突帯文土器の西日本への広がり方からすると、縄文時代に西日本が無人だったという説は
信じがたい。

西日本には(あるいは東日本にも)満州地域の遼河文明に関わる畑作民の子孫が
Y-DNAのOとともにすでに到達していたのだろう。
遼河文明は黄河文明よりも古く、約4,200年前頃から始まった気候変動により内モンゴルは
砂漠化した。このために約4,000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、後の中国文化
へと発達した可能性が指摘されているらしい。

かれらの一部が日本列島で縄文人に溶け込み、半島南部にも住み着き、後に中国人によって
「倭人」と呼ばれる。
「朝鮮人」とは、その倭人と中国からの避難民とさらに北部からやって来た遊牧民が
混ざって出来上がったもの。
日本人の細目胴長短足は残念ながらその後に長らく続く半島からの渡来人によってもたらされた。