【Y-DNA】ハプログループ総合スレ36【mtDNA】©2ch.net
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>>259
龍って8000年前に始まった信仰なんだね
6000年前に始まった神より古いんだね
道理で神から見て龍は悪魔の総大将なわけだ Dは38000年〜25000年前までに日本列島に到達していた。
Oは23000年以上前に分岐しており、そのうちのO1bが最終氷期以後に中国の東北地方
一帯とその周辺に拡散する。
中国の東北、日本列島、ウクライナで黒土が作られ始める(9000〜8000年?)
増加するのは6000〜5000年前頃。
この頃までに、O1bは日本に住み着き縄文人になっていた。 ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 縄文晩期に渡来した渡来人、いわゆる弥生人は古代中国の炊飯器である釜竈や鬲や鼎の
どれか一つでも伝えただろうか? 有名人のハプログループ
http://famousdna.wiki.fc2.com/
このサイトに無断で掲載された自分の情報の削除依頼をしたいと思ってますが、サイト内に問い合わせ先が見当たらなく困っています。
公開していた情報に誤りがあったため、情報元の私の個人ブログは既に削除済みになっています。
管理者の方は連絡先を提示していただきたいです。 ◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
縄文晩期に渡来した渡来人、いわゆる弥生人は龍を全く伝えませんでした。
彼らが中国方面から渡来していない事がいとも簡単に分かるという訳です。 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg
待機中 >>245
関係ないね。
もっと遥か昔に、出アフリカ後間もなく通過したDの片割れ。 Y染色体ハプログループDEを定義しているYAPこそが一番の問題
YAPは本来起こり得ない変異
これはゲノム編集など人為的に外部から変異を起こさないと起きることはない、自然には起こり得ない変異の仕方
しかも、生体内での働きについては未だ解明されていない
さらに、ハプログループDEの発生(YAP変異の発生)が起こった場所は
最新の研究では東南アジアであると推定されている点も注目せざるを得ない
https://www.biorxiv.org/content/10.1101/233502v1
ミトコンドリアハプログループL3→M、Nの分岐と
Y染色体ハプログループCT→CF、DEの分岐が
どちらも約7万年前の東南アジアで発生したというのが最新の研究成果 7万年前と言えば、最終氷期が始まった時期
氷河期は寒いから赤道直下が栄える
東南アジアはさらに火山もあるし、氷河期だから海面が130m下がって大陸が現れる時期でもある
東南アジアのスンダ大陸と、オーストラリアのサフル大陸の位置関係
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89#/media/File:Map_of_Sunda_and_Sahul.png
世界最古の磨製石器は47000年前のオーストラリア、この集団が北上して
日本に最初にたどり着いた集団(Y-D1b系)が38000年前に日本に到達、磨製石器を38000年前に日本で作成
日本の磨製石器はその後、3万年前から作られなくなっている
これは氷河期の寒気の波によって、集団が南下していった結果だと思われる
その論文では東南アジアで分岐した後に、アフリカまで行ってる集団がいるとのことだが
それは赤道付近を海沿いに西へ進んだ結果だろう 38000年前に日本に最初にたどり着いた集団(Y-D1b系)
これはあくまでもホモサピエンスの話
日本には12万年前のデニソワ系旧人が作った遺跡が存在する
そして、我々はこのデニソワ系旧人の遺伝子も少なからず保持しているので、混血していたことは明白
氷河期では、東南アジアのスンダランド平野と黄海平野と日本は一帯の平野で繋がっていたので
約4万年前に恐らく氷河期の中でも温暖期だったから北上したのだろう
氷河期の陸地
https://i.imgur.com/PzDIWPH.png
こうしてみると、インド洋に陸地が現れていることが分かる
これがレムリア大陸と言われていたものの正体という可能性もある 70000年前 氷河期開始、大陸浮上、東南アジアでmtDNA-L3→M、N、yDNA-CT→CF、DE
47000年前 サフル大陸で世界最古の磨製石器
38000年前 温暖期のため石工技術を持った集団(yDNA-D1b)が北上、サフル大陸及びスンダ大陸→黄河平野→日本
30000年前 再び寒気が強まり、日本から再び南下したため、日本における磨製石器の作成が途絶える
20000年前 氷河期ピーク終了、これより再び北上していく
18000年前 中国湖南省で土器
16500年前 日本青森県で土器
14000年前 シベリアで土器
12000年前 氷河期終了、大陸沈没 サフル大陸に残り続けた集団の末裔であるアボリジニはyDNA-C1b2
日本固有のyDNA-C1a1は日本に12000年前に到来している
