火の鳥太陽篇の主人公に百済王族を選んだのは手塚自身の出自が関係している

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百濟 第31代・義慈王の世子・扶余豊璋(623?-668?)のY染色体は、ハプログループC2c1a(C-Z1300, Z1301/CTS4021)である(注1)(注2)(注3)(注4)。

豊璋は、弟・善光と共に日本と百済の同盟を担保する人質として来日したが、日本側は太安万侶の一族・多蒋敷の妹を豊璋に娶わせるなど賓客扱いであった。
660年、唐・新羅の連合軍(唐羅同盟)が百済を滅ぼし、父・義慈王が薨去したという知らせが届いた為、弟と共に百済を復興すべく帰国。
豊璋と日本軍は、百済復興軍の司令官・鬼室福信と合流し、豊璋は百済王に推戴されたが、次第に実権を握る鬼室福信との確執が生まれ、
663年6月、豊璋は鬼室福信を殺害した。実戦に長けた鬼室福信を失ったことにより百済復興軍は著しく弱体化し、8月27、28日の両日、
百済復興軍と日本水軍の連合軍は、唐・新羅の連合軍と白村江で合戦し大敗を喫した。豊璋は数人の従者と共に高句麗に逃れたが、
高句麗も内紛につけ込まれて668年に唐に滅ぼされた。豊璋は高句麗王族らとともに唐の都に抑留され、高句麗王・宝蔵王らは許されて唐の官爵を授けられたが、豊璋は許されず、嶺南地方に流刑にされた。
信濃の善光寺は、もと金刺氏(注5)の氏寺で、金刺氏の先祖の科野(しなの)国造家の一族の一部は、百済の朝廷に仕えていたが、
白村江の敗北で百済復興が不可能になったため、日本に帰国した。この百済からの亡命者の中心になったのが、百済王豊璋の弟・善光(注6)であり、
日本への亡命の際に「百済仏」を持ち帰り奉った。科野氏は善光の薨去後、その菩提を弔って信濃に「善光寺」を開基。善光の持ち帰った百済仏を本尊とした。
善光の子は持統天皇の御代、百済王(くだらのこにきし)の姓を賜り、百済王の血統を今に伝えている。

199 自分:愛蔵版名無しさん (ワッチョイ 173c-ahOC)[sage] 投稿日:2019/05/06(月) 19:18:17.93 ID:hD4ywT500 [2/2]
武田信玄の家臣・春日虎綱(Toratsuna Kasuga, 1527-1578)のY染色体は、ハプログループC2c1a2a(C-F3799.1)である(注1)。これは彼の子孫から得られたデータに基づく解析結果である(注2)(注3)。
春日氏は、諏訪神族の嫡流・金刺宿禰浄成の三男・春日成富を始祖とする家柄で、その子孫・春日大隅の嫡男が春日虎綱にあたる(注4)。

※手塚 光盛(てづか みつもり、? - 寿永3年(1184年))は、平安時代末期の武将。諏訪神社下社の祝部である金刺氏の一族。手塚別当の子(甥とも)。兄に金刺盛澄。通称は太郎。