホルム大会に日本人でただ1人マラソンで参加した金栗四三は大会後
駅伝競走を普及させようと樺太ー東京間を走破した素晴らしい男だった。
旧日本本土北半を走ったわけだ。さらに東京ー下関、九州一周を走り抜け箱根駅伝の基と
なった。彼の構想はなんとアメリカ大陸横断駅伝の壮大なものだった。 金栗四三は1922年8月3日から24日にかけて樺太から東京まで1,300kmを走破した。
1,300kmだからおそらく豊原からではなく敷香あたりからだと思うが、地理に強い人
どうですか? この情報に拠れば出発地点は真岡らしい
http://www.interq.or.jp/world/tabi-run/symposium/symposium_history.htm
>樺太(真岡)・東京(大塚高等師範校庭)間を19日間で走る(船中旅行の日を除く)
併し、鉄道路線を基準にすると1300粁は寧ろ短いかも知れない
函館〜青森間を青函連絡船として除外しても、稚内からでさえ東京には届かない
北海道に小樽で上陸したのならば、それこそ敷香発も可能になるであろう距離になるが…
実際に走った距離はもっと長かったのかも知れない
もう少し経路等を調べてみる必要がありそうだ
それにしても素晴らしい人がいたものだ
大河ドラマでは是非彼の功績の一部として樺太が描写されることを願う なるほど、ありがとうございます
1,300kmは東京ー下関の間違いかも
以前、樺太連盟から出ていた情報誌で樺太・敷香の警察署長が東京で行われる会議に
年末に出席した模様が署長の日記が出ていて読んだことがある
大泊ー稚内。青函の2海峡を経て全部国鉄で行ったわけだが大変だけれどもワクワクするような
旅日記だった
宮沢賢治の「銀河鉄道」もそうだが自由に日本本土を樺太まで鉄道旅行できる日が待ち遠しい 樺連で読んだ書籍に恵須取〜東京〜九州〜朝鮮の出張記録がありました。たぶん炭鉱関係者だったと思います。 金栗四三の件、朝日新聞大正十一年八月二十七日の記事で確認してみた
距離に関しては、見出しに「樺太から三百四十里を走破した新記録」とあり、
本文でも「樺太東京間三百四十里踏破の壯圖は見事に成功」とある
一里は3,9273粁であるから、三百四十里は確かに約1335粁となる
但しその一方で、「千哩餘を十九日間(船中旅行の日を除く)で踏破」とある外、
「炎暑と戰ひ風雨を冒し悪路を踏んで一日平均廿二里八時間」とある
一哩は約1,6093粁であるから、千哩餘は1609粁を超えることになるし、
一日平均廿二里を十九日続けたら、四百十八里即ち約1642粁となる
或いは1300粁というのは直線距離に近い計算で、実際は1600粁超なのかも知れない
経路に関しては少ししか書かれていないが、次のようなものがあった
「一番難所であつたのは樺太の眞岡豐原間三十里許り
所謂樺太の大森林を通り其處に五つ峠を越さねばならぬ處と
例の栗子峠の隧道が毀れた爲人の通つた事のない谷澤を攀ぢ登つた處」
つまり本斗から乗船ということはなく、やはり大泊へ向かったということであろう
因みに踏破直後の金栗・秋葉両氏には疲労の色は何処にも見えなかったとのこと
誠に見事な御仁である 敷香からの鉄道旅行とは素晴らしい
樺太返還後には真っ先に敷香に行ってみたいものだ サッカー日本代表関係者は欧州リーグと合わせるために冬にもJリーグやって欲しいとのことだが、
全樺太返還後、豊原と尾羽(オハ)に強豪チームが出来るとして豊原と尾羽(オハ)で冬開催可能だろうか? >>929
同意
戦前は日本唯一の国際河川だった幌内川に沿って遡りたいね 金栗四三は箱根駅伝の祖ばかりではなく、現在、ヨーロッパアルプスなど山間部や原野を走破する
鉄人レースの祖とも言える。彼は樺太の原野を駆け抜けた鉄人である。
思えば1905年、ポーツマス会議に出席する日本代表団がサンフランシスコに上陸し鉄路で
ポーツマスに向かうことを知った日本人の初期移民で山岳地帯で木こりをしていた人達はマサカリを投げ捨てて
即座に大陸横断鉄道に向かった。彼らは昼夜森を走り抜け数百キロを走り一行が通る鉄路に間に合った。
日章旗を大きく振る屈強な日本人に気が付いた代表団は皆涙にむせんでいた。
日本人木こりや金栗四三は鉄人レースの祖として記憶されるべきだ。 北海道に北見という地名があるが、語源は樺太が北に見えるところという意味らしい。
現在の北見市からは当然樺太は見えないが、探検家・松浦武四郎が北海道アイヌと同じアイヌ
が樺太にいるので樺太が見える稚内(冷たい水の出る沢の意)からオホーツク海沿岸地方を
北見国と名付けた。樺太と北海道は一体だったのだ。
やはり北海道(蝦夷)の一部である樺太は返してもらわなければならない。
樺太はロシアとは縁もゆかりもない土地なんだから。 いい加減諦めろ。ろくに開発もしなかったくせに未練がましい と竹島をコソ泥した在日サヨクの開発男がわめいてます。日本が樺太の開発に向くと
北朝鮮に金が回らないのであせっているんでしょうよw >>933
周知の如く樺太の名の由来となったアイヌ語カラプトからして
太古より北海道と樺太が一体であったことを示している
樺太全島が日本の本土たることは毫も疑いなし しっかし毎日毎日暑いなあ
樺太千島失った代償はでかいなw >>933
現在の北見市は旧国名から名付けられたものだが、
市制施行以前は野付牛町だったな >樺太千島失った代償はでかいなw
あっても住まねえくせに >>932
鉄人レースというよりグレイトレースだろうね。 本日午前9時よりBS1スペシャルで樺太に残留した日本人の番組があるよ! 北海道のインフラすら満足に開発できない日本人に樺太なんて宝の持ち腐れ 明朝(25日)2:15 よりNHK総合でお笑いコンビ・タカアンドトシのトシの祖父の終戦
樺太脱出劇の模様がある(ファミリーヒストリー)トシの父方も母方も樺太出身という。 こうして見ると樺太関連の番組も結構放送されているのだな
連合国の侵略を受けた際、子供達を助けるために子供だけを船に乗せて自分は残り、
幸いにもその後、親も別の船で助かった話は感動した
この感動の物語の続きとして、日本が樺太を取り戻し元の住所に帰るという内容を追加すべきである レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。