38000年前に日本に磨製石器を齎した集団はyDNA-D1b
スンダランドにて、mtDNA-L3→M、N、yDNA-CT→CF、DEの分化が発生
磨製石器を作った石工技術は、スンダランドのDとサフルランドのCのどちらも保持していると考えられる
そして氷河期終了とともにスンダランドのDとサフルランドのCが一緒に北上して日本まで到達
この時、サフルランドに残った集団の末裔がアボリジニになった >>275
C1a1は日本より古い分岐が遼寧省と韓国沿岸部で見つかってる。韓国南部では日本と同程度の頻度でC1a1がいる。
いつの時代の分子人類学だよw TMRCA(最も近い共通祖先)とは集団もしくはその遺伝子について、それらの全てを子孫とする祖先のうち最も新しい(現在に近い)個体や集団もしくはそれらの遺伝子のことである。
TMRCAは純粋に分岐学の概念であり、客観的に自分の祖先を推測する事が出来る重要な判断材料の一つであり 、ここ数年の分子人類学の凄まじい進歩により、より多くの情報サンプルを比較検討する事ができればTMRCAの年代測定はより正確になります。
一般的に一世代平均32.5歳 1SNP突然変異率は4.44世代に一回
TMRCA Y-SNP
https://forums.familytreedna.com/forum/paternal-lineages-y-dna/big-y-and-snp-discovery/18117-big-y-snp-mutation-rate
全配列データに基づくY染色体SNPの新しい速度定数の定義
https://www.researchgate.net/publication/273773255_Defining_a_New_Rate_Constant_for_Y-Chromosome_SNPs_based_on_Full_Sequencing_Data In a separate academic study in 2009 by
Yali Xue and Chris Tyler-Smith the
average number of SNPs was also
found to be about 1 every 4 generations
with NGS testing similar to BigY in people
with well documented genealogies.
Two Y chromosomes from a deep-rooting pedigree were genotyped and resequenced.
They showed zero Y-STR differences
after typing 67 Y-STRs, but four base substitutions after comparing
~10 Mb DNA sequence. That mutation
rate is what is found with YFull's mutation
rate which is based off the study by
Adamov et al. 2015.
Yali XueとChris Tyler-Smithによる
2009年の別の学術研究でも、SNPの
平均数は4世代ごとに約1であることが
判明しました。 根の深い家系からの
2つのY染色体の遺伝子型を決定し再配列した。
それらは67個のY-STRをタイプした後にゼロのY-STR差を示したが、約10MbのDNA配列を比較した後に4塩基置換した。その突然変異率はAdamovらによる研究に基づいているYFullの突然変異率で見いだされるものである。(グーグル翻訳)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3312576/ The estimated age of a subclade that is
several thousands of years old isn't
going to be miscalculated to be
thousands of years older or younger
than it actually is. It will be off by
a few hundred and that is as close as
we can get with current testing
and participation rates.
数千年前のサブクレードの推定年齢が、
実際よりも数千年前またはそれ以下になる
と誤算されることはありません。
それは数百だけずれているでしょう、
そしてそれは我々が現在のテストと
参加率で得ることができるのと
同じくらい近いです。(グーグル翻訳)
https://forums.familytreedna.com/forum/paternal-lineages-y-dna/big-y-and-snp-discovery/21745-yfull-definition-of-formed-tmrca Y染色体のハプログループDは検体が少なすぎて
>一般的に一世代平均32.5歳 1SNP突然変異率は4.44世代に一回
が当てはまるとは言い難いのでは?
