さて、終戦の御前会議、直前の最高戦争指導会議が3対3だった件を思い出そう。

国体護持 陸軍大臣、参謀総長、軍令部総長
終戦派   外務大臣、海軍大臣、枢密院議長
投票せず 首相

鈴木貫太郎は、自ら投票し、4対3で決める策を取らず、
聖断で国体護持派を黙らせる策をとった。

軍令部総長が国体護持派であった以上、青木峠の海軍善玉説は、言葉たらず。
実際、厚木飛行場なので、騒ぎは発生してたしな。無事鎮圧出来たとは言え。