神は第二の心ですが、国つ神は九識以下、天つ神は十識以上です。
その上となると蓬来宮とか造化とか帰趣とか外宮とか内宮とか。

造化三神は日漢民族の頃。天之御中主神は意そのもの、知そのもの、情そのものの合成神。

意そのものは達磨大師と弁栄上人。宗教は意です。
こうしたいと云うだけで知でもなければ情でもないでしょ、あれは意です。ただし、正しい意の使い方を教わる。

だから、中国では知そのもの、
その知そのものが伏羲と生まれ、帝堯となり、もう一度中国へ生まれ、日本へ渡って仁徳天皇となり、それから水戸光圀となり、明治天皇となった。
明治天皇が亡くなって明治神宮へ祀られたでしょ。ここで初めて天つ神となられた。

明治天皇の御在世時はまだ第九識です。
その証拠に五箇条の御誓文の様なものを出して人民だけで政治するって堂々宣言した。
十識だったらそんなことしないでしょ。あれ、大脳前頭葉付け替えられしませんから、死んでからでなけりゃ。

だから、第九識の国つ神の中で一番の神を第十識に造化が引き上げたんです。それ中国で三代、日本で三代、六代修行させた。
そして、初めて六代目死んでから天つ神となった。これ位天つ神と国つ神と格が違うんだと云うことを認識させた。

豊受大神も国つ神であって天つ神じゃありません。とんでもないことをしてる。
もっとも国つ神と天つ神両方祀っておくのも意味があるかもしれません。日本は百姓に働いてもらわんと困るから。
だけどやがて止めるでしょ。日本は心の国だから。

天之御中主神の内、主神は日本じゃ情そのもの、だから伊邪那岐、伊邪那美と分れた。

帝舜は天の月読の尊です。この例見れば日本とそれ以外との違いが一番よく分るでしょ。
もう、今の様にinferiority complexの物真似猿になっている時に誰も聴かないでしょ。日本人よプライドを持て。