近衛の様なフワフワが首相になったって云うのは、つまり人物評価が誤っている。餓鬼道的評価法になってしまっている。
性欲を満たせるように金を貯める。だから金や地位がある人を尊敬する。
餓鬼道の評価じゃ、そうでない人は恥ずかしくて世の中に出られないでしょう。揮毫もそうだから私は書かない。

阿南惟幾陸相は山本五十六と並んで偉い。自刃連中の中じゃ一番偉いでしょう。
もう初めから、終戦と御前会議決った時に死ぬ覚悟出来ていた。
それで映画じゃ時の総理大臣鈴木貫太郎に挨拶に行って、そしたら鈴木、あれはわしに暇乞いに来たと云った。

今の天皇陛下(昭和天皇)だいぶ形式とれてます。
聖断や終戦後の地方巡幸の良さ。ああ云う出来事があってだんだん舶来のものがとれていくんですね。本当に大切なものだけが残る。

文化センターと云う変なものを建てて、そこでアメリカの知識を受け売りして講演するのは野蛮です。
文化と文明をちゃんぽんにしている。
これは、文化と云うものが分らないから。外国の猿真似が習慣を超えて習性になっている。

日本の官僚は非常に中国的です。そっくりそのまま真似た。科挙にしてもそう。
だから立身出世に終始する。孔子の「身を立て名を挙げ、以て父母の名を顕すは孝の終り也」なんてのは非常に有害ですよ。
年長者への敬い方まで舶来のものになっている。年長者を敬うべきですが、老害まで敬ったらいけない。

委員の委は奴隷根性の証であり共産主義です。

必要な知があれば、それは向こうから勝手に入って来る。

ケネディは泥人形!

フィヒテが問題にした主宰性は一見退屈なものです。しかし個性と並んで奥が深い。
そこを超えると造化になるため、まるで違うスケールになります。

全部を否定すると云っても、大切なものは自ずから残ります。

邪智を一時的に一切使わない日常を過ごしてみたらいい。
それくらいしないと僕の云っていることが君等には分らない。

天の月読の尊おわすところ常に、
天地に 我一人いて 立つ如き その寂しさを 君は微笑む
この彩りが付き纏う。他の神には決してこれが無いから見誤らない。
この彩りを孤独な創造、独創と云うんです。
私、この寂しさなら十分分る。いくら書いても読者が分らないから。民主主義と創造は両立しない。

キリスト教は日本人が信じるべき宗教ではありません。
あれはどうしても自然を映像ではなく存在だと思ってしまう大多数の西洋人のためにある宗教。
邪智がエレベーターによって取れて妄智だけになった西洋人を天使と云う。
ただし第十四識のキリストは第九識の孔子や釈尊なんかよりずっと尊い人物ですが。

慈悲は間違い。悲願が正しい。