【Y-DNA】ハプログループで語るスレ44【mtDNA】
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ハプログループを学術的に議論するスレです。
スレの内容とは無関係な政治的言動、形質と文化の関連への排除的言動は控えてください。
次スレを立てるときの注意
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●日本人Y-DNAハプログループ比率
D1b--32%
O1b2-32%(旧表記O2b)
O2---20%(旧表記O3)
C2----6%
C1----5%
O1b1--1%(旧表記O2a)
O1a---1%
N1----1%
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
自分のハプロタイプが調べられる機関
https://genelife.jp/genesis2.html?_ga=2.118042889.1091383604.1503315419-1291393617.1469780480
https://genographic.nationalgeographic.com/
https://www.familytreedna.com/
https://www.23andme.com/
最新ツリー -ISOGG、YFull
https://isogg.org/tree/
https://www.yfull.com/tree/
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1511869257/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) アンダマン諸島の黒人は出アフリカした純粋なサピエンスの黒人を冷凍保存した
天然記念物だな
アフリカ本土でも彫りの深いE系はネアンデルタールと混血だし
南アフリカの方だと、今度はまた別の旧人と混血してそうな感じだ >>271
100年前まで石器時代の生活してた朝鮮民族・・・ 俺は遺伝子検査してないが絶対O系だわ
髪の毛も直毛だし
脳も戦略脳だわ
直情的で自堕落なD系の謎がやっと解けた >>261
第43、44、51、53、54代天皇の和名(実名)には、
いずれも「ヤマト・ネコ」の称号がつく。
これも、偶然ではあるまい。 >>276
天皇の実名
第43代 元明天皇(ヤマト・ネコ・アマツミヨ)
第44代 元正天皇(ヤマト・ネコ・タマミズキヨ)
第51代 平城天皇(ヤマト・ネコ・アメオシクニ)
第53代 淳和天皇(ヤマト・ネコ・アメノタカユズル)
第54代 仁明天皇(ヤマト・ネコ・アマツミシルシ)
だな。 >>275
仮説を立てたら
遺伝子検査を実行しよう しかし、Dはレトロすぎるな
Cもレトロだが、こちらはネアンデルタールが入ってるからなあ
Dは本当に出アフリカした黒人そのものだ イヌイットとかシベリア時代を入れれば2万年前ぐらいは寒いところ
にいるはずだが結構黒い
やはり、白くなるにはネアンデルタールの血がいるんじゃないだろうか?
ネアンデルタールの寒さに適合した形質を環境適合だけで得るには数十万年は
かかるらしいからな
ただ、ネアンデルタールと混血後に寒いところにいることで、その形質が生き残る
混血しても暑いところにいると、その形質は淘汰されてしまう
そういうことかもな >イヌイットとかシベリア時代を入れれば2万年前ぐらいは寒いところ
にいるはずだが結構黒い
気温は関係ない
北極圏みたいに日射量が多いと黒くなり
北欧やイギリスみたいに毎日霧に包まれていると白くなるんだ 華北みたいに寒い所にいると天皇みたいな一重瞼になる
天皇は縄文系じゃないから一重瞼なんだ まあ、色の白さのほかに顔立ちがあるからな
鼻が高い系はネアンデルタールの血筋だ
これは、OやCでもそうだろう 東洋人の一重瞼も、第三の旧人が関与している可能性が高いと思うわ
環境適合だけで変化するには時間的余裕がなさすぎる
環境というよりも地域に強く依存して変化している感じだし
東アジア地域にいた第三の旧人の影響だろう
デニソワかもしれないが、まだまともに骨が出てないから何ともいえないが D1aの誕生時期が3.8万年前で、このときは日本列島には縄文は来てない
