大学の先生、一人残らず欧米人の云うところを鸚鵡の口真似式に繰り返してる。これが日本人。
欧米人には知などと云うものは働いてやしません。欧米人は指物は上手い。しかし下手な方が安全です。
そんな欧米人の真似ばかりしてる日本人は、これは何だろう。どう思います、あなた方?

いくら怒らしてもこりゃ云わなきゃならん程大切なところかどうかと云うことですね、問題は。

まるで、これまでやってたのは無駄で、無駄でないことは何もやってなかったと云うこと。

日本人、まるで白痴だ。学者なんて連中、一番白痴だ。
もうああ云うのは僕等の代までにして、君等の代からは止めなきゃ、全然時間の浪費。
生涯白痴で送ったら何か得るところあるか。
そりゃ最初そうして見せる者は、皆にそれをして見せると云う意味はある。二度目からは全然意味ありません。
止めなきゃ。

今後は五感で分らない世界、不可視界を対象に調べなければならない。こう云うことになる。

見る目は意識的。見える目は無意識的。

「聞く」は中耳(第一の心)。「聴く」は内耳(第二の心)。
学者の云ってることは間違いだらけだから全部中耳で取り入れたくなる。

「疑う」は第一の心。「信じる」は第二の心。

夏目漱石であれば、
草枕は第一の心(知に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、意を通せば窮屈だ、兎角に人の世は住みにくい)、
こころは第二の心(則天去私)。
しかし真情が分らない内は説いても無意味でしょうね。

一番悪いのが民主主義を根幹に据えてどうこう考えること!破綻してると云うことがどーして分らん!
もう、知なんて全然働いてやしない!舶来のものはひっくり返して一度皆捨てなさい!

大学とは知識を教えるところだとしたら、すること無いん。教える知識を持たない。

日本国憲法の前文の筆者は迷中又迷の漢である。
これに賛成している人達も同断である。
この迷中又迷の漢の言葉に従って教育しようとしている人達は更に迷を重ねるものである。
社会をそうしようとしている人達も同断である。

人の世の理想は法律なんかいらなくなることである。当然憲法もである。

この世界に物質と云うものは存在しません。

プライバシーと云ったら臭いものに蓋です。

日本人よプライドを持て。

上手く云えないだろうと思ってたら、案の定、上手く云えなかった。
第二の心は云いにくいんです。だから世代の断層になる。

僕は教えるために生まれて来たんです。指揮者です。