草薙剣だと云っているのも草薙剣と云う体であって、本体は天の忍穂耳の尊(あめのおしほみみのみこと)。日本守ってるのは天の忍穂耳の尊。

その草薙剣を信長には初代を帯びさせ、秀吉には二代目を帯びさせ、家康には三代目を帯びさせた。
そして、乱を鎮めたんです。あそこで鎮めなきゃ、今度は西洋人に滅ぼされます。急いで鎮めた。

その前、元寇に対して備えるために義経を送った。あれはあそこで武備急がなきゃ一たまりも無い。かろうじて間に合った。いつもそう。
平家じゃ駄目ですね、藤原氏とちょぼちょぼやから。あんなもん、あんな化粧して戦に行くなんてもんに任してたら仕様無い。

義経が鵯越の逆落とし八十五騎、屋島取った時二百五十騎しかない。あんな愉快な戦した人は外に無い。
平家がいくら頑張ったって敵わない。天の忍穂耳の尊、武神ですからね。

しかし、義経が安徳天皇を死なせて、源氏がいかんて云う印象、全国民に与えてしまったでしょ。
死ぬことによって初めて本当の意味で斬ることが出来る。
即ち源氏は斬られた、あそこで。
源氏は安徳天皇に斬り殺された訳です、とことわに。

義朝とか頼朝とかはいかん。新羅三郎義光なんてのも駄目。
源氏はそんなことばっかりやってる。戦には強いけど非常に残忍な一種の無明があったらしい。

けれども源氏の末裔の家康は、鎌倉のある関東で大成した。
静御前が宿した義経の子供を海に投げ棄てたり、新田義貞が刀を捧げて潮が引いたり。
土地の因縁ってのはやはり残るね。今の源氏はもう駄目だが。

安徳天皇ねえ、最初の国産みつまり古事記の国産み杜撰。それでちゃんと産み直さにゃいかん。
その産み始めが安徳天皇の御入水なんです。一万カ月で七識、八識、九識は出来てる。

鹿鳴館とか、国の雰囲気、だらけ切ってたでしょ。
だから日清戦争の少し前で引き締まってるでしょ。
もう大丈夫となったのが、1974年の3月末です。
はっきりした日は分りません。造化のプライベートな放送聴かないと分りません。

2010年頃、それから後はもう十識、十一識信頼出来ます。
そうしたら造化の手助けして手焼かんならんのは十二識から上だけって云うことになるでしょ。そりゃ楽。

もうすぐやっと肉眼で分るところまで来るんですね。一番初めの畑は『帰趣界』である十四識、十三識なんです。
それを一度十二識で咲かして、そして今度それを十一識、十識と云う、つまり心の水へ最初に映す。

そしたら、これオリジナルとコピーの関係、十倍かかるでしょ。
こうして九識へ映ったのを八識へ映すでしょ。そうしたらまた十倍。
七識へ映したらまた十倍。
それから七識だったら普通の子供産むのと一緒で十カ月でしょ。だから十の四乗になる。一万カ月。

造化のすること何見てもオリジナルとコピーの関係、十対一。約十対一ちゅうなこと造化は決してせん。キチッとする。

古事記は聖徳太子が最初夢殿で書かれたのをオリジナルにしてます。造化が再放送して見せたから、書けた。自分ではとてもそんなこと出来ん。
だけど、聖徳太子土以外のこと放送したってそれ見る眼ありませんから、土の形で放送した。

で、そのまま信じることになった。つまり聖徳太子の眼で見える形で放送した。
それを…、誰か見てた。語り継ぎ云い継いで伝えたんですね。それ焼ける前に見た人がいる。あの頃の人は覚え良かったから。

最後が稗田阿礼ですけどね。一度見せてもらったら語り継ぎ云い継ぎしてやってたんでしょう。
それから後で入鹿が焼いてしまったから。そう云うのは無難に伝わったんですね。
だから、不完全な上になお不完全なんですよね、あの古事記は。

それでも、あれだけがどうにか上代の古神道を、応神天皇以後儒教や仏教が入って滅茶苦茶される前の神道。
その前にも中国の帝王の考えが入って既に滅茶苦茶になってますね。
で、応神天皇から遡った神道を古神道と云います。その古神道の面影は古事記を読めば伝わってます。大変有難い。

あれだけでも今に始まったことじゃないって云えばそれだけでも人は信じますから。
無かったら、それだけ云ってもなかなか信じません。非常に意義のある本ですね。

何かそう云うものが云い伝えられたらしい、云い伝えられるについては実際あったんだからとそこまでなら信じますからね。
疑ってかかられたらそりゃもうどう仕様も無い。