そしてアンダマン諸島の人々がD1aを共有している
ということはD1aの誕生地は日本じゃなくて、インド周辺ではないかと思う >>286
アンダマンは北インドから南下した
おしまい 東北の人間と在日は人種が近いと言い張ってる人がいたけど
同和に入り込んだ在日がそこまで日本に居座りたいのか?と思ってしまうわ
在日はアイヌ(日本国籍を有する日本人)と根本的にちゃうからな >>289
北インドはD1aだろ
縄文とアンダマンがD1b
インド近辺でD1bが誕生しないと無理だわ まっ、D1bの誕生時には黒人そのものだったわけだよ
古モンゴロイドは黒人そのもの
その後、ネアンデルタールやデニソワと混血した人たちが遅れて到着した ネアンデルタールやデニソワと混血して白人や黄色人種が出来た
混血してないサピエンスは、真の黒人 アンダマンの原住民はD1bだよ
おそらくセンチネル族も・・・ インド南岸から極東地域には、旧人がいなかったんだな
デニソワもバイカルとか北方面だし
だから、インド南岸から極東まで、あっというまに出アフリカした黒人が
到着しちゃった
これは、何度となくあった流れだろう
中国では12〜3万年前のサピエンス(もちろん黒人だろう)の骨が出てる
アフリカ以外ではこんな古いサピエンスの骨は極東でしか出ない >>291
D1bの発祥地は、インドではなくて、アンダマン諸島ではないかな。
D1bは、アンダマン諸島と日本でしか見つかっていない。
インド側(チベット等)で見つかるのはD1aばかりで
D1bは一例も無く、反対に、アンダマン諸島ではD1bばかりで、
D1aが一例も無い。
インド付近に到達するまでは「 D」で、インド付近で D1が発生、
アンダマン諸島方面へ行ったグループに「 D1b」が発生、
インド付近に残ったグループから「 D1a」が発生。
アンダマン諸島へ行ったグループ(D1b)から、インド・チベット方面を
通過しないルート(おそらく南方経由)で日本列島へ到達。 出アフリカという出来事がかなり近い過去であったというのが
ハプログループの分析でわかったことだな
今の民族形成にダイレクトにつながってる
言葉との相関もある程度ある
日本語の祖語もこの感じだとアフリカ発祥だろう
その近い出来事を遠いと錯覚させていたのが、旧人との混血だね
これによって、遺伝子は大きく変化し、その結果として出アフリカも遠い出来事
のような感じになった
ただ、この混血を経ていないと、出アフリカはダイレクトに現代につながる
出来事になる 火山噴火が大きいんだな
7万年前のトバ噴火でアフリカ、ネアンデルタール、デニソワ以外は
すべてリセットされてる
なので、東アジアにおける古いサピエンスとかエレクトスとかは、この噴火で
絶滅したと思われる おそらくトバの噴火でインド南岸や東南アジアは無人地帯だったかもね
そのためにD系は何の障害もなくいち早く東アジアまで
到達できた 縄文人バイカル湖起源とか完全になしになったな
アンダマン諸島起源か・・
バイカル湖はおそらくデニソワの中心的居住地域で、そこで
一重瞼のような寒さに適合した形質がデニソワによって十数万年かけて
形成されたように思う サピエンスはとにかく出アフリカの時期が最近すぎて
環境適合する時間的余裕がなさすぎる
一重瞼系のOとかは、Dよりもさらに後にアジアに来ているので
なおさらだ
ほとんど時間がない
混血以外に環境適合の方法は考えられない ミトコンドリアでもY-DNAでも旧人まではたどれないから
女系でも男系でも旧人にはつながらない
つまり、女-男-女という系統でもうどちらも途切れる
まあ、それだけ混血の頻度は小さいということではあるんだろうけど
遺伝自体の違いが大きいことから、その影響は大きい ニヴフとアイヌで顔が全然違うからね
ニヴフはO系、アイヌはD
なかなか優秀だな これは失礼
しかし、CでもOでも顔つきが同じというのは、やはり
旧人との混血の有無が非常に重要ってことだろうな
北に行った人たちはどの系統でもこの混血をしてる
Dは南ルートなのでこの混血をしてない
北まで行ってるDなら、やはり同じ顔つきだろな 縄文時代の文化的な伝搬者はCなのかもな
そして、弥生人がO
Dは二回も同じような文化的伝搬者の受け入れをしてる
これも、ハプログループの分析によって推測できることだな
ハプログループすごいやん どっからこんなウソが出てくるんだ?
