青谷上寺地遺跡の弥生時代後期人骨に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では32人中31人が「渡来系」で、
1人が「縄文系」と推定されています。一方、核DNA解析では、父系(YHg)の多数が「縄文系に近い」と分類されたそうです。
おそらく、現代日本人のYHgにおいて30〜40%と高い割合を占めているD1bなのでしょう。

しかし、現時点で確認されている「縄文人」およびゲノム解析で「縄文人」の変異内に収まる東北地方の弥生時代の男性は全員YHg-Dに分類されるものの、
より詳細に分類できる個体は全員、YHg-D1b2aです。
一方、現代日本人で多いのはYHg-D1b1です。

YHg-D1bは、D1b1 とD1b2に分岐し、D1b2からD1b2aが派生します。つまり現時点では、現代日本人のYHgにおいて多数派のD1b1は
「縄文人」では確認されていないので、弥生時代以降にアジア東部から到来した可能性が高いのです。

もし現代日本人のYHg-D1b1の多くが弥生時代以降の「渡来系」由来で、青谷上寺地遺跡の弥生時代後期集団の男性もYHg-D1b1だとしたら、
青谷上寺地遺跡の弥生時代後期集団は、母系では「渡来系」で父系では「縄文系」ではなく、
どちらでも「渡来系」が圧倒的に優勢だったと考えられます。

おそらく


縄文人・アイヌ人は D1b2b でアイヌ語を話していた

四川省の涼山に住むイ族・九州縄文人・西北九州弥生人・現代日本人は D1b1 で日本語を話していた

弥生時代後半から古墳時代に朝鮮から日本に移住してきた渡来人は O1b, O2 で百済語、高句麗語を話していた