弁証法的立場に立たない「科学主義」と宗教は補完関係である。

個別的意識(個人)の源泉である感覚的事実の集合知にのみに依拠し、感性→悟性→理性という
現実世界の弁証法的認識を人間による恣意的改変と規定し、人間の当為の役割を認めない狭い
客観主義的・機械的世界観は、人間存在の根拠を説得的に説明しえない。

個々の人間存在を超える超自然的存在に対する信仰は、人間存在の意味合いを人々に与える役
割を担うことができても、現実世界の改革の真の担い手とはなりえない。