関西人ご自慢のノーベル賞受賞者(たかが数人)、サッカー日本代表(たかが数人)に共通しているのは、ある人によって選ばれたに過ぎない、という事だ。
「竹内洋岳8000メートル峰全14座登頂」のように絶対的な基準があってそれを達成したのではなく、彼らはたかが一委員会(何人かのスウェーデン人)、
一監督の独断で選ばれたに過ぎないのだ。
湯川秀樹、江崎玲於奈、山中伸弥3人の中で「誰にも思いつかなかった事を思いついた人」「誰にも見つけられなかった現象を自力で見つけた人」は一人もいない。
彼らはただただ運がよかっただけ。
湯川の場合、同じアイデアを持っている人が他にもいた中で、計算間違いに気づかず間違った論文を発表してしまったら、中間子の性質が予想と違っていて
たまたまそれが当たっていた、というだけ。論文自体は完全に間違っていたのであり、その受賞には当然、異議を唱える声も寄せられていた。
湯川にきちんとした知識があれば、知識のある指導者がいれば、それでは斥力にしかならないとすぐにわかり論文は発表できず、
湯川は無名の研究者で一生を終えていた。
江崎、山中の場合、同じ事を考えて、ほとんど同じところまで到達していた研究者が他にもいた中で、たまたま共同研究者が決定的な発見をしたおかげで
先んじる事ができただけ。彼ら自身が自分の手で、自分の目で、大発見を成し遂げたのではない。
赤の他人の業績で威張るにしても、小平邦彦、南部陽一郎、望月新一、こういう人が関西からしか生まれてこないというならともかく、
関西人受賞者はほとんど運に恵まれただけ。