http://www.webchikuma.jp/articles/-/1717

数字だけを見るかぎり、こうした社会経済的な成り立ち、循環が、社会民主主義や北欧諸国を高く評価する人たちの理想の姿と重なっているように思われる〉というけれど、
北欧とか社民主義とかいうより、嫁探しの宣伝文句みたい。
あなた富山に嫁に来なさいよ。
家は広いし、車もあるし、道はいいし、仕事もあるし、保育所も完備してるし、じいちゃんばあちゃんもいるからね、結婚しても働き続けられまっせ。
 私だったらヤだけどな。家は広くても三世代同居だよ、どこがスウェーデンだよ。
昔の村落共同体といっしょやんけ。

〈待機児童ゼロったって児童がゼロだからだ〉。
〈富山には家事手伝い、専業主婦というカテゴリーがない。働かざるもの食うべからず、で三世代同居で女性が働いていなかったら、何て言われるかわからない〉。
〈持ち家率1位というのも21世紀には負の遺産〉

 こうしてみると、「幸福度」を測る指標自体が二一世紀の実情に合っていないような気がしてくる。
〈三世代同居率および共働き率も高い福井県では、共働きにより経済的に安定し、子供は親と祖父母に見守られながら安心して勉強や運動に打ち込める環境があり〉とは、『幸福度ランキング2018年版』の一節だが、井手英策が富山県を称揚する理由とほとんど同じだ。
 雇用や住宅事情が重要な指標となる点に異論はないものの、個人の自立度、男女平等度、夫婦の家事分担度、LGBTの権利関係などは、勘案されないのですかね。
もうひとつ、この「幸福度」に私が疑問を持つのは、気候風土や災害の危険性が指標化されていないことである。
県内に十数基の原発と原子力関連施設を有する福井県が常に一位なんて、ほんとならあり得ないでしょ。