>260 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ fb2b-vxiR [106.73.7.0])[] 投稿日:2018/05/28(月) 09:09:23.12 ID:DAftM0Ih0 [4/13]
>DE → E(ネアンデルタールと混血)
> D(純粋サピエンス、黒人)
>こんな感じだぞ
>しかし、これじゃネアンデルタールの株が急上昇やん
>ネアンデルタールと混血してないと野蛮人みたいになってしまう
DE・CFともネアンデルタールと混血する可能性はあるだろう Eは混血してるよ
Dは移動ルートから考えてアンダマン諸島まではほとんど
混血してない
日本列島やチベットで、遅れて到着した混血組を通じて
間接的に混血したということだろう Eは中東からの出戻り
Eは彫りが深いので、ネアンデルタールが入ってる
黒人なのに白人みたいな顔つきの人たちはこれだろう 日本語の祖語はアフリカ発だね
ドラヴィダとの関連を前に言った人がいたが、
ずいぶん突飛だなと思ったが、まさかアフリカ発とは思わんかった
ハプログループ以前には絶対にわからんな、これは Dはドラヴィダよりもさらに前にインドに到着してる
本当に出アフリカしてすぐにアラビア半島南岸からインド南岸にまで
来たんだろうな まず、最強でも最弱でもない、一兵卒を戦う。
次に最強の一兵卒で戦う。
次に最弱の一兵卒で戦う。
それで敵の強さの索敵をして、残りの兵士全員で相談して作戦を練る。
強い作戦は知の平等の最賢の多重層結界の作戦だが、それを作る連絡通信情報網ができていないので、
みんなで相談して作戦を練ってれば、それはそういう作戦だからだ。
その作戦であとはみんなの本音と良心を信じて戦う。
それだけで負けても日本は幸せになる。 教科書など、正確に書くと、「本当にすごい人を知るのが遅すぎた。どんな教科書でも適当だ。
あとは適当に書いた文だけがんばってくれ」だ。 3万年に日本列島に来た人たちは、今のアンダマン諸島の
人たちとまったく同じだったはず アンダマン諸島のDの人たちは日本人によく似てるよ
白くすればかなり違和感ない
逆に、アンダマン諸島のD以外の人たちは似ていない
白くしても似ないだろう 韓国人なんかラップとかまったくフィットしないんだが
日本人のラッパーは不思議とフィットするんだよな
アフリカの血が直接つながってるのが結構大きいかも アフリカは複雑奇々怪々だからな
各種旧人もいたとおもうが、そもそもサピエンス自体が
アフリカの混沌とした旧人の中から生まれててきたわけで
まあ、しかしハプログループを調べれば、アメリカの黒人とかも
漠然とアフリカ出身というだけでなく、より詳しいルーツがわかるようになるな
AかEかでまったく違うわけだし 結局、アフリカの遺伝子の多様性が一番大きいからね
アフリカ以外でネアンデルタールやデニソワと混血しても
アフリカの中には、おそらく旧人がうじゃうじゃいたわけで、それはネアンデルタール
やデニソワの比じゃない >>320
韓国とかどうでもいいが
日本語ラッパーなんてよく聴けるなw 昔ラウドネスとかいう日本のハードロックグループがいたんだが
今では、ラッパーみたいな外見になってるな
音楽は知らんけど
本場のハードロックグループはみんなじいさんになってもハードロックやってるのに
あれもアフリカの血かも アンダマン諸島のDはアンダマン諸島の他の人たちよりもはるかに黒いからな
これも謎だ
出アフリカしたときから特に黒い人たちだったということだろうな
>>325の左の人もアンダマン諸島で10年ぐらいすごすとかなり黒くなるだろうな まあ、アメリカ北部の黒人とかも白くはならないから、
色の白さというのは、少なくとも数百年は変わらないんだろうと思う
現代は、空調や栄養状態が整っているから、肌の色が何色であれ
それで淘汰されることはないわけで、おそらく現代文明の元では
何百世代を経過しても色は大して変わらないかもしれないな アンダマン諸島のDはとにかく黒い
>>325の左の人が10年日焼けしてもあの黒さにはならないだろう
他のアンダマン諸島の人たちぐらいの黒さにはなるかもしれないが >>325だと真ん中の人だけが直毛かな
あとは、縮れ毛かな
アンダマン諸島のDほどネグロイド系の髪の毛ではもちろんないが
モンゴロイドの直毛は、ネアンデルタールとの混血の影響を受けていると言われているが アンダマン諸島のDの髪の毛はネグロイドそのものだ
これを見ると、現代人類以外の異種との混血がいかに影響が大きいかがわかる
たとえわずかな混血であっても、遺伝子の違いが大きいために
非常に大きな影響を与える
このために、同じD系統であり、言語体系すら共通していても、
わずかな混血がその外見を大きく変える影響を与えることになる つまり、アンダマン諸島のDは、本当に出アフリカした当時そのままの
ネグロイド、純粋なサピエンスの天然記念物ってことだね
これは、ほんとうに他ではまったく存在しない人たち >>331
アンダマン諸島の風習は知らんが
嫁は他部族のOとかの娘を娶るんじゃないか? とにかく孤立した人たちで100%Dだからね
センチネル族とかと同様の排他性を最近まで持っていた 7万年前のトバの噴火位置から比較的近いというのも大きいだろうな
これによって旧人やその血を引いている人たちが周辺地域で一掃された
その後、まっさらな状態でアフリカからDがすんなり入ってくることが出来た
