田原総一郎「頭のない鯨―平成政治劇の真実」(朝日文庫)P156-157 一部引用

それにしても、九三年一二月末といえば、政治改革法案もまだ通ってはいず、細川政権が
羽振りのよかった時代である。連立側に足並みの乱れはまだ現れず、自民党は野党の
悲哀をイヤというほど味わってくさっていたころのはずだった。そんな時期に、なぜ、
加藤紘一は、白川勝彦を社会党の伊東秀子に引き合わせたのか。加藤に一体、
どんな魂胆があったのか。白川は、どんな思惑で伊東と会ったのか。

「最初は、加藤さんに、連立側の政治改革法案は政治腐敗防止について曖昧だから、
同志を集めてこの辺を詰めてほしいと言われ、われわれもその作業をしていた。
翌九四年一月中旬からは、メンバーもおおかたそろってきて、
★安倍晋三★、逢沢(あいさわ)一郎、川崎二郎、衛藤晟一(えとうせいいち)・・・・・・、
まあ自民党側はいくらでもいるのですが、
社会党のほうも伊東さん以下、金田(かねた)誠一、浜田健一、北沢清功(せいこう)、
竹内猛さんと、こんな顔触れで極秘にはじめたのです」 

(・・・中略・・・) そして細川首相の辞任表明(四月八日)。

その直後に白川たちは、早々と自社連立政権を視野に入れた勉強会を開くために、
永田町のキャピトル東急ホテルに部屋を確保し、社会党からは伊東秀子、金田誠一、
参議院の中尾則幸、そして田英夫、さきがけから井出正一、日本新党から小沢鋭仁(さきひと)、
自民党からは白川のほかに、従来から研究会に出ていた
川崎二郎、★安倍晋三★、衛藤晟一・・・・・・、そして亀井静香も出席しているのである。

どうやら、森喜朗(当時幹事長)、加藤紘一、亀井静香、白川勝彦というのが、自民党の
社会党抱き込みの主軸で、社会党は、伊東秀子から山下八州夫(やすお)、山口鶴男、
野坂浩賢、そして村山富市へと連なっていったようだ。