特にアジアは長寿遺伝子であるmtDNAハプログループDの存在が
影響を及ぼすと考えられないだろうか? >>278
別にそれを否定してるわけじゃないやん
東南アジアから北上していったんだから当然日本より古い分岐系統が大陸のは当たり前やん >>283
考古立証できないね。
日本列島最古の人類の証拠はアルタイ系石刃技法。
東南アジアの石器ではない。 >>272
>世界最古の磨製石器は47000年前のオーストラリア、この集団が北上して
>日本に最初にたどり着いた集団(Y-D1b系)が38000年前に日本に到達、磨製石器を38000年前に日本で作成
じゃあ何でオーストラリアから日本まで北上してくる途中に磨製石器がないの?
. 2017年2月2日の韓国中央日報によると、蔚山科学技術院(UNIST)ゲノム研究所の国際学術誌「Science Advances」で、
韓民族(朝鮮民族)は、3?4万年前に東南アジアから中国東部の海岸を経て極東地方に流れ込み、「北方人となった南方系の狩猟採集民」と、
新石器時代が始まった1万年前に同じ経路で入ってきた「南方系の農耕民族」の血が混ざって形成されたと発表した。
今まで人類・考古学界の一部では、民族的な風貌などの共通点から、
韓国人はアルタイ山脈に始まり、モンゴルと満州の原野を超えて朝鮮半島に移住した北方民族であると推定されてきたが、
現在の進歩した科学界の判断は違っており、2009年、UNISTは国際学術誌「Science」に
「朝鮮民族が東南アジアから北東へ移動した南方系の巨大な流れに属している」と発表、今回の発表はこれをさらに具体化したことになる。
https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=225352
韓国の遺伝学の成果においても
約4〜3万年前に東南アジアから北上した集団と
約1万年前に東南アジアから再び北上した集団のミックスが極東アジア人の祖という
>>274と同じ結論になってるんだね
しかもこの遺伝学的成果はアルタイを祖とする既存の古い学説を論破することになったわけだ >>287
沈んでない部分もいっぱいあるじゃないの。
むしろ沈んでない部分の方が圧倒的に大部分。
説得力なし。 >>289
氷河期だったから
寒くない赤道付近の、標高の低い海岸沿いの平地に住んでたから
むしろほぼ全部沈んだ
たまたま残ってたのが
オーストラリアと日本列島
スンダランドや黄海平野だった大陸棚の海底を掘れば色々出てくるだろうが
海洋考古学は発展途上 >>290
その間の中国大陸が全然沈んでないじゃないの。
中国大陸が。
詭弁。
説得力なし。 基底モンゴロイドはCなんですか?
それともQなのか? ジェノグラフィックプロジェクト、一般参加段階は終了
https://genographic.nationalgeographic.com/
ジェノグラフィックプロジェクトは、2005年に世界中の科学者や大学と共同で、
人の移動パターンを明らかにすることを目的とした研究プロジェクトとして開始されました。
それ以来、National Geographicの「Geno」DNA Ancestryキットを通じて、100万人近くがThe Genographic Projectに参加しました。
この研究プロジェクトの一般参加段階は終了しており、その結果、2019年5月31日に発効し、
Geno 2.0 DNA Ancestryキットは購入できなくなりました。 七つの系統、とか「系統1」とか
ぼかさないではっきりハプログループを書いて欲しいわ >>299
ttps://www.nature.com/articles/s41598-019-44473-z
書いてあるっすよ。 前スレにあったしたらばのYdnaを語るスレ無くなったの?
見れないんだけど >>296
アフリカのY染色体ハプログループD0は
ISOGGではD2と命名されている
既存のD1,D2ががD1に集約 太古の航海再現「可能性は十分」 台湾から与那国へ、丸木舟チーム
https://www.daily.co.jp/society/science/2019/06/18/0012438093.shtml
当時は北極星が無かったり、ベガが北極星になっていたりで
経験的に星では方向が定まらないと知っていたのだろうな
見える範囲の航海だったろう
遭難した縄文人はたまたま生きて南米にたどり着いたのだろう >>296は大ニュースだね
>>298は中身は想定内
(旧)D1b1a2は弥生時代以降増えたみたいだな
ただ、これは皇室と関係ないな >>307
>ただ、これは皇室と関係ないな
なんで? >>308
逆に なんで関係あると思うんだ?