ネグリトと呼ばれるネグロイドに近い人たちが東南アジア周辺で
見られるのもこの噴火が原因かもな
これによって、旧人が一掃されたので、アフリカから黒人の
サピエンスが入ってそのままの状態になった
ネグリトはマレー系が入る前に東南アジアにいたネグロイドに近い人々 まあしかし、日本人の成り立ちを考える上で、旧人との混血の有無が
非常に重要ということがハプログループによって明らかになったわけで
これは一昔前なら、まったく考えられない、思いもつかない状況だろうな 純粋なサピエンスには、ネグロイドとしてのは強固な属性が
備わっているんだと思う
だから、AだろうがDだろうが、純粋なサピエンスであれば、
ネグロイドそのものだという印象を与える
これはおそらく、他のグループでも同じだろう
それほど、この属性は強い
旧人とのかけ離れた遺伝子と混血することによってのみ、
この強いネグロイドの属性から離れることになる まあしかし、ネアンデルタールやデニソワなどの寒さに適応した遺伝子と
混血しても、暑いところにいると、それが淘汰されてしまうというのはあるかもね
それが、ネアンデルタールと混血した出戻りEがネグロイドだと印象付ける
理由かもしれない
そしてそのことが、アフリカにいたと思われる種々の旧人と混血しても
ネグロイドであるという印象が変わらない理由だろう
つまり、寒いところに環境適合した遺伝子が、ネグロイドの印象から離れる形質
を与える
その寒いところに適合した遺伝子を持っていたと思われるのは、
今のところネアンデルタールとデニソワしかいない バイカル湖周辺がモンゴロイドの起源と考えられていたことも
面白いね
まさにそのバイカル湖周辺こそが、デニソワの居住地だったわけで まあこんなんではサピエンスがダメダメのような感じもするが
それでは、サピエンスが旧人を圧倒した理由は何かを考えると
それは、言語だと思う
言語体系がおそらく、旧人のそれとは比較にならないほど洗練されていた
すでに現在に通じる言語体系が出アフリカ時に整っていたと思われる
日本語の祖語もおそらくアフリカ起源
このコミュニケーションの緻密さは、旧人と比較して石器の格段の洗練さにも
現れている
コミュニケーションが緻密になったことで、ともに行動する集団が大きくなり
それによって、量・質ともに旧人を圧倒した
ならば、旧人の優れていた点は何かというと、寒さに適応できる特質、
それからおそらく忍耐力なんかを持ち合わせていたと思う このことが、世界中の人類がすでに高度な言語体系を持っている理由だと思う
アンダマン諸島の出アフリカした当時そのままの人々も日本語と
同じ文法体系の言語をすでに持っているわけだからね 要するに言語によって、世界中の人類を淘汰、刷新した
したがって、高度な言語体系を持たない人々は、すべて淘汰された サピエンスは中東でネアンデルタールと混血し、その結果として
両者のいいとこ取りをした個体が生き残る(悪いところを受け継いだ個体は生き残れない)
それによって、飛躍的な進歩が起こり、そのまま中東で最初の文明が発生する
つまり、中東で最初の文明が発生したのも偶然ではないってことだね 皇室の源流がアンダマン諸島にあることを知って、
ガラパゴスブログの管理人は、地団駄踏んで悔しがっていることだろう。
O2アゲアゲの自慰投稿が出来なくなるからな。 まあ、日本人の起源を探る話もこれまでの流れはひっくり返るね
アフリカからの流れ、旧人との関係
これを考えないといけない 中央フォーカス台湾2018/06/02 16:33
6月1日に台湾東部の海辺に運ばれた竹のいかだで約3万年前に
人類が台湾から沖縄に渡った航海ルートと手段を考察する
日台共同の「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の
研究チームが9日、昨年に引き続き台湾東部の海で、
竹で作ったいかだによるテスト航海を実施する。
日本の国立科学博物館(科博)と台湾の国立台湾史前文化博物館(史前館)
が行う同プロジェクト。
沖縄では約3万年以上前の遺跡が発見されており、台湾から海を
越えて移民してきた人々が暮らしていた可能性が指摘されている。
ただ、航海の詳細はまだ解明されていない。
研究チームは今年、台湾原住民(先住民)アミ族に残る
竹のいかだを参考に試作した昨年の「イラ号」に改良を加えた
「イラ2号」を製作。イラ2号は1日に出発点となる東部・台東県長浜の
海岸に運び込まれ、
2日に進水式が行われた。日本、台湾、ニュージーランドから
集まった漕ぎ手たちが、数日間のウオーミングアップを経て、
9日のテスト航海に臨む。
来年には沖縄県与那国島までの本番航海が予定されており、
今回はあくまでも本番前のトレーニングとして地形を覚えたり、
黒潮上での長時間航行などを体験し、途中で伴走船に曳航されて戻る予定。
(盧太城/編集:塚越西穂)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/20180602000 台湾からマダガスカルまで行ったからな
まあ、Dより後の時代だが 7000年前の人類に起きた奇妙な出来事。
子孫を残せる男性が激減、女性17人に対してたった1人。
その理由とは?
2018/06/05 09:00
男性の数は減らずに子孫を残せる男性の数が激減
アメリカ・アリゾナ州立大学のコンピューター生物学者、
メリッサ・ウイルソン・セイヤーズらの研究グループによる
モデル解析によると、この謎めいた現象を引き起こしたのは、
