シチリア島における作戦の最中、パットンは野戦病院を見舞っているが、そこで有名な「兵士殴打事件」を起こしている。
彼はまったく外傷のない兵士を見つけ、臆病であるとしてその兵を殴打(持っていた手袋で叩いたとも、又、映画『パットン大戦車軍団』では‘臆病者は銃殺してやる’と自身の拳銃に手を掛けた
が、周囲に制止された)してしまった。
その兵士は砲弾神経症によって精神状態が不安定になっていたために入院していたのであるが、一見健康そうな者が重傷者達と一緒に病院のベッドに寝ていることがパットンには我慢がなら
なかったのであろう。
また、砲弾神経症(いわゆるシェル・ショック)がどのようなものか理解していなかったため、単なる臆病な兵士に見えてしまった可能性も高い。
現場にいた特派員はこれを報じなかったが、現場の医師がこの件をアイゼンハワーに報告したため、かねてよりパットンを疎んじていた司令部の判断で一気に大事件として報道されてしまった。
アイゼンハワーはこれを機会にパットンを本国に送還するつもりだったが、ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長と話し合った結果それは取りやめ、前線指揮官の地位を剥奪するにとどめたという。
パットンはその後自主的に被害にあった兵と現場にいた兵士達に謝罪している。パットンは第7軍の指揮を外され、その後カイロで10ヶ月近く待機することとなった。