弥生時代ってまだ国家とかできる前だろ?
時代の状況わかってる? >>309
俺は何も分からないから
なんでそう思ったのか聞いた
紀元前1世紀頃に書かれた中国の史書「漢書」に
「楽浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見す」
って書いてあるから
当時既に日本列島にいくつも国があって、暦も用いていたことは明らかなんだけど
なんで弥生時代に国がないと思ってるの? 一般的な通説では
弥生時代に形成されたいくつもの国々が次第に連合を組んで
天皇の元に豪族たちが集まって大和朝廷が出来たって言われてるから
皇室の遺伝子が弥生時代以降に増えたという見方は理にかなってると思うけど >>300
系統2について、沈黙してるね。
なんでかな。 >>300
系統2が系統3と同じ時期に同じように渡来した「弥生人」であるなら、
どっちも人口減少の影響がないと書かれるはずなのに。
グラフを見ても、系統2はちょっと違って見える。
O1は分岐が古くて、ほぼ日本にしかいない分岐があるが、それについて無視だなw
「弥生の渡来人」であるなら、系統3と似たような形になるだろう。 >>245
Dは関係ないね。
出アフリカ後の南ルートの通り道で、旅をやめちゃった人たちの子孫。
関係あるとしたら、O1の中のM95と、O2の中のCTS1642の方だろうな。
しかし、K10の扱いに困っていることだろうなあ。
どう見ても「朝鮮から渡ってきた弥生の渡来人」には見えないからな。 >>310-311
いくつも国があったんなら増えたのは皇室の遺伝子だけではないよな
あたかも皇室の遺伝子だけが増えたというのはミスリーディング >>312
系統2が入ってきた時期が、弥生時代の始まりより前だから、と思われる >>305
台湾はほとんどが中国から来た渡来人だろ >>312
>>316
>混在人口のクレード頻度は、縄文人口の人口(模擬)および弥生移民の人口(韓国人と想定)から算出し、
>現在の本土日本人(我々の被験者)で観測されたクレード頻度と比較した。
>(中略)
>現在の本土日本のクレード3 Y染色体はほとんど弥生系移民から派生したもの(Google翻訳)
弥生移民の人口
韓国人と想定
韓国人と想定
韓国人と想定
系統2に言及が無いのは韓国人は系統3が多いからでしょう
日本で系統2が多くなっている説明が出来ないので >>315
日本書紀の記録によると
弥生時代ごろの国々の長には、皇室の子孫が派遣されていることが多いから整合性はある 弥生時代は、日本書紀の記録以前
あなた、時代が全然わかってないね >>322
日本書紀はそれまでに書かれていた歴史書を纏めたものだと冒頭に書いてあるし
紀元前2世紀の時点で文字を使っていたわけだから
弥生時代からの記録が日本書紀に反映されていると考えられる
北部九州の遺跡で確認された弥生時代中期中ごろから後半(紀元前2世紀末〜前1世紀)の硯(すずり)の国産を示す遺物は、紀元前には既に国内で文字が普及していた可能性を強くうかがわせる。
https://mainichi.jp/articles/20190219/k00/00m/040/244000c >>323
日本書紀と弥生時代の間には「古墳時代」というのがあってだな…
紀元前に奈良で文字を使っていた証拠は無い訳で… 縄文時代終わりに人口急減 現代日本人男性のDNA解析で判明
https://mainichi.jp/articles/20190705/k00/00m/040/038000c
2300年前に縄文人(Y染色体のハプログループD)が激減した
弥生時代に今度はY染色体のハプログループDが激増した
これはYfullのTMRCAの2300年前発生とされるD-Z1500と矛盾しない
つまり、某のようにD-IMS-JST022457を皇統と考えるには
