百万石は確かにお米の収穫量の事なのですが、大名の領地で加賀百万石などといった場合は、別の意味合いがあります。

江戸時代の法制では、一万石の大名というのは、一万石の収入があると同時に、
合戦があった時に一万石相当の兵を派遣する能力の事になります。

一万石というのは、合戦の時に部隊を編成する最小単位の「備(そなえ)」が編成出来る財力の事になります。
備は、騎馬武者、鉄砲足軽、弓足軽、槍足軽、小荷駄(補給部隊)などで一単位となります。
一万石の場合、元和2年の規定では戦闘部隊だけで、騎馬14騎、鉄砲20挺、弓10張、槍50本、旗3本、
これに補給部隊も含めて250人程度は動員させる必要がありました。

ですから、一万石の大名は実際に領地でとれる米の収穫量が八千石であっても二万石であっても。
一万石分の兵力を常に準備していなければならない事になります。

また、この動員数は、参勤交代の時の行列の人数にも比例していて石高が多くなれば、行列の供の数も多くなりました。

そのため、百万石の加賀藩では二万名の常備兵力が必要な計算になりましが、
実際にこれほどの人数を揃えては経済負担が大きすぎるため、実際にはその半分以下でした。
また、参勤交代の行列も江戸の近くまでは少人数で行い、江戸が近づくと人を雇って人数を増やしたりしたようです。





金沢人のハッタリ、ハリボテ文化はこの頃から根付いていたのですね。(笑)