父系クラン(集団)同士の戦争が原因だという。
だが、新石器時代におけるY染色体ボトルネック(障害)は、
2015年の発見以来、謎になっている。
それは、父親から息子にだけ受け継がれる遺伝子のY染色体だけに
見られるものなので、男性にのみ影響が現われるからだ。
これは環境というより、社会的な要因を示していて、
1万2000年から8000年前に、人類が父系構造から農耕文化へ
と移行した時期に、社会が再編されたことと関係がありそうだ。
実際は、遺伝子的多様性の減少は必ずしも人口の減少を
意味するわけではない。
男性の数はまったく同じなのに、子孫を残せる男性の数が
減ったということなのだ。
これは2015年に論文を執筆した科学者たちが提唱した
シナリオのひとつだ。
「生物学的感覚で"もっとも適したものが生き残る"のではなく、
富や権力の蓄積が、限られた数の"社会的に適合した"男性や
その息子たちの生殖成功数を増加させた可能性があるかもしれない」と。
http://karapaia.com/archives/52260642.html Cultural hitchhiking and competition between patrilineal kin groups
explain the post-Neolithic Y-chromosome bottleneck
Tian Chen Zeng, Alan J. Aw & Marcus W. Feldman
Nature Communicationsvolume 9, Article number: 2077(2018)
doi:10.1038/s41467-018-04375-6
Download Citation
AnthropologyEvolutionary geneticsEvolutionary theory
Received:
20 November 2017
Accepted:
24 April 2018
Published:
25 May 2018
Abstract
In human populations, changes in genetic variation are driven
not only by genetic processes, but can also arise from cultural or
social changes. An abrupt population bottleneck specific to
human males has been inferred across several Old World
(Africa, Europe, Asia) populations 5000–7000 BP. Here,
bringing together anthropological theory, recent population
genomic studies and mathematical models, we propose
a sociocultural hypothesis, involving the formation of patrilineal
kin groups and intergroup competition among these groups.
Our analysis shows that this sociocultural hypothesis
can explain the inference of a population bottleneck.
We also show that our hypothesis is consistent with current findings
from the archaeogenetics of Old World Eurasia, and
is important for conceptions of cultural and social evolution in prehistory.
https://www.nature.com/articles/s41467-018-04375-6 All Japanese emperors and shoguns and most daimyo shared
the same Y-DNA lineage
The Emperors of Japan belonged to haplogroup D1b1a2 based
on the tests of various descendants. Another presumed descendant
of the imperial family tested at samples of many Japanese genoms
and also belonged to that haplogroup, and more precisely to the
D-Z1504 subclade. Many database claimed that 6 million Japanese men
(10% of the male population of Japan) carry the same Y-DNA lineage
as the Imperial family and that they share a common ancestor
about 1000 years ago.