時期が早すぎると言うことである 皇族のY染色体なんて、調べない方がいいような気もする。
俺、先祖士族、髭超濃い、体毛もじゃもじゃ、
ハーフと間違えられたことある無駄に濃い見た目。
絶対縄文系だと思いきやFTDNAで検査したらまさかの
O2a2 wwww
中国南部、朝鮮高麗に親戚がいるようで。
まあ生粋の日本人なんだが、
ネトウヨ思想にかぶれ、新卒就職を蹴って自衛隊までいった俺の青春はなんだったのかと放心状態になったよ笑
みんな、ご先祖さまを大切にするのはすばらしいこと
だけど
日本でやると仮冒ばれまくりでやばそう こっちは酒は弱いし耳垢は乾燥しているし髪は天パだし
絶対弥生系だと思っていたらまさかのDだった
皇族のY染色体は巨大古墳の被葬者との関係に興味があるな
仁徳天皇陵も世界遺産に登録されたことだし 多分Dだろ
皇室が日本のDと特有の性格を徐々に増やしていったんだよ
継体天皇から確実にな >>323
弥生の硯は実用品じゃなくて単なる宝器にすぎんの。
それが証拠に、木や土器に記された文章がないだろ。
宝器として搬入された楽浪文物の硯をコピーした模倣文物だろうな。
いずれにせよ、ただの宝器。 >>331
後ろの毛がくりっとなってるのは縄文由来かな https://www.kyuzoblog.com/entry/2017-08-20-102321
襟足がちょろっと1本にまとまるのは日本人にも多く、コーカソイドにも見られるが
アフリカにもあるんだろうか アフリカは無いような気がする
黒人はチリチリだけど
黒人の天使のしっぽは見た記憶がない 出アフリカした褐色の原始コーカソイドが中央アジアに北上して石刃技法を生み出し、
バルハシ湖あたりで東行してアルタイ地方に入って古モンゴロイドになり、
さらに東行してゴビ砂漠、内モンゴル、朝鮮半島を経て日本列島にたどり着いたのが
我々日本人の最初の祖先の旧石器人である。 だろうな。
で、バルハシ湖からアルタイ地方あたりでDが生まれてアジア中にまず拡散したんだろうな。
だからチベットや日本や極北やアンダマン諸島にDが残っているんだとしか考えられん。
考古学で石器の流れを追跡すると中央アジアに行ってしまうからね。 足の人差し指が親指より長いの(ギリシャ足)ってD系統の特徴なの?
俺はエジプト足で両親はギリシャ足なんだけど CもDも出アフリカした時点でもうあって、北回りと南周りの両方に時間差で入っていたとも
考えられる。 >>317
台湾は、
1、源台湾人(初期に入った人)東南アジアっぽい顔つきの元
2、O1を主体とする農耕民。ポリネシアンの先祖?
3、O1b1主体の稲作民。新マレーと共通か?
ここまでが「台湾先住民」
mtDNAは古い型を残し、Y-DNAは大半が農耕民にとってかわられる。 >>327
O2って、かなり古い時代に入って来たやつと、弥生のと両方あるみたい。
区別は難しいだろうけどね。
秦氏の子孫たちがたくさん調べたらわかるかも。 >>326
もし「源氏」のY-DNAがDならば、CTS8093だわな。 >>313
系統2がO1bで系統3がO2だな。
人類学者の説と矛盾してしまって困ってるんだろうなw
2300年前に朝鮮半島からやって来た朝鮮人の子孫のはずなのに。
O1もO2も、縄文時代に日本に来ていて、すでに縄文人だった。
もちろん弥生〜古墳時代にやってきた「渡来人」もいるけれど、多くはそれ以前から
倭人だった。
O1が14.3%、O2が約3%。
詳細は書いていないが、系統2の中の大きなひと塊は「47z」なのだろう。
縄文早期に細石刃を伴った人々が、これだろうな。Nも一緒に来たのかもしれない。
日本列島で東に行くほど少なくなるのは、O2と47z以外のO1b(L682)
これが「弥生以降の渡来人」
いわゆる「朝鮮人の子孫」らしきのは、L682の末端にあるやつくらいかな。
これは「爆発的に」増えた形跡は見当たらないから、いわゆる「支配層」ではないらしい。
百済の王族の末裔か?
