伝統さえちゃんとリスペクトすれば関東は素晴らしい処だよ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

吉田松陰は嘉永四年十二月下旬、水戸に居た。彼は鹿島や潮来、銚子への小旅行を挟んで約二十日間、水戸に滞在し、大きな刺激を受けるのである。
水戸の士風と水戸学が彼の心を捉えた。「他国(藩)の者に対する歓待の情が水戸では非常に厚い。又、心から喜びを分かち合い、胸の内を曝け出し、隠すところが無い。
それに見ろ、水戸藩人は『聴きおくべし』と思ったら、その場で帳面に記している。さすが天下の雄藩だ」。松蔭はそう思った。
松蔭の時代、水戸学派の筆頭は政治家としても手腕を見せた会沢正志斎だった。彼は松蔭が生まれる五年前の文政八年、尊皇攘夷論の先駆けと評価される『新論』を完成している。
松蔭は水戸滞在中、会沢正志斎のもとを頻繁に訪れ、教えを請い、水戸学の俊英たちと夜を徹して議論した。
思い知らされた。彼らに比べて日本史の知識が決定的に少ないのである。
例えば『古事記』を故事記、『続日本紀』を職日本紀と書いてしまう。
又、水戸で会沢正志斎と並び称された豊田彦次郎とも親交を深め、日記に「(豊田は)学問該博、議論痛快。居並ぶ者呆然とするばかり」と綴った。

吉田松陰「漢事に明かにして国事に茫乎たるは学人の通病なり(中国史に明るいが日本史に暗い。これは学者の通弊である)」
そんな常識を打ち破ったのが水戸藩だった。



この対極にいるのが子供の物売りと乞食で溢れていた広島藩か・・・。
吉田松陰「安芸国内の『風教の退廃』憐れむべし」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