>>119
親不知には北陸道が通り参勤交代の大名行列も利用したのに、通行困難なわけない。
親不知・子不知はとろい老人と幼児には辛い難所という程度の意味でしかない。
山側への迂回路もある。舟運は縄文時代から発達し、糸魚川特産の翡翠文化圏が
富山県にも広がっていた。新潟県西部は富山県と同じ越中国だった時期もある。

太平洋側の親不知と呼ばれる薩埵峠は両側が駿河国で今は静岡市。

日本海側も太平洋側も親不知なんて、内陸の碓氷峠越えや三国峠越えと比べたら
全然大したことない。これらの峠で関八州ははっきりと区画され、異物の擦り寄りを
決して許さない。

中部地方は確かに一体ではない。北陸と中央高地と東海の寄せ集めに過ぎない。

方言には色々な要素があって連続性もある。例えば、「なくて」を「のうて」と言う
ウ音便は北陸4県に共通する。