Ranald Macdonaldとか言う江戸時代に日本に来た「メティ」の人物がいたんだな。メティも初めて知ったわ。

ラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald, 1824年2月3日 - 1894年8月5日)は、英領時代のカナダで生まれたメティ(西洋人と原住民の混血)の船員、冒険家[2]。
鎖国時代の1848年に、アメリカの捕鯨船から小船で日本に密入国し、約10か月間滞在した。長崎では日本人通詞たちの英語学習を助け、日本初の母語話者による公式の英語教師になった。

子供の頃、インディアンの親戚に自分達のルーツは日本人だと教えられて信じ、日本にあこがれていたため、日本行きを企て、1845年、ニューヨークで捕鯨船プリマス号の船員となる。
日本行きを決心した理由を本人はいくつか書き記しているが、自分の肌が有色であったこと(そのため差別を経験していた)、容貌が日本人と似ていたことから日本語や日本の事情を学びたかったこと、
鎖国によって謎の王国とされていた日本の神秘のベールが冒険心を掻き立てたことなどを挙げている[7]。
また、インディアンの血が理由で好きな女性との結婚がかなわなかった失恋事件もきっかけとしている[7]。

さらに、植民地主義的な考えから、西洋人である自らを権力を持った支配層側、日本人をアメリカにおけるアメリカインディアンのような存在ととらえ、
日本に行けば、自分のような多少の教育のある人間なら、それなりの地位が得られるだろうとも考えていた[7]。

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcQUzRsatAEVKVa4cZMZgd4_FJ5op1M6cOg1oqtDcNvL18mA-tOE