Many medieval emperors had illegitimate offspring (Emperor Saga
alone fathered 49 children), who were bestowed the surnames
Minamoto (Genji), Taira (Heike) or Tachibana, who in turn became
powerful aristocratic clans of their own. The Minamoto and
Taira became the ancestors of dozens of samurai clans (see below),
while the Tachibana became one of the four most powerful kuge
(court nobility) families in Japan's Nara and early Heian periods.
A few samurai clans descend from Japanese emperors through
imperial princes. This is the case of the Asakura clan.
I have made my own research and found that the Minamoto are
the patrilineal ancestors of daimyo clans such as the Akamatsu,
Akechi, Amago, Ashikaga (Muromachi-era shoguns), Hatakeyama,
Hosokawa, Ikeda, Imagawa, Kitabatake, Kuroda, Matsudaira, Miyoshi,
Mogami, Mori, Nanbu, Nitta, Ogasawara, Ota, Rokkaku, Sakai,
Sasaki, Satake, Satomi, Shiba, Shimazu, Takeda, Toki, Tokugawa
(Edo-era shoguns), and Tsuchiya. A few kuge (court aristocracy)
families also descend from the Minamoto, such as the Koga.
If this is correct, it could mean that all Japanese emperors and
a great number of daimyo (feudal lords) and samurai families
would have belonged to haplogroup D1b1a2, if non-paternity
events did not occur. The Taira clan descends from four 9th-century emperors
(Kanmu, Ninmyo, Montoku and Koko) and were the ancestors
of several daimyo families such as the Ashina, Chiba, Hojo
(Kamakura-era shoguns), Miura, Soma, and Oda (whose most
famous member was Oda Nobunaga, who started the reunification
of Japan during the Sengoku period).
Only a few daimyo clans did not descend from the Y-DNA line
of the Imperial family. Most, however, descend from the Fujiwara family,
who intermarried with the Imperial family almost every generation during
the Heian period(794-1185) and therefore can be considered
the same family (the maternal branch). The Fujiwara clan customarily
served as regents and ministers (sadaijin and udaijin), which allowed
them to dominate Japanese politics throughout the Heian period.
Their descendant remained court nobles until 1945. Only a few notable
samurai families descend from the Fujiwara Y-DNA line.
These include the Adachi, Ashikaga (Fujiwara), Azai, Date, Gamo,
Honda, Ii, Ito, Niwa, Tsugaru, Uesugi and Utsunomiya. Among
them the Date and Uesugi in eastern and northern Honshu distinguished
themselves during the Sengoku period. The HTsugaruonda and
Ii were retainers of the Matsudaira/Tokugawa clan and became
powerful after Tokugawa Ieyasu established the last shogunate.
At least many descendants from the Fujiwara clan tested their Y-DNA
at samples of many Japanese genoms and all belonged to
haplogroup O1b2a1 (formerly known as O2b1a), and more specifically
to O-47Z(aka CTS10674 or CTS11986).
This haplogroup is found in 24% of the Japanese population.
Y-full list a few deeper branches but more research is needed
to determine the deep clade associated specifically with the Fujiwara. I could only find a handful of notable daimyo clans that didn't descend
either from the Imperial lineage or from the Fujiwara lineage.
The most prominent was the Mori clan (not to be confused with
the Mori clan above), who were descended from the Oe,
a court aristocratic lineage from the Heian period related
by marriage to the Imperial family.
Another one was the Abe clan, one of the oldest in Japan,
said to be one of the original clans of the Yamato people.
The Hata clan is equally old and was founded by Chinese immigrants
with the surname Qin (秦 ; Hata being the Japanese reading
of that Chinese character) during the Kofun period (250-538).
They became the ancestors of a number of samurai clans, such as
the Akizuki, Chosokabe, Kawakatsu and Tamura. Descendant testing
at many database showed that that lineaged belonged to
haplogroup O2a2b1a1 (formerly known as O3a2c1a), the most common
lineage among Han Chinese, and specifically to the O-CTS10738
subclade found in both China and Japan.
