>>605
鳥取は野坂だけでなく、通算7回当選した武部文もいて定数4を自民2、社会2で分け合うことも多かったから
十分社会党の地盤といえる
石破の台頭で中選挙区制の最期に衰えを見せたが

このころの自民は3人擁立していて石破、平林が因幡(東部)が地盤
伯耆(西部)地盤は赤沢正道→相沢の系譜だけ
一方の社会党は武部、野坂両者とも西部が地盤だったから
鳥取西部は1区1人社会党議員がいる地区と同じではなく、全国有数の社会党地盤だったわけ

>>615
候補者乱立して非自民が有利になった例が過去ほぼ存在しない気がする