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F倭人〜日本に残る倭族の習俗〜



2015-03-06 22:53:51
テーマ:【ブログ】


☞倭族の共通の習俗
鳥越憲三郎は「古代中国と倭族」・中公新書で、黄河流域に発祥した民族には認められず、倭族の稲作民族に共通してみられる習俗の特徴をあげている。
呉が越に破れた紀元前473年以降、倭族が稲作を伴って朝鮮半島中・南部に亡命した倭族は、その地で辰国をたて、南部にいた倭族の一部は日本列島に渡来した。

つまり、馬黄河流域の中国北方文化にはなく、倭族の船長江流域の南方文化の習俗として

▶聖なる「村の門」
我が国における鳥居の原型。悪鬼や悪霊がこの門から村内に進入しないための安全祈願の設備である。かって、我が国の農村にも散見された。

▶しめ縄
結界としての「村の門」や「しめ縄」の習俗は、さらに家の門や戸口にも及んだ。「悪鬼」や「悪霊」を寄せ付けない「まじない」である。

▶高床式住居
土間式住居では腰掛けや寝台を用いるが、高床式住居では、履物を脱ぎ跣(はだし)になって床上に腰をおろす。正座またはあぐらを組み、眠るときも床面に体を横たえる。

▶貫頭衣
三国志・後漢書の東夷列伝の倭人の条に、女性は「衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、貫頭にして衣(き)る」とあり、「単被」とは一重衣のことで、弥生時代の女性は貫頭衣を着用していた。
現在でも、雲南省奥地に住むワ族の一部や同族のタイ山岳地帯のワラ族をはじめ、ミャンマーからタイ西北部にかけて分布するカレン族が着ている。

▶断髪・文身の習俗
「墨子」公益の条に「越王句践、髪を剪り身を文(かざ)る。」と見え、断髪・文身していた。また「春秋穀梁伝」哀には「呉、夷荻の国なり。髪を祝(た)ち身を文(かざ)る。」とあって、呉越ともに断髪・文身の習俗があった。
長江中流域の四川省の重慶市から漢中地域にかけて国を形成していた巴国について、「文選」魏都賦に「膚をろうして髪をきり」とあり、巴人も断髪・文身であった。タイ北部や雲南省の一部には現在でも断髪・文身の風俗が残っている。