>>798
日本書紀や古事記を読めばわかるけど
皇室以外にも有力な豪族家系が複数も存在した。
だから、皇別だけが一人勝ちしていたわけではない。
大伴氏、物部氏、忌部氏、賀茂氏、土師氏らの同族たちは、皇別ではないしね。
藤原氏の祖先の中臣氏や卜部氏らも、それなりの豪族だった。
 
それが、藤原不比等の登場以降、平安期は
びっくりするくらいに、日本の貴族社会は藤原氏ばかり出世するようになって
他の貴族たちはどんどん中央政界から消えていた。
皇別も中央政界では、藤原氏よりも押されていたし。
トップの天皇は抑えていても、そこから臣籍した皇別氏族は、藤原氏よりも劣勢。
 
それが平安期の途中に荘園制になって、私有地がどんどん認められた。
その過程で各地の勢力が自分たちの権益を守るために
天皇の子孫である皇別を御輿として担ぐようになった。
藤原氏の庶流も地方へ下って武士団を率いて封建領主化したけど
源氏や平氏に比べたら、彼らは地方では下の扱いだった。