だけど、「朝鮮人特有のDNA」ってこれくらいしか見つからない。
O1bも、朝鮮人というよりも、日本人と(おそらく)満州の中国人と朝鮮人の祖先が
15000年以上前に大陸にいたと思われるということだ、
O1やO2をすべて弥生の渡来人扱いするのはやめるべきだ。
ミトコンドリアも同様かもしれんな。
青谷上寺地遺跡の「母系はすべて渡来人」、というのも怪しい。 >>343
そうなんだけどね
YfullではCTS8093は2200年前(弥生時代)の発生だから
縄文系の人口が多くなる頃だよ
源氏は900年前の下位グループに属すると思われるので
そこまで調べないと庶民との差がわからないよね >>344
2300年前に朝鮮半島からやって来た朝鮮人の子孫って、いわゆる弥生人の事か?
それなら何で弥生人は朝鮮土器を伝えずに沿海州南部あたりの土器なんか伝えてるの?
その土器が最初の弥生土器になってるんだぞ。
それに何で弥生人骨は朝鮮人骨とはさっぱり一致せず、オロチやギリヤークなどの
沿海州の少数民族の人骨にかなり近寄った形質をしてるの?
弥生人は沿海州南部あたりから渡来した北方アジア人だよ。
渡来してから朝鮮半島から稲作や青銅器などの様々な技術や文化をパクっていただけなんだよ。 >>346
いや、オレが言いたいのは、人類学者は「Oはすべてが2300年前にやってきた渡来人」
の前提なのに、縄文人の中に2割もいるってことが説明できなくて無言といいたいだけ。 >>346
よく読んでくれ。
朝鮮人の子孫ではない。
キミとも意見が違うみたいだけど。
オレの言いたいのは、これまで「弥生の渡来人」と言われていたOは、もっと以前に
おそらく12000年頃には来ていた細石刃を持った人で、すでに縄文人になっていた。
東日本には多くなかったのかもしれない。
西日本と日本海沿岸に多かったのかも。全体で2割弱だからな。
ともかく、弥生の始まりの時点で、彼らはDと共にすでに「倭人」であり彼らが
水稲稲作を受け入れたと思うよ。
突帯文土器が青森まで見つかるのは、縄文人=倭人が稲作を受け入れた証拠だと思う。 >>348
つまり、Oが最初に入ってきたのはもっと古く、旧石器時代後期に細石刃とともに
朝鮮半島から入ったとする説な。
その可能性はあるだろうな。
俺もそう考えた事がある。
俺は下戸遺伝子も細石刃時代に朝鮮半島から入った可能性も疑ってるよ。
なぜなら弥生文化のメッカの九州北部や山陰よりも三重県などの東海地方の方が
下戸遺伝子の頻度が高いからね。
それと、稲作は受け入れたのではなく、こちらが主体で朝鮮半島から「取り入れた」んです。
もっと分かりやすく言うと、稲作は朝鮮半島から「パクった」んです。 Qなんか、15000年前は一緒にいたんじゃないかと思われる人の子孫が、かたや
スウェーデンからイギリス、かたやペルーからブラジルまでいるんだからな(先住民で)
25000年くらい前に別れたOなんか、分岐が古すぎてそれだけでは民族なんか
決められない。
日本人が1000人くらい登録しないとわからんだろうなあ
ただ、なんとなくだがDの比率が下がって行くようで・・
Dを持つ男子諸君!子供をたくさん作ってくれw
ツキノワグマと同じく、冬に子を生むことが多かったのではと思われる。
昔の人の生れ月が12月〜3月に偏っている。 >>349
逆説的だが、オレは水稲稲作は朝鮮半島から伝わったと思っている。
何故なら、、縄文後期の九州北部と半島南部(日本海沿岸)の文化が似通っていること。
中国の史書が、半島南部には倭人がいると書いていること。
つまり、半島南部にいた倭人が水稲稲作を取り入れ、日本列島の兄弟や従兄弟に伝えた。
環日本海は縄文を通じて交流があったのだろうな。
あったといっても、密接ではなく緩やかな。
密接であれば、紅山文化がそのまま入ってきただろうが、そこまではなかったと見える。
朝鮮半島は南端以外は海人には住みにくい。今でもろくな港がないからな。
