そもそも
7奉行の序列ってのは
創政会騒動の発案者小沢→小沢が若すぎるのでその後見人としての梶山
→何があっても竹下に付いて行きますの橋龍と小渕→長年の盟友関係で小沢梶山と行動を共にした羽田
(ここまで原加盟メンバー)→おしゃべりなせいで原加盟メンバーになれなかったが
騒動発生後真っ先に竹下の下に駆けつけた黄門→最後の最後で経世会に加わった奥田
と言うのがそのまま序列になってる

あと黄門しょぼいって奴は最盛期の黄門を知らんから
奴はあれでも90年代の一番ギラギラしていた頃の小沢に唯一直接ものが言える存在だったんで
政界では相当重宝されていた
民由合併以降は小沢自身が加齢で多少丸くなったのと
小沢の宥め役としてはより協力な輿石という存在が出てきた為に
存在価値が無くなって反小沢に転じてしまったが