【昭和】政界懐古スレ Part47【平成】
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党派や時代を問わず、往年の政局・政争、政治家などについて語るスレです。
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※前スレ
【昭和】政界懐古スレ Part46【平成】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1534640667/ ニュースステーションで総裁選直後に金丸にインタビュー。コメンテーターの小林一喜が「かなまるさん」と何回か言い、本人が「かねまるだよ、金が回るからかねまる」と言い直してた。 >>334 >>329
青森の津川武一秋田の中川利三郎なんかも農民の陳情を丁寧にさばいて自民党より役に立つという理由で支援にまわった農協が少なからずあった。 >>333
ハマコーが「山中ていそく」と言ったがさだのりで
民社党の春日一幸と玉置一徳はかずゆき・かずのりじゃなくいっこう・いっとく。
民社党の小沢貞孝はさだたかでもていこうでもいい。ややこしい。 わかってない人が多いので、釈迦に説法で書いておくが
漢字の「音読み」、いわゆる有識読みは政界ではOKだった
「きししんすけ」なんて、普通に岸が総理大臣の頃も普通に呼ばれていたし、岸本人はもとより、周りも許容してた
それがいつからダメになったかは知らんが、ハマコー世代はギリギリセーフだったかとおもう
だが「宮澤賢治君は人殺しであります」は絶対に許さんからな >>340 >>341
共産党の金子満広は自分でまんこうって呼んでたな。 石原しんこう環境相の金目発言
今村がこう復興相の失言
桜田ぎこう五輪相の不適格
う〜ん
しっくりこない >>345
伊東正義はしっくりくるのにせいぎとは呼ばれてないな。 >>340
有職読だと、岸信介は「きし しんかい」になるんじゃね?
ただ、結構名前はいい加減だったかも。
近衛文麿は「あやまろ」が本来の名前だが、「ふみまろ」の方が有名だし、
山本権兵衛も「ごんべえ」が本来の名前だが、「ごんのひょうえ」の方が有名だ。 池田勇人(いけだゆうじん)大平正芳(おおひらせいほう)中曽根康弘(なかそねこうこう)
宇野宗佑(うのそうゆう)はなかったな。 柿沢弘治が竹下退陣後の後継選びのとき「私としては山中てーそく先生が適任」とNHKのインタビューで答えたら、その後ろにいた当の山中が「てーそくだか貞則だが知らんが、山中はない」と答えていた 官房長官はNo.2であることに慣れてしまうから首相は向かないイメージ 佐藤栄作 大平正芳 鈴木善幸 竹下登 宮沢喜一 小渕恵三 安倍晋三 福田康夫
結構なってるけどな。 渡辺内閣実現の際には、渡辺美智雄の一番の子分だった私は官房長官か幹事長になっていただろう
ジ・イトヤマタワーにて >>347
初期の首相も伊藤博文と西園寺公望以外は有識読みじゃないな。
黒田清隆はくろだせいりゅう。山県有朋はやまがたゆうほう。松方正義はまつかたせいぎ。
大隈重信はおおくまじゅうしん。寺内正毅はてらうちせいき。とか。 後藤田官房長官は羽田孜のことは流石に知っていたよな。同じ派閥だったし。 近衛文麿は、最初「あやまろ」と命名しようとしたが「謝ろう」と誤解されるので
「ふみまろ」にしたのでは。 47歳の頃、党内で 一番(悪い意味で)目立っていた俺は、バカの元で自民党幹事長を2年間 させられたな。ほぼ総理総裁のようなもんだったわ。
早速、を買った。 現代の保守系論客からは、「愛国左派」「本来のリベラル」扱いされて評価が高い民社党だが、実態はどうだったんだろう。
永末英一とか佐々木良作あたりのラインは社会党とそこまで変わらない「左翼」だし、春日一幸だって言うほど右か?
改憲論者が「極右」とされ、自衛隊廃止論や日米安保破棄論が一般にも受け入れられる時代じゃ「右翼」だったのかもしれないが。
保守系ネット番組に出てくる「自衛隊による拉致被害者救出作戦実施を!」とか「大東亜戦争は正しかった」とかいう旧民社党の人たちは年を取って過激化したか、よほどの異端だろう。 >>358
そもそも民社党の本流は今も民社協会でしょ
民社協会や民主党にいれなかった人達は追い出された異端ってこと >>358
89年党大会で社会党が原発、自衛隊、安保について党内議論すると見直し前提の決議してから、更に塚本グループが右旋回してしまった。湾岸戦争がトドメ。社会党と違いを出すためだけど、春日一幸が長生きしてたらどうなってただろう。 民社党の第一のつまづきは浅沼が暗殺されたことだけど、
浅沼は左派は左派でも尊皇家であったという皮肉
>>358
春日一幸はガチガチの反共ってことで相対的に右分類を
されてるだけで、本人は社会主義者の立場を崩さなかったからな >>365
分かってた人(西尾派や江田派)は出ていったか駆逐されたかしたからね… >>365 >>366
民社離党の時河上派の離党者はもっと増えて社会党に残るのは河上丈太郎・河野密・加藤勘十
・松井政吉・松前重義など十指に余る人数まで来ていた。
しかし西尾はあまりに河上派の人数が増えすぎ影響力を奪われることを恐れて受け入れを途中で打ち切った。 >>366 >>367
石橋は自分の影響力を強めるためと選挙の都合で社会主義協会のシンパとなった。 協同主義って何だったの?
最終的に自民に合流してる人が多いし
左派ではなかったのかな? >>367
石橋が路線転換に成功したとしても、その反動は村山の時以上に
なってたろうね。時代性的には…。
>>368
西尾はこういうのがあるからなぁ、岸信介を入れなかったとかねw
岸信介が入った社会党がどうなったかは凄く興味があるな。 >>370
協同系列の党から社会党に小林進・中沢茂一民社党に小平忠なんかがいってるね。
>>361 >>358
春日と田辺や山岸と社民和解を模索してたんだよな。
>>362
春日は塚本や大内が民主党に党名変更を画策したとき一喝してその動きを止めたり、、
金大中事件時朴政権を非難したり、こういうところに社会主義者としての一面を見せている。 >>361
春日もそこまで短命ってほどではないんだけどね
割とすぐ他界したと言えば永末か…
>>374
党名変えててもあまり上向きの効果はなかったろうな
民「社」党ってのがあの党のアイデンティティだったわけだし 民社党のイデオローグといえば、蠟山政道だな。 民社党の系譜としては、社会党左派→民主社会党→民社党→新進党→新党友愛→民主党→民進党→希望の党→国民民主党でよろしいでしょうか? >>376
猪木正道、関嘉彦、中村菊男、武藤光朗
>>377
社会党右派じゃないか? 石破さんは結局新進党に正式参加してたの?なんか中途半端な感じするんだけど。 あまり強いとは言えない党勢だったのに、解党から四半世紀近く
経つ今も未だに一定の組織が健在で、旧民社としての何らかの
集まりがあれば今の立場や落ち着いた場所に関わらず馳せ参じる
民社党出身者のまとまりの良さは一体何なんだろうとw
労組が支持団体だったこととか、小所帯だったことが一因だろうけど
>>380
ブレーン勢だけなら最強なんだろうけど、なぁ…民社党は >>382
右(自民支持層)からは「民主社会主義がどうこう言っているけど、所詮ただのアカ」と切り捨てられ、左(社会党・共産党支持層)からは「裏切り者の極右」「資本家の犬に過ぎない反動勢力」と罵られてきた。
だが、他党との仲が悪かった反動で党内はまとまっていた。 チャンネル桜の三輪をはじめ、「ネットで活動する右翼系論客」に旧民社党系団体出身者が非常に多いな。
不思議と自民党系団体の出身者は少ない。
自民党は「保守」を標榜こそしているが、今も昔もノンポリ政党。イデオロギーの政党ではなく、目先の利権確保のために血縁・地縁・義理人情で形成される共同体。
だから、青年局こそあるが政治に興味がある大学生などを勧誘するシステムは手薄。
自民がターゲットとする「青年」とは、田舎の「マイルドヤンキー」な若者、あるいは下町のやんちゃだが人付き合いが得意な青年会議所連中で、東京の大学に通って政治活動をする書生くんではない。
政治に興味はあるが保守志向で、大学を支配していた左翼連中が気に入らない学生たちがすがったのが、民社党なのだろうな。
長い時間が経ち、彼らがオトナになって「民社の生き残り」の看板で世間に出るようになったから、
「民社党=自民よりはるかに右の愛国政党」というイメージが広がったんだろうな。 >>384
学生運動やってても、マルクス主義や過激な運動に批判的だった
人たち(といっても数少ないが)が流れてたりするからね
良く言えば若さ故、悪く言えば青臭い動機が、民社党出身者の
まとまりのよさや、高名な学者がブレーンに集ったことに
繋がっているのかも知れん >>384
寺井融がチャンネル桜で「春日を頭にして佐々木・永末路線でやってれば、民社党は上手くいってたかもしれない」と言ってたのは意外だった。 >>385 >>384
白川前日銀総裁は民社学同。 >>388
少なくとも「民主党は極左」っていう人は無理だろうな。 >>387
あと産経新聞に民社学同出身者が結構入っていたりするね
反共という共通項があったが、昔の産経は論者もかなり民社系の趣があった >>384
右=体育会系
左=文系インテリ
が相場なんだがフェミニストが文系インテリを攻撃してしまったのがな。 >>391
フェミニストってインテリを攻撃したか?
むしろ、団塊左翼が男尊女卑で、フェミニズムを嫌っていたような。 国民民主党≒民社党というならば、
徳永エリ、平野、津村、原口、小宮山が党内左派で社公民路線の永末&佐々木良作ライン。
社会党≒立憲民主党とは党こそ違えど同志で、共産党は大嫌いだが落選するくらいなら選挙区棲み分けには応じる。
逆に、前原、古川、古本、渡辺周、後藤祐一、小熊は党内右派で自公民路線の春日&塚本路線。
社会党≒立憲民主党との関係は悪く、共産党を不倶戴天の仇として憎み、共産党に頭を下げるくらいなら落選を選ぶ。 >>393
昔の公明党なり社民連なり、接着剤になるポジションがないのよな
無所属の会はどちらかというと立憲寄りだし >>388
そうそう、言外に塚本、大内を批判してたんだよ。 >>396
塚本はチャンネル桜の重鎮的存在だがね。 小平忠正も民社らしく、共産との野合に批判的で最終的には自公の候補を応援した 凄く微妙な立ち位置だが、佐々木〜永末〜米沢を民社党左派(社公民路線)、
春日〜塚本〜大内を民社党右派(自公民路線)とするならば、民社党中道派は
果たしていたのだろうか >>399
1985年の党大会の時に永末が春日を批判したのであるが、それに対してやり返しに行こうとする春日を何度も押し留めようとした人がいる。稲富稜人その人である。
あの頃の民社党中間派って稲富くらいしかおらんな。 >>368
>>368
>しかし西尾はあまりに河上派の人数が増えすぎ影響力を奪われることを恐れて受け入れを途中で打ち切った。
それは初めて聞いたな
河上が委員長選の後で浅沼と握手したから
河上派の離党者が止まったんだと思ってた 石橋政嗣が江田三郎委員長を目指して票固めをやったそうだ
江田派、和田派、河上派の「改良主義三派」も
面白い組み合わせだった >>400
永末は本気で春日を嫌っていた節があるが、佐々木はそうでもないというのがまた
>>402
改良主義派で固められれば民社党との連携も進んだろうか
それとも協会や総評が邪魔したかな…? >>401
西尾の離党者募集打ち切りに加えて、太田ラッパが河上派の面々に選挙と金については総評に任せてくれとだから離党しないでくれと吹いてまわったこともある。
河上派は民間組合の全労(同盟の前身)の推薦を受けてる議員が多く推薦を取り消されるのは死活問題であった。 >>403 >>402
構革3派のうち和田派はこぞって構造改革に賛成と言うわけではなかった。
和田派のうち江田の盟友と呼ばれた和田派右派系の横路節雄などは賛成したが、
和田派NO.2の勝間田清一などの左派系は構造改革に消極的であった。
また和田派のスポンサーと言われた太田ラッパも反対。
それに和田自身が江田に不信感を持っていて積極的に動かなかった。
その理由は江田は自分がシャッポになって経営した左派社会党の機関紙「社会タイムズ」を倒産させた時の負債を全部押し付けたからである。 >>398
対抗馬が元々小平の秘書だったというのがね
>>405
元々経営をやるような質ではなかったとはいえ相当な不義理ではあるな
和田はこれも含め、社会党内のゴタゴタにやる気を無くして引退しちゃうし 今の自民党麻生派に「三木派が前身の一つ」という意識はあるかね? >>408
晩年の番町研自体がそういう意識が無かったような
「クリーンなリベラル」なんていうのは。 倉山満が「三木武夫=クリーンでひ弱で温厚なリベラル爺さんという見方は誤りで、実態は政争の鬼だ」って言っていたが本当かな? 先日から話題になってる民社党との新党論もあったな>三木派
中道新党構想が成ってればまた野党の系譜も変わってたろうが
>>410
倉山が出した三木の評伝はそんなトーンで書いてあったな >>411
新進党は三木らの構想から10年以上遅れて誕生した「中道新党」だな。
自民党からの参加者が番町研系ではなく羽田−小沢グループの経世会系という違いがあったが。 >>413 >>411
20年遅れてるぞ。
自民からの参加者は三木派+河野洋平グループだな。 >>412
三木はこうもりやすとか巾着切りと呼ばれていたと芳賀綏は言っていたね。 632 名無しさん@介護・福祉板 2018/11/24(土) 12:35:53.57 ID:P72q1cFP
>>631
私は今は普通のジジイだけど第3次吉田内閣 (第2次改造)で厚生政務次官を努めた事がある
一部の超エリート層はわからないけど
役業だって毎日法案を作成して走り回ってるんだよ
もちろんやり取りする相手は大企業の購買だったり技術だったり中小企業の経営者だったり色々だけど対人の仕事はどれも同じだろm 三木武夫に関しては、かの三木武吉すらメンドクサイ野郎だとよく漏らしてたという話がある。
最後まで保守合同に反対して、保守・中道・革新の天下三分の計にこだわってたからね。 >>413
>>414
当時は新自由主義でタカ派イメージがあった小沢一派よりも、
三木や河野との方が「中道新党」としては上手く行ったろうな
元々小沢も自分ではなく、宏池会や番町が二大政党の左側の
構成軸と思ってたみたいだけども >>418
河野の主宰した政治工学研究所には橋本龍太郎・小沢一郎・羽田孜らも参加していた。
まかり間違えば、この連中の離党があったかもしれない。
新自由クラブ結党を共にした小林正巳は政治工学研究所のメンバーで田中派。 >>419
河野は若手議員のリーダー格で、角栄も党のプリンスとして河野を認めてたから、
自派の若手を積極的に行かせてたかもしてんな。 >>420
江田も新党に参加するとして、もし江田が江田派と新しい流れの会を全員引き抜きに成功していたら歴史は変わっていただろうね。
田辺と村山は江田派。土井と横路は流れの会。 87歳、未経験、元首相なんですが、この歳で他業種からの介護職員転職は難しいでしょうか?(大手のデイサービス希望・年収が低いのは承知) >>421
あまり皆来なかったことを考えると、江田って実際人望は無かったのかね? NHKスペシャル 平成史スクープドキュメント(全8回)
第3回「未完の政治改革〜秘録・小選挙区制導入〜」
↑永久保存決定やな >>424
12/8(土) 午後9時00分〜9時49分 >>423
議員の数では社会党最大派閥だったこともある シリーズ「平成史スクープドキュメント」。
第3回は、それまでの政治の形を大きく変えた、1994年(平成6年)の小選挙区制導入をめぐる知られざる物語。
今回、わたしたちは、政治改革を主導した後藤田正晴の未公開の日誌など、小選挙区制をめぐるさまざまな一次資料を独自に入手した。
番組では、制度導入のプロセスに深く関わった当事者たちの証言を重ねながら、平成政治の姿を遠望していく。 >>426
だって旧河上派と山本幸一グループを吸収したもんな。 江田三郎 鈴木派→構造改革派→江田派
成田知巳 鈴木派→構造改革派→無派閥
山本幸一 鈴木・佐々木派→山本グループ→江田派
楢崎弥之助 松本派→佐々木派→山本グループ→無派閥→流れの会→社民連
大柴滋夫 鈴木・佐々木派→山本グループ→江田派→社市連→社民連
安井吉典 河上派→無派閥→流れの会→旧河上派
木原実 佐々木派→山本グループ→社会主義協会
多賀谷真稔 鈴木派→構造改革派→無派閥(成田系)
松本七郎 河上派→松本(治)派→佐々木派→山本グループ→江田派
高田富之 共産党→野溝派→構造改革派→江田派
川俣健二郎 河上派→江田派
山口鶴男 和田派→江田派
長谷川正三 江田派→勝間田派
上田哲 無派閥→流れの会→新生研究会→上田グループ
武藤山治 河上派→江田派→勝間田派(堀グループ)
柴田健治 江田派→勝間田派(堀グループ)
畑和 河上派→江田派→埼玉県知事
井上泉 江田派→佐々木派→江田派
阿部未喜男 江田派→勝間田派→江田派
井上普方 江田派→流れの会→江田派
佐藤敬治 河上派→江田派→無派閥(社会主義協会系)
阿部助哉 河上派→江田派→無派閥(社会主義協会系) >>429-430
嫌味でも皮肉でもないんだが
こういう才能の無駄遣い、本当大好き しかしなんで社会党は少数派閥の協会派にふりまわされてたんやろ? >>432
議員個人の後援会等が強くなく、活動を活動家や社青同に頼らざるを得なかった
そこら辺に協会派が強く浸透していたからだな
しかし向坂ってのは本当に害ばかり成してきたというか何というか >>432
党員が多かったからというけど本当かといつも思う。
むしろ江田派が抜けてからの東京社会党の凋落ぶりがすごい。高沢寅男が毎回冷や汗垂らすところまで堕ちた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています