三重県桑名市に住んでた頃に伊賀上野に結構行ったんだけど、県庁のある津幡も治めた藤堂高虎の評価が爆上げし始めてた
尊崇する竹中半兵衛と黒田官兵衛に次ぐ位の評価まで到達しそうになってる

関ヶ原の合戦場にも5〜6回脚を運んだりしてるけど(愛知県・大阪府に移住したここ3年間行ってない)、藤堂高虎が事前
交渉で寝返り工作した脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保は誰が考えても決定打に近いものがある

ところで、返って平塚為広が凄いことが分かってもうた

小早川秀秋の寝返りを察知した時点で平塚為広が暗殺する手筈だったけど事前に計画が漏れたことによって、まともに大軍を
相手にすることになった平塚為広隊と大谷吉継隊(実質平塚為広指揮下?)
しかし、2度も小早川隊を押し返し、藤堂高虎・京極高知隊とも応戦してたものの藤堂隊と呼応して寝返った隣接4隊に包囲
され壊滅

相模の名門・三浦氏一族(平塚家)の坂東武者の強さを遺憾なく発揮したとしか言えない奮戦ぶり!

ちなみに、関ヶ原にある平塚為広碑は、8代・平塚為忠の次男で、評論家・女性解放運動家として有名な「平塚らいてう」の
父である平塚定二郎氏によって、昭和15年(1940年)9月15日に建立されてた

なんかあったな程度だったけど、大谷吉継の墓(竹林の奥にある)参りしておいて平塚為広の碑位は行かんと平等じゃないしね

”元始、女性は太陽であった”男女同権主義・平和運動のパイオニア「平塚らいてう」
http://www.chigasaki-kankou.org/kirameki/period/t01/