遠浅すぎて港には不適。かといって内陸部は平地もろくになく岩山ばかり。
火山の広大な裾野や関東平野のような丘陵もない。狩猟民にも住みにくい。
気温が低く雨量が少なく稲作には適さない。
普通なら広大な満州の平原からわざわざ好んで移住する意味がない。 >>351
日本稲作がどこから伝わったかなんてカンタンすぎるの。
最古水田菜畑に伝わってる日本最古の農具と日本最古のイネの粒種を見りゃイイだけ。
どちらも中国とは全く一致しません。
一致してるのは朝鮮南部、ただ一つだけ。
それと中国古書の半島南部の倭人はステイだけで定着はないね。
なぜなら朝鮮半島には弥生人が渡来定着した事を証明する生活痕たる在地産の
弥生土器遺構が皆無だからです。 >>352
それはステイだけの証明にはならんね。
日本列島の「弥生人」でも、地域によって作る土器も墓制も様々だ。
ただ、典型的な倭人の集落は見つからないだろうね。
彼らは西日本と同じく、多くが海辺の低地に住んでいたと思われる。
いい場所は今はムラや都市になり、洪水で捨てられた土地は土中深く沈んでいる。
「西日本は無人」君がキチガイのように持ち出す人口推定の図は、「無人の」地域には
関東のような台地もなく、八ヶ岳のような火山の裾野もなく、埋まってしまった沖積平野や
盆地しかない土地柄だから。
あれだけ歩き回って日本中を旅していた縄文人が港に適した西日本に不在な訳がない。 >「西日本は無人」君がキチガイのように持ち出す人口推定の図は、「無人の」地域には
関東のような台地もなく、八ヶ岳のような火山の裾野もなく、埋まってしまった沖積平野や
盆地しかない土地柄だから。
見当外れなんだよ
東日本の縄文人やアイヌ人はサケ、栗やドングリが主食なんだよ
西日本ではサケも上がってこないし、落葉樹林も無いから生活できなかったんだ >>353
気に入りませんでしたか。
もっと詳細な事を言うと、朝鮮南部で出土した弥生土器は全部で800点ほども
あるのですよ。
ところが、その中で朝鮮南部で焼成された在地産の弥生土器となると、
ほんの数点しかないのですよ。
ほとんど全てが日本からの搬入土器なんです。
九州北部から舟で一日半で行けて、一日半で帰ってこれる場所なのですから、
定着する理由もないし、弥生人にとってはステイだけで充分だった
のではないでしょうか。
>>355
食糧事情な。
それはあったと思うね。
でも、さすがに西日本も無人という事はないですよ。
人口はかなり少なかった事には同意しますが。
なぜなら、弥生人が沿海州南部から渡来して新型土器である最初の弥生土器を
伝える前の九州北部から山陰にかけては最後の縄文土器である黒川式縄文土器が
出土してくるのですから。 猫はなぜ人間と暮らすのか? 日本と中国、どっちから来た?
https://www.news-postseven.com/archives/20190715_1410345.html
「中国に猫が伝わったといわれているのが、今から約2000年前。
つまり、中国に猫が伝わったのとほぼ同時期か、
またはそれよりも早く、日本に猫が伝わったことになります。
今までは、メソポタミアからエジプトへ、そこからヨーロッパ、さらに中国に伝わり、日本に来たという説が有力でしたが、
ひょっとしたらインドや東南アジア経由など別のルートがあったのかもしれません」 四つ足は机以外は食べる支那人が
倭人に食わせたかもしれないが
倭人は鼠を食べてくれる猫を
支那人を介さずに手に入れ大切にしたのだろう 俺はネコ大好きですよ。
ただ考古学的見地で考えると、紀元前2Cにネコが半島から入ってきたとして、6C末までの700年間もの間の
遺骨などのネコの痕跡のブランクを一体どう説明するんだ?
という事になってしまいます。
俺の予想だと、壱岐ですから、ツシマヤマネコが搬入されたのかもしれません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています