>>748
>平安遺文や鎌倉遺文をみれば、普通の農民クラスの名前が列挙された文書を見ることができるが


鎌倉時代に農業が急速に発展し、武士が支配する村落に豪農層があらわれます。
かれらは小作人を支配する地主となり、武士をマネて武芸を身につけました。
そのため、豪農層の協力なしには領地を支配できなくなった武士は、豪農たちに自分と同じ名字を与え味方に付けました。またその反対に力で豪農をおさえる有力な武士もいました。
この時代に豪農そうが用いた佐藤、伊藤などの名字が、のちに広域に分布する名字となります。
そして農民層に自分と同じ名字を与えなかった武士の名字は、その後もほとんど広まりませんでした。