>>42
機会の平等を実現させる為には、極端な貧富格差は是正されなければならない
どんなに機会を与えたとしても、日々の生活が苦しく、満足に物を食べる事もできなくて
病気になっても医者にかかれない、能力を向上させる為の金もない、長時間労働で時間を確保できない
そしてそういった生活によって精神的に疲弊して、(精神面も含めて)荒んだ生活を送っていたら
どんなに国が機会の平等を約束して救いの手を差し伸べたとしても、有効に機能するわけがない
四畳半で毎食カップ麺が食えて飢え死にさえしなければ最低限の保障は出来てるだろうみたいな事を
平気で言う人達もいたが、そういった考え方はもう随分前に否定されている
1990年代に結果の平等が社会主義だと攻撃されて、機会の平等こそが正しいと喧伝された後
こういった考え方が台頭してきて、機会の平等には結果の平等も含まれているという考え方が支配的になって
それで42にあるような「格差の是正」という考え方が出てきた
リベラリズムから見た場合の機会の均等というのはこういう考え方をする