明治の廃藩置県スタート時は72県だったのが35県にまとめられ
そこから分県に成功した県は宮崎、佐賀、富山だけらしい
それぞれが分県に成功した理由は両地域の経済力と比べて
県議会の議決や公共施設の設置が偏りすぎるなどが国に認められた