あまりに遅くなると云うので、奥さんが我々の朝食を運んで来て下さった。
先生は部屋を出られ、黒田さんと二人で朝食をご馳走になった。
先生がお手洗いに入られ、そのお手洗いの外で女のお孫さんがうろうろしているのを、奥さんが気付いて、我慢出来ると尋ねる。
出来ないと云うので、お爺ちゃんまだですかと内に向かって催促されると、まだやと返事がする。その光景が今以て忘れられない。
食事の後、もうお暇すると云うので、塾の竹内さん、三上さんの所へ伺って少し話をしていると、
先生がふらふらと塾の狭い四畳半か六畳の部屋に入って来て、ぺたりと座り、萩原朔太郎の詩の話を始められる。
そして詩は第十識の理想である美を至上とするものではないと話され、
また悲しみの世界は第七識にあるのでそれも詩ではないと云う意味のことを話され、
すーっと部屋を出て行かれた。
暫らくしてまた、我々の所に現れ、
『生きんとする盲目的意志と悲願・感受は別のものではない』と云われた。
たぶんこのことを、我々に念を押しておく必要を感じて、お出でになったのだと思う。
そして、いつもの様に先生のポツリ、ポツリと思索の飛び石の様なお話が始まり、それでは詩とは何だろうと自分で設問された。そして、
『悲願が詩を感受するのである』と云われた。
僕はやや薄ら寒い春雨の午後の庭を眺め、立て膝を抱えて聴いていた。
では、第九識を重んじることが多い中国に詩はありますかと、僕が尋ねた。
杜甫などが先生の詩の定義に入るかどうか、その詩の領域の境界を見定めたかったからである。
すると、中国には詩と云うものは無い、と一旦答えられ、それでも僕の質問の意を察したのか、
ややあって、しかし蘇東坡の『赤壁の賦』は詩に近いものを持っているなあと付け加えられた。
僕は、この『赤壁の賦』を実際に読んだことは無い。
しかし、例えば、同じ蘇東坡の『石鼓の歌』と云う様なものは目にしたことがある。
それによりおおよその察しを付け、
次に芭蕉や万葉集を引いてこれは詩ですかと尋ねたのではちっとも面白くないので、
この辺だなと目星を付けて、
玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば 忍ぶることの 弱りもぞする
の式子内親王の一首を口遊むと、そうですそれが詩ですと肯かれた。
そして、この歌には寄り掛かった所が無いでしょうと、僕の顔を見て云われた。
それは、僕の青柳の一句がまだ寄り掛かりっ放しなのを自分でよく吟味せよと云う意味を込められている様に思えた。