During the Sengoku period, there was also the Saito clan (founded
by a merchant who seized power in Mino province and became
Oda Nobunaga's father-in-law) and the Toyotomi clan, founded
by Toyotomi Hideyoshi, Oda Nobunaga's general who gradually
rose in power a peasant family. They were recent parvenus whose
lineage didn't last more than a few generations. It all looks like a big family feud between different branches of
the Imperial family vying for supremacy and never leaving any
space for outsiders (except very briefly as with Toyotomi Hideyoshi).
What is amazing is that all the famous samurai in history were members
of the imperial paternal lineage, and that basically the same family
controlled every aspect of society in Japan, from religious (emperor) to
cultural and socio-economic (ministers and court nobles) to military
(daimyo) for over 1000 years, since Japan exists as a unified country.
Many of these aristocratic and samurai families still play an important
role today, as politicians or presidents/chairmans of companies
or organisations. For example, Morihiro Hosokawa, the head of
the Hosokawa clan, served as Prime Minister of Japan in 1993-94.
It's approximately 1000 years, which corresponds to the Heian period,
when emperors were particularly prolific sexually.
The Taira clan dates back to the 9th century. The Minamoto clan started
with Emperor Saga (also in the 9th century) who had 49 children.
18 emperors gave the Minamoto surname to their illegitimate offspring
between the 9th and 17th centuries, but the most successfully lineage
by far was the one descending from Emperor Seiwa (Seiwa Genji branch
of the Minamoto) who included most of the daimyo clans listed
above under Minamoto. Many of them descend from the Ashikaga shoguns
(e.g. the Hosokawa, Imagawa, Hatakeyama, Shiba, Mogami, Takeda,
Ogasawara, Nitta, Matsudaira, Tokugawa, Kira, Hachisuke, Ueno, Sakurai, etc.).
Only the Nitta branch of the Ashikaga spawned the Tokugawa, Matsudaira,
Yamana, Wakiya, Horiguchi, Odachi, Iwamatsu and Sakai.
There are so many surnames because every time a cadet branch moves
to a new fief, they adopt the name of the village/town where they settle. 裏スジスレなんかほっときゃいいのに
有名人のハプログループ管理人が無知を晒して暴れているようですが 結局D1bはアンダマン発祥でO1b2が満州発祥ってことでいいの? >>357
コーカソイドのOなんて、どこに居るん?w 南方の黒いのと混血して O はモンゴロイド風に変化したんだ
元々、西域や華北にはコーカソイドしかいなかったんだよ 中国語は英語に一番近いし
漢字は楔型文字の一種
麦作はメソポタミアから伝わったものだから
華北の O は メソポタミア系のコーカソイドだよ メソポタミア農耕文明を興したのはY-DNA「J」系の「J2」 J は中東のハプログループで、北方のJ2と南方のJ1に分かれる。
・J2はメソポタミア北部で誕生し、西はアナトリアからヨーロッパ南部、東はペルシアからインドまで広がっていった。
古代のエトルリア人・ミノア人・アナトリア人(南方)・ポエニ人・アッシリア人・バビロニア人がそれに当たる。
・J2はギリシャに数多く見られ、特にJ2bはギリシャで誕生したと思われる。
また、J2aが最も集中しているのはクレタ島であり、この地に起源を持つものだろう。
興味深いことに、J2aはインドのカースト上位者にも多く見られる。
バラモンは主にR1a・R2・J2aで構成されている。
これら3つのハプログループがアーリア人の侵入における遺伝子の移動経路を示している。
・J1はアラビア半島の人々のほとんどに見られ、中でも72%に達するイエメンが発祥の地と思われる。
中世のイスラム人の侵攻によって中東・アフリカ北部からスペイン南部まで広がった。 すごいな
先史時代のことがかなりわかる
言語の謎もかなり解けた気がする 西洋人はネアンデルタール風の容姿が強すぎる気がする
もう少しサピエンス寄りの方が、良いルックスになる 日本人独特の愛嬌みたいなものってアフリカ系かもな
他のアジア人には見られないし、アフリカの人は独特の愛嬌があって
白くすると日本人に似てるかもしれない DQNの方向性とかもアフリカと同じかもしれない
無意味な威圧系だ
他のアジアの犯罪者とかとは違う 他のアジアの犯罪者は金とか欲望
それに対して日本のDQNは金なんかよりも原始的な他人への威圧感を重視している気がする
原始的なアフリカっぽさを感じる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています